二百九十四話 結局呼んじゃった
ベリル王国に到着し一人で王都を歩くという、微妙に心細い状況を楽しみつつも魚屋に到着した。何種類かの魚を購入したが、残念な事に目的のウナギを手に入れる事ができなかった。どうやらウナギは貧乏人の食べ物扱いらしい。知識チートではっちゃけるか、スラムの人達に気を遣うかが問題だな。まあ、スラムの状況を見て考えよう。
魚屋のおっちゃんに教えてもらったスラムに向かって歩く。聞いた話だと治安が悪いそうだから、シルフィを召喚したいところではある。でも、一人旅がいいってさんざん言っておいて、速攻でシルフィを召喚するのもなんか恥ずかしい。
とりあえずこのままの格好だと確実に舐められるから、物陰で冒険者装備に着替えるか。ついでにハンマーをある程度の大きさにして担いでいれば、簡単に喧嘩を売られる事もないだろう。風壁がないから奇襲が怖いが、ある程度までは俺でも防げるだろうし、何とかなるよね。
一つ問題があるとすれば、巨大なハンマーって事で俺の存在に気がつかれる可能性だけど、遠い国だしスラムの中だけなら大丈夫だと信じよう。あとはスラムに入ってからの出たとこ勝負だ。
***
ここから奥がスラムか……生活魔法が普及しているからか、建物も古く雰囲気は荒んでいるが、不潔な感じはしない。迷宮都市のスラムもある程度清潔だったし、生活魔法の恩恵って結構すごい。魔法のハンマーを担ぎ、周辺を警戒しながらスラムに足を踏み入れる。
さて、まずは誰かにウナギの漁をしている人を教えてもらわないとな。話しかけやすそうな人を探して、聞いてみよう。
……………………話しかける相手が発見できない。遠目に人影は確認できたんだが、俺が近づくとそそくさと俺から離れていく。しょうがないので近くの家のドアをノックしてみるが、誰も出てくれない。家から物音が聞こえた事もあったので、居留守を使われている可能性が高い。
……もしかしなくても警戒されてる? ……そっか、うん、理解した。俺は警戒の為に大きくした魔法のハンマーを担いでいる。でも、スラムの人達からすれば、見知らぬ男が大きなハンマーを担いで、堂々とスラムに侵入してきたって事になる。怖いよね。
スラムみたいな場所なら、必ず顔役みたいな人がいるだろう。俺を避けるスラムの人達の行動の早さを思えば、情報の伝達も早そうだ。
俺の妄想みたいなスラムのイメージでは、普通の人が紛れ込んだならチンピラ数人でボコボコ。では、意味不明の大きなハンマーを担いだ、怪しい人物が侵入してきたらどうするでしょう。
答え。大人数で取り囲んでボコボコだな。
結論が出た! シルフィさん助けてー。恥も外聞もなく速攻でシルフィを召喚する。戦っても簡単に負けるとは思わないが、俺が大人数と人間と戦ったら、手加減できずにハンマーで人間のミンチが量産される。ゾンビはともかく人間のミンチは遠慮したい。
「裕太、なにかあったの?」
(うん、いきなりで悪いけど、風壁をお願い。それと周囲の状況を探ってくれ)
楽園の様子を聞きたい気もするが、さすがに今はそんな状況じゃないよな。大精霊達は問題ないだろうけど、ベル達やジーナ達は微妙に心配になる。
「あら、裕太を囲むように武装した人間が集まってるわね。三十人くらいかしら」
俺の妄想が現実になりそうだ。のほほんと突入しても駄目。装備バッチリで突入しても駄目。スラムって難しいな。たぶん、誰かスラムに繋がりがある人に紹介してもらうのが一番安全なんだろうが、そんな知り合いはいない。どうすればいいんだよ。
(すぐに襲ってきそう?)
