三百六話 抗争
素晴らしい夜を過ごし、楽園で待っているみんなにもお土産を買った。予想以上に疲れてオープンテラスで紅茶を飲んでいると、隣のテーブルで警備兵が紅茶を飲みながら不穏な噂を話している。
疲れているし、面倒だから聞かなかった事にするか? ……うーん、ウナギの事もあるし、一応治療した人達だ。様子くらいは確認……確認しに行ったら巻き込まれるんだろうな。でも、無視をしたらしたで気になる。
「すみません、今の話が聞こえちゃったんですけど、詳しく教えてもらえませんか?」
「ん? 今の話ってスラムの抗争の話か? スラムの住人には見えないが、何で興味があるんだ?」
警備兵が少し警戒気味に聞いてくる。スラムの話を聞くだけで警戒されるの?
「スラムの子供達に仕事をお願いしてあるんですよ。もちろん違法な仕事じゃありませんよ。賃金を支払う正式な仕事です」
「スラムの子供達に任せる正式な仕事? まさか賃金を値切り倒して奴隷のようにこき使っているんじゃあるまいな」
ちゃんと話したのに、さらに警戒度が上がってしまった。
「まさか、そんな事しませんよ。ウナギが必要なので、スラムの子達に売ってもらう約束をしているんです」
「……ふむ、ウソを言っているわけではないようだな。何に使うか分からんが、俺達を騙したいのなら、ウナギを手に入れるなど、バカな事を言わんだろう」
……ウナギの評価の低さに涙が出そうだ。美味しい食べ方が分かったとしても、すぐには人気が出そうにないな。
「とりあえず、概要だけでも教えてもらえませんか?」
「……まあいいだろう。スラムには二つの派閥があってな、一つは穏健派と言ってもいいブラストという人物が率いる自警団に近い組織。もう一つは金のためなら何でもやる、ネッロと言うやつが率いる下種な集団。
そのネッロ率いる下種どもがブラストに襲いかかったそうだ。ブラストは体調が悪いらしいからな。いよいよスラムを手中に収めるつもりなんだろう。迷惑な話だ」
ブラストさん達が穏健派? 俺、金品を強奪されそうになったよ? それに……治療が終わってからすぐに殴り込みをかけようとしていたけどな。それで穏健派って……まあ、そのネッロって奴に比べたら穏健派って事なんだろう。
「いや、なぜか昨日、神のような凄腕の神官がスラムの住人を全員癒したって聞いたぜ。しかもタダで。それでブラストまで癒されたら面倒だってんで、死ぬまで待っていたのをやめて、急遽襲撃に方向転換したって噂もあるぞ」
「はは、バカな噂を信じるなよ。スラムの住人が何人いると思ってるんだ。いくら凄腕の神官だろうと、全員の治療なんて無理な話だ。そもそもわざわざ金がないスラムの連中を治療する神官なんている訳ないだろう」
「あはは、だよな。そんな奇特な神官がいる訳ねえよな」
笑い合う警備兵の二人。神官の評価も低いみたいだな。治療に関する魔術を独占しているらしいから、傲慢な経営をしている気がする。独占は美味しいからか増長するのも分からないでもない。
それにしても、ジュードさん、素早い行動ありがとうございます。約束通り噂を流してくれたんだな……あれ? もしかして今回の抗争の切っ掛けって俺? ……ま、まああれだ、元々主義が違うんだし、いずれは抗争になってたんだ。俺に責任はない。
「えーっと、話を聞いていて思ったんですが、警備隊は介入しないんですか? どう考えてもネッロって人が勝ったら犯罪が増えそうなんですけど」
「まあ、そうだな。何も知らない奴はそう考えるよな。俺達もできればブラストに勝ってほしい。そのために介入するのも悪くない話に思える。場所がスラムじゃなかったらな。あの場所に警備隊が迂闊に介入すると、脛に傷を持つ奴らを刺激して、騒ぎが大きくなるんだ。だから、今の警備隊の仕事はスラムの監視。やけになったバカどもが、スラムから出て暴れないようにする事なのさ」
「なるほど、そういう事でしたか」
要するに、警備隊なんかがスラムに入ると、今度は警備隊とスラムの抗争が始まりかねないって事か。
「ああ、そう言う訳だから、今はスラムに近づかない方がいいぞ。荒れてるからな」
「分かりました。ありがとうございます」
情報のお礼にこの店の代金は俺が支払うと言ったが、賄賂になるからと断られてしまった。何気に倫理観が高いらしい。お礼だけ言って自分のテーブルに戻る。
迂闊に体制側から介入できないようになってるんだな。……それで、俺はどうしたらいいんだ? 抗争中のスラムにわざわざ様子を見にいくのか? そうなると、暗殺者みたいなやつもいるみたいだし、シルフィの力を借りないと不安がある。
一人旅に出て、二日連続でシルフィ召喚って情けない気がするんだけど、一人で様子を見にいって、うっかり死亡するのが一番恥ずかしい。行くならシルフィを呼ぶ。行かないならこのままブラストさんの勝利を願ってまったり待機……どっちがいいんだ?
…………ちくしょう。微妙に気になる。スラムの住人がどうなろうが、知ったこっちゃないはずなんだけど、仕事を頼んだ子供達が巻き込まれてたりしたら、ウナギを受け取りに行った時に寝覚めが悪いんだよな。
……俺ってこんなに他人が気になるタイプだったっけ? どちらかというと自分の身が第一で、危険にはできるだけ近寄らない性格だったはずなんだが。もしかして、ベル達やジーナ達との交流で、心が綺麗になったんだろうか?
