四百三十八話 師匠の役割
サラの苦労話でベッカーさんの協力を勝ち取り、どうにかこうにかサラのサプライズ計画を進めることができた。その結果、サラのお兄さんはサラの目の前でエールを吹き出して、醜態をさらしている。たぶん俺は、何かを間違えたんだろう。
しかし、ハンパなく咳き込んでいるな。ちょうどエールを飲んでいるタイミングだったから、気管に洒落にならないくらいエールが流れ込んだのかもしれない。あれ、苦しいんだよね。
激しく咳き込むサラのお兄さんの背中を、ベッカーさんが慌ててさすっている。あっ、同じテーブルについていた1人が、ハンカチで咳き込むサラのお兄さんの顔を隠した。隠さなければならないような状態になったっぽい。
賑やかだった食堂が静まり返り、サラのお兄さんの苦しむ音だけが響く。まさしく地獄の時間だ。ベッカーさんの焦った表情と、サラのオロオロとした様子が目に飛び込んでくる。なんか申し訳ない。
「プルちゃん、お願い。お兄様を癒して」
おっ、サラ。ナイス判断。サラの肩に乗っていたプルちゃんが、プルプルとサラのお兄さんに近づき患部に触れると、徐々に咳が治まってきた。
「……う、うん。……サラ! サラではないか! 会えて嬉しいぞ! よくぞ無事にここまで来た。苦労したのであろう? もう大丈夫だからな。兄が必ず幸せにしてやる!」
おおう。なんという精神力。さすが辺境伯という武門っぽい貴族の元跡取り息子。ちょっと支離滅裂だけど、あれだけの醜態を無かったことにして、笑顔でサラとの再会を喜べるなんて、素直に尊敬できる精神力だ。
ただ、話し始める前に喉の調子を確認したのは、ちょっと減点だな。プロならああいうところは隠してほしい。
「お兄様。私もお会いしたかったです」
でも、今回のサプライズは結果的に正解だったかもしれない。お兄さんの醜態を見て、サラの緊張も解れたみたいだ。計算通りだな。
見つめあうサラとサラのお兄さんが自然と抱き合う。ふむ。サラのお兄さんはできる男だな。2人の体格の違いを瞬時に判断して、片膝をついたまま自然にサラを抱き寄せている。絵になる光景だ。
グスッと鼻をすするような音が聞こえたので振り向くと、俺を監視しているはずのベッカーさんの部下が、ハンカチで目元を押さえている。兄妹の再会に感動しているのは分かるけど、一応、俺の監視だよね? それでいいの?
大丈夫なのかと周囲を確認すると、兄弟の再会に涙腺を緩ませる人達と、優しい眼差しで兄妹を見守る人達に分かれていた。
ちなみに、俺とシルフィは優しく見守る派で、ジーナ、マルコ、キッカは涙腺を緩める派のようだ。まあ、マルコとキッカは、家族と死に別れているみたいだから、しょうがないよな。
うん? マルコとキッカには親戚は居ないんだろうか?
2人の血縁が両親だけってこともないだろうし、サラみたいに再会できる可能性もあるんだから、落ち着いたら聞いてみた方がいいな。お爺ちゃんとかお婆ちゃんに会えたら、それはそれで感動の再会になりそうだ。
その時こそ、空から兄弟が降ってきた演出の出番だな。キッカはともかく、マルコなら選んでくれるはずだ。
「裕太殿。ヴィクトー様を紹介いたしますので、どうぞこちらに」
サラとお兄さんの会話を見守りながら、くだらないことを考えていると、ベッカーさんが声を掛けてきた。
あの空気の中に交ざるのは微妙に嫌なんだけど、そうも言っていられないか。ベッカーさんの後に続いて、感動の再会をしている、サラとサラのお兄さんのところに行く。
「ヴィクトー様。こちらが、サラお嬢様をこの地までお連れくださった裕太殿です。Aランクの冒険者で、サラお嬢様の命の恩人と言っても過言ではないお方です。そして、裕太殿の弟子のジーナ殿、マルコ殿、キッカ殿です。どなたもサラお嬢様が大変お世話になった方達です」
ベッカーさんが、俺達を誉めそやしてくれるが、しっかり警戒はされているんだよな。警戒するのなら警戒する。誉めそやすのなら誉めそやす。どちらかにしてくれたら対応しやすいんだけど、両方だと戸惑う。
「おぉ。裕太殿、ジーナ殿、マルコ殿、キッカ殿、私はヴィクトーと申す。よくぞ我が妹をお連れくださった。今はこのように没落してしまった身であるが、精いっぱいの報酬は用意させていただく。本当にありがとう」
サラを抱っこしたまま立ち上がったお兄さんが、こちらに満面の笑みを向けてくる。野獣みたいな印象だったけど、近くで見ると結構気品があるようにも見える。
さすが貴族ってところなのかな? ……いや、ガッリ親子には気品の欠片も無かったから、サラのご両親の教育が素晴らしかったんだろうな。
あと、抱っこされて顔を赤くしながら俺を見るサラが可愛い。普段はお姉さんっぽく落ち着いているから、なかなか見られない表情だ。
「弟子の里帰り? ……に付き合っただけですから、報酬は必要ありませんよ。サラの喜ぶ顔が見られただけで十分です」
