四百八十二話 うな丼
ついに醤油が完成した。ならばうな丼だ! という気分でうな丼を完成させると、その匂いに釣られた沢山の精霊達が集まってきてしまった。……沢山の精霊達に凝視されながら1人だけうな丼を食う。そんな度胸がある訳もなく、空腹のままウナギのかば焼きを焼き続ける苦行が始まった。
餓えとは、空腹だったり、心の底から求めている何かしらを得られない状況を表したりする言葉だったと思う。
そう考えると、今日は朝食も昼食もバッチリ食べたので餓えているとは言えない。でも、長期間得られなかった醤油に関しては餓えているとも言える。
自分でも何を考えているのか分からなくなっている気がするが、とりあえず俺は食事的な意味では餓えていないが、醤油とうな丼には激烈に餓えているということで、餓えていないけど餓えている、そんな矛盾した心境。
この気持ちをどう表現すればいいのか……あっ、ピッタリな表現があった。あれだな、ご馳走を目の前にして、飼い主に待てをされてしまった犬の気持ちみたいな感じだ。
そう考えるとあれだな。躾として必要な事なのかもしれないが、待てって結構酷いことをしているよな。
犬を守るために必要な躾だとは知っているが、世の飼い主さん達には待ての時間をできるだけ短くしてあげてほしいものだ。まあ、俺は、夜まで待て状態なんだけどね。畜生……。
もちろん、俺も大人だ。なんとかこの飢餓状態から逃れようと努力はした。
でも、遊んでおいでと言ってもちびっ子精霊達は蒲焼から離れたがらなかったし、味見をしようとしたが、ちびっ子達の凝視に敗れた。
無数のちびっ子達の無垢な視線が恐ろしい。小狡いことを考える俺の心の汚れに直撃して、どうにも悪いことができなくなってしまう。
「お師匠様。大丈夫ですか?」
「ん? サラ? 大丈夫って何が?」
料理のサポートをしてくれているサラが心配そうに俺を見上げているけど、何かあったか?
「お師匠様、なんだか遠い目をしてブツブツと呟いていました。休憩したほうがいいのでは?」
あぁ、なるほど、魅惑の蒲焼達を見ているだけなのが辛くて、ちょっと現実逃避していたんだけど、その間の思考が漏れてしまったのか。
「大丈夫だから休憩は必要ないよ。みんな手伝ってくれているし、あと少しだからね」
サラは俺の料理の補助で、ジーナ、マルコ、キッカは全力でご飯を炊いてくれている。
ルビーとサフィは蒲焼の量産を手伝ってくれているし、シトリンはドンブリを量産してくれている。エメとオニキスはそれぞれの補助だ。
そのおかげで、大量のうな丼が量産され、俺の魔法の鞄の中に収納されていっている。
本来ならここにベル達もお手伝いを申し出てくれるはずなんだけど、ベル達もよだれをたらしながら蒲焼を見つめているんだよね。
「本当に大丈夫ですか?」
大丈夫だって言ったんだけど、サラの不安がぬぐえていないようで、まだ不安そうに俺を見ている。よっぽど現実逃避していた時の俺がヤバく見えたんだろう。
素直に休憩すればよかったかな? でも、休憩した分だけうな丼が遠のくと思うと、休憩する気持ちもしぼんでしまう。何より、よだれをたらしながら見守っているちびっ子精霊達を待たせて休憩するのは辛い。
「うん、大丈夫だよ。サラもお手伝いをよろしくね」
「……はい」
まだ、納得はしてくれていないみたいだけど、とりあえず様子を見てくれるようだ。さて、もうひと頑張りなんだし、サラに心配かけないように頑張ろう。
あっ、みんな多分お代わりもするよね? まだまだ時間が掛かりそうだ……。
***
「では、新築祝いを始めたいと思います……」
ふふ、精霊王様達から浮遊精霊達まで誰も話を聞いていないな。みんな目の前に置かれているうな丼に釘付け状態だ。いや、ドリーとヴィータは俺の方を見てくれている。あの二人は楽園の良心だな。
まあ、誰も聞いていないなら俺も長々と話す必要もないか。新築祝いが完全にウナギに持っていかれていることに思うことがないでもないが、俺もうな丼を早く食べたいもん。
「では、いただきます!」
俺のいただきますの声に合わせて動き出す精霊達。さっそくスプーンをうな丼にブッ刺して口いっぱいに頬張っている。
そこかしこで美味しい美味しいと絶賛の声が聞こえる。動物型の精霊達の鳴き声も聞こえるが、表情を見ると幸せそうなので、満足してくれているんだろう。あと、ちびっ子な浮遊精霊達の幸せそうな顔はとても可愛い。
精霊王様達は……うん、こちらもご機嫌なようだな。全員、モクモクとうな丼をかっ込んでいる。特にアース様の食べるペースがかなり速い。先にお代わりを出しておいた方が良さそうだ。
お代わりのうな丼をそっとアース様の前に置くと、アース様の背景から花が飛び出したような幻が見えた。喜んでくれたようだ。
あと、ダーク様。うな丼を食べている姿もとても素敵です。丼物を食べている姿で色っぽいとか、凄まじい妖艶さですね。
……いかんいかん、闇の精霊の機嫌を損ねるのは危険だってオニキスに学んだばかりだった。闇の精霊王様にぶしつけな視線を向けたら駄目だよね。
えーっと、大精霊達は……こちらも問題なさそうだ。無表情がデフォルトのシルフィの表情も崩れているし、ディーネなんか満面の笑顔だ。この二人が先程までモメていたとはとても思えないな。
ノモスとイフもお酒に手を出さずにうな丼を食べているところを見ると、かなり気に入ってくれているようだ。
あれ? うな丼を持ったベル達とサクラがこっちに飛んでくる。なにかあったのか?
