二百九十五話 治療
ウナギを手に入れるためにスラムに突入したら、ヘラヘラしたおじさんとむさくるしい男達に囲まれた。大量の人間ミンチをこさえる事になりそうだったので、シルフィを召喚したら交渉に時間がかかり、お酒を飲んでいる途中だったシルフィの雰囲気が危険水域へ……急いで、ヘラヘラしたおじさん!
俺の内心を知らないヘラヘラしたおじさんに連れられて、スラムの奥に進んでいく。侵入者がむさくるしい集団に隔離された事が広まったのか、チラホラと人影が見える。生活魔法のおかげである程度清潔にできていても、衣服の状態がよくなるわけではないので、薄汚れているようにみえる。
家の状態も奥に向かうにつれて古い家や、石造りの家の隙間に無理やり石や板を張り付けた即席の家が増えてきた。スラムの人達にとっては、奥の方が身の安全が図れるんだろうか?
十分ほど歩くと明らかに手入れが行き届いた屋敷に到着した。スラムに屋敷? なんか違和感があるが、スラムの偉い人なら屋敷も当然なのか? 屋敷の前は大きな広場になっているし、特別感がすごい。どうやらここが目的地のようだ。
「お兄ちゃん、悪いけどその物騒なハンマーはこちらで預からせてもらうよ」
建物の前でヘラヘラしたおじさんが、俺に向かって手を差し出した。いや、俺の大切な魔法のハンマーを、見ず知らずのおじさんに触らせるとかありえないからね。
「こんな状況で、自分の武器を手放すつもりはありませんよ」
「おじさん達が信用できないって事かな? それとも治療に自信がない?」
騒ぐ周囲の取り巻きを押さえてニコニコと笑いながら、俺を試すように話しかけてくるおじさん。
「治療は自信がありますが、あなた達を信用するには時間が足りませんよね」
「そうかもしれないけど、この中にいるのはおじさん達にとって大事な人達なんだよね。素直にハンマーを渡してくれないかい?」
無理です。でも、このままごねるとそれはそれで無意味に時間が経過しちゃうよね。チラっとシルフィを見ると、今はある程度落ち着いているみたいだけど、ここでグズグズしてたら機嫌が悪くなりそうだ。
「俺が譲歩できるのはここまでですね。これでも駄目ならこの話はなかった事にしてください」
魔法のハンマーを魔法の鞄に収納するふりをして、開拓ツールに魔法のハンマーを戻す。
「魔法の鞄だったのかい、いい物を持ってるね。でもそれだと取り出したらすぐに攻撃できるよね?」
取り巻きが魔法の鞄を置いて行けと騒いでいる。ここで魔法の鞄を預けたら二度と戻ってこないんだろうな。取り巻きの目がパクるぜって言ってる気がする。気のせいかな?
「ええ、でも攻撃しようとしたら一手遅れる事になりますよね。その一手分を譲ったんですから、あとはそちらで警戒してください」
「それって譲った事になってるのかな? ここはスラムの中心で、お兄ちゃんは結構危険な場所にいるんだから、もう少し考えた話した方が利口だと、おじさんは思うなー」
ヘラヘラしながら脅してくるおじさん。あんまり簡単にいいなりになると、それはそれであとから面倒を押し付けられそうなんだよな。ディーネもこの世界で遠慮してたら生きていけないって言ってたし、しっかり反論しよう。
「あなたがどう思おうと勝手ですが、これ以上譲る気はありませんよ。ここがどれだけ危険な場所でも、無傷で切り抜けられるくらいの実力はありますからね」
「うーん、よく分からないお兄ちゃんだねー。あのハンマーを軽々と持ってたんだから弱いとは言わないけど、数の暴力を乗り越えられるタイプの強者にも見えないんだよねー」
失礼な!って怒りたい気もするが、基本的に誰からもらったのかも分からない、開拓ツールと精霊との親和性頼りの実力だから、強者の雰囲気がないのはしょうがない気もする。俺的には異世界に転移した事で、眠っていた才能が目覚めたって感じの方が嬉しいな。
