二百一話 ガッリ親子
「んっ? なんだ? 痛っ! なんだここは! 儂はなぜ裸なんだ?」
茂みの中か? 何故こんなところに……隣を見ると、我が最愛の息子が倒れている。
「ダブリン! 大丈夫か! ダブリン!」
「んーー? 父上? どうなされたのですか? ……ここは?」
ふむ、無事のようだな。我がガッリ家の大切な跡取りだ。失う訳にはいかん。
「分からん。気が付いたらここにおった。息子よ、お前は何か覚えていないのか?」
「私は……昨晩はメイドに慈悲を与えてやって、そのまま眠ったはずなのですが……そこからの記憶はありませんな」
「ふむ、儂と同じく記憶が無い訳か。そうなると寝ている間に気付かれずに儂等を運び出したと言う事か?」
じゃが侯爵家の警備を潜り抜けてそんな事が可能なのか? まさか配下の者達が裏切った……いや、それは考え辛い。あ奴らは儂に従い旨い汁を吸っておる。反抗的な者達は弱みを握り言いなりだ。儂に手を出せる者などあの屋敷にはおらんはずだ。
「父上、このみすぼらしい布切れは、どうやら服のようですぞ」
「なに?」
ふむ、ゴミかと思っておったがどうやら本当に服のようだな。服を広げると金属音を立てて何かが地面に散らばった。
「父上、久しぶりに見ましたが、これは銀貨ですな。全部で十万エルト……何も買えませんぞ」
「そうだな、しかし今ある金はそれだけのようだ。儂等をここに連れてきた者は何がしたいのだ?」
「父上、疑問はもっともですが、とりあえず服を着ませんか? みすぼらしい服ですがサイズも合っておるようですし裸よりはマシです」
「うむ、そうだな。しかしこのようなみすぼらしい服にそでを通す事になるとは……儂にこのような屈辱を与えた者には必ず報いを与えてやるぞ」
「もちろんです。自ら死を望むほどの責め苦を与えてやりましょう」
我が息子もよく分かっておるな。ガッリ侯爵家には王すら気を使う。その当主に無礼を働いたのだ、一族郎党、拷問の上根絶やしだ。しかしこの服、肌触りも悪い。庶民でも更に下層の者が着る服ではないのか?
「ダブリン、ここにおっても仕方があるまい。そこに見える村に移動するぞ」
「父上、私が村に行き馬車を連れて参りましょうか? あのような小さな村です。父上に相応しい馬車など無いでしょうが、歩くよりはマシです」
「いやよい、儂も行く」
本来なら儂を歩かせるような事はあってはならぬのだが、ダブリンを使いに出すとしても、このような場所で一人になるなど危険過ぎる。不愉快だが歩くしかあるまい。
***
「止まれ!」
むっ、村の門番ごときが儂に槍を向けるとは、許される事では無いぞ。
「無礼者! 貴族に槍を向けてタダで済むと思っておるのか!」
ダブリン、なかなか威厳のある叱責ではないか。次期ガッリ侯爵家当主として、立派に成長しておるな。しっかりと下賤の者に貴族の偉大さを教えてやるがいい。
「貴族? お前達が貴族って言いたいのか? ……身分を証明する物は?」
「今は持っておらぬ。王都に使いを出し、ガッリ侯爵家の者を呼んでまいれ」
「……ここは田舎だが、俺は冒険者として王都にも行った事がある。アイオライト王国にガッリ侯爵家なんて無い。せめて貴族の名前ぐらい調べて出直して来い」
「……今何と言った? アイオライト王国? ……ここはクリソプレーズ王国ではないのか?」
「頭は大丈夫か? クリソプレーズ王国なんて聞いた事無いぞ?」
「……父上、アイオライト王国と言う国をご存知ですか?」
