四百八十七話 計算違い
精霊術師の評判が地の底にめり込むことを防ぐために迷宮都市に戻ってきたら、それとは別の細かい面倒が連続で押し寄せてきた。自業自得の面が多々あることは認めるが、できればゆっくり時間をおいて、無理のない過程で押し寄せてほしい。
「ふぅ。シルフィ、そろそろ行こうか」
連続での面倒事も無事に落ち着いたような、落ち着いていないような、そんな微妙な状況だけど、冒険者ギルドのアポは取ってあるので行かない訳にはいかない。
ベル達も今日は大人の話し合いだからと遊びに行かせたし、ジーナは実家の様子を見に行き、サラ達はリーさんの訓練を受けている。
準備は万端なんだけど、足が重い。
「裕太、シャキッとしなさい。浮遊精霊や下級精霊の為にも、精霊術師の評判を上げてくれるんでしょ?」
「そのつもりなんだけどね……まあ、冒険者ギルドではシャキッと頑張るよ」
シルフィに喝を入れられるが、どうにもテンションが上がらない。
昨日、ジーナにお使いをお願いして冒険者ギルドにアポを取りに行ってもらったんだけど、アポの内容を話したら大歓迎されたらしい。
今の迷宮都市の冒険者ギルドとの関係は、良くもなく悪くもなく普通なんだけど、弟子達が結構お世話になっているから、少しずつ関係は良くなっているように思う。
傲慢な言い方になるけど、迷宮都市では冒険者ギルドに対して俺は優位な立場にある。だから冒険者ギルドから優遇というか忖度というか、そういう好意的な反応も分からないでもない。
ないのだけど、ジーナから状況を聞くと忖度とか表面上のよいしょではなく、本気で喜んでいるように感じた。
凄まじく好意的な冒険者ギルドの反応に不安になり、シルフィに様子を見に行ってもらったんだけど、迷宮都市の精霊術師達に繋ぎを取るために、冒険者ギルドの裏方がフル回転していたらしい。
まだアポを取る段階なのに人選のリストアップなんかしないでほしい。手をまわしてくれるのは本来ならありがたく思うべきかもしれないが、俺の性格だとプレッシャーを感じてしまう。
「あっ、兄ちゃん。出かけるのか?」
重い足取りで階段を下りていると、カルク君に出会った。
「あぁちょっと冒険者ギルドまでね。カルク君はお手伝い?」
「うん。宿がデッカクなったから、おれもがんばるんだ!」
カルク君やんちゃだけど、良い子だよね。ジーナ達もカルク君もとてもいい子達だ。このまま純粋に育って、俺の知り合いの大人達のようにならないことを切に願う。
「そういえば、トルクさんの体調はどう? 昨日はちゃんと寝たって聞いたけど今日はどうだった?」
一昨日は俺の予想通りに、トルクさんは仕事が終わってから即座に眠りについたそうだ。今までの疲労が一気に来たのか、朝の仕込みに寝坊してマーサさんに怒られたらしい。
「父ちゃん、今日は母ちゃんに食い下がってる。なあなあ、裕太兄ちゃん。裕太兄ちゃんが母ちゃんに渡した調味料って美味いのか?」
にひひと笑ったカルク君が、トルクさんの現状を教えてくれる。話の流れから考えるに、食い下がっているのは醤油を手に入れるためなんだろう。
どうやら、まだ体調面は万全とは言えないようだ。
「なあ、兄ちゃん。美味いのか? カレーよりも美味いのか?」
カルク君も新しい調味料に凄く興味津々な様子だ。
トルクさんの美味しい料理を毎日食べているし、いずれはトルクさんみたいに凄腕の料理人になるのかもしれない。将来が楽しみだな。
この将来有望な少年にためになることを教えてあげたい気分なんだけど、難しい質問をされてしまった。
醤油とカレー。どちらか一つしか手に入らないとなったら、俺は悩みに悩んだうえで醤油を選ぶだろう。
もちろんカレーも大好きなのは間違いない。だけど、カレー味を連続で一か月は無理だ。醤油味なら、多少の飽きはくるかもしれないが、一か月はいけそうな気がする。
とはいえ、それは幼いころから醤油文化のなかで育ったからだからだ。
醤油が受け入れられないとは思わないが、生食の文化が無いこの国の少年にとってカレーよりも上だとは断言できない。
カレーのポテンシャルも凄まじいし、なによりもこの世界の主食がパンメインなのが不利だ。