「どう見られようと、俺の知った事ではありませんね。もう面倒になってきたんで帰っていいですか?」
なにが悲しくてせっかくの旅行中に、むさくるしいおっさん達に囲まれて過ごさないといけないんだよ。シルフィも召喚しちゃったんだし、最悪もめ事になったら他のみんなも召喚して、自分でウナギを乱獲しよう。一人旅なんだし自分だけで色々熟してみたかったんだけどな。
でも、ベル達を召喚すると、王都で遊びたがるだろうなー。ワガママをあまり言わない子達だから、帰るように言えば素直に帰るだろうけど、残念がるだろうし……それはそれで悲しい。でも夜遊びもしたい。難しい。
「簡単に帰らせるわけにはいかないんだよね。……じゃあこうしようか。家の中では魔法の鞄に手を触れない。治療に必要な物を取り出す場合は、治療対象者から離れて、おじさんの許可と監視を受ける事。許可なく魔法の鞄に手を触れたら、問答無用で攻撃するよ」
精霊頼りなんだし、魔法の鞄に手を触れないのはなんの問題もない。うっかり鞄に手を触れないように注意するだけで大丈夫だろう。
「それで構いませんよ。案内してください」
***
「じゃあとりあえずこいつらを治療して、腕をみせてくれるかな。この前、ちょっとした抗争があってケガ人が沢山いるからちょうどよかったよ」
スラムには似つかわしくない手入れされた屋敷、少し戸惑ったがシルフィが建物内を探って、罠はないと教えてくれたので安心して中に入る。案内された部屋に入るとむわっと嫌な臭いが押し寄せてきた。血と汗のむさくるしい男の臭い……ゾンビの臭いよりかはマシだが、これはこれで精神的にくるものがある。
しかもとりあえずって事は、本命の患者は他にいるらしい。用心する気持ちは分からないでもないけど、この雰囲気は好きじゃないな。
美女の治療とか贅沢は言わないから、せめて風通しがよくて空気がこもらない部屋にしてほしかった。ところどころに血をにじませたガラの悪そうな男が五人、ベッドに寝かされてうめいている。
相手は知らないが抗争とやらでケガした人達なんだろう。一刻も早く部屋から出たいから、急いでヴィータを召喚する。ムーンでも治療可能かもしれないが、こんなガラの悪いところに召喚したくないよね。
「裕太、どうしたの?」
「裕太は話し辛いから、私が説明するわ」
シルフィが気を利かせてヴィータに説明を買って出てくれた。うん、この状況で小声で独り言は恥ずかしいからとっても助かるよ。
「ヴィータ。ディーネ達は私が出る前に言ったように、ちゃんとお酒を飲むペースを落としてるかしら?」
あれ? シルフィ間違ってるよ。一発目に言うセリフは間違いなくお酒の事じゃないからね。しかも召喚した時に、ちゃんとゆっくり飲むように注意してからこっちにきたらしい。抜け目がないな。
「はは、分かってるよ。ちゃんとゆっくり飲んでたから安心して。それよりも裕太がじれてるみたいだから、状況を説明してね」
ヴィータがやんわりと軌道修正してくれた。シルフィもゆっくり飲んでいると聞いたからか、すこし機嫌よさげな声で説明を開始する。
「……なるほどね、だいたい分かったよ。裕太が望む相手を治療すればいいんだね」
ヴィータが俺に向かって聞いてきたので、頷く事で返事をする。
「どうしたのかな? これくらいのケガで戸惑っているのなら、おじさんガッカリしちゃうんだけどねー」
治療に取りかからない俺に、ヘラヘラしたおじさんが話しかけてきた。おじさんにガッカリされたからって凹むわけじゃないし、どうでもいいと言いたい。でも、今後の展開を考えるとウナギのためにも評価を上げておいた方がいいだろう。
「今から始めますよ」
「それはよかった。あっ、治療道具を出すならおじさんの許可を受けないと、襲われちゃうから注意してね」
