二百七十六話 トントン拍子
大豆の脱穀を済ませ、シルフィとジーナ達はアンデッドの巣の討伐に、ベル達は見周りに行ってもらった。俺は醤油と味噌の開発を頑張ってもらうために、ルビーの食堂にプレゼンにきた。俺の素晴らしい異世界生活のためには結構重要な交渉だな。
「おはよう、裕太の兄貴」「おはよう裕太さん」「おはよう……」「裕太、おはよう」
「おはようみんな」
食堂の中に入るとエメ、サフィ、シトリン、オニキスが声を掛けてきたので返事を返し奥を見る。ふむ、ルビーは忙しそうだし、少し待った方が良さそうだな。
「裕太の兄貴、なにか用事?」
「うん、ちょっと皆にお願いがあってね。ルビーの手が空いたら話を聞いてもらっていい?」
「もちろん裕太の兄貴の話を聞くのは構わないんだけど、ルビーは新しいレシピに夢中だから止めないとずっと料理してると思うよ。止めてくる?」
「あー……じゃあ悪いけど、ルビーに一区切りついたら話を聞いてくれるように伝えてくれる?」
見える位置にいるんだから自分で声を掛けてもいいんだが、タイミングが分かっているエメに頼んだ方が邪魔にならないだろう。
「分かった、ちょっと声を掛けてくるね」
席を立ち、ルビーの方に駆けていくエメ。この短い距離なのに走っていくところが元気いっぱいだよな。いや、聖域だからこそ、移動を楽しんでいるのかもな。しかし、エメとドリー、同じ森の精霊なのに性格は結構違う。当たり前の事なんだけど、なんとなく面白いな。
シルフィとベル、イフとフレアは歳が離れすぎているから何とも思わなかったけど、大精霊と上級精霊で同じ属性でもやっぱり個人個人で違うらしい。
でも、土の精霊は結構似ているかも、ノモスも酒の事以外だとそこまで話すタイプじゃないし、寡黙な精霊が多いのかもしれない……いや、バロッタさんの契約精霊は土の精霊だったけど、ディーネと意気投合してたし話すのが好きそうだったな。属性で精霊の性格を考えるのは止めておいた方が良さそうだ。あれだな、血液型の性格診断みたいな感じかもしれない。
「裕太の兄貴、お願いって面白い事?」
サフィが楽しそうに聞いてくるが、調味料の開発って楽しい事なんだろうか? 俺にとっては醤油と味噌が使いたい放題になるから、重要な案件ではあるんだが……。
「うーん、俺が異世界から来た事は知ってるよね? その世界の調味料の再現を頼みたいんだけど、それって面白い事かな?」
「「異世界の調味料!」」
おうふ、いきなりの大声に驚き声の方を向くと、ルビーとエメがワクワクした表情で俺を見ている。もう、一区切りついたのか。
「なあなあ、裕太の兄貴、異世界の調味料を作るのか?」
テンションが上がったのか、グイグイとせまってくるルビー。
「ああ、そのつもりなんだけど、話の前に料理を収納したほうがいいか? 新しく作った料理はパスタだろ?」
少し怖いからテンションを落とす為にも一息おこう。
「そうだった、お願いするんだぞ、裕太の兄貴」
「了解」
ルビーの指示に従い料理を収納する。パスタ系もあるがクリームシチューやトマトスープ、ミートソースなんかも作ってあるな。昨日の朝も結構料理を収納したのに、今朝でこの量となると氷室に移した食材も、結構早くなくなりそうだな。
新しいレシピに慣れれば少しは料理のペースも落ちるだろうし、お客さんが来ればそれに合わせて料理を作るようになるだろうから心配はいらないか。料理を収納し終えて話をする為に、全員で同じテーブルに集まる。
「それで、裕太の兄貴、異世界の調味料ってどんなのなんだぞ!」
一息おいてもルビーのテンションは落ちきってないみたいだな。遊んで遊んでとジーナにまとわりつくシバみたいな雰囲気だ。他のメンバーも興味深そうに俺を見ているし、作るとなったら協力してくれそうだ。