「ゆーたー。べる、これすきー。うなどんー」
「キュッ! キュキュー」
「うなどん。おいしい」
「クゥー。クゥクゥ、ククー」
「これはつよいぜ。うなどんさいきょうだぜ!」
「………………」
「あう! あうあうあー!」
どうやらうな丼の感想を教えに来てくれたらしい。ムーン以外全員ホッペに米粒を付けているところが、なんだかとても可愛らしい。
ムーンは吸収するように食べるから米粒はつかないけど、とってもプルプルと訴えかけてきているから、気に入っているのは間違いないな。
「そっか、教えてくれてありがとうね。お代わりもあるから沢山食べていいよ」
お代わりという言葉に顔を輝かせて自分の席に戻るベル達とサクラ。確実にお代わりするだろう。
おっと、精霊達ばかりを気にしているのは駄目だな。人間である弟子達の反応はどうだ?
あぁうん、みんな夢中でうな丼を食べているし、こっちも問題は無さそうだな。
さて、だいたいの状況は確認した。もう、十分にホストとしての仕事は果たしたってことにして、俺も自分の欲望を解放しよう。
さあ、うな丼の時間の始まりだ!
目の前にあるうな丼。その蓋をパカリと外す。
ふふふ、さすがうな丼。周囲にもウナギの匂いが立ち込めているのに、蓋を外すとふわりとうな丼の香りが鼻孔をくすぐる。
ウナギは匂いを食わせるって聞いたことがあるけど、たしかに匂いだけでも訴えかけてくるものがある。
だが当然これだけでは満足しない。食べてこそのうな丼だ。
俺にとってもはや宝石と変わらない輝きを持つうな丼に箸を差し込む。記念すべき最初の一口だ。大きめに切り取るべきだろう。
箸を差し込むと想像していた感触との違いに驚く。天然で肉厚なウナギだから、さぞかし弾力もあるのだろうとの予想がアッサリ覆された。
たしかに箸を押し返すような弾力も感じたが、そこから少し力を込めただけでスッと箸が通る柔らかさに驚く。
そういえば天然のウナギって、日本で食べたことあったのかな? ウナギは両親も好きだし、よく食べに連れて行ってもらったこともあったが、あの店のウナギは天然物だったのだろうか?
……まあ、天然と養殖の違いが分かるほど鋭敏な舌を持っている訳でもないし、美味しければなんの問題も無いよね。それに、このウナギは間違いなく天然のウナギだ。このウナギをしっかり味わえばいい。
くだらない疑問は放置して、そのまま下のご飯ごとウナギを持ち上げ、口いっぱいに頬張る。
噛みしめると口の中に広がるうな丼の味。なんだろうこれは、なんでウナギってこんなに美味しいんだろう?
フワッととろけるようにほぐれる肉厚なウナギの身。そして口に広がる香ばしい醤油ダレの香りと甘辛い醤油ダレの味。
だがそれだけじゃない。強い醤油ダレの味にも負けずに主張してくるウナギの旨味。そしてなんといっても皮が美味い。
見た目は気持ち悪いと言ってもいい部分なのに、トロンとした不思議な感触と濃厚なウナギの味を俺に伝えてくる。
もうあれだ、甘辛い醤油ダレだけで俺の味覚は大歓喜しているのに、これだけ旨味を重ねられたら何をどうしていいか分からない。ただ、食べるだけ。美味しい美味しいと食べるだけだ。
「フーー。ウナギ、最高」
脇目も振らずに丼を空にしてしまった。
しかしあれだな。久しぶりの醤油味にウナギを合わせるのは危険な行為だったな。心も体も喜んでしまって、脳内から幸せホルモンが大量分泌している気がする。このままだと浮かれて踊りだしてしまうかもしれない。
とてつもない満足感に馬鹿なことを考えていると、なぜか沢山の精霊達が優しい瞳で俺を見ている。なんだ?
精霊王様や大精霊達ならともかく、赤ん坊のような浮遊精霊にまで優しい瞳で見られる理由が分からないぞ?
「裕太ちゃん、そんなにうな丼が美味しかったのねー。でも、みんなお代わり待っているから、用意してくれると嬉しいわー。もちろんお姉ちゃんのぶんもよー」
……なるほど、俺がうな丼に夢中な姿を、お代わりに来たみんなに見られていたってことか。
ふむ……普段ならちょっと恥ずかしく思う気もするが、今の俺は幸せホルモンが脳内で大量分泌しているから全然気にならない。
いいだろう、まずはうな丼の配布。その後、俺もうな丼もう一杯だな。いま、とっても幸せです!
読んでくださってありがとうございます。




