プロローグ1 もしくは或る日の英雄
初作品です。
よろしくお願いします
「たすけて……」
深い森の中、誰にも届かない助けを求める声が虚空にむなしく響く。
私――アリア・トレインは絶望の淵に立っていた。
なぜ……なぜこんなところにアニマが居るの?
父親に頼まれて薬草用の花を摘みに行っただけなのに。
いや、何度も通ったことのある道だから安心しきっていたのかもしれない。
それにしても自分一人の時に現れなくてもいいのに!
「さて人間、選ぶといい。我らに従って王都まで着いてくるか、ここで死ぬかだ」
目の前に立ちはだかる全身を無機質な甲殻に覆わせた外見をした怪人は、覆われていない唇の部分を歪ませ、酷薄な笑みを浮かべる。
……もうだめだ。
アニマに見つかってしまった人間に、残された手段は二つしかない。
一つは彼らに従って彼らの管理する施設に送られ……そしてそこで異形の奴隷と化して生涯を生きる。
そしてもう一つは彼らに抗い……死ぬか。
私は周囲に視線をめぐらす。
細長い手足をくねらせるように蠢かせ、アリアを囲むように蠢いているのは、イーレと呼ばれる異形の存在だ。
のっぺらぼうのような外見が、見る人におぞましい印象を与えている。
なにより最も恐ろしいのは、こいつらは“元々人間だった”ということだ
アニマに連れ去られ、そして体を弄られた人間たちの成れの果て……アニマたちは失敗作だなんて呼ぶが、私たちからすればたまったものじゃない。
私もこいつらみたいになってしまう。そんなことを考えると足がすくむ。
「選べないか? ならばこちらに来るがいい。丁度、若い女が足りていなかったところだ」
目の前に立つアニマが、じりじりとこちらに近寄ってくる。
やがて私のすぐそばに立つと、おぞましい形の腕で私の頬に触れた。
ぬるり、とした感触が頬から全身に広がり、それと同時に私はすべてをあきらめた。
逃げられない。私はこいつから、逃げられない。
アニマは私の肩をつかみ、引き上げるように立たせてきた。
なんで……なんでこんなことに……
人間はアニマに逆らってはいけない。それは幼いころから何度も聞いてきた。
だからずっと我慢してきたつもりだ。小さな村でひっそりと、見つからないように生きてきた。
一日の食べ物だって分け合わないといけないから、おなか一杯になったことなんて一度もない。夜安心して寝れたことなんて一度もない。
お母さんが病気になった時も、薬草を満足に摘みに行くことができなかった。だからお母さんは死んだ。
あぁ、そういえばあの時から誰も足を踏み入れない薬草の生息場を探すようになったんだっけ。
それがこうしてアニマに見つかるきっかけになったんだから、まったくもって滑稽だ。
いつの間にか乾いた笑いが口をついて出る。
いったい私の人生は何だったんだろう。
「よし、では貴様。こいつを搬送する準備をしろ」
イールの一体が、アニマに命令される。すると命令されたイーレは、全身をビクンと震わせて、私に向けて腕を伸ばしてくる。
何度も見てきた光景だ。イーレは人間狩りの時にもその長い腕を使って人間たちを捕獲する。マーティーも、レインおじさんもイーレに捕まり、そして居なくなってしまった。
そして今度は私がその犠牲になろうとしている。
「……たす、けて」
誰にも届かない助けを呼ぶ声を告げると同時に、イールの手が私の顔を覆う――
――直前、その腕が途中からねじ切れるように切断された。
「なっ――!?」
驚愕するアニマの声。
無理もない。イーレの腕は鋼よりも強靭で革よりもしなやかと聞く。それをいともたやすく切ることができるなんて、普通じゃありえない。
かく言う私も、あまりの出来事にぽかんと口を開けてしまった。
「……間に合ってよかった」
私でもアニマでもない、若い男の人の声が、アニマの背後から聞こえてきた。
間に合ったことに安堵するような、目の前の光景に静かに怒っているような、そんな声だった。
「……まさか、この場にもう一人人間がいたとはな。まったく気づかなかった。おい貴様。一体どんなカラクリを使った?」
アニマが振り返り、私にもその声の主の姿が見えてくる。
……私とそう年の違わない、男の子だった。
このあたりじゃほとんど見ない、黒い髪に黒い瞳――旅の人だろうか?
