五百七十五話 ラーメン
マリーさん、ソニアさん、ユニスの協力の元、メルの工房の騒ぎをなんとか無事に乗り切った。そして、いつの間にかラーメン職人の気分に浸り込んでいた自分の目も覚めた。マリーさん達にはお礼として罰を解除したし、なんとかすべてが丸く収まった気がする。
すべてが丸く収まった、後は鳥ガラ醤油ラーメンを完成させて楽園に戻ってのんびりしようと考えていたのだが、少しおかしな方向に話が進んでしまった。
メルの工房の方は、見学料の支払いはほとんど終わり、商人と冒険者が押しかけてくるだけになった。
こちらはマリーさんとソニアさんのどちらかがフォローに入ってくれたし、ユニスが雑用一、二、三番を使いこなしてくれているので、問題がないどころか大繁盛している。
呼び名についてもメルの粘り強い説得により、『世界一可愛いお嬢様』が『お嬢様』になり、『お姉様』が『姉さん』に変更になった。
メルはまだまだ不満そうだが、世界一可愛いという枕詞が抜けたのは大成果だと思う。
「裕太、ラーメン二丁だ!」
「了解!」
あとは楽園に戻るだけだったはずなのに、どうしてこうなったんだ?
素早くどんぶりに醤油ダレを投入し、鶏がらスープで割る。
トルクさんが茹で上げた特製中華麺がどんぶりに投入され、その上に軟らかく煮た厚切りのオーク肉とネギを載せる。
「ジーナ、お願い!」
「あいよ!」
鶏ガラ醤油ラーメンが完成したらジーナを呼び、呼ばれたジーナが素早く二つのラーメンを運んでいく。
「おー、きたきた。これが噂のラーメンってやつか、美味そうだな」
「あぁ美味そうだ」
運ばれてきたラーメンに二人の客が喜ぶ。
嫌な訳ではない。
お客さんも喜んでくれるし、むしろ文化祭気分で充実しているような気もする。でも、なんだか腑に落ちない。
メルの方は問題なくなったので、俺はさっそくインスタントラーメンの食品表示を確かめた。
これですべて上手くいくなんて考えていたのだが、甘い考えだった。
ちきん調味料ってなんだ? リン酸Caって? 加工でんぷん? キサンタンガムって食べ物の名前?
食品表示に書かれている内容の三分の一が理解できず、理解できてもどうやって用意したらいいのか分からない物だった。
ラーメンの完成が遠のいたと頭を抱える俺。すべてが上手くいくと有頂天からの絶望は、なかなかの精神的ダメージだった。
ショートカットが失敗に終わり、全部トルクさんに丸投げして楽園に帰ろうかと投げやりにもなった。
……だが天は俺を見捨てなかった。
いや、見捨てるどころかラーメンをこの世に生み出すのだという天の意志まで感じた。
無気力に襲われ、ボーっと食品表示を眺める俺の目に飛び込んできた天啓。
そう、ネギ油だ。
最初に見た時は、ハイハイネギ油、美味しいよねと軽くスルーしてしまったが、俺達のラーメンにはとても重要なモノであることに気がついた。
改めて真剣に食品表示を見なおすと、ネギ油に加えて鶏油の存在も発見。
油=高カロリー=美味い。絶対の法則。
パンチが弱いスープ。
だがスープのレベルアップには時間が掛かる。
ならば後乗せ調味料で誤魔化せ!
パンチが弱ければ、パンチを加えればいい。まさに逆転の発想。
油だけではなくチャーシューもパンチが強い物を用意すればいい。メンマやナルトは難しいが、オーク肉なら簡単に用意できる。
チャーシューというよりも厚切りの煮豚……煮オークなんてどうだろう?
