五百十話 なんでそこに行くの?
ジュリオ君とトムさんを鍛えることになり、迷宮でパワーレベリングをおこなうことになった。冒険者歴が長いトムさんにジュリオ君の教育をそっと押し付けて安心していたら、夜には冒険者歴が俺よりも圧倒的に長いトムさんから人生相談を受けてしまうこととなり、色々と大変だった。
……色々と大変だったのだけど……今にして思えば、まだ病が重症化していないジュリオ君や、常識があるトムさんの相談相手は楽だったんだとハッキリ理解できる。
トムさんなんて人柄が素晴らしいものだから、ちょっと贔屓してレベルを上げてしまったくらいだ。
「駄目。もっと短く」
「なんだと! 我の渾身の詠唱をまだ削れと言うのか!」
「当たり前だ。詠唱に五分も掛かったら唱えている間に魔物に殺されるだろ。ちゃんと考えろよ」
ジュリオ君とトムさんのパワーレベリングが終わり、迷宮を出て白い鴉の様子を見に行くと、白い鴉は想像以上の力作をこしらえていた。
最初の詠唱なんて十分近く闇の偉大さを語られてしまい、脳が溶けるかと思ったくらいだ。短くしても五分とか意味が分からない。
しかも、そもそもの原因であるシルフィは、詠唱を聞いて笑い転げるだけでこちらに関わろうとしないし、なんだかとても納得がいかない。
「そういうことは最初に言っておけ。詠唱を考えるように言った時はそんなことを一言も言っておらんかったではないか!」
白い鴉がプンスコと怒っているが、言っていることは間違っていない。
最初に詠唱を短くするように注意して、すぐに詠唱を考え終わってベル達に悪影響を及ぼす可能性を考えたことも確かだ。でも……。
「言わなくても長すぎるって気づけよ!」
俺が四苦八苦して精霊術師講習で使う詠唱を考えたのに、まさか三種類の魔法すべてに十分クラスの詠唱を考えるとは思わないだろ。原稿用紙何枚分だよ。覚えられないよ。
俺の予定では二分から三分くらいの詠唱を白い鴉が作って、それを十秒から三十秒程度の詠唱に収まるように添削するつもりだったのに、十分はありえないだろ。
「しかしだな、闇の偉大さを表現するには時間が掛かるのも当然であろう?」
自信満々で白い鴉がのたまうが、そんな当然はどこにもないと気づいてほしい。あと、なぜかこの白い鴉の表情が読み取れるようになってしまった自分が嫌だ。
とはいえ、このままだとジュリオ君が詠唱にかまけて魔物に殺されてしまう。
俺の予測が確かなら、この白い鴉の厨二を散りばめた詠唱はジュリオ君にクリティカルヒットするだろう。
そして、そのクリティカルヒットする詠唱を陶酔しながら唱えるジュリオ君は、魔物の格好の標的になる。だからなんとかしなければならない。
幸い、こういう単純な厨二患者には効果的な方法が存在する。もう面倒だし、それを利用して手早く現状を解決してしまおう。俺は早くベル達と合流して癒されたいんだ。
「……ようするにあれってこと? 闇は時間を掛けないと偉大なことを分からせられないってこと? それまたなんというか、あれだね、ちょっとカッコ悪いね」
「ふざけたことをぬかすな! 常闇の支配者である我に掛かれば、時間を掛けずとも闇の偉大さを証明することなぞたやすいことだ!」
予想通り一瞬で激怒する白い鴉。厨二患者にはこのカッコ悪いという言葉がよく効く。
まあ、下手に使っちゃうと、なぜその方向にパワーアップするの? といった予想外の効果を生む諸刃の剣でもあるけど、詠唱に関してなら問題ないだろう。
「なら、短い詠唱で証明してみせてよ。時間もないし早くお願いね。詠唱中の動作もあるんだからね」
「ふん、すぐに貴様にも闇の偉大さを知らしめてやる!」
簡単に挑発に乗って短い詠唱を考え始める白い鴉。
面倒な精霊だけど、この単純さは嫌いではない。
「裕太。この子、次はどんな詠唱を考えると思う?」
今まで笑いながら傍観していたシルフィが笑顔で質問してくる。普段は無表情と言っていいくらいに表情が変わらないのに、なんでこんな時だけ感情表現が豊かなんだろう?
「……俺には想像もつかないよ。……ねえシルフィ、そもそもの疑問なんだけど、なんでそんなに楽しそうなの?」
「あら、楽しいに決まっているじゃない。長くこの世界を生きてきたけど、こんなに変わった方向に成長している精霊なんて初めてなのよ。この子が持っている長い精霊としての時間。ふふ、今後どんなふうに過ごしていくのか、とても興味深いわ」
……あっ、分かった。シルフィって思い出すとのたうち回りたくなるような黒歴史を持っていない、幸せな精霊なんだ。
だから、自分が残酷なことをしていることに微塵も気がついていないんだな。まあ、心に黒い物を抱えて生きる辛さを知らないんだから、そこに気づけというのも無理なんだろうけど……。
……この白い鴉のことは面倒だと思うけど、シルフィの話を聞くとむくむくと同情心が湧いてきた。もっと優しく接してあげるべきかもしれない。
精霊がどれくらい長生きなのか俺には想像もつかないけれど、消えるその瞬間まで夢から覚めないことを願う。
自らが望んで患ったとはいえ、特大の黒歴史を抱えて生きるには精霊の寿命は長すぎるよ。
***
「裕太先生、ついに闇の精霊と契約するんですね!」
「……うん、そうだね」
冒険者ギルドの訓練場で、希望の笑顔を浮かべるジュリオ君。
これからドンドン道を踏み外していくであろうこの少年に関しては、とても、とても、とても申し訳なく思うので、希望にあふれた笑顔を見るのが辛い。
「ねえ、裕太。本当にジュリオを弟子にしないの? 裕太のことを先生って言ってあんなに慕っているのに、このままだとアレに盗られちゃうわよ?」
シルフィの言葉に俺は黙って首を横に振る。
シルフィとしてはジュリオ君を弟子にしてほしいらしいが、俺は強硬に反対した。
精霊のお願いに関しては激甘な俺が、シルフィが驚いて言葉を失うくらいに強硬に反対した。
残酷なことだけど、俺はジュリオ君を切り捨てた。
もしかしてだけど、俺が師匠として頑張ればジュリオ君の病を癒すことができたかもしれない。
マルコやベル達に対する悪影響も、根気よく頑張ればなんとかなったかもしれない。
シルフィには強硬に反対したが、訓練場に到着するまで内心では迷っていた。精霊に命を繋いでもらった俺だから、ジュリオ君と白い鴉を真っ当な方向に導くべきではという思いもあった。
でも、今の俺は完全に迷いを振り払った。絶対にジュリオ君は弟子にしない! 絶対にだ!