「カラクリってほどじゃない、ちょっと捩じっただけだ」
さして大したことでもないと言いたげに、男の子は両手を広げる。
――その次の瞬間、私の周囲に立っていたイーレたちの全身が、瞬く間に捩じれていき、そして切断された。
イーレだった残骸は、びくびくと体を震わせると、そのままピクリとも動かなくなる。
信じられないものを見るかのように、アニマはイーレの残骸と少年を何度も見比べる。
「ば、かな……! これは我が友、オクルスの歪み行く水平曲線ではないか! なぜ貴様がこの能力を……!」
驚愕するアニマの声。どうやらコレはアイツの知り合いのアニマが使っていた能力らしい。
だとすれば彼はアニマ? たしか高位階のアニマは人間の姿に為ることが出来ると聞いている。だとしたら、依然としてピンチだということに変わりない。
「ああ、あいつそんな名前だったんだ。あいつなら倒したよ。コレはその時に貰った」
「なっ……!?」
目の前のアニマはいよいよもって言葉を失う。もっともそれは私も同じことだ。
少年はアニマを倒した、といってのけたのだ。
かつて多くの人間たちが抗い、そして誰一人として倒すことのできなかったアニマを。
そして……このようなことを言う以上、彼は人間だということにほかならない。
「貴様ぁ……妄言も大概にしておけ――! いうに事欠いて人間風情が我々アニマを斃しただとぉ? あり得ぬ! 断じてあり得ぬ!」
「あり得ぬって言われてもなぁ……まぁいいや。用があるのはあんたじゃないし。なぁ、そこのあんた」
激昂するアニマにはさして興味がないかのように、少年は視線をそらす。
そしてそのまま私の近くにつかつかと歩み寄ってきた。
傍らのアニマなど歯牙にもかけていない。
「わ、私?」
「そ、他に誰がいるんだよ?」
「わ、私に何の用が……」
もちろん私はこの少年とは何の面識もない。
しかし少年は怪訝な表所を浮かべた後、困ったような笑いを浮かべた。
「助けて、って言ったのはあんただろ? いいよな? こいつやっつけちゃってさ」
……まさか、
まさかこの少年はそのために私の下にやってきたの?
何の面識もない人間を助けるために、こんなところに……?
一言で言い表せない感情が、湧き水のようにあふれ出る。
「お、お願い! ……助けて!」
気が付けば少年の手を握りしめて、恥も外聞もなく叫んでいた。
少年はそれに満足したかのように頷くと、改めてアニマに向き直る。
「了解! じゃあ、改めて……いくぞ甲殻野郎」
「ほざけ劣等が。数々の大言壮語、インヘルの底で永劫悔み続けるがいい……!」
私を背中で守るかのように、アニマと対峙する少年。
アニマの周囲には幾何学模様の光彩が幾重にも展開されている。
アニマという種族が持つ最強の盾にして矛、異能展開領域「アルカヌム・エゴ」。
アレが展開されている限り、私たち人間はいかなる攻撃も通すことができず、いかなる防御も意味を為さない。
その能力の詳細に差はあるものの、共通していることは一つ。あれを前にした人間は無力だということだ。
「見よ……我が最強の能力。不機嫌な致命勅令。末期の言葉もなく、死ね!」
掛け声と共に、光彩の中心から鱗粉のような粉末が勢いよくまき散らされる。
キラキラと煌くそれは、まるで宝石を粒にしてまき散らしたかのように綺麗で――
と、思うや否や、少年が私の体をつかみ、後ろに跳躍をした。
「ちょっ、な、なななななななななな何!?」
一跳びで十メートルほどは距離を稼いだのだろうか。
それだけでこの少年の身体能力がただものでないことが理解できる。
「周囲を見てみるんだ」
少年は周りを見てみろと顎で示す
「え?」
それにつられて私も視線を周囲に巡らす。
そして次の瞬間……一瞬で異常に気づいた。
「なに、これ……」
先程まで私達が立っていた所に周囲に自生していた植物たちが、みるみるうちに変色していき……枯れてしまった。