自分のことが天才に思えた。
あっ、そういえばマー油なんて素敵な調味料もあったな。ネギ油も焦がしネギ油なんて発展形があったのも思い出す。
さっそく厨房に突撃し、鶏油、ネギ油、焦がしネギ油、マー油をオーダー。
夜には様々な油を組み合わせた試食会をおこない、納得とまではいかないが割と美味しい鶏ガラ醤油ラーメンが完成。
厚切り煮オークとネギ、鶏油とネギ油はデフォルトで、焦がしネギ油とマー油はトッピング、メンマと煮卵は今後の研究と売れ行き次第ということで落ち着いた。
鶏ガラ醤油ラーメンの一応の完成に喜び、まだまだ上があることをトルクさんに伝える。
鶏ガラ醤油ラーメンの発展をのんびりと待つか、豚骨、味噌、塩などに手を伸ばすかと夢を膨らませていると、トルクさんから深刻な相談を持ち掛けられた。
トルクさん曰く『ラーメンを出す場所がねえ』だそうだ。
昔の小さな宿屋で、冒険者や普通の商人が主なお客な頃なら問題はなかったが、料理が有名になり改築して客層に女性や富裕層が増えた。
そんな中でズルズルと音をたてて食べるラーメンは異端認定されるらしい。
納得がいかない、ラーメンは美味しいんだ! という気持ちはあるが、頭の冷静な部分では当然だなと納得。
ラーメン、うどん、そば、素麺、様々な麺類がある日本ですら、外国の観光客から眉をしかめられることもある。
この世界ならもっと大変だろう。
個室だけで食べられる裏メニューにするか、いっそのこと自分達だけで楽しむ独占メニューにすることも考えた。
だが、俺としてはラーメンには広まってほしい。いたるところで改良され、各地域にご当地ラーメンが生まれるくらいに発展してほしい。
そしてラーメン屋巡りがしたい。
そんな悩める俺に、またも天啓が舞い降りる。
トルクさんの宿屋で出せないのであれば、屋台で出せばいいじゃない! パーフェクトな理論だ。
ジーナの実家の食堂で出すことも考えたが、ラーメンは専門店が生まれるほど手間が掛かるメニュー。流通や道具に制限がある異世界だとなおさらだ。
たぶんトルクさんくらい料理に狂っている人じゃないと、食堂のメニューにラーメンを追加するのは難しいと思う。
だからこその屋台。
料理に狂っているトルクさんなら、ラーメンの研究に当てていた時間で屋台を出すことが可能。
まあ、休息や追加のラーメン研究で毎日は難しいだろうが、偶になら許容範囲内だろう。
不定期で現れる幻のラーメン屋台。商売としてはどうかと思うが、収入が別にあるトルクさんなら問題ないしロマンがある。
夜遅くの商売になるが、お客の当てはある。
迷宮都市の繁華街……は、なんだか危険な気がするから、冒険者ギルドの前。あそこならギルドの酒場で飲んだ後の冒険者達に、〆の一杯を提供できる。
荒くれ者相手の商売だから多少の危険はあるが、強面で元冒険者のトルクさんなら対応できるし、俺も冒険者ギルドに顔が利くので先に脅しておけば問題はない。
俺の完璧な計画をトルクさんに伝えると、当然トルクさんも乗り気になってトントン拍子に話が進む。
迷宮都市で顔が利くトルクさんは、あっという間に屋台を用意し、冒険者ギルドに顔が利く俺の後押しもあって、冒険者ギルドの目の前での商売を許された。
これで一安心と気を抜いたら、誤算に誤算が積み重なり、ちょっとだけ面倒なことになった。
一つ目の誤算。
俺は時間が空いた時の趣味的なラーメン屋台を想像していたが、もっとラーメンを研究したいトルクさんの情熱が暴走。
商売になるのだから遠慮はいらないと、今まで抑えていた研究欲を解放。忙しい宿の料理の合間に麺とスープを仕込み、マーサさんの雷が落ちる時以外は毎日が屋台。幻の定義が崩壊する。
二つ目の誤算。
冒険者相手の商売を考えていたのに、ギルド職員の夜食にも利用される。
普通の男性ギルド職員だけなら問題はないのだが。夜で人数が少ないとはいえ美人な受付嬢までお客になってしまった。
音を立てて食べるからある意味下品に思われるラーメン戦線に、まさかの美女参戦。
長い髪を色っぽく持ち上げながらツルツルと器用に音をたてずに食べる美女。
当然美女に弱い冒険者達も集まってくる。
だが、俺への恐怖とトルクさんの迫力と接客力で無茶ができない冒険者達。ある意味とても安全になり、女性職員の参戦率増加。
三つ目の誤算。
迷宮都市の食文化の向上。
俺が拙いながらも食に革命を起こしたせいで、グルメな迷宮都市民が増加。宣伝をした訳でもないのに、すぐに噂を聞きつけて夜営業だろうが、多少距離が離れていようがグルメな迷宮都市民が駆けつけてくる。
つまり、屋台営業を始めて五日、夜の短時間営業にも関わらず、誤算に誤算が積み重なって大繁盛ということだ。
最初は屋台の前のベンチ一つだけだったのに、今ではトルクさんの屋台が現れると、冒険者ギルドの職員が勝手に手伝いに来て、テーブルや椅子までセッティングしてくれるようになった。
女性専用スペースを設けるなど、色々と気を回しながら手伝ってくれる。
今日はジーナが手伝いに来てくれているが、居ない時はいつの間にかギルド職員がサポートについてくれる時もある。
ギルマスに、これは問題にならないのかと尋ねたところ、『裕太殿との仲を深める大チャンスですから問題ありません』と笑顔で言われた。
別に冒険者ギルドと仲良くしたいとは思っていなかったが、わざわざ仲を悪くする必要もないし、メリットも沢山あるから受け入れることにした。
だからまあ、地味に忙しくても問題なくラーメン屋台は回っているのだが……なんでこんなことになっているのだろう?
ただ単に美味しいラーメンが食べたかっただけなのに……。
……まあいいか。メルの工房もマリーさん達の活躍でだいぶ落ち着いたし、トルクさんも屋台でのラーメン作りに慣れた。
あと数日手伝ったら今度こそ楽園に帰ろう。
思った以上に滞在が長くなってしまったし、少しだけ楽園が心配だ。特に酒島。
読んでくださってありがとうございます。




