五百二十九話 迷宮都市の工房の価値
骨休めのつもりでメルとメラルを旅行に誘ったのだが、なぜか修行の旅に変わってしまった旅行が終わった。俺が思っていた旅行とは違ったが、メルはメリルセリオと契約できたし鉱物や鋳物の基礎を学ぶことができたので、実りある旅になっただろう。たぶん……。
「お師匠様、お誘いくださりありがとうございました。今回の経験を生かして頑張ります!」
「うん。無理しない程度に頑張ってね」
旅を終え、メル達を工房まで送ってきたはいいけど、このまま鍛冶と鋳物の練習を始めそうな勢いだ。
お茶に誘ってもらったのを断わらない方が良かったかもしれない。でも、長いこと留守にしていたんだから、気を利かせて帰るのは当然だと思う。裏目に出たっぽいけど。
「はい。ノモス様やイフ様にもよろしくお伝えください」
「うん、伝えておくよ」
特にノモスには念入りに伝えておこう。訓練が終わって素に戻ったノモスはシルフィの予想通り隠れてしまい、見送りにすら顔を出さなかった。
メルとしても挨拶できなくて残念だったのだろう。でも大丈夫だ。面白いことになりそうだから、メルの気持ちを俺がシルフィと一緒にしっかりノモスに伝えてあげるつもりだ。
それにしても……。
なんか凄く見られている。
迷宮都市では注目される方だけど、いつもとは視線の種類が違う気がする。
見られているのは……俺じゃなくて……メル?
「……ねえメル。あそこのおじさん達と何かあった?」
三十くらいの男が三人、少し離れた場所からこちらを強い目で見ている。憎しみの目というよりも、なにかを我慢しているような目だ。
もしメルに懸想しているようなら、師匠として排除するべきなのか? 見た目はロリだけど、メルは成人しているからその辺りの判断が難しい。
「あ、あの人達は……」
どうやらメルの知り合いではあるらしい。でも、困った表情で言葉が途切れたし、あんまり良い関係とは言えないようだ。
「うん、あの人達は? もしかしていじめられたりしている?」
もしあの男達がメルをいじめているとしたら、天高く舞い上がるくらいは覚悟してもらおう。
「いえ、いじめられている訳ではありません。ただ、この工房を売ってほしいと何度もお願いされていて、その……少し折り合いが悪いのです」
メルの工房を買い取りたいのか。
でも、メルが工房を売る訳ないよね。工房を守るために真剣に頑張っているメルを見続けてきたから、聞かなくてもそれくらいは分かる。
「何度も断っているのに諦めないの? もしかして地上げ屋?」
悪質な地上げ屋なら、天高く舞い上げるよりも地中に埋める方が適切かな?
殺すつもりはないから息はできるようにするけど、トラウマになるまで地中に埋めれば土地を買おうなんて思わなくなるだろう。ノモスの出番だ。
「いえ、地上げではなく、その、あの人達は迷宮都市の鍛冶師です」
ん? なんか思っていたのとは流れが違うようだ。
「鍛冶師だから工房が欲しいってこと? でも、それなら断られているんだから他の工房を探せばいいよね。もしかして、メラルが宿っている炉が欲しいとか?」
でも、それなら精霊術師の才能がないと意味がないって説明すれば済むはずだが……。
「いえ、それがそういう訳にもいかないのです」
なんか事情があるようだ。長くなりそうだし、工房に入ってお茶でも飲みながら話を聞こう。
結局工房に入ることになってしまったが、弟子が面倒に巻き込まれそうなら情報収集くらいはしておくべきだろう。
念のためにシルフィにあの男達の監視をお願いして工房の中に入る。
***
「なるほど、そんな事情があったんだ」
ちょっと面倒臭いが、あの男達の気持ちも理解できないことはない。迷惑だけど。
相手が悪者なら簡単だったが、ただただ何度も工房を買いたいと交渉にくるだけでは、さすがに天高く舞い上がらせたり地中に埋めたりする訳にはいかないだろう。
対策を考えるためにも、聞いた内容をもう一度整理してみよう。
えーっと、あの三人の男達は、それぞれの親方から独立を認められるほどの腕の鍛冶師である。
独立できるのだから自分の工房が欲しい。
ここまでは簡単だ。なら勝手に工房を買えばいい。
だけど、それがとても難しいらしい。
まず、迷宮都市は巨大とはいえ城壁に囲まれているのでスペースは有限。
鍛冶など火を扱う施設は厳密に場所が決められていて、現在に至っては新しく工房を建設できる場所は微塵も残っていない。
なら別の町でも国でもいいから場所を変えて工房を手に入れればいいじゃんとは思うが、鍛冶師としてはそうもいかないらしい。
迷宮都市はその名の通り迷宮を中心に回っている都市。すなわち、戦いが専門の一流冒険者が多く集まってくる。
当然、戦いには武器や防具が必要で、一流の冒険者に自分の武器や防具を使ってもらったりメンテナンスを任せてもらえるのは鍛冶師にとっての誉なんだそうだ。
だから腕に覚えがあり独立を認められた鍛冶師は迷宮都市から離れたくない。でも、新たに工房を構える場所がない。
タイミングが良ければ跡継ぎの居ない工房や、競争激しい迷宮都市で夢破れた鍛冶師から工房を購入できるらしいのだが、残念なことに現在はそんな都合が良い工房は無いらしい。
そこであの男達が目を付けたのが、女性鍛冶師で繁盛どころかお客もまばらなメルの工房。
もう先がないのだから売ってくれということだそうだ。
気持ちは分からなくもない。
あの男達からすれば、貴重な工房を跡継ぎだからと人気もないのに独占しているのが許せないのだろう。