「ジュリオよ。紳士たるもの、いかなる時でも優雅さを忘れてはいけない。闇の精霊との契約が嬉しいのも分かるが、少し落ち着きなさい」
内心で固く決意をしていると、ジュリオ君を全力で切り捨てる原因になった人物が会話に交ざってきた。
「あっ、そうでした! 師匠、申し訳ありませんでした」
昨日会ったばかりのはずなのに、深い信頼のまなざしを不審者に向けるジュリオ君。
「なに、理解したのなら構わないよ。君はまだ若い、ゆっくり紳士の嗜みを身に付けていけばいい。なにせ君は、闇の精霊と契約する我々の期待の星なのだからね」
「はい、師匠!」
そもそも、事の起こりは昨日、迷宮から出てジュリオ君とトムさんと別れた後の事らしい。俺が白い鴉に深い同情を覚えた頃かもしれない。
パワーレベリングを終えたジュリオ君とトムさんは、冒険者ギルドに顔を出したそうだ。
そこで、ジュリオ君は不審者と……いや、残念なことにマルコ達もお世話になっているんだから不審者と言うのは失礼だろう。
そこでジュリオ君は、待ち構えていた仮面でタキシードを着ている紳士と出会った。
その紳士はジュリオ君にこう言ったそうだ。
闇=夜で夜=怪盗。ならば、闇の精霊と契約する君は闇を自在に駆ける紳士となるべきだ! 我がもとへ来いジュリオ。私が君を伝説にしてみせよう! と……。
その言葉がジュリオ君のハートを打ち抜き、彼は仮面の紳士の弟子になった。
今朝、契約の為に冒険者ギルドに到着した俺に、トムさんが何度も謝りながらそう説明してくれた。
別にトムさんが謝ることではないし、ジュリオ君にも今は弟子を増やすつもりは無いと伝えていたから、彼が誰と師弟関係を結ぼうと自由だ。
でも言わせてほしい。
なんでそこに行くの?
おかげで内心の葛藤も綺麗サッパリと吹き飛び、清々しい気持ちでジュリオ君を切り捨てることを決断できたけど、でもなんで? 伝説って言葉に魅かれちゃったの? 本当にそれでいいの?
……まあ良いんだろうな。白い鴉もジュリオ君の選択をまんざらでもなさそうに受け入れているし、切り捨てた俺が何かを言うのも余計な事でしかないだろう。好きにすればいい……。
でも、一つ心配なのは、マルコ達の訓練だ。
リーさんとの訓練はともかく、マルコ達が仮面の紳士に訓練を受ける時、出会っちゃうよね。
……マルコ達、いや、たぶんサラとキッカは大丈夫だろうけど……マルコが道を踏み外しそうになったら、俺はちゃんと導けるだろうか?
「では裕太殿、我が弟子も待ちきれないようなので、そろそろ闇の精霊との契約をお願いできますかな?」
俺の不安の大本が嬉しそうに話しかけてきた。この人の存在を消せたら楽なんだけど、さすがに消すわけにはいかないんだよね?
「……分かりました」
いかん、思考が物騒な方向に進みそうになっている。さっさと契約を終えて、急いでベル達に癒されに行こう。
あっ、ジュリオ君に詠唱と動作を教えないといけないんだった。もう帰りたい。
***
契約は無事に完了した。
特別な演出がなかったから白い鴉が少し不満そうではあったが、とりあえず問題はないだろう。
詠唱もちゃんと教え込んだ。
俺の挑発に乗った白い鴉が見事に厨二満載の詠唱を考え出したので、ジュリオ君のハートも昂り、アッサリと終わった。
詠唱の対になる動作についても、俺は白い鴉の詠唱を聞いてから投げやりな気分だったので、ロボットダンスっぽいのでよくね? と適当に考えていたが、白い鴉がハッスルして創作したのでそれにすることにした。
常闇の支配者の偉大なる羽を模した動きだそうだが、マントを使用するであろうジュリオ君にはピッタリの動作だったので、結果オーライかもしれない。
仮面の紳士もその弟子もその動作に満足気だったので良かったのだろう。
……結局、ジュリオ君って精霊術師になるのかな? それとも怪盗?
まあ、こうなっちゃったらどちらでも構わないか。とりあえず、もう会わないことを願う……けど、無理だろうな。
いずれ、俺は自分の罪と向き合う。そんな予感がする。
シルフィ! 早く俺をベル達の元に連れて行って!
読んでくださってありがとうございます。