二百九十三話 魚屋
少し門番に怒られるというアクシデントはあったが、無事にベリル王国の王都に入る事ができた。これから二泊三日、楽しめるだけ楽しむぞ。
城門を通り抜けると、ズドーンっと石畳の大通りが広がる。すごいんだけど、戦争が頻繁な世界なら城門が突破された時の為に、もう少し入り組んだ作りにするんじゃないのか? ……シルフィが大国だって言ってたから、王都が攻められる事はないって考えてるとか? 強気な国だと少し心配になるな。
背後からチッと舌打ちをされた。どうやら城門前で、立ち止まっていたのが邪魔だったらしい。もしくは俺が門番に説教されて、王都に入るのが遅れた人だった可能性もある。ご迷惑をおかけしました。
さて、ここでのんびり大通りを眺めていても、田舎者丸出しになるだけだ。どこに進めばいいのか分からないし、とりあえず大通りを観察しながら歩くか。まずは宿を決める……あれ? 夜遊びする予定だし、宿は必要ない気もするな。
うーん、まあ、泊りで遊べるとも限らないし、宿くらいは取っておくか。この場合は高級な宿屋は必要ないよな。二泊三日しかないんだから、サクサク行動しよう。
目的を決めて王都を歩く。大国の大通りだけあって人通りが多く、活気に満ちている。石畳に石造りの建物、歴史がある国なのか建物にも趣のようなものを感じる。ヨーロッパの昔ながらの町もこんな雰囲気なのかもしれない。……そうだよな、これが中世ヨーロッパ、あるジャンルでは大人気の世界観だな。ワクワクしてきた。
もう田舎者丸出しでいいや。開き直ってキョロキョロと周りを観察しながら歩く。大きな湖の側にあるからか、水路が目に付く。たぶんベルとレインがいれば大はしゃぎで爆走しそうな水路だ。まあ、怪奇現象になっちゃうからさすがにやらないだろうけど。
ベル達の事を考えると少し寂しくなってきた。普段でもこのくらいの時間、離れている事はざらにあるのに、見知らぬ土地で心細くなってるようだ。いかんな、ベル達に我慢させて一人旅に出たんだ。しっかり楽しまないと罰が当たるぞ。
気を取り直して周囲を観察しながら歩く。綺麗な水が流れているけど、少しもったいないな。水路を大きく作ってベネチアみたいに、町の中を船で移動とかできたらカッコよさそうなのに。
……カッコいいかもしれないけど、実利面だと王都中に大きな水路を引いて、わざわざ船を使うメリットも少ないか。この世界だと観光客とか少なそうだもんな。一人で疑問に思って一人で解決してしまった。
しかし、王都内に水の精霊っぽい子が結構いるな。ベリル湖と王都を流れる水路の影響だろうな。……あれ? そういえば俺が王都で遊んだら、精霊に見られてシルフィ達に俺の行動がバレる……いや、さすがにないな。
俺の事は精霊の間で有名らしいけど、別に人相書きが回されているわけじゃない。俺が精霊達に話しかけたり触ったりしなければバレないはずだ。よし、安心したところでさっさと宿を探そう。
トルクさんの宿屋は、エルティナさんに紹介してもらったんだよな。エルティナさん……元気かな? ……俺がエルティナさんが左遷された原因なんだし、心配するのは違うか。心の中でそっと幸運を祈ろう。元ギルマスはどうでもいい。
今回は一応名前は出さない予定だし、冒険者ギルドに紹介してもらうのはやめておこう。そうなると……定番としては屋台とかで買い物しながら、地元の人に紹介してもらうって感じだな。
王都の大通り、残念ながら両サイドに店はあるが屋台はない。大通りから外れれば屋台ぐらいあるだろうが、わざわざ探すのも面倒だそこら辺の店で聞こう。狙うのは、おばちゃんが店番しているお店だな。おばちゃんの情報網はハンパないからな。
おっ、あそこの八百屋っぽいお店のおばちゃん、ふっくらしてて優しそうだな。あそこで聞いてみよう。
「いらっしゃい。うちの野菜は新鮮だよ」
八百屋に行くと、おばちゃんがニコニコと話しかけてきた。新鮮なのか、ついでに迷宮都市では手に入らない野菜でもあれば、お土産に買って帰ろう。
