三百九十八話 トルクさんの相談
なぜか心にダメージを負うことになったが、なんとか若返り草をマリーさんに卸し、今回の迷宮都市訪問でやりたいことは全部終わった。これで滞在期間中はのんびりできると思っていたら、トルクさんの呼び出しを受けた。トルクさんに限って、俺に面倒ごとを持ち込んだりしないよね?
「おいしいのつくるー」「キュキュー」「たのしみ」「クゥーー」「くうぜ!」「……」
(み、みんな、あのね、新しい料理を作るって決まっている訳じゃないからね?)
トルクさんに呼ばれたので、朝食の時間が終わって、ある程度忙しくない時間を狙って宿に向かっているんだけど、ベル達のテンションが高いのが怖い。
話し合いになるだろうから、外で遊んでおいでって言ったんだけど、ベル達の中ではトルクさんに呼ばれた=美味しい料理ってことになったらしく、ついてきてしまった。
相談って言ってたから、料理に関することだろうけど、新メニューが出てくるかは疑問だ。
(シルフィ、料理が出てこなかったらガッカリするかな?)
「間違いなくガッカリするわね。まあ、これも経験よ。それに、元から料理を見せてもらってもすぐに食べられないのは分かっているんだから、少ししょんぼりするくらいよ」
フレアは食べる気満々のようだけどね。あと、ベル達のしょんぼり顔とか、想像するだけで心にダメージが……。
「ああ、裕太、よく来たね。旦那が待ってるよ!」
宿に入ったとたん、マーサさんの元気な声に出迎えられた。なんか気力が充実しているって感じだな。ヴィータの治療の効果か。
「こんにちは。なんだか元気そうですね」
「ああ、そうなんだよ。最近疲れが抜けなくて、もう歳だねって思ってたんだけど、まだまだ若かったようだよ。あはは」
カルク君も疲れていたから、歳とは関係なくハードワークだっただけだと思うな。いや、俺のイメージでは、マーサさんはどんな状況でも笑いながら切り抜けそうな人だ。そのマーサさんが、疲れが抜けないってことはやっぱり歳なのかな?
「なんだい変な顔して。どうしたんだい?」
変な顔をした覚えはないんですが……。まあ、幾つになっても女性に歳の話はタブーらしいから、この話題を続けるのは止めておこう。
「いえ、なんでもないです。それよりも、相談があるって聞いたんですが?」
「ああ、そうだったね。ちょっと待っとくれ。あんたー、裕太が来たよー」
マーサさんが厨房に呼びかけると、ドスドスと足を音をたてながらトルクさんが出てきた。その背後からジーナとサラが顔を覗かせ、手を振っている。あの2人もいい感じでお手伝いしているようだな。
「裕太、よく来てくれた。こっちで話そう。マーサ、お茶を入れてくれ」
「あっ、はい」
やってきた早々、トルクさんに引っ張られて食堂の奥のテーブルに連れていかれた。表情は深刻でもないし、そこまで難しい話ではなさそうだな。
トルクさんの対面の椅子に座ると、お茶を入れたマーサさんもやってきて、トルクさんの隣に座った。ん? トルクさんだけの相談じゃなくて、マーサさんも関係があるのか。そうなると、料理はあんまり関係なさそうだな。
トルクさんとマーサさんの周りで、ワクワクしながら浮いているベル達はまったく気がついてないみたいだけど……。
「えーっと、それで相談ってなんですか?」
「ああ、前に宿を大きくしたいって話したのを覚えているか?」
「はい。たしか、支店を増やすのではなく、宿を拡張したいって話でしたよね?」
「そうだ。それでな、前から隣の爺さんに店を買わないかって言われていてな。忙しいから話を先延ばしにしていたんだが、そろそろ決断しないといけないんだ。ちょうどマーサやカルクの体調もよくなったし、いっそのこと、買っちまうかって話になってな」
……体調がよくなったから気分も上向いて、隣を買おうって気分になったってことだよな? 変なところでヴィータを派遣した影響が出てしまった。それにしても、この宿屋の隣ってお店だったのか。お店が潰れたのか、爺さんって言ってたし後継者がいなかったのかな?
「あの、体調がよくなったとしても、忙しさが緩和した訳ではないですよね。これ以上仕事を増やしたら、本気で体を壊しますよ」
ヴィータの治療だって、俺が迷宮都市に居る時しかできないんだから、長期間迷宮都市にこなかったら過労死するんじゃないか?
体調がよくなったのは、俺が治療したからだって素直に言った方がいいのかな? でも、ただでさえ義理堅い人達なのに、そんなことを言ったら、また恩返しだなんだって話になって大変そうなんだよな。
「ああ、その点はもちろん考えている。商業ギルドだけじゃなくて、料理ギルドにも話を通して、厨房にも人を入れるつもりだ。人選は大変だが、隣を買い取って改築するのにも時間がかかる。まあ、大丈夫だろう」
この前、マーサさんが商業ギルドに怒鳴り込んだらしいし、人が増えるのなら大丈夫かな?
