五百七十六話 ゴルデン
俺の名はゴルデン。
迷宮都市の若手鍛冶師の中では、ちょっとは名の知れた男だ。
長年の厳しい修行に耐え、ようやく親方から独立の許可を得た。
だが、じゃあ独立だ! なんて簡単にはいかねえ。悲しいことに迷宮都市の工房事情は切迫しており、金があったとしても簡単に自分用の工房を用意するのは難しい。
自分の工房を持ちたいだけなら、迷宮都市を出れば簡単に持てるだろう。初期費用と維持費は高いが俺の腕なら王都でもなんとかなる自信はある。
だが、俺はそれを選ばなかった。
多くの冒険者が命を賭けて鎬を削るこの迷宮都市で一番だと認められる鍛冶師になってこそ、俺の腕が証明されると思ったんだ。
だから俺は探した。
後継ぎがいない工房、経営状態が悪い工房、不正を行っていそうな工房、様々な伝手で探りを入れ、手に入りそうな工房を探した。
その過程で仲間もできた。
元々顔見知りで、なかなかの腕を持つ二人。まあ、ライバルって奴だな。
その二人も同時期に親方から認められ、独立の許可を得た。
本来であれば鍛冶の腕だけではなく工房をも争うライバルなのだが、時が経つにつれてライバルから仲間に変わっていった。
なぜなら、手に入れようと争う工房すら見つけられなかったからだ。
俺達は情報を共有し、酒を呑みながら夢を語り合った。
一人で工房を持つのは難しい。
でも俺達三人ならどうだ? 迷宮都市の若手でも腕がいい三人での工房の運営。多少不自由ではあるが、親方の下に居るよりも自由にやれる。
そこで腕を磨きながら工房経営のノウハウを学び、いずれ自分だけの工房を手に入れる。
そんな楽しい夢。
その夢に支えられ、俺達は迷宮都市を走り回った。
そんなある日、気になる情報を手に入れる。
俺が、俺達が尊敬する鍛冶師の一人が亡くなった。
しかも、家族は娘一人しかいない。
チャンスだと思った。
人の死を喜ぶべきではないのは重々承知していたが、どこぞの馬の骨に取られるくらいなら若手でも腕が立つ俺達が工房を手に入れた方が亡くなった鍛冶師も工房も喜ぶと思った。
すぐに交渉を! と思ったが、さすがに尊敬する職人の死に乗じての交渉は義理が立たない。
一人娘が落ち着くのを待ち、交渉することに決めた。無論、俺達以外の奴等に抜け駆けされないように監視しながら。
俺達は話し合った。
手に入れた工房の運用方法、改装や設備投資。楽しい時間だった。
だが、一人娘が工房を継ぐという驚きの情報が飛び込んできた。
ふざけるなと思った。
職人が鎬を削るこの迷宮都市で、一人前と認められても居ない小娘が工房の主? 職人を舐めるな! と思うのも当然だろう。
……だが、法的には向こうに分がある。
工房を手放さないと決めたのであれば、俺達に出る幕はない。念のために交渉に出向いてはみたが、一人娘の固い決意を見て諦めた。
***
ふざけるな!
一心不乱に鍛冶に打ち込むべき時に、精霊と契約ができないから迷宮に潜るだと?
あの工房と精霊の関わりは聞いたことがある。
精霊と契約できないのは、工房を受け継ぐ資格がないからではないか?
ふむ……一人娘が工房を諦める時は近いのかもしれない。
工房に顔をだして、売る時は俺達に声をかけるように話を通しておこう。
一人娘と話したが、諦めるつもりはないようだ。
頑固は職人の美徳だが、頑固と意固地が違うのだと分かっているのだろうか?
心配だが仕事もないようだし、いずれ諦めるだろう。
意固地になってすべてを失う前に、工房を手放す決断を期待したい。
***
どこぞの精霊術師の余計なお世話で、一人娘が精霊と契約を果たしたらしい。
これであの娘は工房を手放さないだろう。
俺達の工房はまだ手に入らない……。
***
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。
修行の旅だと? お前が修行するべきは鍛冶の修行だろう。工房から離れてどうする!
***
もう我慢ならん!
なんどもなんども工房を留守にする小娘。
たいした腕もないのに貴重な工房を独占する小娘。
許してはおけない。
工房の主の資格がないと怒鳴りつけ、工房を譲るように言い含めようとしたが仲間に止められた。
よく分からんが、小娘の師匠になった精霊術師はかなり危険らしく、冒険者ギルドが酷い目に遭ったそうだ。
調べたら本気でヤバい奴だった。
悔しいが冒険者ギルドと喧嘩できるような存在を敵に回す訳にはいかない。誠意をもって交渉し、工房を譲り受けよう。
今の迷宮都市に工房を遊ばせておく余裕がないと説明すれば、小娘にも理解できるだろう。
***
なぜだ、なぜわからん!
