四百八十一話 ジレンマからの解放
申し訳ありません。少し更新が遅れました。
シルフィとディーネの仲裁を諦め、最後に残ったヴィータの家をモフモフキングダムに設置した。家の値段とは関係なく森にマッチする家を選んだヴィータのセンスに驚いたが、まあそれはそれとして、ウナギの時間だ。
「これは……無理だな」
ウナギの調理の為にルビーの協力を求めて精霊の村の食堂に向かったんだけど、食堂の中には楽園に遊びに来たちびっ子精霊達がひしめき、美味しそうに料理やデザートをパクついている。
たいそう和む光景であるからこそ、忙しそうに料理を作っているルビーに協力を依頼できない。
そんなことをすれば、カウンターで自分の番をワクワクしながら待っている幼い精霊達の表情が絶望に染まるだろう。
自分で作るか。ルビーに説明して作ってもらった方が手間がかからないから、後日に変更することも可能なんだけど……俺の胃袋がウナギを求めて変更を受け付けないのだからどうしようもない。
そっと食堂を離れて醤油の蔵に向かう。
偶に挨拶しに寄ってきてくれる浮遊精霊と下級精霊に癒されながら、醤油蔵に到着。
この中で日本人にとって魂ともいえる調味料が完成していると思うと、とても感慨深い。隣の味噌蔵にも惹かれるが、今日のメインはウナギなので醤油蔵に直行だ。
ウナギに味噌汁でも構わないとは思うが、味噌は味噌でメインとして楽しまないともったいないよね。
味噌汁は当然として、野菜炒めに味噌を加えるだけでも美味しいし、肉味噌や豚……いや、オーク肉の味噌漬けなんかもたまらないだろう。あぁ、想像しただけで熱々の白飯と共にかっ込みたくてしょうがない。
「あう?」
俺の乱れる内心に気がついたのか、胸元にへばりついていたサクラから疑問の声が聞こえる。いかんな、今日は醤油の魅力に溺れるつもりだったのに、味噌に浮気しそうになってしまった。初志貫徹、今日はウナギだ。
初心を思い出させてくれたサクラの頭を撫でながら、醤油蔵の扉を開く。そういえば、みんなそれぞれに楽園に散ったから、今はサクラと二人っきりなのか。サクラといる時はベル達も一緒のことが多いから、これはこれで珍しい気がするな。
そんなサクラとの珍しい状況も、醤油蔵の中から漂ってくる醤油の香りに一時棚上げする。
「あっ、そうだった……」
ワクワクした気持ちで醤油の桶を覗きこむが、肝心なことを忘れていたことに気がつく。
桶の中はまだ『もろみ』の状態なんだよね。ここから醤油を絞り出さないといけないんだった。
でもまあ、大丈夫だ。これが日本だったら時間が掛かるが、ここは異世界。異世界は異世界なりに便利な手段も存在する。単純に水の精霊に頼んで醤油を分離してもらえば解決だ。
まあ、ディーネかレイン、どちらに頼むかが問題なんだけどね。
レインはウォータ様と戯れているだろうし、ディーネはまだシルフィと揉めているだろう。
……うん。レインだな。遊んでいる最中に召喚するのは可哀想だけど、興奮しているであろうディーネに醤油を任せるのは怖すぎる。
「キュー? キュ! キュキュ!」
召喚したレインがどうしたの? と首を傾げた後、お仕事? お仕事なの? といった様子で喜びだす。激しく可愛い。
「ウォータ様と遊んでいる時にごめんね。味見の時にディーネがやったみたいに、この中のドロドロを液体と固体に分けてほしいんだけど、お願いできるかな?」
「キュッ! キュキュー!」
ヒレをビシッと動かしてイエッサーと敬礼するレイン。お仕事に張り切ってくれるのは嬉しいけど、テンションが上がって犯した黒歴史を忘れてくれていないのは、ちょっと悲しい。
「……容器のツボはここに出すから、これに半分くらいでお願い」
「キュ!」
やる気に満ちた返事をしたレインが桶を見つめてヒレをパタパタすると、桶の中のもろみがゆっくり渦巻き、待望の黒い液体がウニュウニュと分離され始める。
あんまり綺麗な絵面じゃないはずなんだけど、黒い蛇のような液体が醤油だと思うと、それだけで美しく思えるから不思議だ。
