四百八十五話 綺麗で優しい笑顔
醤油と味噌の活用方法に夢を見ていたら、マルコからちょっと悲しい精霊術師の現状を聞いてしまった。味噌汁と精霊術師の評判低下の狭間で気持ちが揺れたが、なんの憂いもなく味噌汁を楽しみたいので、精霊術師の評判低下を食い止めることにした。
そういった訳で大精霊達との会議をしてから3日、俺は迷宮都市に戻ってきた。本来ならしばらくの間楽園でのんびり食を楽しむ予定だったから、少し悲しい。
でもまあ、迷宮都市の精霊術師に教える詠唱は、意外と簡単に作れたから苦労はそこまでではなかったな。
自分で使う詠唱だと羞恥心やらなんやらで難しかったけど、他人が使う詠唱だと思えば結構楽しく作ることができた。むしろやり過ぎてしまって、穏便な詠唱に作り直したくらいだ。
ただ、厨二満載な詠唱がベル達の琴線に触れてしまった時は焦った。特にベルとフレアが「このえいしょーかっこいー。べるたちもこれー」とか言いだし、話を逸らすことに多大な労力を払うことになってしまった。
あと、会議の終わり際にドリーが出した意見も意外に大変だったな。精霊術師にとっては良いアイデアなんだけど、俺にとっては結構大変なアイデアだった。
あれ? 苦労していないとか思ったけど、やっぱり意外と苦労していた気がする。ちょっと切ない。
「ふふっ」
微妙な苦労に若干肩を落としながら迷宮都市を歩いていると、突然シルフィが笑い声をあげた。何かがあったようだ。
(シルフィ、どうかした?)
「ええ、面白いことが起こるわ」
面白いこと? 普通なら面白いことは歓迎なんだけど、シルフィの面白いことの場合、俺が苦労するパターンも考えられるから安心できないんだよな。
(何が起こるの?)
「もう少し歩いていれば分かるわよ」
(いや、分かる前に教えてほしいんだけど……)
「も少し歩いていれば分かるわよ」
シルフィは教えてくれるつもりはないようだ。なんだか少し嫌な予感がしてきたんだけど、こうなると何を言ってもシルフィは答えてくれないんだよな。
だけど、俺にはシルフィ以外にも心強い味方がいる。
(ベル。この先で何か変なこと起きてないかな?)
迷宮都市の中を楽しそうに飛び回っているベルを呼び寄せ、シルフィが内緒にしているであろうことを質問する。
ベルだって下級とはいえ風の精霊。歩いていたらすぐに分かるようなことなら把握できるはずだ。
「うっ?」
キョトンとした顔で首を傾げるベル。
……把握できるはずなんだけど、それをベルが変な事と認識できるのかが問題なんだよな。もう少し詳しく説明しないと駄目か。
「残念裕太、時間切れよ。来たわ」
時間切れ? 来た? シルフィの言葉に顔をあげると、マリーさんとソニアさんがこちらに向かって爆走してくる姿が見えた。
美女の全力疾走って妙な迫力があるな。
「裕太さん、申し訳ございませんでしたー!」
走りこんできた勢いのままに俺の目の前で土下座をするマリーさんとソニアさん。土下座した時、ズザーーって音がしていたけど、大丈夫? 顔が削れてない?
「……えーっとマリーさん、ソニアさん。とりあえず頭をあげてください」
たぶん、俺が迷宮都市に帰る前に預けていった伝言のせいなんだろうけど、ここまで謝られたら申し訳なくなってしまう。
ちょっと懲らしめるだけのつもりだったんだけど、薬が効きすぎたかもしれない。
「申し訳ありません。裕太さんを怒らせるつもりなんてなかったんです。裕太さんに捨てられてしまったら、私もソニアも終わりなんです。どうか、どうかお許しを!」
顔を上げるように頼んだのに、石畳に額をこすりつけるように叫ぶマリーさん。止めて、誤解を招くようなことを大通りで叫ばないで。
通行人から痴話喧嘩? とか、やーね、女の子を土下座させているわよ、とか、俺が社会的に抹殺されそうになってるから。
あっ、ベル。マリーさんは遊んでいるんじゃないんだから、真似をしちゃ駄目。幼女の土下座って洒落にならない気がするから止めて。
うわっ、ジーナ達が引いた目で俺を見ている。違うからね。俺が望んで土下座させたわけじゃないからね。キッカ、傷つくから、俺から隠れるようにマルコの陰に入らないでほしい。
「いや、あのですね、俺はそこまで怒って「裕太、ストップ。ここで許したらマリーの掌の上で転がされることになっちゃうわよ?」……へ?」
マリーさんの迫力満点の謝罪につられてすべてを許そうとしていると、シルフィからストップが掛かった。えーっと、どういうことだろう?
「これは全部マリーの作戦よ。裕太が迷宮都市に入ったら走り出した男がいたから見張っていたんだけど、ポルリウス商会に飛び込んでマリーに裕太が来たことを報告していたわ」
今までも、マリーさんは俺が迷宮から出るタイミングを見計らって店員に見張らせたりしていたし、今回は謝罪のために門を見張らせていただけだよね? 何が駄目なの?
「分かっていない顔ね。マリーは狙ってこのタイミングで謝罪しに来たのよ」
? 見張っていて一刻も早く謝りたかったってことだよね? そんなことよりも、大通りで女性を土下座させたままなのが辛いんだけど?
