四百六十四話 リニューアル
ローゾフィア王国でサラとヴィクトーさんとの感動の再会も終わり、無事に全員で楽園に戻ってくることができた。一時はサラの離脱も頭によぎったが、結果的には全員の絆が深まったので、良い旅だったと思う。
そんな心温まる旅が終わり気が抜けてしまったのか、ルーティーンのごとく迷宮都市と楽園を往復するだけの時間が過ぎた。
まあ、迷宮都市では若返り草の採取をマリーさんに熱烈に頼み込まれたり、迷宮のコアに廃棄予定素材を貢ぎに行ったり、メルとメラルに素材を提供したり、リーさんとダークムーンさんの格闘と盗賊の訓練を見学に行ったりとやることは多かった。
楽園でもベル達やサクラと戯れたり、遊びに来るちびっ子精霊達の相手をしたり、楽園の施設の充実や、ルビー達との新しい料理を開発、酒島の発展に頭を抱える等の、刺激は少ないが充実していた気もする時間も過ごした。
そんなのんびりしつつも忙しいといった状況が、たぶん今日から変わるだろう。最低でもしばらくは刺激的な時間が続くことになると思う。
なんたって、トルクさんの宿屋の増築の完了と、シルフィ達大精霊達の家の完成、味噌と醤油の完成が同じタイミングで重なってしまったんだから、忙しくならない訳がない。
本来なら別々のタイミングで完成するはずだったんだけど、予定通り完成したのはシルフィ達の家だけだった。
トルクさんの宿屋は商業ギルドや料理ギルドの横やりと、トルクさんのワガママが炸裂。マーサさんのお説教も乗り越え、増築案の変更を通して増築期間の延長。
味噌と醤油は味見でまだ若いと判断。酵母菌をヴィータに活性化してもらって、寝かせる期間を延長。そんなこんなで3つの予定が見事に重なった。
どれもこれもめでたいことなんだけど、間違いなく忙しくなる。盆と正月がいっぺんにきたってやつなのかな?
色々と考えながら通いなれた迷宮都市の道を歩いていると、目的の宿屋が近づいてきた。
増築工事中も利用していたからだいたいの規模は分かっているんだけど、完成した宿屋を見るのは初めてだから少し楽しみだ。新しい部分は完成してのお楽しみだって言われて、見せてもらえなかったからな。
アドバイスをしたのは俺だからなんだか釈然としなかったけど、マーサさん曰くトルクさんなりに俺を驚かせたいらしい。
サプライズは俺も好きなので楽しみにしているが、サプライズの上級者の俺としては、ショボかったら苦言を呈する心構えだ。
「あっ、トルクさん」
宿屋に到着すると、完成した宿屋を見るよりも前に、宿屋の前で宿屋を見上げている強面の男が目に入った。感慨深げな様子を察するに、大きくなった宿屋を見て色々と浸っていたんだろう。
「おっ、裕太、来てくれたか」
「はい。新装開店、おめでとうございます」
ん? 新装開店ってパチンコ屋みたいだけど、パチンコ屋だけの言葉じゃないよね? まあ、翻訳で意味は伝わるんだから問題ないか。
「トルクさん、おめでとう」
「トルクさん、おめでとうございます」
「トルクさん、おめでとう!」
「トルクのおじちゃん、おめでとうございます」
「おめでとー」「キュー」「おめでとうございます」「ククー」「めでたいぜ!」「……」
俺の開店祝いの言葉に続いて、ジーナ達もベル達もおめでとうの言葉をトルクさんに伝える。
まあ、ベル達の言葉は聞こえてないだろうけど、こういうのは気持ちだから聞こえていなくても、何かしら伝わるものはあるはずだ。
「おう、みんなありがとな」
気持ちがちゃんと伝わったのか、トルクさんが嬉しそうに笑う。顔は怖いけど、嬉しさはちゃんと伝わってくるな。
「しかしあれですね。工事が終わってちゃんと見てみると、かなり大きいですね」
隣の店を吸収しただけなんだけど、間にあった通路やらなんやらのスペースも建物に含まれているし、高さも増した。外観自体は他の建物とそう変わらないが、大きくなった分迫力が出ている気がする。
「そうなんだよ。図面でだいたいのことは分かってたんだが、実際に見るとデケェよな。俺の宿屋がこんなになるなんて、今でも信じられねえ気分だ」
再び自分の宿屋を見上げるトルクさん。喜びとか不安とか、色々あるんだろうな。
本来ならもう少し規模が小さい増築のはずだったんだけど、美食都市構想の切っ掛けの宿屋ってことで商業ギルドや料理ギルドからも要望が入ったらしい。
そのおかげで資金援助もあって借金はそれほどでもないらしいんだけど、資金援助の分もプレッシャーは増すだろう。ただ、その資金援助に気をよくしてトルクさんも暴走したらしいから、自業自得の一面もあるよね。
「あんた、明日開店で忙しいんだから、ボーッとしていないで仕事しな! まったく何度も何度も外に出て……ん? あぁ裕太。来ていたのかい。いらっしゃい」
宿の中からマーサさんが怒鳴りながら出てきた。どうやらトルクさんは何度も店を見上げるのを繰り返していたらしい。
「マーサさん、こんにちは。開店おめでとうございます」
先程トルクさんに伝えたように、俺、ジーナ達、ベル達でマーサさんに新装開店のお祝いを伝える。
「ああ、ありがとね。あっ、ちょっと待っておくれ。あんた、厨房が困ってるからさっさと仕事しな。裕太の案内はあたしがするからね」
「お、おい。裕太達の案内は俺が……」
「いいから、仕事しな」
トルクさんが小さくなって宿屋の中に入っていく。相変わらずマーサさんには勝てないようだ。
「まったく、浮かれちまってどうしようもないね。さあ裕太、案内するから完成した宿屋を見ておくれ」
「えーっと、明日開店で忙しいんですよね? 案内は落ち着いてからでも大丈夫ですよ?」
特別に開店前日に招待してもらえたけど、忙しいのに手間を取らせるのも気まずい。
「わざわざ開店前の10日間を休みにしたんだ。こっちの準備は万端だから心配しなくていいよ」
「でも、トルクさんは忙しいんですよね?」
なんかさっきマーサさんが言っていたことと矛盾してない?
