3 全世界の敵
3 全世界の敵
寺門は地下4階、報告が途絶えた部屋の前にいた。かすかに焦げ臭い匂いがするこの部屋の扉に耳をつけ中の様子を探る。しかし、物音は一切しない。
---報告が途絶えたのってここであってんだよな。この静けさからすると、全員返り討ちか。
そこまで考えて躊躇なく扉を開ける。
「おっと・・・。」
部屋からは熱を帯びた煙が大量に流れ出してきた。しばらくすると視界が晴れてくる。
「・・・へえ。」
部屋の中には1時間ほど前に通信が途絶えた突入部隊の全員が倒れていた。うめき声をあげている者すらいない。おそらく全員死んでいる。
「何かしらの手段で爆発を起こし、全員窒息死ってとこか。」
こんな状況にも関わらず寺門は冷静に分析をしていた。否、口には抑えきれない笑みが浮かんでいる。
これだけの数の精鋭部隊を殲滅した子供。その存在が寺門に高揚感をもたらしていた。
「絶対に、殺してやる。」
文だけ見れば仲間のかたき討ちのようにも見えるが、実際は裸の女を目の前にしたような嫌らしい笑みと共に発せられた言葉である。
周りに人がいれば間違いなくドン引きであるが、いまの寺門は一人だった。
部下を引き連れて行けという藍野の命令を完全無視である。
---テルさんには悪いけど、俺はネンジンとやらを一人でぶっ殺す。
寺門にとってはぶっちゃけネンジンが人類に害を及ぼそうがどうでもよかった。ただ、強い奴の血と、絶望に染まる顔を見たいだけなのだった。
こんな明らかに人間性に問題がある寺門が警察官をやれているのには色々と事情があるのだが、それはまた別の話である。
「さて。大量虐殺を経て晴れて正式な犯罪者となったモンスターはどこへ行ったのかな・・・。」
この部屋から出たことは間違いないとして、上に行ったのか下に行ったのか。この建物は部屋数が多く、廊下も複雑に入り組んでいるから、ここに来るまでに行き違いになっている可能性も十分に考えられる。
「はあ・・・めんどくせえな。テルさんに気付かれる前に片付けちまいたいってのに。」
その時だった。獣のような咆哮、いや叫びが聞こえてきた。この世に絶望したような哀しみに満ちた叫びだ。
「・・・!あっちか!」
あっちは確か研究所の最下層に続く階段があったはず。そして最下層のロックがかかった部屋には確か・・・。
「あ、あは。あはははははははははははは!逃げられると思うなよネンジぃン!」
やつは絶対に俺が殺す。逃がしはしない。
「はあ・・・はあ・・・。」
叫びおわると物凄い虚脱感に襲われる。もう何も考えられない。否、考えたくなかった。考えれば自分が人間ではないという事実に身が引き裂かれてしまいそうだった。
---ここから逃げる意味はあるのだろうか。どうせ逃げたってどこまでも追われて捕まり、殺されるか人体実験のようなことをされるに違いない。僕に逃げ場は・・・ない。
そのときなぜその扉を開けようと思ったのか。自分でも無意識のうちに部屋の右手にある扉のとってに手をかけていた。扉は何の抵抗もなく内側に向かって開く。
「・・・?」
部屋の中にあったのは二つのベッドだった。一つは布団が乱れ誰も寝ていない。もう片方のベッドには誰かいるようだった。
「こんなところに誰が・・・?」
ベッドに近づき寝ている者の顔を覗き込む。
「っ!」
ベッドに横たわっていたのはハッとするほど美しい少女だった。年は16、17といったところだろうか。透き通るような白い肌に、地毛であろう自然な茶色がかった腰の上ほどまである髪。身長は大体160cmくらいだろうか。白い無地のワンピースからのぞく手と足は細い。
僕が少女の顔を呆然と覗き込んでいると、その気配を察してか少女が身じろぎをして目を開けた。少女の目が俺をとらえる。その純粋な瞳に吸い込まれてしまいそうだ。不思議と恐れや不安はお互いに抱いて無いようだった。
「あなたは誰?それにここは・・・?」
少女が口を開いた。鈴のような聞いていて気持ちの良い声だ。しかし、その声は不安げに変わる。
「私は・・・誰?」
電撃が走るように俺は理解した。この子も恐らく俺と同じ・・・。
そのときだった。扉のほうから爆発音がした。
「・・・っ!」
ここまで追手が来たのだろう。考えてみれば当然のことだ。
「今の音は・・・なに?」
少女がおびえたように僕の服のそでを掴む。こんな時にも関わらず僕ははこの子のことが愛おしい。と感じた。
さっきまでの虚脱感が嘘のように消えて、頭が澄み渡っていく。この子だけは絶対に守り抜かなきゃいけない。そう感じた。
そうとなればさっそく行動開始だ。
「君のこと・・・絶対守って見せるから。」
そういってベッドの上に起き上がった少女を抱き寄せる。少女は一瞬身体を固くしたが、おずおずと僕の腰に手を回してくれた。
名残惜しいが少女から手を放し扉に向かって走る。そして扉を開け放ち、部屋の外に転がり出る。
「!」
部屋の外にいたのは一人の若い男だった。先ほどの警官隊と違い若干身軽な装備で、盾も持っていない。いきなり転がり出てきた俺を見て、驚いたように眉を上げている。
「お前は誰だ?」
自分でも驚くくらいしっかりした声が出た。足はこんなに震えているのに。
「お前がネンジンか?」
質問に質問で返された。
「だったらどうする?」
相手の顔色をうかがいながら控えめに挑発してみる。
「っふ・・・はは。思ったよりずっとしっかりした少年のようだ。度胸もある。俺は寺門遥希。今回の作戦の作戦指揮補佐だ。以後よろしく。」
そう言って寺門は手を差し出してきた。
---随分と友好的な様子だな、俺を殺しに来たんじゃないのか?