「えーっとね、先に言っておきたいのは、作り方もあやふやだし時間も手間もかかるし、完成するかどうかも分からない話なんだ。無駄手間になるかもしれないけど協力してくれる?」
「大丈夫なんだぞ! 例え完成しなくたって、新しい調味料のヒントになるかもしれないんだぞ! 絶対に教えてほしいんだぞ!」
ルビーはやる気満々っぽいな。エメ達の様子も伺うが、目が合うと一人一人しっかりと頷いてくれた。問題なさそうだ。
「じゃあまずは作ってほしい調味料を見せるね。量が少ないから、少しだけしか味見できないけど勘弁してほしい」
魔法の鞄から醤油を取り出し、少量だけ慎重に小皿に移す。けち臭い行為だが、醤油の生産に失敗したら正真正銘最後の醤油になる。一滴たりとも無駄にはできない。
続いて味噌だな。味噌は袋に小分けにしてあるインスタント味噌汁の味噌だから、ちょっとばかり問題があるんだよな。味噌が出汁入り味噌だから、本来の味噌と味が違う。その辺が上手に説明できるといいんだけど……頑張るしかないか。それでも出さないよりはマシだろう。味噌が入っている子袋を破りこちらも小皿に少しだけ移す。
「この二つがルビー達に作ってほしい調味料。液体の方が醤油、ペースト状の物が味噌って言うんだ。ああ、味噌の方は後で説明するけど、味付けがしてあって味噌本来の味ではないんだ。少ししか出せなくて悪いけど、味を確認してみて」
俺の言葉にルビー達が一斉に小皿に顔を近づけ、観察しだした。これだけ興味を持ってくれるなら、味が気に入れば真剣に研究してくれるだろう。
「醤油の方は真っ黒なんだぞ、味噌は泥っぽいけど独特の匂いがするんだぞ」
「この匂い、好き……」
シトリンが味噌の匂いを嗅いで喜んでいる。恥ずかしがりやなシトリンが、俺が居る前で自分の好みを口に出すって事はそれだけ気に入ったって事だよな。受け入れられないって事は無さそうで、ちょっとホッとした。
そこから長い話し合いが始まった。ルビー達は真剣に醤油と味噌を味わい観察し、俺に様々な質問をぶつけてくる。原料から製作期間、発酵とは何か、どんな料理に使えるかなど、答えられない事も多かったが質問に引きずられて忘れていた知識を思い出せたのは僥倖だ。やっぱり人間は一人で考えてたらダメだな。
でも、俺の話を聞いてルビー達のやる気はマックスだ。俺が住んでいた国での塩に並ぶメインの調味料なので、醤油と味噌が完成すれば沢山新しいレシピが増えると言ったら、大興奮で必ず醤油と味噌を作り上げると誓ってくれた。
ただ……どれだけかかっても必ず完成させると言ってたけど、せめて俺が生きている間に完成させてほしい。欲を言えば一年以内ぐらいで……。
***
「裕太の兄貴に聞いた話をまとめると、醤油と味噌は魅力的な調味料で、作れれば新しいレシピが大量に増えるって事なんだぞ。その為にまずやる事はヴィータの兄貴に協力を求める事なんだぞ」
「……なんでヴィータに協力を求めるの? ヴィータはあんまり料理に興味がないよ」
「ヴィータの兄貴は命の大精霊なんだぞ。醤油と味噌は発酵食品だから、ヴィータの兄貴なら原料の大豆を醤油や味噌に変える菌をきっと知ってるはずなんだぞ」
「えっ、命の精霊って菌も管轄なの?」
「菌だって生きてるんだぞ?」
ルビーが何を当たり前の事をって顔で俺を見ている……言われてみれば確かにそうなんだが、まさか菌まで命の精霊の管轄だなんて思わなかったもん。
「でも、菌って小さすぎるよね? 見えないんだし……」
っていうか、普通に菌の話ができている事に驚きなんだけどね。異世界舐めてたよ。
「醸造所でも命の精霊が菌を管理してお酒を造ってるから、大丈夫なんだぞ」
お酒ってところが精霊らしいな。しかしすでに実績があったのか。……あれ? でもそうなると、異世界知識チートの王道、マヨネーズにチャレンジできるんじゃ?