「それならよかったです。でも、厨房に人を増やすなんてトルクさんらしくない気もしますね。料理は全部自分で作りたいんだと思ってましたけど?」
「そうそう、その通りだ。そこで相談なんだよ」
「どういうことですか?」
「実は、自分がどれだけ料理をするかや、設備を含めてどんな宿に改築するかで悩んでいてな。それで裕太なら面白い方法を知ってるかと思って、話を聞きたいんだ」
おおう、ものすごい期待の眼差しが。急にそんなことを言われても困るんだけど……。
「あんた、落ち着きな。いいかい、宿屋を大きくするなんて簡単なことじゃないんだ。勢いで決めるのは駄目だからね。あと、厨房の増設は仕方がないにしても、高価な魔道具を買いそろえるなんて話は、簡単には許さないからね」
「わ、分かってるぞ」
……なんでマーサさんがトルクさんの隣に座っているのかが分かった。トルクさんの暴走を抑えるためだったんだな。たしかにトルクさんだけだと、厨房の設備だけでものすごい高額になりそうだ。あっ、ベル達がしょんぼりしている。
「ほら、今日は宿の改築の話だから、料理は出てこないわ。遊びに行ってらっしゃい」
「はーい」「キュー」「ざんねん」「クゥ」「うらぎりだぜ!」「……」
シルフィが気を利かせて、ベル達を遊びに行かせてくれた。助かる。でもフレア、別にだれも裏切ってないからね。
まあ、ベル達も遊びに行ったし、とりあえず、トルクさんとマーサさんの話を詳しく聞いてみるか。
***
・どうせ改築するなら、すごい厨房がほしい。
・宿の動線を効率的にしたい。
・最近、牛乳を使った料理ばかりを注文されて、他の料理がなかなか作れない。
・思いっきり拘って料理がしたい。
・新しい料理を研究する時間がほしい。
・おんなじ料理ばかりを作るのに飽きた。
うーん、トルクさんとマーサさんの話をまとめるとこんな感じか。後半はほとんどトルクさんの愚痴だったな。牛乳を使った料理が流行った影響で、そればかりを作るのが嫌になったらしい。
元々、そんなにメニューは豊富じゃなかったはずなんだけど、新しい料理を色々知っちゃったことで、料理魂に火が付いちゃったのかな? まあ、知ってしまうと、知らなかった頃には満足できていたことでも、満足できなくなることがあるもんね。
とはいえ、どうすればって感じだな。宿屋内の動線は完全に管轄外なので、大工さんに相談してもらうしかない。すごい厨房に関しては、マーサさんを頑張って説得してくださいとしか言えないな。
なら、いろんな種類の料理をお客さんに食べてもらう方法を考えればいいってことか?
いろんな料理ってことならバイキングが思い浮かぶけど、あれは食品を廃棄する量が増えるらしいから、ちょっと難しいよな。フードコートは……沢山のお店があるから楽しいイメージだから、ちょっと違う。
んー、日替わり定食はどうだ? これならその日作りたい料理を日替わりにすれば……牛乳を使った料理が人気でわざわざ食べにきているんだから、日替わりを頼まない気がする。あっ、牛乳を使った料理ってのは解決できないけど、一つ思いついた。
「トルクさん、食堂が大きくなるのなら、いくつか個室を作るのはどうですか?」
「個室? 別に作れないことはないが、宿に泊まっているなら部屋で食べればいいし、必要か?」
「食事をするための個室なら、先にある程度食事に必要な物を備え付けられるので、手間は減ると思います。それで、個室を予約制にするんです」
全然ピンときていないようだ。とりあえず、もっと詳しく説明しよう。
「なるほど、ちょっと贅沢な料理を食べさせる個室と、5人くらいで宴会ができる部屋を作るのか。贅沢な料理なら趣向を凝らせるし、宴会料理なら沢山の種類の料理を作れるって訳だな」
「はい。冒険者は当たると大きいですし、お金を持っている人も結構いますから、面白いと思いますよ。予約の時に予算を聞いて、それに合わせて料理をするのもいいかもしれませんね。手間はかかりますが、思いっきり料理にお金を掛けられるかもしれません」
まあ、普通なら高級なお店に行くかもしれないけど、トルクさんの宿屋は料理が大人気だ。個室があればお金持ちも結構来店しそうな気がする。あと、俺も利用すると思う。部屋に沢山の料理を運んでもらうのって、結構気まずいんだよな。
「それは、面白そうだな!」
トルクさんがワクワクした表情をして……いる? たぶんワクワクしているんだと思うけど、顔が怖くてだれかを脅迫しているようにしか見えない。
「ですが、個室の料理に時間を取られる分、食堂が大変になります。個室を作るなら、食堂の料理をある程度任せられる料理人が必要です。予約の受付や、値段交渉、手間も人員も増やさないと宿が回らなくなります。その点をよくマーサさんと相談して決めてください。なんだったら、商業ギルドや料理ギルドに相談するのもいいかもしれませんね」
素人の俺が考えたことなんて、穴があるに決まっている。勢いで個室を作って、店が回らなくなって潰れたら洒落にならん。
「マーサ、どう思う?」
「ふぅ、顔にやりたいって書いてあるね。でも、裕太が言った通り、人をどのくらい雇えばいいのかすら分からないことだよ。あんたがやりたいなら、あたしも協力するけど、ギルドに相談して、上手くいきそうならってのが最低条件だね」
「おう! ちょっと商業ギルドに行ってくる!」
「昼の仕込みも終わってないのに、ここで仕事を放りだすのなら、この話はなかったことにするよ」
トルクさんがピタリと止まった。前に炭の話をしたときは、トルクさんの自由にさせていたけど、今回は無理だったか。それだけ忙しいんだろうな。
でも、ちゃんとマーサさんのコントロールが利いているなら、宿が大きくなっても安心な気がするな。
とりあえず、深刻な相談でもなかったし、俺もそろそろお暇しようか。残りの迷宮都市滞在時間はのんびりしよう。あっ、楽園に持って帰る料理を頼んでおかないとな。忙しいのに申し訳ないが、これで人気料理以外も作れるだろうから、少しはストレス発散になるだろう。
読んでくださってありがとうございます。