「マリーは報告を聞いて走り出す前に「これで決める!」と言ったわ。つまり、人目のある場所で謝りたかったのよ。周囲の視線を集めているのも計算の内で、裕太の性格を考えて問答無用で許しを得るための捨て身の作戦ね」
……なんといえばいいのか分からないが、とってもマリーさんらしい考えだと納得できるな。
恥よりも利益! って考えが透けて見えるところが、俺としては嫌いではない。
だけど、そんなに簡単に転がすことができると思われても困る。シルフィのストップが無ければコロコロと転がされていたのは間違いないが、シルフィの力は契約者である俺の力でもある。
だからセーフ。何がセーフなのかも疑問だけど、でもセーフってことにしておこう。周囲の目は気になるが、ここは強い精神をもってマリーさんとソニアさんにはもう少し反省してもらうことにしよう。
「マリーさん達の謝罪のお気持ちは分かりました! おそらくですがポルリウス商会に任せていた商売で失敗してしまったんですね! 詳しく話を聞きますから、場所を変えましょう!」
とりあえず周囲に聞こえるように大声で話す。これで痴情のもつれなんかではないことが周囲に伝わるだろう。
さあ行きましょうと、マリーさんの腕を取り立ち上がらせる。
……立ち上がらせた時に一瞬だけマリーさんの表情が歪んだ。一瞬だったけど、予定と違うって顔だったから、シルフィの言っていたマリーさんの計画は正解だったらしい。
「マリーさん、ポルリウス商会が何か損失を出してしまったんですか? お店は大丈夫なんですか?」
「ゆ、裕太さん、違います。ポルリウス商会は損失なんか出していません!」
ふふ、マリーさんがワタワタと俺の言葉を否定する。やっぱりマリーさんにとっては自分の恥よりもポルリウス商会の恥の方が困るんだな。
まあ、マリーさんの土下座だけでもポルリウス商会の恥になる気もするんだけど、そこはまあ、俺の許しが得られれば問題ないって計算だったんだろう。
俺の許しが得られなかったから、マリーさんは大損だね!
金の卵を産む鶏な俺は、そんなに簡単に転がされる安い男ではないのだよ。反省したまえ。
「あっ、ジーナ達はトルクさんの宿屋で部屋を取っておいて」
(ベル達もジーナ達と一緒に行ってね)
ここからは大人の話し合いだから、ジーナ達やベル達とはここで別れておこう。これ以上は子供の教育に悪いもんね。
さて、本当なら冒険者ギルドで精霊術師の対応を先にする予定だったけど、こうなってしまったら仕方がない。じっくりマリーさんの言い訳を聞かせてもらおうか。
***
現在、俺は通いなれたと言ってもいいマリーさんの雑貨屋の応接室で、頭を抱えている。
「予想以上だったわね」
そう、シルフィの言う通り予想以上だった。っていうかシルフィ、面白がってないで一緒に怒ってよ。
応接室に通されて、再び土下座の体勢になるマリーさんとソニアさんを押しとどめ、だいたいのことは知っているんだけど、マリーさん達の口からも説明してくれますか? ちなみに、現在の状況は若返り草の卸す量が半減です。
マリーさん達の告白内容で俺が知っている内容が出なかった場合、ドンドン若返り草の卸す量が減っていきますって伝えたら、マリーさん達はカナリアのように綺麗な声で歌いだしてくれた。
……歌いだしてくれたのはいいんだけど、内容が予想外だったよ。
俺(大精霊)の武力を背景にしていると思っていたら、王都では俺がみつぐ君になっていた。
マリーさんの歓心を買うために命がけで迷宮に挑む勇者って誰のこと? 俺のことじゃ無いよね?
マリーさんがとっても美人なことは否定しないけど、俺の中でマリーさんはもはやお笑い枠だからね。
「若返り草10分の1です。でもまあ安心してください。他の素材は命にも関係しますから、普通に卸しますよ」
「そ、そんな! ちゃんと正直に話したのに! 裕太さん! 若返り草、若返り草だけは!」
正直に話さなかったら減らすと言ったけど、正直に話したら減らさないとも言っていない。いくら俺でも、国の中心で勝手にみつぐ君にされていたら怒るよ。
おおう、マリーさんとソニアさんがゾンビのように縋りついてきた。あっ、何がとは言わないけど、柔らかい。
***
「裕太……女性に優しいのと女性に弱いのは違うのよ?」
マリーさん達の断罪を終えた帰り道、シルフィから鋭いツッコミを入れられてしまった。
(ち、違うよ。俺が女性に弱いことは否定しないけど、若返り草を10分の4まで卸すことにしたのは世間に対する影響を考えてだからね)
ちょっとだけ柔らかさに魅了されたとか、良い匂いがしてほだされた部分が無きにしも非ずだけど、世間に対する影響を考えたのは本当だ。
それに、王族や上級貴族に卸す分が無かったら本気で命が危ないって真顔で言われたら、少しくらい卸す量を増やすのもしょうがないよね? 俺はマリーさん達に反省してほしいのであって、死んでほしい訳じゃないんだもん。
だからその呆れた視線は止めてほしい。
「……はぁ……まあいいわ。裕太はそのくらい抜けていてちょうどいいかもしれないしね」
抜けている?
(えーっと、もしかして、俺が気がついていない部分でマリーさん達に転がされたりしたの?)
シルフィへの質問の返事は、とても綺麗で優しい笑顔でした。
俺としては結構頑張った話し合いだったんだけど、まだまだ抜けていた部分があったようだ。
呆れた視線よりも優しい笑顔に傷つく日が来るとは……精霊術師の講習はもっと頑張ろうと思う。
読んでくださってありがとうございます。