五百三十二話 女性の辛辣な言葉は心を抉る
ダマスカスという心くすぐられる金属にメルが挑戦することになった。ノモスが言う最高のダマスカスとは違い、俺が知っている地球のダマスカス鋼に似たタイプのダマスカスだが、それでもマスターするのは難しそうだから頑張ってほしい。
「すみません、お待たせしました」
少し放置してしまったゴルデンさん達三人に謝って対面に座る。
さて、メルがダマスカスの製法を覚えてこの三人を納得させるという方針は決まったが、ある程度の目途が立つまでは内緒にしておきたいので穏便に帰ってもらわなければいけない。
ダマスカスを造ってやるから待ってろ! と言えれば楽なんだけど、下手なことを言ってメルに迷惑を掛ける訳にはいかないから難しい。
造るのはノモスの言う本物のダマスカスではないとはいえ、確実に造れるとは断言できないのがネックだよな。
「工房を売る覚悟が決まったか?」
ゴルデンさんがようやくかと言った様子で話しかけてくる。
……結構長く放置したのに文句を言いに来なかったのは、工房を売るか売らないかの相談をしているとでも思っていたのかもしれない。
まったくそんな話をしていなかったとバレたらキレられそうだな。ここは言葉を選んで……。
「メル、帰ってきたんだな!」
穏便に帰ってもらう説得を始めようとしたら、面倒な人物の声が工房から聞こえてきた。
「ユニスちゃん! うん、帰ってきたよ。うぷっ!」
出迎えようと席を立ったメルを、勝手に中に入ってきたユニスがむぎゅっと抱きしめた。十日程度しか離れていないのにスキンシップが過剰だ。
メルのことが好きすぎだろう。
それにしてもあの笑顔はどうなんだ? 威嚇するか怯えた表情しか記憶にないから、ユニスの笑顔を初めてみるが……デレデレで顔面崩壊している。
日本でこの光景を見たら迷わず通報しているだろう。素は美人なのに本当にもったいない。
「なんだお前らまた来たのか! メルは工房を売らないって何度言えば分かるんだ! さっさと帰れ!」
メルに怪我はないか、病気は? 酷い目に遭わなかったか? と、心配性のお母さんみたいな質問をした後、ようやくこちらの存在に気がついたユニスが即座にゴルデンさんに噛みついた。
素晴らしい状況判断と思いっきりの良さは褒めたいところだが、メルを抱きしめたままだから迫力が五割減だ。
あと、俺の存在に気がついてないよね? 冒険者としてそれはどうなの?
「うるさい! 何度も言うがこれは俺達と嬢ちゃんの問題だ! 部外者は口を出すな!」
ゴルデンさんも負けずにユニスに怒鳴り返す。どうやら何度も同じようなやり取りをくりかえしていたようで、言葉に迷いがない。
ユニスとゴルデンさんの怒鳴りあいが続く。
鍛冶師を敵に回して冒険者がやっていけると思ってんのか! とゴルデンさんが言えば、メルが居るからお前らなんか必要ないとユニスが返す。
両方とも興奮しているのか、罵倒の内容が子供の喧嘩みたいになっている。
「くそ女が! 死にやがれ!」
……ゴルデンさん達が捨て台詞を残して帰っていった。
涙目だったな……。
いや、涙目になるのはしょうがないだろう。
ユニスは性格を考えなければ美人だ。その美人からの心を抉る罵倒の数々は、特殊な趣味でもなければ耐えられない。
しかもその罵倒の内容が容姿や身嗜みについてだから効果は抜群だ。
顔の造形、服のセンス、清潔感、ユニスの鋭い指摘がゴルデンさん達に突き刺さるたびに、俺の心まで抉られる。
最後には『そんなんだから結婚できないんだよ!』という無慈悲極まりない言葉。
捨て台詞を残せただけゴルデンさんは凄いと思う。俺なら泣いていた。
「メル。あいつらには気を付けなっていったよね。なんで家の中まで入れちゃうの?」
無慈悲な言葉で独身男性のデリケートな心を抉りまくったユニスが、今度はメルの不用心な行動を優しく注意する。
ゴルデンさん達に対する態度とは雲泥の差だ。
「その、お師匠様が一緒だから大丈夫だよ」
「お師匠様? ひっ!」
メルの言葉にようやく周囲を見渡し、俺を発見して固まるユニス。予想通り、俺の存在に気が付いていなかったらしい。
直接会ったのは……冒険者ギルドの前ギルマスと対決した時が最後だったっけ?
メルの話ではだいぶ俺に対する誤解が解けているはずなんだけど、突然のことで警戒心が増しちゃったかな?
まあ、植物テロに巻き込んだ覚えがあるから、その怯えた表情も理解できないことはないが、俺もユニスの容赦のない罵倒を見た後だからユニスのことが心の底から怖い。
おかしなテンションになって俺にまで噛みついてこないよね?
「お久しぶりです」
なんとか挨拶できたが、俺の顔はちゃんと笑えているだろうか?