メルからすれば理不尽な話だけど、強く求めている物が目の前でフル活用されていないのを見ればそういう感情は理解できる。
欲しいと願ってやまないレア物を、目の前で価値も分からずにぞんざいに扱われているような気分なんだろう。
しかも、お金を払うから譲ってくれと頼んでも譲ってもらえない。
あの三人、今のところは乱暴な手段に訴えるつもりもないようだが、不満はだいぶ溜まっている様子だった。
他に工房が見つからない限りメルの工房を諦めないだろうし、何度も売るように説得に来るだろう。
メルが工房を手放すことはないから何度も断られることになる。我慢の限界を迎えて衝動的に罪を犯すパターンも十分にあり得そうだ。
まあ、メルなら襲われてもレベルが高いし、メラルとメリルセリオの存在もある。
楽勝で返り討ちにできると思うが、返り討ちにして牢屋送りにでもしたら、あの男達の師匠達には良い印象を与えないだろう。
鍛冶師業界って狭そうだから親方クラスが三人敵に回ったら、メルも肩身が狭くなりそうだ。
鍛冶のことはよく分からないから手を出すべきか悩んだが、ここは首を突っ込んでおいた方が良さそうだな。
でないと我慢強いメルが我慢し続けて体調を崩しメラル激怒、もしくはメルを危険な目に遭わせてメラル激怒、で迷宮都市炎上なんて可能性も、メラルの過保護っぷりを考えるとゼロではない。
少なくとも、乱暴な手段に出ることはハイリスクだと教えておく必要がある。
「俺も同席するから、あの人達とちゃんと話しをしようか」
「えっ? ですが、何度も話し合いましたがあの人達は納得してくれませんでした。もう一度話し合っても結論は変わらないと思いますし、お師匠様の御迷惑になるだけですよ?」
「そうかもしれないけど、まあ違う目線から見れば解決策が見つかるかもしれないよね」
工房を諦めないにしても、無茶をしないように釘は刺しておきたい。
「シルフィ。あの男達は?」
「先ほどの場所から動いてないわ」
探して連れてくる手間が省けたのは良かったが、たぶん、俺達が帰った後にメルと交渉するつもりなんだろうな。執念深い。
さて呼びに行く……前に、長い話ですっかり暇を持て余して遊んでいるベル達をお外に遊びに行かせよう。
真剣な話し合いの背後で、お団子になってワキャワキャ遊ばれると、俺の表情の維持が難しい。
ついでにジーナ達も先に出てもらって、宿の手配をしてもらおう。増築して部屋が増えたとはいえトルクさんの宿屋は大人気だから早めに予約しておいた方が確実だ。
軽く打ち合わせをして、メルにお茶を用意するようにお願いして工房から外に出る。
男達の視線が俺に集まったが、とりあえず後回しだ。
「いってくるー」「キュー」「たんけん」「クー」「あかいのだぜ!」「……」
ご機嫌で遊びに行くベル達を見送り、ジーナ達とも声を掛けて別れる。
振り返ると男達がお前は帰らねえのかよと言った顔をしてこちらを見ているので、手招きする。
物凄く警戒しながら、ジリジリと男達が近づいてきた。
「な、なんだ。俺達は別に交渉しているだけで悪いことはしてねえぞ。たとえあんたが強かろうが、脅しには屈しねえし訴えるからな!」
俺のことを知っているようだ。強気なようで腰が引けている言葉は、俺の悪い噂の影響だろう。
若干震えていて顔色も悪い。
「怖いならメルの工房を買おうなんて思わなければいいのに……」
いかん、不憫な様子を見て思わず余計な事を口走ってしまった。
「迷宮都市で工房を構える難しさも知らないくせに、勝手なことを言うな!」
やっぱり怒られた。
「いや、でもその様子だと俺のことを知っているんですよね? なんでわざわざちょっかいを出してくるんですか?」
下手をしたら喧嘩を売っていると思われかねない行動だし、俺なら別の工房を探す。
「俺達が交渉しているのに横槍を入れたのはあんただろ! あのままだったらいずれは工房を諦めただろうに、弟子とか余計な事をしやがって!」
……もしかして、俺がメルを弟子にする前から交渉してたの? 割り込んだのは俺?
メルが何度もって言っていたし、結構長く交渉していたのは理解していたけど、まさか弟子にする前からとは思ってなかった。メルも早く言ってくれたら良かったのに……。
「いや、たとえ俺が横槍を入れたのだとしても、普通俺の噂を聞いたのなら諦めるよね?」
自分で言うのも悲しいけど、噂の俺はかなりの危険人物扱いだぞ。そんな俺に喧嘩を売るような行為は、傍目に見ると自殺行為でしかないだろう。
「だからこそだ! この工房は迷宮都市の誇り! 噂には誤解も含まれていたようだが、それでもあんたみたいな胡散臭い奴の弟子になった嬢ちゃんには任せておけねえ!」
おっ、俺の悪い噂もちゃんと誤解だって広まっているんだな。まあ、周囲の反応が変わったから分かってはいたことだけど、直接他人から聞くと嬉しい。
あと、胡散臭いは余計だ。俺は好青年……なはずだ。たぶん。
……ん? 迷宮都市の誇り? ……あれ? 俺とメルの認識と、この三人の認識が少しズレている気がする。
もう少し詰めて話し合う必要がありそうだ。いや、そのために呼びに来たんだったな。なんで外で話し込んでるんだよ。
「とりあえず、中に入ってください」
「……俺達が中に入るところは周りの連中が見ている。危害を加えたらすぐに訴えるからな」
……警戒心がとても強い。話し合いで落としどころを見つける以前に、ちゃんと話し合うことができるのだろうか?
読んでくださってありがとうございます。