そういえば薬師なのかなって聞かれて否定してなかったな。俺って強者の雰囲気もなければ教会関係者にも見えないらしい。ようするに一般人っぽいって事だろう。大きなハンマーを担いで歩いてきたのにこの評価、切なくなるね。
「道具は必要ありませんよ。すぐに終わりますから黙ってみていてください」
患者に近づくとヴィータが俺の隣に立った。
「裕太、一人ずつ治すのと、まとめて治すの、どっちがいい?」
……まとめて治した方が驚きは大きそうだけど、派手にやり過ぎるのも問題になる事が多い。無難に一人ずつ治してもらおう。
(一人ずつお願い。詠唱するふりをしながら、手のひらを向けた相手を治療してくれ)
「了解」
小声で簡単に打ち合わせをして、目の前の患者に右の手のひらをかざし、小声で呪文を呟いているふりをする。俺のポーズに合わせるようにヴィータが患者に右手をかざすと、優しい光が患者を包み込んだ。背後から回復魔術だと!的な驚きの声が聞こえてくる。薬師だと思ってたら魔術を使ったから驚いたんだろう。少し気持ちがいい。
「治ったよ。右手と肋骨が折れてるのに、添え木をあてるくらいの治療しかしてないから、放っておいたら変な風に骨が引っ付くところだったよ」
もう? あと思った以上に重傷だった。骨が折れていても適当な治療しかしてもらえないとか、怖いんですけど。抗争で戦ったのなら、労災認定しないといけないよね。もしかして添え木をあてるような簡単な治療でも、スラムでは優遇されているのか? そうだったら怖い世界だな。
……考えると更に怖くなりそうなので、さっさと治療を終わらせてしまおう。残り四人の患者の前に移動して、次々に手をかざして詠唱するふりをしながらヴィータに治療してもらう。……患者も治ったんだから、もっとリアクションをとってもいいと思うんだけど、何でキョトンとしてるんだ?
「治りましたよ」
ヘラヘラしたおじさんに話しかける。
「回復魔術が使えるなんて、おじさんビックリだよ。神官だったんだね。でも、適当な事を言うのは感心しないね。骨折している奴もいたんだ、いくら回復魔術でも何度か繰り返さないと完治させるのは難しいはずだ。それともスラムの住人なんて一回回復魔術をかければ十分ってことかな? 見下されるのは慣れてるけど、露骨に手を抜かれるのは不愉快だねー」
……骨折って回復魔術を何回も魔術を繰り返さないと完治しないのか。それで患者の人達は動かなかったんだな。俺、回復魔術なんて受けた事ないから知らないよ。チラっとヴィータを見る。
「ちゃんと完治しているから大丈夫なんだけど、神官の回復魔術の効果は知らなかったよ。ごめんね裕太」
めずらしくヴィータがやっちゃったって顔をしている。知らなかったのならしょうがないか。あるていど人の世界を見て回ってたシルフィも、冒険者ギルドの事をあまり知らなかったからな。大精霊にとって人って、そこまで注目する存在じゃないんだろう。
とりあえず派手なのを控えようって思って、一人ずつ治療してもらったんだけど、無駄だったようだ。それ以前の問題だった。
「俺は神官じゃありませんよ。あと手も抜いてませんね。口で言っても信じないでしょうし確認してください」
俺の言葉、ヘラヘラしたおじさんが患者の側に向かう。
「君達、あのお兄ちゃんが治ったって言ってるんだよね。ちょっと確認してみて」
患者達がヘラヘラしたおじさんの言葉で動き出し、驚きの声を上げるガラの悪い男達。服のあちこちに血がにじんでいるので、見た感じ全然よくなっているように見えないのがシュールだ。
男達の様子を確認したヘラヘラしたおじさんが、真剣な顔で俺の方に歩いてくる。その鋭い目つきは何なんですか。俺は気が抜けた感じのヘラヘラしたおじさんの方が、まだ接しやすくて助かるんですけど……。
明日7/27日。コミカライズの四話が公開されます。
そちらの方も楽しんで頂けましたら幸いです。よろしくお願い致します。
読んでくださってありがとうございます。