よくよく見ると、先ほど撒き散らされた鱗粉に触れた植物たちが、次々にこのような異常性を発露している。
ということは、先ほどの跳躍は――
「アレを吸ってたら不味かった。今からあいつを打ちのめしてくるけど、絶対に近付いちゃダメだ」
やはり私を助けるための行動だったんだ。改めてこの少年の凄まじさに気付かされる。
それだけを告げると、少年は単身でアニマに駆け出していく。
「よくぞ見切ったな。存外言うだけのことはあるのかもしれん。だが、それを分かった上で何ができるか!!」
アニマは少年を称える言葉と共に、さらに大量の鱗粉をまき散らす。
少年はそれにも構わずに走り続けると、その両手を腰に当て、
「――――心鎧着装!!」
叫んだ。
次の瞬間、少年の全身がまばゆい光に包まれる。あまりの輝きに目を開いていることができない。
やがて光が引いてくると、そこには先ほどまでの少年の姿はなく、見たこともない鎧に包まれた戦士がそこにいた。
おそらくは少年が変化した姿があの鎧の戦士なのだと思う。
表現のしようがないけど……あれはまるで――
――まるで其れは、遥か未来の鎧のように洗練されたフォルムをしていた。
「ハッ! そんな鎧一枚で防げるほど、我が刃は甘くないぞ――人間ッ!!」
鱗粉の勢いを殺すことなく、アニマは鱗粉を撒き散らし続ける。
周囲一面に広がった鱗粉はその場に停滞していき、一瞬にして少年の目の前に鱗粉の濃霧が出来上がった。
辺り一面には枯れ果てた植物たちが広がっている。あの中に飛び込んでしまえば、少年も――!
「だ、だめ!!」
手を伸ばして突貫を制止する。だが彼は意に介することなく霧の中にも飛び込んでいってしまった。
「馬鹿め! 自ら死を選ぶか!」
アニマは嘲笑うように声を上げ、鱗粉の噴射を止めた。
少年の全身は鱗粉の濃霧に覆われ、外部からその内側を伺い知ることはできない。
だが、先程までの光景を見たうえで想像すれば、もう少年は……
しかし次の瞬間、鱗粉が揺らぎ――
「……よし、ここだ!」
少年は跳びだし、鎧に覆われた拳でアニマの頭を殴り抜けた……!
殴られたアニマは体勢を崩し、倒れおちる。
「ガッ! グハッ!? ば、馬鹿な! 何故あの中で生きていられる!?」
いよいよ以って信じられない者を見るように狼狽え、アニマは少年を見つめている。
やはり私の予想通りだった。普通の人間ならあの中に飛び込んだ瞬間、死んでいたはずなのだ。……だとすれば、何故少年は無事でいられるの?
「既に解析は完了した。鱗粉に触れた生物に強制的なプログラミング細胞死を実行させる……即死呪文を辺り一面にばら撒いているようなもんだな」
「貴様……わざと触れることで我が能力を読み取ったとでも言うのか!? どうやって! いや……そもそも、鎧越しであっても我が能力は防げぬはずだ! 何故だ! 何故貴様は!?」
少年はアニマの言葉に答えることもなく、アニマの下へと歩み寄る。
「や、やめろ……! 来るな! 近寄るな!! 私を光芒卿アリエスと知ってのことか! 私に楯突くことは帝国に楯突くことも同義だぞ!」
もはや先程までの威厳有る態度をかなぐり捨て、アニマは這いつくばりながらも少しでも遠ざかろうと後ずさる。
が、少年の足は途中で何かに気づいたかのようにパタリと止まった。
「っと、もう時間切れか……クソ」
時間切れ、という言葉に対して、私の脳内には不安の雲が一気に広がった。
そしてそれはアリエスと名乗るアニマにとっては、僥倖であったようだった。
「じ、時間切れ、だと? ――フ、フハハハハハハハ! そうかぁ……そうだろうなぁ! 我が能力を防ぐほどの鎧だ、稼働時間切れもさぞや早いのだろうとも!」
今までの醜態を忘れたかのように勢いづいた声で叫ぶと、アリエスは立ち上がりながらも、再びアルカヌム・エゴを展開する。
「今度こそ死ねぇ! 人間風情があああああああ!!!」
今までで最大規模の勢いで、鱗粉が紋様から吹き出された。