……いや、ないな。今、一番の不安点は、スラムに様子を見にいって、ベリルの宝石に行けなくなったらどうしようってのが心を占めている。心が綺麗になった奴なら、スラムの人達の安否が第一に気になるはずだ。なんかホッとした。
まあ、ウナギを頼んだ子供達が気になるのも事実だし、シルフィを召喚して確認にいくか。紅茶の代金を支払い、警備兵に頭を下げてスラムに移動する。
スラムに面した通りに行くと、たしかに警備兵の人数が多い。でも、意外と緊張感がない。一応巡回はしているものの、おしゃべりをしたりと、ピリピリしていない。喫茶店の警備兵が言ってたように、スラムのもめ事はスラムでって事なんだろう。まるで違う世界のような扱いだ。
巡回しているのも万が一に備えてって事らしい。それでももう少し、真面目にやったほうがいいんじゃなかろうか。まあいいか。厳重に警戒されてたら、俺がスラムに入る事すら大変そうだからな。さて、シルフィを召喚して、俺もスラムに入るか。
「どうしたの?」
召喚したシルフィに今の状況を説明する。
(というわけなんだ。抗争に加わる気もないんだけど、状況も知りたいから力を貸してね)
「昨日の今日でもう争いになってるのね。おとなしく休むように裕太が言ってなかった?」
シルフィが呆れたように言う。そうだよね、ブラストさんって昨日まで死にかけてたもんね。
(うん、言ったよ。ブラストさんは約束に拘るタイプの人に見えたから、おそらく襲撃されたんだと思う)
「そう、まあ、裕太が気になるのなら手伝うわ」
あんまり興味がないみたいだ。シルフィが面白がる要素の中に人と人の抗争は入ってないんだろうな。反面、雑貨屋のマリーさんとかは面白がるし、楽しむ基準がよく分からない。
(助かるよ。そういえば楽園のみんなはどうしてる? 問題は起きてない?)
スラムに入ったら忙しくなっちゃうかもしれないし、楽園の様子を先にシルフィに聞いておこう。
(へー、じゃあみんな問題なく村にきた子達の面倒をみてくれてるんだ)
「ええ、ベル達も頑張ってるわよ。まあ、逆に遊びにきた中級精霊の子達に、面倒をみてもらっている気もしないでもないけど」
……あー、中級精霊の子達は、外見は子供だけどしっかりしているからな。メラルだって一生懸命考えてメルを守ろうとしてたし……。
(ねえシルフィ、そんな状況で中級精霊の子達は村を楽しめてるの? ちびっこ達の相手で疲れ切ってるんじゃ?)
「大丈夫よ。付き添いの大精霊や上級精霊が五人もいるんだもの。十分に楽しむ時間は確保しているわ」
それなら大丈夫か。せっかく楽園に遊びにきたのに、ちびっ子達の面倒ばかりだと可哀そうだもんな。しかし、ベル達もジーナ達もしっかり自分の役目を果たしているんだな。安心したと同時に少し寂しい。
(えーっと、シルフィ、ベル達やジーナ達は俺がいなくて寂しがってなかった?)
俺の質問にシルフィが微妙にニヤニヤした。表情の変化はほぼないが、俺には分かる。
「ふふ、裕太。もしかして自分がいないのに、ベル達やジーナ達が普通にしているのが寂しいの?」
(いや、あのね、俺はベル達の契約者で、ジーナ達の師匠なわけだから、責任と言うかなんというか……)
なんだろう。すごく恥ずかしい。たった一日しか離れていないのに、ダメージを受けているのは俺の方なのか?
「心配しなくてもいいわ。ベル達もジーナ達も、裕太の留守を自分達がしっかり守るんだって頑張ってるんだからね」
心が痛い。そんないい子達に頑張らせて、夜遊びをしている自分はなんなのでしょう? ……いや、しょうがないよな。俺だっておっさんに片足突っ込んでるとは言え、まだ若いんだ。綺麗なだけでは生きていけない。聖人君子じゃないんだから、欲望もたっぷりある。
そうだよな。我慢に我慢を重ねてもろくな事にはならない。だから、俺が遊びにきたのは間違ってない。間違ってないんだ。
(……うん、そうだよね。ありがとうシルフィ)
「裕太? どうしたの? なんか目が死んでるわよ。今の一瞬でなにがあったの?」
(なんでもないよ。それよりも、ここからブラストさんの家の状況がどうなってるか、調べられる?)
話を変えよう。この話題は俺の精神を傷つける。深く考えてこの旅行を楽しめなかったら、それはそれで、留守番をしてくれているみんなにも悪いからな。俺は精一杯楽しむんだ。
「分かったわ。……あら、ブラストの家、囲まれてるわね。ガラの悪い……どっちもガラが悪いから区別がつきにくいけど、状況的に籠城している感じかしら」
ブラストさんって、攻められたら籠るよりも反撃に出るタイプに見えたんだけど、何かあったのかな?
(負けそうなの?)
「そうね、どうも相手方に強い助っ人がいるみたいよ。見たところ冒険者崩れのパーティーってところかしら? 人間としては腕が立ちそうね」
元冒険者の犯罪者って感じか。そこら辺にいくらでも転がってそうな人材なんだけど、強いって事は元高ランクの冒険者パーティーなのかもしれない。なんか面倒そうだな。ブラストさんが勝ちそうだったら様子見だけで十分なんだけど、負けそうな場合は介入するべきか?
殴り込みに行くって言ってたし、復活したブラストさん側が優勢だと思ってたんだけど……この場合、俺はどう動くべきなんだ? 裏社会の抗争なんて関わりたくないが、……結局は関わるんだろうな。俺、意外と人情味があるし……。
読んでくださってありがとうございます。