「こんにちは、王都は初めてなんですけど、名物の野菜ってありますか? 変わった野菜があれば手に入れたいんですが」
「名物の野菜かい? うーん、王都の名物はベリル湖の魚介だから難しいね。名物って野菜はないけど、ベリル湖の周りで採れるこの野菜は、王都でよく食べられてるよ。安くて美味しいからね」
おばちゃんが店に並べられている野菜から、一つ手に取って見せてくれる。んー、なんとなくクレソンっぽいな。クレソンか……あんまり料理が思いつかないけど、少し買って帰るか。
種が手に入るのなら楽園の水路で育てるのもいいかもな。大繁殖しそうな気もするが、そこらへんはディーネとドリーに丸投げしよう。いい感じにしてくれるはずだ。
店に並べられている野菜を確認しても、ほかに目新しい野菜はない。野菜はクレソンだけ買って帰るか。
「では、クレソンを十束ください。それと、クレソンの種って手に入りますか?」
一束の量がかなり多いから、十束あればしばらくは大丈夫だろう。
「十束だね、千エルトだよ。それと種は扱ってないよ。何しろベリル湖行けばいくらでも生えてるし、王都の水路にも勝手に生えてくるから駆除しているくらいなんだ。自分で育てる人はほとんどいないよ。だから値段も手間賃くらいでかなり安いのさ」
クレソンで通じたって事は、クレソンと似たような植物である事は間違いなさそうだな。しかし駆除って……予想通りに繁殖力は強そうだ。異世界のクレソン……なんとなく地球のクレソンよりも繁殖力は強そうな気がする。
ミントテロみたいになったら嫌だし、ディーネとドリーに相談してから楽園で育てるか決めよう。
「はい、千エルトです。あと、ちょっと聞きたいんですが、いい宿を知りませんか? 食事は外で食べる予定なので、安全で清潔な宿屋だと嬉しいです」
世間話も含めてお勧めの宿屋を幾つか教えてくれた。商人がよく利用する宿屋で、少し値段が高いが安全面と清潔面はお墨付きだそうだ。今回はあんまり宿にいないだろうし、ここで十分だな。
***
無事に宿屋に部屋を取る事はできた。お勧めだけあって清潔な部屋で、あんまり利用する予定がないのが少しもったいない気もする。でも、本命は夜遊びだし、しょうがないよね。
とりあえず宿屋の女将さんに、ベリル湖の魚介を売っている店を教えてもらったので、買い物を済ませてしまおう。
目的の店はベリル湖の潤沢なお水を利用した、イケスを備えた魚屋だそうだ。異世界でイケスとか予想外だ。水中の酸素とかどうしているんだろう?
でも、生かしたままなのはポイントが高い。ウナギを沢山買って生きたまま持って帰って水路に放すか? でも、ウナギの餌が足りない気がする。水路の魚が全滅しそうだし、今は無理だな。養殖に手を出すのも難しいし、今回はおとなしく魚屋で買って帰るだけで我慢しよう。
その魚屋は、イケスの魚を指定してお願いすれば、〆てある程度まで加工してくれるサービスもやっているらしい。日本のスーパーみたいなシステムで、お酒が飲めればイケス居酒屋になるな。なんか少し嬉しい。
クリソプレーズ王国の王都や迷宮都市とは違う街並みを眺めながら、目的の魚屋に向かいテクテクと歩く。同じ大陸でも国が違えば雰囲気も結構違う。クリソプレーズ王国が無骨な雰囲気なら、ベリル王国は華やかな雰囲気だ。フラフラと寄り道しながら、気に入った物を購入しつつ教えてもらった魚屋に到着する。
イケスを設置しているだけあって、予想よりも立派な魚屋だ。イケスの空気はどうしているのかと思っていたが、水路から直接水を引き込んで大きなイケスに水が流れ込んでいる。
魔道具的ななにかでイケスを管理しているのかと思ってたが、これだけ水が豊富なら直接水を流し込んだ方が経済的っぽいな。イケスの仕組みを理解したあと、イケスの中の魚を確認する。
……異世界だって事は分かってるけど、この光景を見ると納得いかないな。なんでイケスの中で鮭が泳いでるんだ? 俺の中で鮭って寒い地方の魚なんだけど、どうしてこの暑い大陸のイケスの中で泳いでるんだろうな。
「いらっしゃい。いい鮭だろ。脂が乗って美味いぞ!」
