五百十三話 焦りは禁物
迷宮都市でもろもろの用事を済ませてようやく楽園に戻ってきたと思ったら、アルバードさんが訪ねてきた。要件は……いくつかの建て前を省くと、楽園を拡張する時は精霊王様達も参加するから宴会をお願いね、あと、カレー、味噌、醤油、がとても気になるよ! との事だった。頑張ろう。
「……楽園食堂、大きくなってる」
アルバードさんが来た翌朝、宴会の料理を頼むためにルビーに会いに来たら、楽園食堂が大きくなっていた。
いや、迷宮都市に行く前に、各種施設を大きくすることにしたから大きくなっていて当然なんだけど、短期間で実際に建物が一回り大きくなっているのを見ると、改めて魔法って凄いと思う。
迷宮都市で建ててもらう家と比べると魔法で建てた建物はシンプルだけど、実力者ならお手軽に建物を改造できるのが魔法建築の強みだろう。この分だと、他の施設もちゃんと拡張されていると思う。
……魔法建築がどうのこうのと考えている場合じゃなかった。
アルバードさんと交渉して宴会予定日を十五日後にしてもらったけど、宴会の準備をして新しい甘味を考えるとなると地味に余裕が無い気がして焦っているんだ。早く用事を済ませよう。
食堂の扉を開けて中に入ると、予想通りルビーが食堂で料理をしていた。ルビー、ちゃんと寝ているのかな?
「ルビー、おはよう」
「あっ、裕太の兄貴、おはようなんだぞ! ……あれ? 裕太の兄貴がこんな時間に来るのは珍しいんだぞ? 何かあったんだぞ?」
料理の手を止めてこちらに寄ってきてくれるルビー。元気はつらつとした様子なので、睡眠不足ということは無いようだ。まあ、精霊の睡眠システムはよく分からないけどね。
「うん、ちょっとお願いしたいことがあるんだ。えーっと………………という訳なんだ、ルビー、お願いできるかな?」
かくかくしかじかとルビーにお願いの内容を説明する。
「つまり、宴会用の料理が沢山必要なんだぞ。それで醤油と味噌の新しい料理のレシピは裕太の兄貴がくれるってことなんだぞ?」
俺の説明を要約しながらも段々笑顔になっていくルビー。この後の展開は読めている。ルビー大興奮だな。
「うん、まあそういうことになるね」
「新作レシピなんだぞ! 楽しみなんだぞ! 早く教えてほしいんだぞ!」
大好物を発見した子犬のようにはしゃぐルビー。とても微笑ましいのでそのままレシピを渡したくなるが、そういう訳にはいかない。
このまま渡すと、楽園食堂の仕事以外は新作レシピの研究に集中してしまうこと間違いなしだ。
「レシピは渡すけど、研究と仕事以外にも宴会に必要な料理の増産を忘れないこと。ちゃんとできる?」
お願いするのはこちらなのに、立場が逆転しているようで変な気分だ。
「も、もちろんなんだぞ! 沢山作るんだぞ!」
完全に料理の増産のことが頭から抜けていた顔をしたけど、ここは突っ込まないでおこう。精霊は約束したことをちゃんと守ってくれるから、念を押しておけば大丈夫だ。
「じゃあ醤油を使ったレシピ二種類と、味噌を使ったレシピ二種類。無理そうだったら一種類ずつでも構わないから、お願いね」
「大丈夫なんだぞ! 必ず全部美味しく作り上げてみせるんだぞ!」
やる気満々だな。うーん、宴会に新メニューが少ないのもどうかと思って、二種類ずつレシピを用意したけど、一種類ずつにしておいた方が良かったかもしれない。甘味の事もあるのに大丈夫だろうか?
……まあ、合間にちょくちょく料理を回収しに行く予定だし、様子を見ながら無理していそうなら止めよう。
「じゃあ、また後で顔を出すよ」
「分かったんだぞ! 味見をお願いするんだぞ!」
レシピに顔を釘付けにしながらも味見をお願いしてくるルビー。さっそく料理を作るつもりのようだ。
……楽園食堂……大丈夫かな?
……オニキスにルビーの様子を見るようにお願いしておこう。
さて、次は……シトリンに両替用の硬貨を渡しに行って、次に雑貨屋、宿屋の順で廻れば……いや、雑貨屋の方が手間が掛かりそうだから、宿屋、雑貨屋の方が良さそうだ。
「……シトリンが居ない」
即行で予定が崩れた。どこに行ったんだろう? まあ、まだ朝早いし両替所が営業している時間じゃないから、どこに居ようとシトリンの自由か。
硬貨の受け渡しは後に回すとして、次は宿屋へ向かう。
よかった、サフィは宿屋に居てくれたようだ。
「サフィ、おはよう。ちょっと時間をもらえる?」
(裕太さん、おはようございます。えぇ、大丈夫ですよ)
サフィの小声で自分のミスに気がつく。早朝の宿屋なんだから、泊っているお客さんがまだ寝ているのは当然だよね。
スヤスヤと眠っているちびっ子達に迷惑を掛けながら、迷宮都市で仕入れてきたベッドや小物の受け渡し? バカじゃないの? って自分でも思う。
(えーっと、迷宮都市で色々と仕入れてきたから、いつ頃受け渡しに来たら良いか教えてほしいんだ)
本当は納品まで済ませてしまうつもりだったことは無かったことにして、あくまでも予定を聞きに来たという体で話を進める。
(まあ! でしたら宿に泊まれる子達が更に増えますね。食事とおやつの時間でしたらいつでも大丈夫です。みんな食事に夢中ですからね)
クスクスと笑いながら言うサフィ。ちびっ子達の楽園での一番の楽しみは食事みたいだし、この宿の子達もその時間にはみんな出払ってしまうんだろう。
(分かった。じゃあ、お昼に改めてくるから、その時はよろしくね)
(分かりました)
サフィと約束して宿屋を出る。なんとか誤魔化せた……かな?
