五百三十三話 自業自得?
ユニスがゴルデンさん達に浴びせた痛烈な罵倒に、俺も一緒に心胆を寒からしめられた。女性の心を抉る強烈な言葉は、関係なくても本気で怖い。でも、宿で会ったベティさんからは簡単に癒されたので、俺は単純なのだろう。
ベティさんが醤油が欲しいと言ったのは、醤油自体ではなく製法の事だったのか。
まあ、それでも俺が渡した醤油の壺はしっかりと抱きしめていて、手放す気配は無いけど……。
「えーっと、醤油を商業ギルドで造るということですか?」
ベティさんが自ら仕事地獄に突っ込もうとしているが、止めてあげるべきなんだろうか?
……駄目だな。ベティさんの真剣な瞳は、完全にボーナスしか見えていない。たぶん『ボーナスを貰って、美味しい物を沢山食べるんですー』とか考えているのだろう。
注意しても止まるとは思えない。
「いえー。商業ギルドは醤油を造る体制を整えて販売するのがお仕事ですー。ふふ、料理ギルドと組んで荒稼ぎですよー」
ベティさんが欲深いことを言っているが、マリーさんと違って守銭奴な雰囲気は感じない。
お金が目的か、お金で美味しい物を食べるのが目的かの違いなのかもしれないな。
「もちろん、裕太さんの利益も保証しますよー。だからお願いしますー」
俺がくだらないことを考えていたのを拒否と受け取ったのか、慌てた様子で言葉を重ねてくるベティさん。
ボーナスゲットの瀬戸際だからか、かなり必死なようだ。
俺としては醤油が流行るのは食事のバラエティが増えて大歓迎なんだけど、利益となると少し遠慮したくなる。
贅沢この上ない話だが、お金には余裕がありすぎるぐらい余裕があるので、利益を得ることで発生する責任の方が厄介だ。
……よし、トルクさんとマーサさんに押し付けよう。
マリーさんでも構わないんだけど、あの人はまだお仕置き期間中だし、料理関連はトルクさんに任せた方が安心だよね。
「醤油の製法を教えるのは構いません。利益とかは全部トルクさんとマーサさんにお任せするので、そちらで話し合ってください」
トルクさんなら新しい調味料を独占しようとはしないだろうし、マーサさんはしっかり者だから、自分達の手間に少し利益を上乗せしたくらいで手を打つだろう。
俺は面倒な手間が減って醤油が流行ってお得、トルクさん達は醤油が安く手に入るようになるだろうし、少し利益も出るからお得、ベティさんは醤油の製法が手に入るうえにボーナスゲットでお得。
これぞ近江商人の心得、『三方よし』ってやつだな。俺はまったく近江とは無関係だけど……ん? これに新しい調味料が増えて世間が喜ぶなら『四方よし』ってことになるのか?
近江商人を越えてしまったかもしれない。
あっ、利益を度外視している時点で俺は商人ですら無いな。越える以前の問題だった。
「裕太さん、牛乳の時もそうでしたけど、あいかわらずですねー。もったいないですー」
ポヤポヤのベティさんに呆れられると、思いのほかダメージを受ける。
「あはは、まああれです、交渉とかが苦手なんですよ。それよりも、もう一つ新しい調味料があるんですが、興味はありますか?」
こうなったら味噌の製造もベティさんに任せてしまおう。
味噌の方が歴史も古いし、醤油に比べると造りやすいはずだからなんとかなるはずだ。
決して呆れられた仕返しに、ベティさんの仕事量を増加させようと企んでいる訳ではない。善意の申し出だ。
「新しい調味料ー! 裕太さん、美味しいんですか?」
簡単に食いつくベティさん。釣り針にエサを付けなくても釣れそうな勢いだ。
「ええ、美味しいですよ。試してみますか?」
「試しますー!」
本当に簡単な人だな。
「何を試すのか知らないけど、階段の前でいつまでも話されていると他のお客に迷惑だよ。食堂の個室を貸してやるからそこで話しな!」
マーサさんに怒られてしまった。そういえば部屋に戻る途中だったな。
さすがに自分の部屋に連れて行くわけにもいかないし、マーサさんのお言葉に甘えさせてもらうか。
ついでに試食と話し合いにも参加してもらおう。
「すみません移動します。それとマーサさんにもお願いがあるので、一緒に話し合いに参加してもらえませんか?」
「あたしもかい? んー、今は夕食時だから難しいね。それが終わってからなら構わないよ」
さすがに今の時間帯は忙しいか。まとめて話した方が楽だから、できれば仕切り直したいところだけどベティさんは……。
「お腹が空きましたー」
夕食という言葉に刺激されてお腹が鳴っているし、大丈夫なようだ。
ベル達にご飯を食べさせてノモスにお酒を提供した後、ジーナ達も呼んでベティさんと一緒に食事にしよう。
***
「えーっと、それでは新しい調味料を試食をしてもらおうかと思うのですが……ベティさんは食べられますか?」
夕食を取ってマーサさんもやって来たから試食の時間なのだが、夕食を俺の倍以上食べたベティさんが、更に物を食べる余裕があるのかが疑問だ。
ジーナ達なんか目が点になっていたぞ。
「大丈夫です。試食の為にお腹は空けてありますー」
俺の倍以上食べてもお腹には空きがあるらしい。大食いイベントがあれば優勝も狙えそうだ。
「話って新しい調味料のことなのかい。なかなか面白そうだけど、また家のが騒ぎそうだね」
マーサさんが言う通り、トルクさんが騒ぐのは確定だろう。
「醤油と同じように新しい調味料もマーサさんにお渡ししますので、コントロールしてあげてください」
「そうしてもらえると助かるよ。それで新しい調味料ってどんなのなんだい? 生野菜を用意しろっていうから用意してきたけど、野菜用なのかい?」
「いえ、焼き物や煮物、他にも様々な料理に使える調味料です。生野菜を用意してもらったのは、それが調味料の美味しさが分かりやすいからですね」
キュウリに味噌をつけて丸かじりとか、最高に美味しいと思う。
まあ、生野菜って言っちゃったから、トマトまで用意されちゃったけど……トマトの丸かじりは美味しいが、味噌をつけるのはどうなんだ?