この場合は里帰りで合っているのか? 故郷じゃないよね? ……まあ、シュティール家の当主が住んでいる場所なんだから、ここが実家ってことにしておこう。
「いや、恩人に報酬すら渡せないのは、シュティール家の恥にもなる。どうぞ受け取っていただきたい」
……なるほど、相手にも立場があるんだから受け取っておく方が無難か。だけど、お金は腐るほどあるのに、決して豊かではなさそうなサラのお兄さんから、お金をもらうのは気が引ける。
しかも、メンツの為に無理をしそうな気配がするから困る。何か上手に断れる方法は……サッパリ思いつかない。しょうがない。今回は受け取っておいて、冒険者の仕事を手伝って帳尻を合わせるか。
森での仕事が大半っぽいこの国なら、ドリーやシルフィの力を借りれば、シュティールの星に便宜を図れるだろう。
ジーナ達も依頼に興味を示していたし、精霊術師にとっても暮らしやすい国だ。俺も興味があるから、しばらく滞在するか。
あっ、あんまり滞在期間が延びると、サクラが寂しがるか。サラのこともあるし、みんなで幸せになれるように、色々真剣に考えないといけないな。状況に流されるのが一番楽なのに……保護者って大変だ。
「分かりました」
俺が頷くと、お兄さんがホッとしたように笑ったので、正解だったようだ。冒険者になっても家のメンツを気にするとか、大変なんだな。あぁ、貴族に返り咲くつもりなら、冒険者になっても評判は気にしないと駄目なのか。
さて、目的だったサプライズは微妙な結果に終わってしまったけど、サラとヴィクトーさんの再会は果たしたんだ。そろそろお暇しよう。
「今日はもう遅いですし、兄妹で積もる話もあるでしょう。そろそろ俺達はお暇させていただきます。サラの今後についても話しがしたいので、明日の夜にでもまたお伺いしても構いませんか?」
「いや、恩人をもてなさずに帰す訳にはいかない。今から宴を開きますので、どうぞ泊っていって頂きたい。立派な部屋という訳にはいかぬが、見ての通り大きな建物だ。部屋だけは余っている」
……宿の方が気を遣わなくていいから楽なんです! とは言ったらいけないんだろうな。サラもすがる様な目でこっちを見ているし、泊った方がいいようだ。
「泊めて頂けるだけで十分ですよ。急に訪ねて遅くから宴会の準備をしていただくのも気が引けます。それに、今日、王都に到着したばかりなので、子供達も休ませたいです」
シルフィがそんなに疲れてないでしょって目で俺を見ている。たしかにシルフィに連れてきてもらっただけだから肉体的には疲れていないけど、人間には気疲れってものがあるんだよ。サプライズには神経を使うんだ。
まあ、シルフィが不満そうなのは、宴会にどんなお酒が出るのか確認したかったからだろう。あとで、この国のお酒を買い集めるって約束すれば、機嫌も直るから問題ない。
「それはいかん。ならば宴会は明日の夜だな。ベッカー。裕太殿達を客室にご案内してくれ」
宴会は確定なんだね。……とりあえず、今晩は休めるんだからそれで満足しておこう。ベッカーさんに案内されて食堂を出る。
「裕太殿。あんなにはしゃぐヴィクトー様を見るのは久しぶりです。サラお嬢様をお連れくださり、本当に感謝しております」
「いえ、先ほども言いましたが、弟子の里帰りに付き合っただけです。気にしないでください」
凄く感謝してくれているのは伝わってくるが、サプライズについて一言も話さないのが気になる。なかったことにしようとしていないか?
……俺がサプライズの話を出すと、露骨に話を逸らす。本気でなかったことにする気だな。俺達がなん部屋使うかなんて、話をさえぎってまで聞く必要はないだろ。
「こちらの3部屋を自由にご利用ください。では、失礼します」
丁寧な敬語に違和感しか覚えないな。アヒムさんの部屋での言葉使いと違い過ぎるだろ。そんなにサプライズの話をするのが嫌なのか?
「マルコとキッカはサラが居なくても大丈夫か? なんだったら俺かジーナの部屋で一緒でもいいぞ?」
サラが頼りになるから、マルコとキッカを任せっきりにしていたけど、マルコとキッカの2人だけだと、ちょっと心配だ。
「おれはだいじょうぶだぞ」
「キッカはちょっとさみしい」
マルコは強がり、キッカは素直に心境を吐露した。スラムの時から助け合って生きてきたんだ。サラと別れることになったら、マルコとキッカも寂しがるだろうな。とはいえ、サラを肉親から引き離すのもしのびない。
……しょうがない。俺がマルコとキッカと一緒の部屋で寝て、寂しさをまぎらわせてやるか。師匠として、弟子の精神的なケアは重要な役割だ。
「じゃあ、今日はあたしと一緒に寝るか。師匠、いいよな?」
「えっ? ああ……うん。頼むね」
一足先にジーナにいいところを持っていかれてしまった。わーい、ジーナおねえちゃんといっしょーっと喜んでいるキッカに向かって、いや、俺が一緒に寝るとは、とても言えないよね。ちょっと、さびしいかも。
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