なんか誤魔化したことを見抜かれている気もするけど、わざわざ確認して傷つく必要もない。心の平穏の為にも誤魔化せたということにしておこう。さて、次は雑貨屋だな。
「裕太さん、おはよう!」
雑貨屋に入るとこちらに気がついたエメが明るく挨拶をしてくれた。エメは朝一でも元気いっぱいだ。
「おはよう、エメ。迷宮都市で仕入れてきた雑貨を卸したいんだけど、今からでも大丈夫?」
「場所も用意してあるから大丈夫だよ!」
エメが指した場所を見ると、空の棚が並んでいる。雑貨屋を拡張して棚まで作り終わっているようだ。準備万端って感じだな。
……店を一回り大きくしたから、空の棚もそれなりに並んでいる。マリーさんとソニアさんが張り切って雑貨を集めてくれたから、棚を埋め尽くすのは問題ないけど、並べるだけで大変そうだ。
ちょっと応援を頼もう。ベル達やジーナ達を呼んでワイワイと雑貨を並べるのも楽しそうだけど、俺が家から出る時にはまだ寝ていたから、起こすことになったら可哀想だよね。
こんな時は頼りになるツートップの出番だろう。あの二人であればこの時間でも起きている可能性が高いから、召喚にも快く応じてくれるはずだ。
「裕太さん、おはようございます。こんなに朝早くからどうかしましたか?」
「裕太、おはよう。楽園内での召喚なんて珍しいね」
「ドリー、ヴィータ、おはよう。朝からごめんね」
召喚したのはもちろんこの二人だ。
まあ、他のメンバーもお願いすれば手伝ってくれるだろうけど、シルフィは楽園に戻ってきたばかりだからゆっくりしてほしいし、ディーネは十中八九爆睡している。
ノモスは普通に嫌がるだろうし、イフは手伝ってくれると同時にストレスまで溜めちゃいそうだから危険だよね。
「それで裕太さん、どうかしたんですか?」
「うん、ちょっと人手が欲しくて召喚したんだ。悪いけど雑貨を並べるのを手伝ってもらってもいいかな?」
「雑貨ですか? あぁ、中級精霊達の為のものですね。もちろん構いませんよ」
「僕も構わないよ」
「ありがとう。じゃあ、俺は雑貨を出すから、どこに並べるかはエメに聞いてね。ん? エメ、どうかした?」
快くOKしてくれた二人にお礼を言うと、なぜかエメが間違って梅干をまるごと食べたような顔で俺を見ていた。どういう感情を表した顔なんだろう?
「裕太さん。あのね、精霊は位をほとんど気にしないんだけど、森の大精霊と命の大精霊をお手伝い感覚で呼び出す精霊術師ってどうなのかな?」
「…………あー……うん、改めて言われると、とんでもないことをしている気がする。ドリー、ヴィータ、ごめんね」
エメが酸っぱい顔をしていた理由が理解できた。コンビニの人手が足らないからって、本社の重役を呼んでどうするってことだよね?
ドリーもヴィータも優しいから、近所の頼りになるお兄さん、お姉さんくらいの感覚になってたよ。
「ふふ、そんなことを気にしなくていいんですよ。私達は大精霊であると同時に、楽園の住人でもあるんですから」
「それに店の手伝いなんてここでしかできない貴重な経験だし、それが中級精霊の子達の為にもなるんだから、僕は嬉しいよ?」
ドリーとヴィータはとてつもなく優しくて、人間、いや、精霊ができているよね。だからこそ甘えてしまうんだけど、甘え過ぎないようにしなくてはいけない。身の程を知らない行為は自分の身を亡ぼすことになる。
「では、始めましょうか。エメ、指示をお願いしますね」
とはいえ、ドリーとヴィータはお手伝いしてくれる気まんまんのようで、今更帰ってとも言えない。
とりあえず、俺も頑張って雑貨を並べよう……。
***
「ゆーた、おかえりー」「キュキュー」「おかえりなさい」「クゥ!」「あさめしだぜ!」「……」
ドリーとヴィータが手伝ってくれたおかげで、朝食の時間に家に戻ってくることができた。そして、出迎えてくれたベル達が俺にペタリとひっついてくれる。
「うふふ。ベルちゃん達は裕太さんが大好きですね」
「裕太。契約精霊と仲が良いのは素晴らしいことだよ」
「う、うん。ありがと……」
朝一でベル達を装備するのはいつもの事なんだけど、今日はなんだかとても恥ずかしい。
お手伝いしてもらったんだからドリーとヴィータを朝食に誘うのは当然だけど……先に帰って準備を終えてから迎え入れるのが正解だった気がする。
……宴会までに新しい甘味を考えないといけないし、図工室らしき建物の準備もしなければいけない。
色々と焦っていたけど、その焦りのせいで朝一から色々とやらかしてしまった。焦りは禁物って本当だよね。
本日、3/9日、コミックブースト様にてコミックス版『精霊達の楽園と理想の異世界生活』の31話が公開されました。3/16日正午まで無料公開中ですので、お楽しみいただけましたら幸いです。
ついに裕太とシルフィが契約です。
読んでくださってありがとうございます。