……不味くはなさそうだが、念のためにトマトは避けておこう。
あれ? そういえばこの世界ではトマトは野菜に分類されるのだろうか?
……まあ、不毛な論争が巻き起こりそうだし、トマトが野菜なのか果物なのかは気にしないことにしよう。
「これです」
味噌を魔法の鞄から取り出して見せると、ベティさんとマーサさんの表情が曇った。
味噌の見た目はアレに似ているから、初見だとこういう反応になるのはしょうがない。
シルフィ達でこの反応も慣れたものだし、冷静に説明しよう。
「美味しいですー。独特の風味と深いコク、ちょうどいい塩味がお野菜を引き立てていますー」
「ふむ。見た目はアレだけど、たしかに美味しいね。あっ、こらベティ、そんなにガツガツ食べるんじゃないよ。試食なんだからちゃんと味わって食べな!」
「ちゃんと味わってますから大丈夫ですー」
二人とも味は気に入ってもらえたようだ。日本人の舌に合っても異世界の人の舌に合うとは限らないから、ちょっとホッとした。
「まったく、しょうがない子だね。それで裕太、この味噌って調味料が美味しいのは分かったよ。これをトルクに調理させたらいいのかい?」
「いえ、味噌と醤油を商業ギルドで商売したいそうなので、その辺りをマーサさんにお願いできればと思っています」
わざわざ調理させるようにお願いしなくても、トルクさんなら勝手に研究するだろうから放っておいて問題ない。過労の方が心配なくらいだ。
「なるほど、今までと同じような感じで良いのかい?」
「はい。お手数をお掛けして申し訳ないですが、よろしくお願いします」
「分かったよ。家にも利益になるし任せておきな」
ドンっと胸を叩いて承諾するマーサさん。何度も丸投げしているから、話が早くて助かる。
「ベティ。製造の方はいつから始めるんだい?」
「んぐ。えーっと……まだ製造方法も聞いてないので分からないですー。でも、美味しいので頑張るつもりです!」
「なんだい、まだ具体的なところまで決まってないんだね。じゃあ、話がまとまったらまた顔を出しな」
「分かりましたー」
「裕太。他に用事がないようならあたしは仕事に戻るけど、構わないかい?」
「あっ、はい。ありがとうございました。あっ、味噌を持っていってください」
「あいよ。しっかり隠しておかなくちゃね」
味噌はしばらくトルクさんの手には渡らないようだ。カレーや醤油の研究で、いまだに働きすぎな感じなのかな?
マーサさんを見送り、一段落。あとはベティさんに醤油と味噌の作り方を教えて終了……いや、その前にベティさんの手を止めるのが先か。
大皿に盛られた生野菜をモグモグモグモグと、ベティさんの手が止まらない。
***
「……とういう工程です」
ようやく説明が終わった。
結局ベティさんは大皿に盛った生野菜を全部完食してしまったが、トマトの水分が気になるが悪くないと知れたので、無駄な時間ではなかったと思う。
まあ、説明しただけで味噌や醤油が造れるのか疑問だが、製造工程は紙に書いて渡したし酵母も後でヴィータに頼んで提供する予定なので、失敗はするだろうがいずれなんとかなるだろう。
俺としてもヴィータに頼り切りだったので、絶対に大丈夫と断言できないのが辛いところだ。
「むー」
「どうかしましたか? 分からないところがあればもう一度説明しますよ?」
ベティさんが物凄く悩んでいる。
「今のところ内容は理解できていますー」
「なら、どうしてそんなに難しい顔をしているんですか?」
理解できないのであればともかく、理解しているのなら悩む必要はないだろう。
「大豆ですー」
なるほど。たしか大豆って飼料として利用されているんだったよな。調味料として広めるには、そこがネックになるってことかもしれない。
「飼料を調味料にするのは問題がありますか?」
「いえ、食べる人も居ますのでそこは問題ないですー」
ますます分からなくなった。他に何か難しい問題があるのか?
「うぅ。牛乳の為の牛を増やす為に大豆の量産を方々に依頼したのに、また追加で増産なんて説得が難し過ぎますー」
思ってもみなかったところで過去の行いが影響してきたようだ。
なるほど、ようやく自分が仕事地獄に一直線なことに気がついたんだな。頭を抱えてうんうん悩みだしてしまった。
「裕太さん。味噌と醤油はしばらく延期でどうでしょう?」
真剣な表情で延期を決断するベティさん。ボーナスよりも身の危険が上回ったようだ。
「マーサさんに話を通しちゃいましたから、ベティさんからマーサさんに延期を伝えてくれるのであれば構いませんよ」
「あう、無理ですー。仕事がきついからって延期にしたら、ここで美味しくご飯が食べづらくなりますー。……頑張りますー」
ベティさんにとって、美味しいご飯はボーナスや身の危険を上回るようだ。
まあ、自業自得な面もあるんだし、頑張ってください。
読んでくださってありがとうございます。