「キュー!」
ウニョンと醤油が入ったツボの中を確認すると、俺がお願いした通りにツボ半分ほどに黒い液体が入っている。
この状態が生醤油でいいんだよね? 魔法の鞄から小さじを取り出し、味見をする。
……うん。前に味見をした時に思った、なんかちょっと違う感が薄れて、これが醤油だって味がする。なんか涙腺が崩壊しそうだ……。
まあ、自分のイメージしている醤油よりも塩分が濃い気がするけど、これは後で調整できるだろう。
「レイン、ありがとう。完璧な仕事だよ」
「キュキュー。キュキュ!」
醤油が無くなる恐怖から醤油が使えず、魔法の鞄の中に醤油が入っているというのに醤油に餓えるというジレンマ。
そのジレンマから、今この時をもって俺は完全に解放された。
その喜びも含めてレインを撫でくり回す。途中から私もと訴えてきたサクラも一緒に更に撫でくり回す。
レインとサクラを撫でくり回している間に涙がこぼれてしまった気もするが、気のせいってことにしておこう。
今日は記念すべき日だ!
「ふぅ……えーっと、じゃあ俺はこれからちょっと忙しいから、レインとサクラはみんなと遊んでおいで」
「キュッ!」
「あう!」
ご機嫌で飛んでいくレインとサクラ。さっきまでサクラは俺から離れたがらなかったんだけど、全力でのナデナデで満足してくれたらしい。
俺が泣いちゃったから気を遣ってくれた可能性もあるけど、それは気がつかなかったことにしよう。
……1人になっちゃったけど、ここからが本番だ。
ウナギは天然物。それをルビーに捌いてもらい、串を打って白焼きにしてもらっている。
ならば、あとはタレだ。専門店のように深みのあるタレは難しいにしても、ウナギの味を壊すようなタレを作ってしまったら、すべてが台無しだから失敗はできない。
醤油蔵の前で焼き台を取り出し、火を熾して準備を整える。
「さて、ウナギのかば焼きのタレはシンプルな作り方だから材料は知っている。醤油、酒、みりん、砂糖、これを混ぜ合わせて煮詰めるだけ……なんだけど、問題は料理酒とみりんだ」
ウナギのかば焼きはまず間違いなく精霊達にも大ヒットする。
となると、日本から持ってきた調味料を使ってタレを作っても後が続かない。ならばこの世界の素材で作るしかないな。
ウナギのタレに使えそうな素材。
……醤油と砂糖は問題ない。料理酒とみりんは……ノモス達が作った蒸留酒でなんとかするしかない……か?
なんだかとてつもなく難しい気がするけど、カレーの調合と一緒だ。少しずつ調味料を加えて味を調えるしかない。
必要な素材の種類は少ないんだしなんとかなる! ……はずだ。
***
なんとかした。
濃くして薄くして、濃くして薄くして、甘くして辛くして、甘くして辛くして、ドンドンとウナギのタレ予定の液体の量が増加していき、小鍋で作っていたはずなのに中鍋から大鍋へとランクアップはしてしまったが、なんとかした。
もはや何をどれくらい入れてこの味にたどり着いたのか微塵も理解できないが、なんとかした。
まあ、今後の量産は、ルビーが勝手にやるだろうし、醤油の量産も可能になったんだからトルクさんも興味を持つだろう。丸投げだな。
「後は焼くだけ」
串うち3年、裂き8年、焼き一生だったか? どれも全く足りていないから最高の蒲焼ができるとは思わないけど、これだけ頑張ったんだから納得できる蒲焼ができるはずだ。そう信じよう。
魔法の鞄から白焼きを取り出し焼き台の上に並べる。元々が焼きたてだから、炭火で炙られた白焼きからすぐにウナギの脂が染み出して炭に落ちる。
白煙と共に立ち上るウナギの香り。
その香りと共に白焼きを持ち上げ、タレが入ったツボにトプンと沈める。
これでウナギの脂がタレに交ざりあい、タレの味が深くなるはずだ。何度も何度も継ぎ足して行けば、凄いウナギのタレが完成するはず。これがその第一歩だ。
「ん?」
そういえば、精霊の寿命ってシルフィ達でも分からないくらいに長いんだよな? 下手したら何万年物のウナギのタレがいずれ完成するのか?
