五百三十九話 精霊樹とは
雪の大精霊をスカウトに行ったら、雪豹の大精霊のはずなのに性格はお猫様の自宅警備員……プラス、寝具にとてつもなく愛着を持つ変わり者の大精霊だった。なんかスカウトするのが不安になったが、雪を降らせて引き籠ってもらえれば十分なので頑張ってみようと思う。
「ふむ、無理じゃな」
「えっ? ノモスでも無理なの?」
正直ノモスなら頼めばなんとかなると思っていた。だから雪の大精霊の寝具の話も理解できずとも笑顔で頑張ったのに……。
なんとか『俺を満足させる寝具を提供できたにゃら、行ってやるにゃ』という言質を取り、意気揚々と楽園に戻ってきたのにこの結果。ノモスでもできないことがあるの?
他の寝具を探すか? でも、中途半端な寝具では雪の大精霊も納得しないだろう。自慢の中で触らされた各種毛皮は、自慢するのも納得できる感触だった。
しかも、その毛皮ごとに特徴があり、その日の気分で寝床を変える程に拘っている。中途半端は機嫌を損ねるだけだろう。
再びスカウト失敗か?
「うむ、言い間違えた。儂でもできぬことはないが、効率がすこぶる悪いということじゃ。ガラスを強化しても擦れあえば破損する。金属では重すぎる。素材を選別し配合を考えればできぬこともないが、そこまでする必要はあるまいということじゃ」
「えーっと……どういうこと?」
できぬことではないという言葉に希望が生まれたが、落としてから上げるなんてジゴロの手口だぞ。
俺を惚れさせたいのか?
「裕太がやりたいことは、植物でもできるということじゃ。ドリーに頼め」
「ドリーに?」
「うむ。金属よりもそれに向いた木や樹液を使った方が良かろう」
……俺もまだまだ地球の常識に縛られているんだな。魔法が存在する世界なんだから、プラスチックの代わりになる木や樹液があってもおかしくないということか。
「なるほど、ありがとうノモス。ドリーに聞いてみるね」
「うむ」
ふいー。ちょっと焦ったけどなんとかなる目途が立ったし、メル達の様子を見てからドリーに会いに行こう。
「メル、調子はどう?」
俺とノモスが話している間も会話に参加せず、こちらの様子を見ていたメルに話しかける。
「はい、あの、すごく難しいのですが、やりがいがあります。……でも私では知らない……いえ、私だけではなく今の世界では失われているような古代の知識も教えていただいていて……大丈夫なんでしょうか?」
「……ノモス、ダマスカス鋼について教えているんじゃなかったの? 古代の知識って、物によっては危険なんじゃないの?」
メルに返事もせずに振り返ってノモスに話しかける。これって、何気に洒落にならない事案だ。
「ダマスカス鋼も古代の知識なんじゃが?」
それを言われるとぐうの音も出ない。
「……メル。劣化とはいえダマスカス鋼を再現したとなれば、注目を浴びることになる。それ以上の注目は必要ないから、習ったことは公開しないようにね」
俺の後ろ盾があるから一般人よりかは安全だろうが、無意味に危険を増やす必要はない。
「は、はい。では、これ以上は学ばない方が良いですよね」
メルが少し、いや、かなり残念そうだ。職人だし、知識欲が旺盛なのだろう。
「全部隠すんだから好きなだけ学んで構わないよ。でも、その知識の取り扱いには十分に注意すること。いい?」
「はい! 分かりました!」
とても嬉しそうだ。やっぱり学びたかったんだな。
情報の洩れが少し心配だが、メルは気が小さいから細心の注意を払うだろう。
「メル、メラル、メリルセリオ、修行の邪魔をしてごめんね。ノモス、三人をよろしく」
これ以上話し込むと更に胃が痛くなりそうな話を聞かされる気がして、素早くノモスにメル達を任せて工房を出る。
さて、不安になりそうなことは忘れてドリーに会いに行こう。
***
「それならサクラちゃんに頼みましょう」
「サクラ? どうして?」
かくかくしかじかとドリーに今までの流れを説明すると、なぜかサクラの名前が出てきた。
ノモス→ドリーときて、今度はサクラ。なんだかたらい回しにされている気がする。
「裕太さんは忘れているようですが、サクラは精霊樹の思念体です。裕太さんが望む素材に適した物を持っているのはサクラですよ」
そういえばサクラの大元は精霊樹だった。
分かってはいたのだが、美味しいご飯やおやつを食べて笑顔で手足を振り回している姿ばかり見ていたから、認識からサクラと精霊樹が切り離されていたようだ。
「ドリー、精霊樹の何が必要なの? というか、精霊樹の素材ってどれもこれも貴重なんじゃなかったっけ? そんなもので寝具を作ってもいいのかな?」
精霊樹の果実は死んでいなければなんでも治るといった効果だった。葉や枝、樹液にも何かしらの価値があると聞いた覚えがある。
「たしかに精霊樹の素材はとても貴重な物です。ですが、それは精霊樹が人が足を踏み入れられないような場所に生えていることと、強欲と荒事を嫌う精霊樹の意思が乱暴な者に素材を提供することを拒むからです」
えっ? 乱暴者は駄目なの? 人が足を踏み入れられないような場所に辿り着ける人間なんて、大抵は荒事に慣れた人達くらいだよな。
