四百十五話 お店
かなり大きめの黒歴史を力技でなかったことにしたあと、開店したバーと飲み屋を視察することにした。まずはなんとなく安心できる気がする森の上級精霊、ブランチさんの飲み屋から視察しよう。
あっ、ちゃんと看板をつけているんだな。飲み屋の名前は『ほろ酔いの森』か……なんだかマイナスイオンとかが凄そうで、とても癒されそうな気がする。まあ、この世界の森でほろ酔いだと、癒される前に魔物に襲われそうだけどな。
扉を開けて中に入ると……うん、予想通りと言えば予想通りだ。楽園食堂と同じく、木の形を変形させた家具と、壁を覆う植物達。テーブルの間には背の低い植物が生い茂り、ついたてのようになっている。床は土が敷かれているようで、柔らかな芝生まで生えている。
半個室で植物に囲まれた飲み屋か……植物が好きな人なら、かなり癒されそうな空間だ。ただ、これなら外で飲めばいいんじゃって、ちょっとだけ思う。
まあ、そんなことを気にしているのは俺だけのようで、店内のお客さん達はグラスを傾けつつ、穏やかにお酒を楽しんでいるようだ。
「あら、裕太さん。いらっしゃいませ。席は空いていますけど、飲んでいかれますか?」
店内をキョロキョロしていると、メイドさんなドリーが話しかけてきた。なるほど、森の大精霊のドリーがお手伝いをするなら、当然この飲み屋になるよね。
植物に囲まれた場所にメイドさんってのもミスマッチな気がするけど、森にピクニックに来ていると思えば、悪くないかもしれない。
「いや、他のお店も回るから、飲むのは遠慮しておくよ。それで、お店はどんな感じ? 困ったことはない?」
「このお店に来ているのは比較的穏やかな精霊が多いですから、今のところ特に困ったことは起きていませんね」
「そうなんだ」
ドリーの言葉に、改めて店内を見渡してみると、たしかに穏やかな雰囲気だ。おっ、奥で飲んでいるのはライト様とアース様だ。
アース様はともかく、ライト様はこの店に完璧にマッチしているな。もはや森の中でリラックスしている玉兎にしか見えない。
本来なら挨拶するべきだけど、今回は色々あったから精霊王様方に挨拶するのは遠慮しておこう。せっかくゆっくり飲んでいるのに、俺が邪魔をしたら悪いよね。
「じゃあ問題なさそうだし、俺は次のお店に行くよ」
ブランチさんも忙しそうだし、こちらも話すのはお店が落ち着いてからだな。しかし、この店には比較的穏やかな精霊が集まっているってことは、他のお店には比較的穏やかじゃない精霊が集まっているってこと? なんだかちょっと他のお店に行くのが不安になってきた。
「分かりました。あまり無理をしないでくださいね」
無理をするなって……いや、深く考えるな。深く考えると封印した何かが溢れてしまう。楽しいことだけ考えろ。
「うん。またあとでね」
メイド姿のドリーを目に焼き付けて、ほろ酔いの森を出る。よく考えたらシルフィ達のメイド服姿って貴重だよな。あとで時間をもらって、写真を撮らせてもらおう。シルフィ達のメイド服姿なら、スマホの電池を消費する価値はあるはずだ。ちょっとやる気が出たので、次のヒートさんの飲み屋に向かう。
お店の看板には『灼熱の宴』と書いてある。もう、名前だけで暑そうだ。そして、まだ店の外なのに騒がしい声がここまで響いてくる。予想はしていたけど、比較的穏やかでない精霊はこの店に集まっているらしい。
「おっ、裕太。来たのか。まあ飲め!」
灼熱の宴に入ると、速攻でイフからエールのジョッキを押し付けられた。まあ、イフは火の大精霊なんだから、ここに手伝いに来ているのは予想していた。ただ、お客と一緒にお酒を飲んで盛り上がっているのはどうかと思う。
ちょっと粗暴な褐色美人の飲酒メイド。属性が多過ぎる気もするが、俺的には有りだ。
「見回りの途中だから、1杯だけもらうね」
「しょうがねえな。ほら、せめて景気よく飲めよ」
景気よくってことは、一気ってことなんだろうな。現代日本ではアルハラと言われそうだが、ここは異世界。そんなの関係ないんだろう。
イフから渡されたジョッキを一気していると、周囲のお客の声が聞こえる。あれって女王なのか? とエールを噴きだしてしまいそうな言葉が聞こえるが、俺にはなんのことか分からない。ただ、このお店の客はデリカシーが足りないように思えるな。
「ふー、ご馳走様。それでイフ、何か困ったことは起きてない?」
「ん? 困ったことか? そうだな、酒が足りなくなったらどうしたらいい?」
「店じまいをしてください。あと、イフはお手伝いなんだから、あんまり飲んだら駄目だよ」
「おう、分かってる。おっと、注文が入った。またあとでな」
……たぶん分かってないな。まあ、この雰囲気だと、一緒に飲まないのも盛り下がりそうな感じだし、しょうがないか。