「忙しいのは厨房だけさね。開店2日前に器具の配置を変えるとか、自分で忙しくしているんだから自業自得さ」
あきれ顔のマーサさん。またトルクさんが暴走したんだな。自分の厨房のことだから拘るのは理解できるけど、2日前は駄目だろう。まあ、マーサさんに余裕があるなら少し案内してもらうか。
「では、お願いします」
「あいよ。冒険者用の方は広くなっただけでそんなに変わってないから、一般用を案内するね」
マーサさんに連れられて一般用の入り口から宿屋の中に入る。
冒険者と一般の人とのすみわけの為に商業ギルドの要望で入り口を分けるって言っていたけど、内装が完全に別物だな。贅沢な訳ではないが、温かみのある雰囲気だ。何より、カウンターにお花が飾ってあるのが凄い。
ジーナ、サラ、キッカも気に入っているようだし、女性受けを考えて作られているようだ。……シルフィが興味無さそうなのは気にしないでおこう。
「全然雰囲気が違いますね」
「あたしも違和感しかないよ。でも、ベティが一般客を迎えるならこういう雰囲気が必要だって言って、食堂も中で区切ってあるよ。まあ、ガラの悪い連中は隔離ってことさ」
冒険者の印象の悪さが切ないけど、大部分はむさい男達だし、ガラも悪いからしょうがないよね。
カウンターを通り抜けると、奥は広い食堂になっている。前の食堂の3倍くらい広くなっているな。それだけトルクさんの料理が人気ってことか。ふむ、真ん中の壁で食堂を区切っているんだな。
あれ? 他人事みたいに考えていたけど、俺もこっちは使えないってことになるのか? 別に冒険者用の方でも問題は無いんだけど、使えないのはちょっと寂しい。
「マーサさん、俺達はこっちを利用できないんですか?」
「冒険者の装備を身に着けていたら裕太でも駄目だね。でも、装備無しの常連客ならこっちも利用できる手はずになってるよ。まあ、煩いのは駄目だけどね」
「冒険者達が怒りませんか?」
さっき隔離って言っていたけど、ここまで露骨だと文句を言う冒険者も出てきそうな気がする。
「一般客が多いと気を遣うから、分けた方が冒険者も喜ぶよ。怖がられるのも気分が悪いしね」
なるほど、怖がられるのは確かに気分が悪いな。元々が冒険者用の宿屋に来ていたお客だし、無理に一般客と交ざろうとはしないんだろう。
「それで、こっちが個室なんだけど、それは夜の食事の時に見ておくれ。まずは泊まる部屋に案内するよ」
個室か。宴会用の個室とちょっとお高めの料理を選択できる個室。俺が提案した形だから、どんなふうになっているのか少し心配だな。
「ん? 俺は冒険者用の部屋じゃないんですか?」
特別扱いは嬉しいけど、装備を身に着けていたら駄目とか窮屈なのは遠慮したいのが本音だ。
「常連客用の階があってね。そこは何方にも通路がつながっているから好きな方を利用できるよ」
なるほど、便利になっているんだな。トルクさんもマーサさんもそこまで考え無さそうだから、商業ギルドの提案だろう。テコ入れ感がハンパ無い。
感心しながらマーサさんのあとに続くと、3階の部屋に案内された。
「部屋自体はそこまで変わらないんですね。多少広くなりましたか?」
リニューアルされた部分だから新築の綺麗さはあるけど、前の部屋とそう変わらない雰囲気だ。
「別に高級な宿屋に鞍替えした訳じゃないから、部屋はそんなに変わらないよ。まあ、お金持ち用の部屋も商業ギルドの要望で作ったけど、そっちの方が良かったかい? あたしが言うのもなんだけど、落ち着く雰囲気じゃないよ?」
マーサさんが言うべきことじゃ無いのは確かだけど、落ち着けない雰囲気なのは遠慮したいな。
「いえ、こっちの部屋で大丈夫です。少し疲れたので、夕食まで休憩しても良いですか?」
まだ見どころはありそうだけど、準備万端とはいえリニューアルオープン前日にマーサさんを拘束するのは遠慮しておこう。探検気分で自分で見て回るのも楽しそうだよね。
「そうかい? じゃあ少しゆっくりするといい。夜の食事はトルクが色々と考えていたから、楽しみにしておくれ」
「分かりました。楽しみにしておきます」
そういえば、トルクさんのサプライズがまだだな。そうなると、本命は食事か? 何か新メニューが出てくるなら、かなり楽しみだな。
読んでくださってありがとうございます。