四百十四話 なかったことに……
「……死のう」
「ちょ、ちょっと裕太。暗い顔をして怖いことを呟かないでよ。あれくらいのことで命を捨てないで!」
シルフィはあれくらいの事っていうけど、俺の人生に結構な爆弾が追加されたんだよ? 女王様の格好をして、おほほほほっとか言っていたんだよ?
なんか気持ちよくなっちゃっていたけど、無理やり着替えさせられて正気に戻ると、もうあれだよ? 心の中で整理しきれない黒い物が、暴れまくっているよ?
「だいたい死んじゃったらベル達のことはどうするの? まだ幼いあの子達の精神に傷を残すことになるわよ」
真面目な表情で真っ当なことを言っているけど、そのシルフィが俺の精神に消えない傷を残した原因な気がするんだけど、気のせいだったっけ?
とはいえ、ベル達を引き合いに出されてしまったら、死ぬとか言っていられない。世の中には、生きたくても生きられない人もいるんだ。簡単に死ぬとか口に出したら駄目だよね。
そう、女装してのロールプレイくらい、たいした黒歴史じゃない。日本ならハロウィンとかで女装している人も沢山いるし、全然普通だ。なんか勢いで脱いじゃって警察にお世話になった人とかもいるんだし、それに比べたらまだマシなはずだ。
……ふぅ。自分よりも下を探すと心が落ち着くのは、自分の品性が下劣なせいなのか、人間の業が深いのか、どっちなんだろう?
「裕太?」
あぁ、考えこんじゃっていたな。こんなくだらない事で、いつまでもシルフィに心配を掛ける訳にはいかないな。
「ごめんシルフィ。落ち着いたし、もう死ぬとか言わないよ」
「そう。そうよね。うん、良かったわ。えーっと、本当にごめんね裕太。私、ちょっと調子に乗っちゃったの」
ちょっとホッとした顔のシルフィ。責任は感じてくれていたようだ。
「うん、もう大丈夫だから気にしないで。それで相談なんだけど、精霊達の記憶を消す方法ってない? 精神なら闇の精霊に頼めばなんとかなったりするかな?」
この忌まわしい出来事をなかったことにできるのなら、今からでも精霊契約をお願いしたい。
「裕太、落ち着いたんじゃなかったの?」
「落ち着いたのは落ち着いたんだけど、消せるものなら消したいんだ」
「……たしかに闇の精霊なら記憶を消したりすることはできるけど、精神や記憶は繊細だから簡単には手を出せないわ。それに、酒島に集まっていた精霊は、精霊王様や大精霊、上級精霊なの。なんとかできるとしたらダーク様くらいね」
ダーク様との契約とか、むしろご褒美なんですけど。
「ダーク様と契約ってできる?」
「精霊王様なのよ。無理に決まっているじゃない。それに、たとえ契約できたとしても、ダーク様の記憶には残るわよ?」
……ダーク様の記憶こそ消してほしいのに。それに、俺の女装の記憶を消すために精霊王様達の記憶をいじるのは無理か。
最終手段として自分の記憶を消すか? 泥酔して大恥を晒しても、そのことを覚えていなければ平穏に生活できる気がする。
日本でなら抱えて生きていくしかなかったが、この世界ならではの解決方法だな。いっそのこと、心の奥底に封印している黒歴史すべてを、サッパリと消去してもらうのもいいかもしれない。
「裕太。今、変なことを考えているでしょ。無理なことをすると、余計に被害が大きくなるからあきらめなさい」
完全に心を読まれている。たしかに下手なことをすると、傷口が広がることが往々にしてあるが、そんなに簡単にあきらめられないと分かってほしい。
でも……黒歴史が経験の一部になっていることも事実なんだよな。綺麗サッパリ黒歴史を消去できたとして、この世界で再び忘れてしまった黒歴史を積み上げてしまったら……地獄だな。
「裕太、そんなに悩んでないで、さっさと片付けた方がいいわよ。ベル達は酒島には近づかないでしょうけど、この家には戻ってくる可能性はあるのよ?」
なんですと? ……部屋を見渡すと、無理やり脱がされたドレスやハイヒール、装飾品が散らばっている。この状況を見られるのって、エロ本がみつかるよりも恥ずかしいんじゃないか?
あわてて散らばっている女王様装備を拾い集め、魔法の鞄に収納する。だいたい、この女王様装備が悪いんだよ。
女王様装備なんだから、女王様以外に装備できないようにしてくれていたら俺が装備することなんてなかった。せめて女性限定装備だよね? それなのに自動サイズ調整? なんで男のボディラインにまでピッタリ対応できるんだよ。次に迷宮のコアに会った時には、そこら辺のことも含めてしっかりとお話ししよう。
「片付けも終わったし、そろそろ酒島に戻るわよ」
「えっ? 戻るの?」
シルフィは鬼なのですか? 大怪我した場所にどの面をさげて戻れと? この場合は、部屋にこもって数日出てこなくても許されるレベルだよね?