声をかけられて振り向くと、日焼けしたおっちゃんが笑顔で網を持って立っていた。たぶん、注文したらあの網で確保してくれるんだろう。そして、言語理解の翻訳でもあの魚は鮭なようだ。鮭は大好きだから何の問題もないんだけど、微妙に気になる。
「この鮭って身がオレンジ色で、雌はお腹に沢山の卵を抱えていますか?」
「ああその通りだな。兄ちゃん、鮭を食った事ないのか?」
「いえ、食べた事はあるんですが、生きている姿を見るのが初めてなんです」
日本の鮭とは生きている環境が違うけど、これだけ似ているなら味も同じなはずだ。イクラ丼とか食べたい。
「ああ、ベリル湖周辺じゃないと、干物くらいしか出回らねえからな。王都に来たなら新鮮な鮭を食わねえともったいねえぞ。買うか?」
いや、卵の事も言ったじゃん。まあいいか、とりあえず十匹くらい買おう。
「もちろん買いますよ。十匹お願いします。五匹はお腹に卵を抱えている鮭がいいですね。あと、他の魚も買いたいんですが奥のイケスですか?」
「ん? 卵を抱えた鮭は美味くねえから逃がすぞ。それに今は産卵時期じゃねえから卵を抱えた鮭はいねえな」
おっちゃんが不思議そうな顔で言う。……淡水魚は寄生虫が怖いし、生食文化がないからイクラを食べないのかも。イクラって火を通して食べるイメージがあんまりないよね。あっ、でも石狩鍋にイクラが入ってたな。あれはあれで悪くなかったけど、俺は生のイクラの方が好きだな。
イクラ丼を食べたかったけど、シーズンじゃないなら仕方がない。シーズンになったらまた来て、必ずイクラをゲットしよう。とりあえず普通の鮭を十匹お願いして、別の魚が入れてあるイケスに案内してもらう。
イワナ、ヤマメ、アユといった清流にいそうな魚や、ワカサギのような小魚、ブラックバスや雷魚っぽい魚がいた。ブラックバスや雷魚は、上手に料理をすれば美味しいって聞いた事があるが、イメージ的に怖いので手を出さないでおこう。
「おっちゃん、イケスはこれで終わり? ウナギは?」
「ウナギ? ウナギなんてスラムの奴くらいしか食わねえよ」
……俺の目的のウナギがディスられてる。いや、これはチャンスなんだ。料理チートのウナギ料理。な、なんだと! ウナギがこんなに美味いなんて! 的なイベントだ。とりあえず、おっちゃんにウナギがどこで手に入るか確認しよう。
…………おうふ、ウナギってスラムの人達しか漁をしてないそうです。ベリル湖には漁業組合があって、普通の魚を捕るには許可が必要なんだそうだ。ヌメヌメで血に毒があるウナギは対象外で、スラムの人達の貴重な食糧になっているらしい。ウナギの地位が低すぎる。
うーん、ウナギの地位を上げたい気もするが、ウナギが人気になったらスラムの人達が食べられなくなりそうだよな。うっかりウナギが美味しいって広めたら、スラムの人達に恨まれそうだ。
少し考えて行動した方がよさそうだな。とりあえず、おっちゃんお勧めの魚を大量に購入して、スラムの場所を教えてもらう。
一瞬自分でウナギを捕まえに行った方が簡単な気もしたが、湖での漁だとディーネとレインの協力が必要だ。レインはともかくディーネを召喚したら、王都の酒屋を回りたがるだろうし、やめておいた方が無難な気がする。
「兄ちゃん、スラムに行くつもりなのか? 言わなくても分かってると思うが、治安は悪い。兄ちゃんみたいな弱そうなのが足を踏み入れたら、身ぐるみ剥がされるぞ」
弱そうって、これでもAランクの冒険者で、シルフィ達に助けてもらいながらだけど、結構な修羅場を潜り抜けてきたんだけど……いまだに強者の雰囲気は身についていないらしい。温室でぬくぬくな冒険だと緊張感が足りないのかもしれない。ちょっと切なくなってきた。
「えーっと、まあ、護衛を雇うので大丈夫ですよ」
護衛を雇うって言葉で、おっちゃんは納得したのかスラムの場所を教えてくれた。なんでそこまでしてスラムに行くつもりなんだ? バカじゃねえのって顔をしていた気がするが、気がつかなかった事にします。さっさとウナギを手に入れて、今夜はフィーバーだ!
読んでくださってありがとうございます。