親の工房を受け継ぎたい気持ちは理解できるが、腕もなければ仕事もないのだからスッパリと諦めるのが道理だろう。
ついには師匠まで口を挟んできやがった。
だが俺達は負けん。
情報収集の結果、目の前の精霊術師は巨大な力を持つ割に腰が重い。正しい道理を説く俺達に危害を加えることはないだろう。
また旅に出ただと?
ゆ・る・せ・ん!
***
ふはははは! やった! やったぞ!
小娘がついに工房を譲る決断をした。
鍛冶大会を開くなんて迂遠なことをせずに素直に譲ればいいとも思うが、小娘にもプライドがあるのだろう。
破産して工房を手放すよりも、腕で負けて潔く工房を譲ったと思われる方が見栄を張れるからな。
それくらい付きあってやってもいい。
精霊術師を怒らせた時にはどうなることかと思ったが、結果オーライだ。タブレさんを引っ張り出した甲斐があった。
あとは俺達三人の中の誰かが優勝すれば、俺達の夢が始まる。
***
小娘だ、小娘とその師匠が犯人に違いない! 工房を手放すのが嫌になって、俺の作品を奪おうとしたんだ!
騎士様、あいつらを捕まえてくれ!
……えっ? 犯人じゃなくて、恩人? 襲撃を防ぐために騎士様達を派遣したのはあいつら?
……どういうことだ? 罠か? 罠だよな? 助けたのだから工房を手に入れるのを諦めろとでも言うつもりか?
チッ、自作自演の可能性もあるが、借りができてしまったのも事実だ。できるだけ弱みを見せずに確実に工房を手に入れよう。
借りは良い武器を提供すれば返せるはずだ。俺にはそれだけの腕がある。
やりやがった。あいつは恥知らずにも迷宮産の武器を出品しやがった。
こんな分かりやすい反則を……そうか、賄賂か脅し、汚い方法で優勝するつもりだな。クズ野郎が。
絶対にそんなことはさせない。たとえ賄賂や脅迫を駆使しようとも、この場に居る職人達を巻き込めば鍛冶師ギルドだって無理を通せないはずだ。
負けるな、声をあげるんだ。不正を許すな。
クズがこっちに近づいてきやがった。大声で不正を糾弾され困ったのだろう。
うん? 嫌味をまじえながら朝の襲撃の話を始めた。そうか、襲撃を助けた恩で俺の口を封じるつもりか。
汚い奴だな。だが周囲から見れば借りがあるのは確かだ。ここはきちんと謝り、だが不正とは話が別だとキッパリと宣言するべきだな。
クズに頭を下げるのは屈辱だが、夢を実現するためには忍耐も必要だ。
ギルマスが来た。ここでもう一度しっかりと糾弾すべきだな。ここで言質を取ればギルマスも不正はできないはずだ。
クックック、俺が周囲を巻き込んで騒いだから、クズも困ったようだ。製法を知りたいならと過大な要求をしてきやがった。
前回笑い倒して怒らせたのを忘れていて少し首周りが寒くなったが、そんなブラフで俺達が諦めると本気で思っているのか?
ああいいぞ、雑用でもなんでもしてやるよ、不正じゃないと証明できたらな!
嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ。
……あぁ、夢だな。あの小娘がダマスカスを製造できるなんてあり得ないし、精霊術であんなことができるなんて聞いたことがない。
そうか、今は大会前夜の布団の中。明日の大会に少し不安になって、自分に都合の悪い夢を見てしまったってところだな。
俺も一人前の男になったと思っていたんだが、精神的に未熟な部分が残っていたようだ。
少し恥ずかしいが、明日、優勝の打ち上げで笑い話にでもしよう。
***
夢が覚めない。
いつまで経っても夢が覚めない。
なぜ俺は年下の女をお姉様と呼び、憎しみすら抱く小娘を世界一可愛いお嬢様と呼んでいるのだろう?
意味が分からない。
「雑用二番! 列が乱れているから、騎士様方に協力してさっさと整理しなさい! 雑用三番! 新しく来た奴等に状況の説明! 雑用一番、ご近所に迷惑を掛けているから、あんたが土下座して謝ってきなさい」
自分の夢ながら、よくもこんな酷いことを思いつけるものだ。あの娘の憎らしい顔、いつもきゃんきゃんうるさいから脳裏に焼き付いたかな?
「はぁ、なんで土下座なんか」
する訳ねえじゃん。
「口答えするな! いけ!」
「「「……はい、お姉様」」」
バカ、なんで素直に言うことをきいてるんだ。逆らえよ。
……夢のはずなのに、こらえきれずに涙がこぼれ、心が悲鳴をあげる。
この悪夢はいつまで続くのだろう?
鍛冶師として迷宮都市で一番になる夢が、悪夢だと雑用一番だなんて洒落が効いている。
もしかしたら俺には、鍛冶の才能だけじゃなく笑いの才能もあるかもしれない。
悪夢が覚めたら、人気者の鍛冶師でも目指してみるかな?
楽園に戻る前に、閑話的にゴルデンの内情を書いてみたら、少しサイコっぽくなってしまいました。
読んでくださってありがとうございます。