ダブリンが不安げに儂を見つめておる。エルトリュード大陸にある国家の名前ぐらい覚えておかねばならぬ。ダブリンに付けた教師には罰を与えねばならぬな。しかしアイオライト王国か……不味いな。クリソプレーズ王国とはかなり距離があるし、国交も無い。
敵対国でなかったのは幸いだが、幾つも国を跨いでいるぞ。儂等はどれ程の期間、意識を失っていたのだ? 数日で移動できる距離ではないぞ。
「父上?」
「うむ、アイオライト王国は確かにある。クリソプレーズ王国とは国交も無い遠方の国だ」
「なんですと! いったいどういう事なのですか?」
「儂にもさっぱり分からん。だが、ただ事では無いな。国を揺るがす陰謀に巻き込まれたかもしれん。門番、儂はクリソプレーズ王国貴族、ガッリ侯爵である。何かしらの陰謀に巻き込まれたようだが、国に帰れば礼をするゆえ、まずは村の中で休ませよ。その後王都まで案内するのだ。馬車の準備とこのようなみすぼらしい服ではなく、もっと上質の衣服を用意いたせ」
とりあえず国交が無いとは言え、アイオライト王国に話を通し保護を願うしかあるまい。この国から一番近いクリソプレーズ王国と国交がある国は……四つほど国を越えねばならぬか……帰還に時間が掛かるな。
「……悪いが、自分達の身の証も立てられぬ者達を村に入れる訳にはいかん。王都に案内する事も服と馬車を用意する事も無い。早急に立ち去って貰おう」
「無礼者めがーーー」
「ダブリン、止めよ」
「何故ですか父上! 他国とは言え貴族である我々に対してこの物言い、許せる事ではありませんぞ」
この場で捕まる訳にはいかん事が分からぬのか。儂が門番ごときに丁寧に接しておるのを見て、状況を感じ取れぬとは、まだまだ経験が足りぬな。国内であれば何とでもなるが、他国であるならば慎重に行動せねばなるまい。
「ダブリン、黙れ! 門番よ、この村にギルドはあるか?」
「小さな村だ。ギルドなどない」
田舎とは不便な物だな。面倒だがギルドがある町に行かねばならん。商業ギルドであれば、なんとかなるだろう。領主に頼むよりも確実かもしれん。あ奴らのネットワークは国を跨ぐからな。
「……この村に入るのは諦める。この銀貨五枚で剣と保存食と水を用意いたせ。それとここより一番近い領主が居る町までの道筋を教えよ」
できれば馬を手に入れ護衛も雇いたいが、高々銀貨五枚では馬も買えぬし、まともな護衛も雇えぬだろう。儂とダブリンの二人では心もとないが、何としてでも町にたどり着き、帰還の目途をつけねばならん。
「まあしょうがねえか。それぐらいなら用意してやるよ。だが剣は無理だな。ナイフならあるがそれでいいか?」
ふむ、剣すら手に入らんのか……魔物に遭うと詰むぞ。だがここでゴネても村には入れんだろう。小さな村は自分達で自衛せねばならんから、排他的だ。ナイフだけでも手に入れておくべきだな。
「分かった、ナイフで構わん」
「分かった、準備ができたらさっさと立ち去れよ。おい、直ぐに応援を寄こすから、こいつらをしっかり見張りつつ、町までの道筋を教えてやれ」
「はい」
もう一人の門番に儂等の監視を任せ。不愉快な門番が村の中に入って行く。今の内に情報収集をしておくか。ダブリンはむくれてしまって使えぬ。貴族としての振る舞いはなかなかだが、今、何が大切な事か見極める力が不足している。いずれガッリ侯爵家の当主となるのだ。優秀な教師を増やし、ダブリンの教育を強化せねば先が不安だ。
…………残った門番から詳しく話を聞くと、どうやら儂等は前日の夜までクリソプレーズ王国の王都に居たようだ。たかだか半日でこのような遠方に連れて来られるとは……本気で何がどうなっているのだ?