しかも、そんな秘境まで来るような人物は、たいていがお宝目当てだろう。
……なるほど、だから精霊樹の素材は貴重なのか。
強くて優しくて無欲な人物しか手に入れられないとか、クソゲーというか無理ゲーだな。
「あれ? 自分で言うのもなんだけど、俺は無欲じゃないよ? 荒事も……好きではないけど、その場の雰囲気で乱暴なことをすることもある。なんでサクラに懐かれてるの?」
どちらかというと嫌われるタイプだと自覚がある。
「裕太さんはサクラにとって親のような存在ですから、よっぽど酷い行いをしない限りサクラから嫌われることはありませんよ」
身内特権だったか。それなら納得できる。
「なら、サクラが提供してくれるなら、特に問題なく利用しても良いってことだよね?」
なんかお札で鼻をかむようなもったいなさだが、楽園に雪の島が増えると思えば釣り合いは取れるだろう。
「はい。まだ幼いので無茶はできませんが、裕太さんが望む量くらいならまったく問題はありません」
ドリーのお墨付きが得られたなら安心だ。
「じゃあサクラのところに行こうか。シルフィ、どこに居るか分かる?」
「精霊樹のところでベル達と遊んでいるわね」
「ああ、ベル達も一緒なんだ。そういえばベル達って精霊樹で遊んでいることが多いよね。滑り台を気に入ってくれているのかな?」
そうだったら作った自分としてもとても嬉しい。
「滑り台も楽しんでいるけど、そもそも精霊樹の傍は精霊も居心地が良いのよ」
「へー、そうなんだ、知らなかった。まあ、滑り台を楽しんでもらえているなら良いか」
「……裕太。もう少し深く考えるようにしなさい。名前が精霊樹なんだから精霊と関係が深いことくらい分かるでしょ?」
名前の由来なんて考えたことないもん!
……駄目だな、可愛らしく拗ねてみようかと思ったが、想像しただけで気持ちが悪い。
人間、素直が一番だよね。
「了解。もう少しいろんなことに注意を払うようにするよ。ちなみに、精霊樹って名前になった由来は?」
「昔は今よりも精霊樹の数も多かったの。人が少し頑張ればたどり着ける場所にあるくらいにはね。そこで精霊術師の才能がある人間が精霊が集まっているのを感じて、その木を精霊樹と名付けたのよ」
「なるほど、そもそもなんで精霊が集まるの?」
「居心地が良いからなんだけど、一番は香りかしら? 精霊樹はその土地を豊かにするのを話したわよね? その循環の間に発せられる香りが、精霊にとって素晴らしい癒しになるのよ」
抜群のアロマセラピー効果があるのか。
「……精霊樹の樹液も精霊が好きな匂いがしたりする?」
たしか樹液をなんやかんやしてお香にするって聞いたことがある気がする。
「うーん、どうなのかしら? ドリー、知ってる?」
「そうですね……樹液が固形化する前は良い匂いがしますね。固形化した後も、ほのかに香る程度の匂いは残ると思います」
……ということは、ほのかに良い匂いがして、素晴らしい感触の寝具ができるということになる。
「雪の大精霊が精霊樹の香りが苦手な可能性はないよね?」
「どうかしら? でも、精霊樹の香りを嫌いって精霊は聞いたことがないわね。ドリーはどう?」
「よっぽど変わった精霊でない限り、精霊樹の香りを好まない精霊はいないと思います」
よっぽど変わった精霊以外か……。
「魔力を使ってまで毛皮で眠るのが大好きで、その眠りを快適にするための寝具も大好きな精霊は、よっぽど変わった精霊なのかな?」
そこが大きなポイントだと思う。
「……否定はできないわね。でも、あの雪の大精霊の趣味は寝ることなんだから、香りは一般的な精霊の嗜好と同じなんじゃない?」
「そうですね。もし心配なのであれば、樹液の香りがほとんどしない樹液もありますから、予備として作っていけばいいかもしれませんね」
なるほど、精霊樹の香りが好きな可能性が高いけど、余ったなら自分で使えばいいし、予備として香りがしない寝具を作っておくのも悪くない選択だ。
サクラに会いに精霊樹に向かっている間に、なかなかの名案が浮かんだな。シルフィが精霊樹について深く掘り下げてくれたおかげだ。
ワンパターンだけど、後でお礼としてお酒を差し入れよう。むろん、寝具作りに協力してくれるドリーにもだ。
……大精霊達には常にお酒を配りまくっている気がする。まあ、それだけお世話になっているということか。
「あっ!」
「裕太……何を失敗したの?」
ちょっと声をあげただけで俺が失敗したと分かるシルフィさん素敵です。そうです失敗しました。
「……寝具の中身ばかり考えていて、それを入れる外側のことを考えてなかった。布地は迷宮の財宝から出てきた感触が良い布があるけど……シルフィ、裁縫できる?」
スッと目を逸らすシルフィ。
「えーっと、ドリーは?」
「私もお裁縫はやったことがないですね。というか、お裁縫をしたことがある精霊自体を知りません」
そうだよね。精霊は裁縫をする必要なんかないもんね。
「ジーナかメルならできるかな?」
「「……」」
無言ですか。
ジーナとメルが裁縫ができなければ……迷宮都市に出張だな。
簡単な思いつきで始めたことだけど、なかなか大変なことになってしまった。
読んでくださってありがとうございます。