「いいえ、裕太が立ち止まっているからか、偉そうなのが指示を飛ばして弓を持った人員を配置しているわ。裕太、なにがどうなってこんな状態になってるの?」
呆れたようにシルフィが聞いてきたので、詳しく説明する。
「中に入っただけでこの状況なのね。ハンマーをもう半分ぐらいの大きさにしておいた方がよかったのかしら?」
(それだとハッタリが利かなくて、そのまま絡まれそうなんだよね)
「それもそうね」
シルフィも納得してくれた。まあ、普通にスラムに入った方が被害が少なかった気もするけどな。
「裕太、くるわよ。いきなり襲いかかってくるつもりはないようだから、安心しなさい。それと裕太の右斜め前と左斜め後ろの家の屋上に、弓を持っている人間がいるから、いきなり弓を打たれても驚かないようにね」
(了解)
シルフィに返事をすると、路地から俺の前後を塞ぐようにゾロゾロと怖そうな人達が出てきた。交渉に失敗したらこの人達と戦うのか。楽しみにしていた旅行で嫌な気分になりたくないから、交渉を頑張ろう。
「なあ、お兄ちゃん、そんな物騒なもんを担いじゃって冒険者かな? もしかして喧嘩でも売りにきちゃった?」
ヘラヘラとした感じのおじさんが、笑顔で俺に話しかけてきた。雰囲気は緩いがなんか怖いです。
「いえ、ここに用事があってきたんですが、物騒な場所だと言われたので装備を整えてきたんですよ。喧嘩を売る意図はありません。自衛のためだと流してもらえれば助かりますね」
「へー、そうなんだって流したいのはやまやまなんだけど、そう言う訳にもいかないんだよね。おじさんとしては、金目の物を置いておとなしく帰ってほしいんだけど、どうかな?」
金目の物は置いて帰らないと駄目なんだな。俺が本気を出して金目の物を置いて帰ったら、すごい事になるんだぞ。魔法の鞄の中身を全部取り出してビビらせてやろうか。……喜んで襲いかかってくる未来しか見えないな。
ファイアードラゴンとか出したらビビるかもしれないけど、がっつり身元が割れそうだからやめておこう。穏便に交渉でウナギを手に入れるぞ。
「金目の物を置いて帰るのは遠慮したいですね。暴れませんから話を聞いてもらえませんか?」
おうふ、俺が返事をすると前後から罵声が飛んできた。わざと武器をガチャガチャ鳴らしているのは威嚇のためなんだろう。ヘラヘラしたおじさんが右手を上げると、ピタリと喧騒が鎮まる。結構統率力がすごいらしい。
「お兄ちゃん、この状況でも余裕みたいだけど、もしかしてとっても強かったりするのかな? そんなハンマーを担いでいるから弱いわけないとは思うけど、多勢に無勢の状況だよ?」
たしかに日本にいた時の俺なら、ガクガクと足を震わせている状況だよな。でも、ファイアードラゴンや迷宮の魔物達の迫力比べると、そこまでビビる状況じゃない。まあ、シルフィの風壁がある状況で、ちょっと怖いって思っている俺は結構なビビりだろうけど。
「まあ、今の状況でも楽勝で突破できるくらいには強いですね。ちなみに、あそことあそこの家の屋上に、弓を持った人がいるのも分かってますよ。そういう事ですから、話を聞いてもらえませんかね?」
シルフィに教えてもらった情報をドヤ顔で披露する。驚くガラの悪い人達をみると、ちょっと気持ちがいい。気分は名探偵ってやつだな。これで見逃してくれると助かる。
「こわいねー。でも、こうやって取り囲んじゃったからには、はいそうですかって引き下がれないのよ。おじさんのメンツ的にね、分かってくれないかな?」
メンツって極道的な方々が大切にする感じのものですね。メンツを潰したら抗争が勃発する的な。
「メンツって言われても、金目の物を置いていくのは嫌ですよ。でも、人をミンチにするのも気分が悪いので、落としどころを提示してくれると助かります。ああ、通行料が必要なら、常識的な範囲内なら払いますよ」
一万エルトくらいなら、ちょっと高いかなって思うけど払ってもいい。
「落としどころって言われてもねー、おじさん達が納得できる物を出してくれれば、こちらはそれでいいんだよね」
この言い方だと、一万エルトを出したくらいじゃ収まらないだろう。いや、もしかしたら大丈夫かも。試してみるか?