鎧に覆われた少年は、身動き一つすることもなくそれに包まれる。
もうだめだ。今度こそ彼は助からない。
「時間切れっていうのは……お前の人生のことだよ、アリエス」
――ふと、少年の声が鱗粉の雲の中から聞こえてくる。
「ようこそ俺の世界へ」
発声と同時に、自身を包む鱗粉を物ともしない光が内部から放たれる。
間をおかず、一瞬にしてアリエスの放った鱗粉が消え失せ、そこから少年の姿が現れた。
しかしその姿は先程までのものとは大いに異なっている。
“アリエスのアルカヌム・エゴを展開した状態で”、彼は其処に立っていたのだ。
「どういう、ことだ。……な、何故貴様が我が能力を」
呆然とした様子で、アリエスは目の前に立つ少年を見つめていた。
最早逃げるという選択肢すら脳裏に浮かんでこないようだ。
「何の事はない、読み取っただけだ。……あばよ、鱗粉野郎」
別れの言葉と同時に、少年の周囲に展開されるアルカヌム・エゴから鱗粉が噴出し、アリエスの体を一瞬にして覆った。
私にはその中の様子を見ることはできない。
……しかし、何かが崩れ落ちる音が聞こえてきた時、全ての決着がついたことを実感した。
あれから少年は私を私が住んでいる村まで送ってくれた。
道中は極めて静かだった。彼から私に話しかけることもなく、私も彼に何かを聞くということもしなかった。
決して彼が怖かったわけではない。だけどこんな気持ちで男の人と歩くことなんて無かったのだ、何を話せばいいっていうのだろう。
長いようであっという間の帰路が終わり、村の入口までたどり着いたところで、しょうねんは「じゃ」とだけ告げて帰っていこうとする。
「あ、あの……!」
このままではコレで終わってしまう。
それだけは避けたかった私は、とっさに少年を呼び止めてしまう。
不思議そうに振り返る彼だったが、私としても何を話せば良いのか全くわからない。
ええと、ええと……あっ!
「あ、あ、あ、ありがとうございました!」
言葉と同時に、頭を勢い良く下げる。
そういえばまだ助けてもらったお礼すら伝えていなかった。なんて恩知らずなんだろう。自分で自分が恥ずかしくなる。
「いいっていいって。俺も好きでやったことだしさ」
しかし少年はそんなこと意にも介さない様子でヘラヘラと笑っている。
その笑顔に、頬が赤くなるのを感じた。
「えっと、もう行っちゃうんですか? 私の村に来てくれれば、その、大したもてなしはできないですけど……でも、出来る限りのお礼はさせていただきますから!」
「あー、気持ちは嬉しいんだけど……ごめん! 待たせてる人がいるから、もう行かないといけないんだ! また近くに寄る機会があったら、その時はお言葉に甘えさせてもらうからさ!」
両手を合わせたポーズで、申し訳ないといった表情浮かべる少年。
その言葉は私にとっては、とっても寂しいものではあったが、彼にもやるべきことがあるのだろう。それを止める訳にいかないのは理解できた。
「わかり……ました。それじゃ、仕方ないです、よね」
私の言葉に、ちょっと寂しげな笑みを浮かべると、少年は踵を返して去ろうとする。
ああ、本当にもうこれで行ってしまう。
その足取りを止めようとは思わない。だって彼はまた来てくれると行ってくれたんだから。
ただ、せめてこれだけは――
「――じゃあ! せめてお名前だけでも教えて下さい!」
そう、名前。
それだけでも教えてほしい。絶対に忘れないから。貴方がまた此処に来るまで忘れない。来た時には真っ先に出迎えて、歓迎をしてあげたいから。
少年は足を止めると、私の方に振り向いて応えた。
「白崎義人。また来るときは、おみやげ持ってくるよ。……アリアさん」
次の瞬間には、もう彼は彼方遠くへと跳んでいってしまう。
豆粒程度になってしまった彼の背中を、いつまでも見つめながら私は頭の片隅で思うのだった。
(――いつ、私の名前を知ったんだろう?)
もう一つのプロローグを十二時すぎ頃投稿予定です。