「あたりまえでしょ。精霊王様達も待ってくれているんだもの」
俺は許されると思っていたけど、どうやら許されないらしい。
「精霊王様達が待っているって言っているでしょ。なんでソファーに座ろうとしているのよ」
あっ、ちょっと引っ張らないで。せめてベル達と戯れてから戻りたい。癒しが必要なんです。
***
「みなさん、お待たせして申し訳ありません。では、飲み屋とバーの店開きをしましょうか」
「あー……うん、そうだね。じゃあ始めようか。何かセレモニー的なことをするのかな?」
さすが風の精霊王様。空気を完璧に読んでくれた。ここで無粋なツッコミが入ったら、もうお家に帰るところだ。
「セレモニー的なことは考えてないよ。アルバードさんから酒島のルールを説明してもらって、そのあとは自由に好きなお店で飲む感じだね」
最初はスピーチとか催し物をしようかとも思ったけど、精霊達の目の前にお酒をぶらさげて、長々とじらしプレイをするほど命知らずじゃない。
「それならもうアルバードから説明は聞いたよ」
俺がいない間にそこら辺のことは済ませてくれたらしい。さすがアルバードさん、有能だな。じゃあ開店宣言をして、あとは自由にやってもらうか。
「では、お酒も飲みたいでしょうし、サクッと開店しましょうか」
「うん。みんな楽しみにしているから、そうしてくれたら助かるよ」
やっぱり早く飲みたいんだな。
「分かりました。……みなさーん、今日は来てくださってありがとうございます。ルールを守って、後は自由にお楽しみください。では、開店です!」
俺の簡単な言葉に、集まっていた50程の精霊がゾロゾロと綺麗な列になってお店に入っていく。俺がいない間にルールの説明だけじゃなくて、どのお店に入るかも決めていたっぽい。
「ね、ねえ、裕太ちゃん。もう平気なの?」
お店に入ってく精霊達を見送っていると、おそるおそると言った感じでディーネが聞いてきた。ディーネの背後で、契約している大精霊達が心配そうに俺を見ている。まるで腫物に触るような扱いだ。でも大丈夫。シルフィに無理矢理連れてこられている間に、急いで手は打った。対策は万全だ。
「平気って? 何か心配を掛けるようなことでもあったっけ?」
(シ、シルフィちゃん。裕太ちゃん、どうしちゃったのー? お姉ちゃん、なんだか怖いわー)
俺の返事に、ディーネがシルフィにすがりついた。シルフィ。シルフィなら俺の真意を読み取ってくれていると信じているよ。まあ、ほぼダイレクトに伝えたようなものだし、俺を追い込みたいとでも思わない限り大丈夫。優しい精霊達が相手なら、十分に勝算がある勝負だ。
(ここに戻ってくる途中で、突然何もなかったって叫びだしたのよ。間違いなくそれが関係しているわね)
(……ようするに、すべてをなかったことにしたいんじゃな)
(なんか情けねえな)
(でも、それが一番いい選択かもしれません)
(うん。僕もドリーの言う通りだと思う。あんまり気を使っても変な雰囲気になるし、何もなかったことにして、裕太の精神を安定させた方がいいよ)
(……分かったわ。じゃあ何もなかった。それで通しましょう)
小声での相談が終わったシルフィ達がこちらを向いた。微妙に声が聞こえていたから、俺は安心している。
「裕太。ノモスは醸造所との連携。ヴィータは手が足りないところの手助け。残りの私達はそれぞれに分かれてお店の手伝いでいいのよね?」
俺、勝利! 日本の友人達なら、嬉々として傷口に塩を塗り込みにきた状況。俺だって当事者じゃなかったら特盛の塩を用意するもん。……精霊達の優しさにはいつも救われるな。
「うん。それでお願い。俺はバーと飲み屋を見回りするね」
あとは今回の出来事を心の奥底に強固に封印して、たとえ女装の話題を振られたとしても知らぬ存ぜぬを貫けば、表面上は平穏な生活が送れるはずだ。
そそくさと去っていく契約精霊達を見送り、俺は1人になった。もう家に戻ってベル達と戯れたいが、楽園の責任者として見回りくらいはしておこう。
しかし、こうして見ると酒島は植物も生えていないし、寂しく感じるな。結構広い酒島にお店が4軒だけだからしょうがないんだけど、ここからどう変わっていくのか想像がし辛い。
飲み屋が増えるのは間違いないだろうけど、なにか拘りを持っている女性の精霊もいるらしいし、人型以外の精霊達のお店も作りたいらしい。開発計画をしっかりしないと、混沌とした空間が出来上がりそうだな。
……お酒を飲む場所なんだし、少しくらい混沌としている方が面白い気もするけど、精霊はやるとなったら派手なイメージがあるし、見回りはしっかりした方がよさそうだな。
まずは今回の見回りをしっかりと務めよう。さて、どのお店から見に行くかなんだけど、ブラックさんのバーはなんだか怖いから最後だよな。
氷の精霊のグレイシャーさんは性格が読めないし、火の精霊のヒートさんのお店は暑そうだ。……最初は森の精霊のブランチさんのお店がいい気がする。森の精霊ってだけで安心感があるのが不思議だ。
読んでくださってありがとうございます。