パンにも合う照り焼きソースは神のソースだと思うが、パンに合わせやすいのはカレーだよね。
「うーん。新しい調味料は、凄い可能性を秘めてはいると思う。でも、扱いが難しいかもしれないね。でも、カルク君が今まで体験したことがない味の、美味しい料理を作ることができるのは保証するよ」
「そっかーそうなのかー。楽しみだな。裕太兄ちゃん、いつごろ食べられる?」
そんなこと俺は知らない。
「マーサさんの判断と、トルクさんの頑張り次第でいつごろ食べられるかが決まると思うよ?」
カルク君がブツブツと考え込んでしまった。漏れ聞こえる声によると、新しい味の料理を食べるためにトルクさんの味方をするかどうかを悩んでいるようだ。
トルクさんの味方に付くことに悩むということは、一番偉いのはマーサさんだと理解していることになる。本当に賢い少年だ。ん?
「そういえばカルク君、話し込んじゃったけどお手伝いはいいの?」
「あっ、そうだった。やばい母ちゃんに怒られる! 裕太兄ちゃん、また後でな!」
「ちょ、気を付けてねー」
焦ったカルク君が階段をダッシュしていく。お願いだから転ばないでほしい。
……さて、カルク君も頑張っているのに、プレッシャーだなんだと嫌がっているのもカッコ悪い。気合を入れて頑張ろう。
「裕太、あれが若さよ。裕太が失ってしまった輝きね」
……シルフィ。せっかく気合が入ったのに、気合が抜けるようなことを言わないでほしい。
だいたい、俺はまだ二十代中間だ。若さを失った覚えはない。
それに年齢で考えるならシルフィの「裕太は知っているかしら? 空をずっとずっと上がると、息ができなくなるのよ」方が……。
シルフィがにこやかに微笑んでいる。これはあれだ、その筋の人達が浮かべる危険な笑顔だ。
これ以上考えたら、生身で大気圏突破ってことですか?
「いけない。カルク君に注意したのに、俺が約束の時間に遅れそうだ。シルフィ、急ごう」
「うふふ。そうね。急いだほうが良いわね」
うん、急ぐよ。シルフィもビックリするくらい急いじゃうよ。
***
気のせいでなければ、命の危機に晒されながら冒険者ギルドに到着した。冒険者ギルドに到着してこんなにホッとしたのは初めてかもしれない。
まあ、冗談だと分かっているし、シルフィが俺を傷つけるなんてありえないと思うんだけど、大精霊が冗談でも脅してくると威圧感が凄まじい。正直ズルいと思う。
「裕太様、お待たせいたしました。ご案内いたします」
「あ、ありがとうございます」
ギルマスの秘書っぽい美人のお姉さんが現れた。
ドアをくぐった瞬間に現れたじゃん。全然待っていないよ。むしろ、サラ達の訓練の様子を見たかったから、もう少し余裕が有っても良かったくらいだ。
スムーズにギルマスの部屋に案内され、ソファーに座ると直ぐにお茶が運ばれてくる。
前のギルマスと違って書類仕事で待たされることもない。スムーズ過ぎて少し怖い。
「さっそくですが裕太殿。迷宮都市に居る精霊術師に訓練を付けてくれるとの事ですが、どのくらいの人数でどのくらいの期間をお考えですか? 冒険者ギルドは全力での支援をお約束しますので、なんでも言ってください」
お茶に口を付けて軽く挨拶を交わすと、ギルマスがすぐに本題に入った。話が早いのは助かるが、協力体制が万全で怖い。
それと、全力での支援とか言われると、無茶を言ってみたくなってしまう。
どこまでOKなのか試してみたいところだが、それをOKされた時は俺も無茶に見合うだけの結果を出さなくてはいけなくなる。そんな面倒はごめんなので、無茶を言うのは止めておこう。無難が一番だ。
「面接次第ですが人数は10人くらいで、期間は3日くらいで考えています。場所は訓練場を貸していただけたら助かります」
教育するのは精霊の方で、精霊術師は演劇の訓練みたいな内容だけど勘弁してほしい。精霊が戦争や犯罪に利用されるのは嫌なんだ。
特に浮遊精霊達は本当に幼いから、俺がきちんと対策を練らないと駄目だろう。シルフィ達が3日で大丈夫だって言っていたけど、本当に3日で大丈夫なんだろうか?