イフが注文を取りにいった後に店内を見回す。ちょっと意外だけど、火が灯されている場所が多いくらいで普通の居酒屋っぽい店だ。不安に思っていたけど、どちらかというと『ほろ酔いの森』の方が店としては異常だな。
ここにいる精霊達は大声で騒ぎながら、お酒をグイグイと飲むスタイルのようで、至る所で乾杯が繰り返されていて、まるで大学生の飲み会みたいだ。ウインド様とファイア様も楽しそうにはしゃいでいるし、ここは問題ないみたいだな。
ブラックさんのお店の次にこのお店が危険な気がしていたけど、杞憂だったらしい。問題がないようだし、ヒートさんとの挨拶も落ち着いてからにして、次に行こう。
グレイシャーさんのお店は『氷河の一滴』か……なんか日本にも似たような名前のお酒があった気が……これはセーフなのか? まあ、ここは異世界だし、一文字違っていれば大丈夫だろう。
「あらー、裕太ちゃん。お姉ちゃんに会いにきてくれたのー?」
ドアを開けると、メイド服のディーネが出迎えてくれた。うん、なんというか、メイド服が一番似合うのはディーネだな。特に何が凄いとは言わないが、破壊力がハンパない。
「今回は新しいお店の見回りで来たんだ。お店はどんな感じ?」
「お店? そうねー……楽しいわー」
すっごくフワフワした答えが返ってきた。あんまり深く考えずにお店を手伝っていたんだろうな。まあ、お手伝いなんだし、深く考える必要もないか。
「それならよかったよ。じゃあ、ちょっとお店の中を見せてもらうね」
「分かったわー。お姉ちゃんの素敵なところを沢山見ててねー」
ムフンとやる気を出したディーネが、再びお手伝いに戻っていった。やる気を出すのはいい事なんだけど、ディーネを見に来た訳じゃないんだよね。まあ、眼福だから見るけど……。
のんびりとしたディーネが、のんびりと注文を取っているようにしか見えない。でも、なんだかお店はいい感じに回っているようだ。のんびりでポヤポヤな雰囲気が、酒場にはピッタリなのかな? ディーネの意外な才能を見つけてしまった。
おっと、俺はお店の様子を見に来たんだから、ディーネばかりを見ていたら駄目だな。えーっと、ふむ、さすが氷の上級精霊のお店って感じだな。
まず、面白いのが氷の彫刻。ノモスが見たら羨ましがるような、芸術的センスに溢れた彫刻がさりげなく置かれている。ドラゴン、虎、鳳凰っぽい鳥、そしてディーネの氷の彫像。……えっ? ディーネの彫像?
……メイドのディーネが素晴らしく完璧に表現されているが、他の彫刻と明らかに系統が違いすぎるんですけど。
まあ、なんでディーネの氷の彫像があるのかは簡単だな。十中八九、ディーネが、お姉ちゃんの彫像があったら素敵だと思うわーっておねだりしたんだろう。感心したところで落としてくるのがディーネのクオリティなんだな。あとでグレイシャーさんに謝ろう。
ふう、とりあえず謝るのは次の機会にして、視察の続きだ。おっ、この店にはウォータ様が来ているのか。カウンターに座って、のんびりお酒をたしなんでいる雰囲気が、とても上品で羨ましい。
それに、結構リラックスして見える。氷と水は系統が近いから、なんとなく落ち着くのかもしれない。それなら今後、酒島には様々な属性専門の飲み屋ができそうだな。
ん? おお、あれってコースターが氷になっているのか。エールが温くならないための仕掛けなんだろうけど、かなり細やかな心配りで、俺的にはかなりの好ポイントだ。
惜しむらくは、精霊達の飲むペースが早くて、氷のコースターの真価が発揮されていなさそうなところだな。深窓の令嬢のようなドリーでさえ、飲むペースはかなり早いし、精霊達相手に真価を発揮する時が来るのかが、少しだけ疑問だ。
でもまあ、あれだ、氷の彫刻の効果か、グレイシャーさんが冷気を操っているのかは分からないけど、適度に空気がヒンヤリしていて、今までの中で一番飲みに来たいお店に思える。快適空間だな。
ふむ、だいたいお店の様子を確認したけど、特に問題はないようだ。忙しそうなグレイシャーさんへの挨拶は、前の2軒と同じく後回しにするとして、ディーネにあとでメイド姿を写真に撮らせてもらうように頼んで店をでるか。
さて、今までの飲み屋は、俺が想像していた以上にまともだった。若干、外と変わらないんじゃって飲み屋もあったが、あれはあれで需要があるようなのでOKだ。
そして、今から一番嫌な予感がするバーを視察するんだけど、看板の時点で勘違い臭がプンプンして帰りたくなってくる。オニキスが間接照明を調整していた時は、何気によさそうな感じだったんだけど、ブラックさんがなぁ……。
『BAR・王家のおもてなし。お酒の真髄を添えて……』
なんでバーの名前が一流料理店のメニューっぽい名前なんだろうとか、三点リーダーを使いこなしているねとか、王家のもてなしの意味は、お城を観察してきたからなんだろうなとか、お酒の真髄ってなんだろうねとか、色々と頭に浮かんで困る店名だな。
読んでくださってありがとうございます。