管理されてない卵でマヨネーズを作ると、食中毒が洒落にならんらしいから、手を出さなかったけど、ヴィータに危険な菌がいないか見分けてもらえば、安全なマヨネーズが作れる。俺はマヨラーって訳じゃないけど、マヨネーズはあった方が嬉しい。これもヴィータに確認しよう。
「そうだね菌も生きてるから、命の精霊の管轄だよね。分かった、今からヴィータを召喚するよ」
ルビー達にそう告げて、さっそくヴィータを召喚する。動物達の確認をした後はのんびりするって言ってたから、呼び出しても問題ないはずだ。
「やあ裕太、なにかあった?」
「突然悪いな。実は俺の世界の調味料を再現しようとしているんだけど、発酵食品だからヴィータに菌の事を教えてもらうのが一番だって話になってね。この二つの調味料なんだけど、大豆をこんな風に発酵させる菌に心当たりはないか?」
「菌か……ちょっと見せてもらうね」
ヴィータが醤油と味噌の小皿を手に取り、真剣な表情で観察しだした。なんか凄くドキドキするな。ここでヴィータからなんにも分からないよって言われたら、試作の回数が激増しそうだ。ルビー達も同じ意見なのか、固唾を呑んでヴィータに注目している。
「うーん、だいたい発酵させた菌は分かったよ。この二つを発酵させた菌を集めればいいのかな?」
「う、うん、頼むよヴィータ」
さすが命の大精霊。一番の難問だと思ってた菌の問題をあっさり解決してくれた。醤油の方は手探りだけど、味噌の方はなんとなく作り方は分かってるんだ。味噌汁飲み放題に一歩近づいたぞ。
「それで、どこに集めればいいのかな? ここに集めるだけだとすぐに散っちゃうから定着させる場所が必要なんだけど」
……定着させる場所? 菌を定着させるって事なら食べ物に定着させればいいんだよな。お米? ……お米にも菌は問題なく定着しそうだけど、大豆に米を混ぜ込んでいいんだろうか? ダメって事もなさそうだけど、どうせなら大豆に定着させた方がいい気がする。
そうなると菌を集めてもらうのは大豆の準備が終わってからだな。大豆は煮る前に水で戻さないとダメだったはずだ。どのぐらい水に浸けておけばいいか分からないが、黒豆は煮る前に一日水に浸けるって、料理番組でやってたのを見た事がある。大豆も似たようなものだろう。そうなると大豆に菌を定着させるのは明日だな。
「すまないヴィータ、定着させる食材を準備するのに一日掛かるんだ。明日また改めてって事でいいか?」
「僕は構わないよ。それじゃあまた明日ね」
「あっ、ちょっと待ってくれ。ヴィータってもしかして食べ物に定着させた菌を、自由にコントロールできたりする? 発酵を邪魔しているような菌が居たりしたら別の場所に移動させる事とか……」
「それぐらいなら問題ないよ。ついでに言えば菌を活性化させて発酵を早めたりもできるよ。まあ完成時間を半分にするぐらいが関の山だけどね」
「ヴィータ、最高だよ。明日はよろしく頼む」
「あはは、まあ頑張るよ。じゃあ明日また」
ヴィータ、頼りになり過ぎるぐらい頼りになるな。一瞬男って事を忘れて抱き着きそうになったよ。ヴィータの力を最大限に発揮してもらえれば、難易度マックスだった醤油や味噌の作成がノーマルモードくらいになるんじゃないか? あっ、卵の鑑定を頼むのを忘れてた。まあいいか、今は大豆だ。
とりあえず説明してよって顔のルビー達に、完成する可能性がだいぶ上がった事を説明して、大豆の準備だな。燃えてきたぞ。
読んでくださってありがとうございます。