「な、なんであんたが……」
「ふふ、裕太。相当怖がられているわね」
シルフィの言う通り、俺はユニスからかなり恐れられているようだ。
本来なら美女から恐れられるのは悲しいことだけど、恐れられているなら罵倒されることもないし、ユニスから恐れられるのはありだな。
「俺はメルの師匠ですから、ここにいるのは別におかしなことではありませんよね?」
あっ、恐怖か警戒かは分からないけど、メルを強く抱きしめるのは止めてあげて。苦しそうだよ。
「そ、そうだけど……」
ゴルデンさん達を言葉で滅多打ちにしていた時とは違い、ユニスも随分と戸惑っているようだ。
ある程度俺に対する誤解が解けたことや最近の精霊術師の活躍。それとメルに対する過保護ともいえる愛情の間でジレンマに陥っているのかもしれない。
……とりあえず……帰るか。
ユニスとの関係修復も可能かもしれないが、もし関係修復に成功して、あの罵声を浴びせられたら俺は死んでしまうかもしれない。
ユニスとは今くらいの少し遠い関係を維持しよう。
触らぬ神に祟りなしって言うもんね……。
***
ふいー。ようやくトルクさんの宿屋に到着した。
たんにメルを工房まで送るだけのつもりだったのに、ビックリするほど疲れた。
工房から脱出する時、メラルとメリルセリオからすがるような目で見られた気がしたけど、たぶん気のせいだ。
(あれ? シルフィ、ノモスが居ないね)
送還した覚えがないのに、いつの間にか姿が見えなくなっている。
「ノモスならユニスが絶好調の時に姿を消したわよ」
……ノモス、ズルい。
敵前逃亡ということでお酒の配給を減らしたいところだが、ダマスカスのことがあるから難しい。
もしかして、そこまで計算して姿を消したのだろうか?
……無いな。たぶん、あの小娘うるさいし儂ちょっと消える、くらいの考えだろう。俺も消えられるなら消えたかったもん。
精霊の自由さに羨望を抱きながら宿の中に入る。
「いらっしゃい裕太」
「マーサさんこんにちは。またお世話になります」
宿に入るとすぐにマーサさんが声を掛けてくれた。相変わらず元気そうで、妙な迫力がある人だ。
普通に迎え入れてくれるってことは、ジーナ達も問題なく部屋を取れたってことだろう。
「そうそう裕太。夕方時間をもらえないかい?」
ふむ、ちょっと疲れているから今日は何もしたくないんだが……お世話になっているマーサさんの為なら少しくらい頑張るべきだろう。
「ええ、構いませんけど、何かありましたか?」
「あぁ。ベティに裕太が来たら連絡とるように頼まれていてね。カルクを使いに出したら夕方にこっちに顔を出すってさ」
「ベティさんの用事ですか。分かりました、来たら呼び出してください」
「あいよ」
マーサさんと別れ教えてもらった部屋に向かう。
それにしてもベティさんの用事ってなんだろう?
えーっと、俺とベティさんに関係あることと言えば……料理・デザート関連、酪農関連、農業系統の精霊術師の勧誘、カレーのスパイス関連の四つか……。
言葉にすればそれほど大変そうには思えないが、一つ一つの仕事の規模がかなり大きいから結構大変だろう。
そういえば、前にベティさんのムチムチホッペが萎んでいたことがあったな。
仕事を押し付けすぎてパンクしてしまったのかもしれない。また美味しい料理をたくさんご馳走しよう。
***
「裕太さん。醤油欲しいですー」
……仕事関連で何かあったのかと身構えていたのに、出会って第一声から欲望全開のベティさん。ムチムチホッペをこねくり回したくなる。
どうして醤油を知っているのかとも思ったが、間違いなくトルクさんから試食か何かで食べさせてもらったのだろう。
でもまあ、少し醤油を渡すだけで済むなら、面倒ごとよりかよっぽどマシだから良いか。
「えーっと……分かりました」
魔法の鞄から小分けにしておいた醤油を壺ごと渡す。
トルクさんに、いやマーサさんに渡す醤油が少し減ってしまうが、自業自得だからトルクさんも納得するだろう。
「ありがとうございますー」
ニコニコと醤油が入った壺を抱きしめ喜ぶベティさん。素直に喜びの感情を表に出してくれるから、ベティさんと一緒に居るとなんだか癒される。
ベル達と一緒に居るような感覚だけど……。
「では、俺は部屋に戻りますね」
「はーい。ありがとうございましたー」
一礼してベティさんと別れる。今日は色々と疲れたし、後は部屋でベル達と戯れながらゆっくりしよう。
「裕太さーん」
宿の階段に差し掛かる辺りで、ベティさんから大声で名前を呼ばれた。振り返るとベティさんが慌てた様子でこっちに向かって走ってくる。
なんといえばいいのか……とても足が遅い。顔は焦っている様子なのに、ヨタヨタしていていっこうに進まない感じがとてもセツナイ。
「ゆゆ、裕太さん」
「えーっと、焦らなくていいので、ゆっくり呼吸を整えてください」
焦らせると呼吸が止まりそうで怖い。
「え? いえ、呼吸は乱れてませんよ? ふふ、少し走ったくらいで息が乱れる訳ないじゃないですかー。これでも体力はあるんですよー」
……なるほど、たしかに呼吸は乱れていないな。体力もあるようだし、無いのは運動神経か。
なぜかシルフィが爆笑しているが、気にしないでおこう。
「そうでしたか。それで、どうしたんですか?」
「そうでしたー。醤油が欲しいのではなくてー。いえ、醤油が欲しいのは欲しいのですが、本題は違うんですー」
「そうなんですか。それで、本題とは?」
「裕太さん。醤油、迷宮都市で造ったりしませんか? ボーナス欲しいんですー」
……よく分からないが、ベティさんがボーナスに目が眩んで、自分から仕事地獄に突っ込もうとしているのは分かる。この人、大丈夫なんだろうか?
読んでくださってありがとうございます。