でもまあ、使える精霊術師が10人居れば、迷宮都市での精霊術師の評判の下落は回避できるだろう。
だいたいがパーティーを組んでいるだろうし、5人パーティーが10組あれば50人が精霊術師に良い認識を得るから、十分なはずだ。
あれ? ギルマスの顔色が悪くなった。無茶は言っていないはずなんだけど、どうしたんだ?
「……裕太殿……3日で大丈夫なのかとも思いますが、そこは裕太殿であれば大丈夫なのでしょう。ですが、人数が少なすぎます。せめて50人はお願いできませんか?」
へ? ……50人って意味が分からない。俺の影響で精霊術師が増えているのは知っているけど、50人って多すぎるだろう。精霊術師って結構貴重な才能なはずだと思っていたんだけど、違った?
「面接次第だと言いましたよね。合否の基準を下げろってことですか?」
まあ、基準を下げたとしても、50人って時点で精霊術師が多すぎる気がする。いや、精霊術師が多いのは良いこと……なんだよね? ちょっと自信が持てなくなってきた。
とはいえ、そんな甘い考えで人数を増やせというのなら、俺だって怒っちゃうよ? こんな俺でも、命の恩がある精霊には誠実でいたいと思っているんだ。
「いえいえ、厳しく審査してもらって大丈夫です。何しろ、現在の迷宮都市には300を超える精霊術師、もしくは精霊術師の才能がある冒険者が集まっていますから」
ぱーどぅん?
「いやいや、なんでそんなに精霊術師が居るんですか?」
50人でも多いと思ったのに、300人以上居るの? 精霊術師のバーゲンセールですか?
「各地から裕太殿の存在を知って集まってきたからですよ。精霊術師であることに挫折した者、精霊術師の才能を最初からなかったことにした者がかなり居るんです。裕太殿はそんな彼等の希望なのです」
精霊術師の才能を無かったことにってのは、ジーナと同じパターンか。
でも、それにしたって多すぎるだろう。それに……。
「希望と言われましたけど、そんな人達に話しかけられたことなんてありませんよ?」
その話が本当なら、尊敬していますとか、弟子にしてくださいとか、そんな人が現れないとおかしいはずだ。
「そこは裕太殿に迷惑が掛からないように、冒険者ギルドが厳しく統制しています。まあ、どこにでもはねっかえりは居ますし、冒険者なんてそのはねっかえりの集まりです。監視が行き届かない迷宮では接触を試みるものや、技術を盗もうとしたものも居たのですが、すべてが失敗に終わりました」
そういえば、護衛とかをお願いしていたな。完璧に忘れていたけど、まだ継続されていたんだ。
迷宮内は、コアのところに行く時はシルフィに頼んで人が近づけないようにしているし、サラ達が迷宮に入る場合も大精霊の護衛が付いているから、接触はともかく技術を盗むのは無理だろうな。
「いやはや、ギルドとしましても、精霊術師達の力になれないのは心苦しかったのですが、裕太殿が講習を開いてくださるとは。本当に助かります」
ギルマスは嬉しそうだけど、こっちは完全に計算違いだ。とりあえず、以降の話は保留にして宿に戻って会議だ。まだドリーのお願いにも手を付けていないのに、なんでこんなことに……。
本日9/8日、comicブースト様にてコミックス版『精霊達の楽園と理想の異世界生活』の第26話が更新されております。
9/15日の正午まで無料公開中ですので、楽しんでいただけましたら幸いです。
読んでくださってありがとうございます。