「これが水、保存食、ナイフだ。節約すれば次の町まではたどり着けるだろう」
荷物を放り投げる門番。この場から消えろとでも言うように顎をしゃくる。不愉快この上ないが今は我慢するしかない。大人しく門から離れ町に向かって歩き出す。
「父上! あのような無礼者、成敗してしまえば良いではありませんか。何故大人しく引き下がるのです!」
「ダブリン、よく考えるのだ。国交も無い国では儂等の権力は通用せん。身分を証明できれば話は違ったが、今の儂等はただの不審者だ。迂闊に捕まれば処刑される事すらあり得るのだぞ」
心の底から驚いた顔をするダブリン。無理もあるまい、権力が通用せぬ事など今まで一度も無かったであろうからな。
「……しかし父上、悔しくてなりませんぞ!」
「分かっておる。無事に国に帰り着けば、いくら使っても構わん。あの門番を攫い儂の前にひれ伏させよ。その後は好きにして構わんぞ」
あの門番の態度は儂とて許せる事では無いからな。絶望を与えてやらねば気が済まん。
「それはいいですな! 必ず報いを与えてやりましょう」
「その為には無事に町にたどり着くのが第一だ。よいな!」
「はっ!」
***
「ダブリン、もっと力を込めろ! 落とすんじゃねえぞ!」
「はい、親方!」
「ガッリ、ボーっとしてねえで次の石を運べ!」
「はい!」
くっ、何故栄光あるガッリ侯爵家の当主である儂が、城壁の修繕の石運びをせねばならんのだ。苦難の末に町にたどり着けば、またも門番に止められた。
なんとか冒険者になると言う事で町に入り、商業ギルド、領主の館に向かえば……商業ギルドも領主も見る目が無さ過ぎる。ちゃんと調べれば分かる事であろうに、儂等を頭のおかしい者扱いしよって。ただでは済まさんからな。国に帰り着けば、この国ごと攻め滅ぼしてくれる!
「ガッリ、ぼさっとするな!」
「はい!」
くっ、我慢するのだ。なんとか資金を貯めて、儂を知る者がおる国に行かねばならん。この町で身分を証明できれば、ガッリ家に直接手紙を出し迎えが来るのを待てば良かったのだが、身分の証明ができぬ今の状況では、手紙が届き迎えが来るまでとても耐えられん。そもそも手紙を出す金すら無い。
高々一万エルトを得るのに汲々とする生活。儂が普段身に付けている装飾品が一つでもあれば、数百万エルトになるものを……。
クタクタになりつつもなんとか仕事を終えて、粗末な宿屋に戻る。食い物とは思えぬような粗末なスープと、石のように固いパンを無理やり胃に流し込み、粗末な二人部屋に戻る。
「父上、私はもう限界ですぞ! いつまでこのような生活が続くのでしょう?」
部屋に戻り、板と変わらぬ粗末なベッドに身を横たえると、最愛の息子が暗い顔で質問してきた。
「ダブリンよ、弱音を吐くのではない。ここで野垂れ死ぬつもりか? 儂等は国に戻り、我らに相応しい生活を取り戻さねばならん。あの門番の顔、儂等を頭がおかしい者と決めつけた者達、儂等を怒鳴りつけた者達の顔を決して忘れるな。必ず国に戻り、報いをくれてやらねばならんのだぞ」
「……そうですな。我等に相応しい貴族としての生活を取り戻し、罰を与えねば死んでも死に切れませぬな。父上! 必ずクリソプレーズ王国に帰り着きましょう」
「うむ。帰り着きさえすればなんの問題も無いのだ。それまでは石に噛り付いてでも耐えるのだ」
「はい!」
ダブリンの目に希望の光が灯った。儂と息子の絆があれば必ずクリソプレーズ王国に戻れるはずだ! 見ておれよ、誰を侮辱したのか分からせ、後悔させてやる。
読んでくださってありがとうございます。