「裕太、もうやっちゃいなさい。あいつら、ピーピーとうるさいわ! 早く戻らないとお酒が減っちゃうのよ」
黙って聞いていたシルフィが、怒りの声を上げた。俺が置いていった酒樽をさっそく大精霊達で飲んでいたらしい。たしかに一度飲みだしたら、シルフィがいないからってディーネ達がお酒を飲むのを待ったりはしないだろう。このままのんびりとしてたらシルフィがキレそうだ。
手早くまとめるにしてもウナギは定期的にほしいから、冒険者ギルドの時みたいに煽りまくって最終的に力でねじ伏せるのは不味い。
大金を払うのは論外として、スラムの人達に恩が売れていい関係が築ける落としどころ……うん? そういえば俺を取り囲んでいるガラの悪い男達の中に、結構ケガ人がいるな……いい事思いついたかも。
「分かりました。俺としましてはここには定期的に通いたいので、脅しに負けて金銭を支払うのは論外です。代わりに病人やケガ人を治療してあげますから、それでどうですか?」
ちょっと面倒だけど、目の前にケガをしている人もいるし、スラムだと病人やケガ人が多そうだ。病気やケガを治療すれば恩も売れるし、いい関係が築けるだろう。
「ふーむ、おじさんとしてはとっても興味深い交換条件だね。教会の関係者には見えないけど、薬師ギルドに所属してたりするのかな? どの程度まで治療できる?」
ヘラヘラしたおじさんの凄味が増した。身内に病人かケガ人がいるっぽいな。このヘラヘラしたおじさんなら、スラムでも顔が利きそうだし恩を売っておけばウナギは安泰だ。シルフィに目線を送る。
「ヴィータなら、死んでなければなんとでもなるわね」
俺が聞きたい事が分かったのか、シルフィが答えてくれる。さすがヴィータって言いたいけど、死んでなかったらなんとでもなるとか言ったら、すごい騒ぎになりそうだ。
「まあ、大抵の事なら大丈夫ですよ。時間がないので、病人やケガ人は一ヶ所に集めてくれたら助かります」
「へー、おじさんとしては期待に胸が膨らむんだけど、それだけ期待させて大した事がなかったら、ここから生きて出られないよ?」
「あー、そういう脅しは結構です。正直、あなた達に付き合うのも(シルフィの)限界が近いですから、受け入れるか受け入れないかで返事をしてください」
俺の生意気な言葉に周りの男達が、生意気だとか何とか罵声を浴びせかけてくる。俺はお前たちのために急いでるんだけどな。シルフィさんの表情は変わってないけど、雰囲気でイラついてるんだぞ。これ以上時間をかけると君ら、ぶっ飛ばされるんだぞ。シルフィはハンパねーんだぞ、コノヤロー。
「そうだねぇ……受け入れるよ。ただし、これだけは言わせてもらうけど、おじさん達にとって病気の治療はデリケートな話題だ。冗談では済まさないよ」
ヘラヘラした雰囲気が鳴りを潜め、真顔で問いかけてくるおじさん。普段ならビビるかもしれんが、今はシルフィの方が怖いんだよ。
「そういうのは結構だと言いましたよね。その様子だと患者さんに心当たりがあるようですから、早めに案内してください。あと、時間を取られるのは困るので、移動できる患者さんはまとめておいてくださいね」
「自信があるみたいだねー、おじさん、期待で胸がはちきれそうだよ。行こうか」
ヘラヘラしたおじさんと、ガラの悪い男達に囲まれて歩く。シルフィはむさい空間が嫌なのか上空に避難している。とても羨ましい。
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