それが美味しいのかどうかも想像がつかないが、その時には自分が生きていないと思うと、少しだけ寂しい気分になる。
そんなセンチメンタルな気持ちも、ウナギのタレが炭火に落ちると一瞬で吹き飛んだ。
暴力的なまでに食欲をそそる香り。
甘辛い醤油ダレの焦げる匂いは、郷愁を誘う香り……なはずなんだけど、醤油に餓えた俺にとってはもはや犯罪的な香りで、この匂いを嗅いだだけで口の中に唾が湧き上がり、腹の音が鳴る。
なんだこれ、もう齧り付いちゃっていいの?
一度しかタレにつけてないし、焼きも全然足りないはずなのに、宝石よりも輝いて見えるんですけど?
恥も外聞もなく暴走しそうな心を、みんなと共に味わいたいというちっぽけな良心で無理矢理押さえつけ、次々に残りの白焼きをタレに付けて焼き台に並べる。
繰り返すたびに濃くなる蒲焼の香り……肉厚な天然ウナギはタレと染み出す脂で茶色く輝き、少し焦げたタレの香ばしさがえもいわれぬ魅力で俺を魅了する。
このウナギのかば焼きは、ベリルのサキュバス達にすら勝る魔性の魅力を持っているのかもしれない。もはや俺の理性は崩壊寸前だ。
もう、これ以上待てない。
魔法の鞄から白飯を盛った丼を取り出し、その白く輝く美しいコメにウナギのタレをまわしかける。
輝く白が茶色く染まりえもいわれぬ背徳的な魅力を放つ。これだけで丼でお代わりできそうなところに、テカテカに輝いて俺を魅了する蒲焼をドンと載せて串を抜く。
これで……
「うな丼、完成だー!」
思わずどこかのライオンの王様が子供を天に掲げるように、うな丼を天に掲げる。
「へっ?」
うな丼と共に天を見上げ、太陽に祝福されるはずが……なぜか俺の視界にはみっちりと詰まり壁になった精霊しか見えない。
あぁ、一瞬なんで? と思ったけど、まあ、当然か。カレーの匂いに集まってきた迷宮都市の住人と同じ理由だな。
その証拠に、焼き台から立ち上る煙部分なんか、プレスされていると疑いたくなるくらいに精霊が鈴なりだ。
そして、その集まっている精霊達の中には当然俺が契約している大精霊達と下級精霊達も居て、弟子達が契約している浮遊精霊達も居る。お店をやっているはずのルビー達も居て、精霊王様達も居るな。
精霊王様達なんか自分の存在を明らかにするためか、とてつもなく目立つ気配を発しているし、楽園に遊びに来ている可愛らしい精霊達もウルウルとこちらを見ている。
いや、天に掲げたうな丼を凝視している。
もう、我慢できないから1人でうな丼をかっ込もうと思っていたんだけど、許されない雰囲気だ。食べる真似すら命の危険が……。
「えーっと、沢山焼くから、夜に皆で食べようね」
爆発する歓声の中、俺の地獄が始まる。この空腹の中、ウナギを焼きながら夜まで我慢? 死ぬかもしれない……。
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