そう思いながらこちらも手を差し出す。するとその手にはいつの間にかナイフが生えていた。否、差し出した掌を貫通して刺さっていた。遅れて激痛が走る。ナイフのひんやりとした感触を手の内側で感じて気持ち悪い。
「っ・・・!」
慌てて距離をとる。寺門はにやにやと笑っている。美形な顔にはそんな表情もよく似合っている。
「ははは。不意打ちみたいなことをしてごめんね。でもお前を殺すことが俺の使命だからさ。」
この男はやばい、本能的にそう悟る。刺された右手とは反対の左手で銃をポケットから取り出した。
「おお、突入隊から奪ってきたのか。」
寺門が感心したようにうなずく。しかしそんなことには構わず銃を構える。いや、構えようとした。気づけば寺門は目と鼻の先にいて、僕の手から銃が叩き落される。
「無駄な抵抗してないで、早く死んでくれよ。」
お腹に膝がめり込み吹っ飛ばされる。
「かはっ・・・。」
息がつまり床に転がる。
「ふーん・・・。こんなもんか。」
寺門がつまらなそうに、銃をホルダーから出し、構える。
「もういいや。ネンジンっていうからどんなばけもんかと思ってきたのに、所詮はただの子供か。」
僕の頭に照準が合わされ、引き金が引かれた。死ぬ。そう感じ、とっさに右手を振り上げる。乾いた銃声が部屋に響いた。
「んなっ・・・。」
右手から流れていた血がネンとなり銃弾を受け止めていた。寺門が呆けた顔をしている。右手からナイフを抜いて起き上がり、傷口から血が流れるがネンで塞ぎ止血する。痛みは鈍くなっていて、あまり感じない。
「これがネンジン、か。」
寺門がつぶやく。
「おおおおおおおお!」
ナイフを構えて特攻する。この後ろにはあの少女がいる。彼女を殺させないためにも今ここでこいつを動けないようにする!
特攻はあっさりとかわされてしまうが、そこまでは計算済みだ。その先の花瓶を掴み勢いをつけて寺門に投げつける。
「ぬおっ。」
ゴツンと鈍い音を立てて寺門の頭に当たった。花瓶は下に落ちて割れ、中の水と花が床に散らばる。
寺門は頭を押さえてよろめいている。手の隙間からは血が垂れていた。
畳み掛けるように構えたナイフを寺門の右足へ突き刺す。
「っつ・・・。」
寺門が膝をついた。ズボンに足元の水が染みている。
「僕はあなたを殺したいわけではありません。これで退いてくれませんか。」
膝をついた寺門に対し呼びかける。しかし寺門からの返事はない。
「聞いてるんですか・・・?」
寺門に向かって一歩踏み出す。その瞬間、電光石火のような速度で手で足をすくわれた。
「うあっ!」
たまらず床に転がった。とっさにネンで身体を覆うと、大量のナイフが飛んでくる。ナイフは刺さらずに弾かれ下に落ちる。
---こんな大量のナイフどこに持ってんだ!
心の中で突っ込みを入れながら起き上がろうとして、足元のナイフを踏みつけひっくり返る。
「うわっ!」
後ろの机に頭をぶつけるが、ネンをまとっていたため痛みはない。しかし、机の上のあれこれが落ちてくる。
「いてっ!」
重量のある何かが頭にぶつかり下に落ちる。これは・・・!
「っこれで終わりだ!」
文具や書類に混ざって落ちてきたスタンガンを花瓶からこぼれた水に突き立ててスイッチをいれる。その電撃は水を伝って寺門へ。
「ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
寺門がたまらずにのけぞって悲鳴を上げる。スタンガンを水から離すとその場に崩れ落ちた。ビクビクと痙攣しているが気は失っていないようだ。
「これで終わりです。あなたは当分動けないでしょうし。」
寺門を見下ろし告げる。寺門は少し呂律が回らない口を開いた。
「なぜ、殺さ、ない・・・!」
その形相はまるで鬼のようだった。
「僕にはあなたを殺すことより早くここを出ることが重要なんです。」
そうなのだ、この男の後から次々と部隊が送り込まれるに違いない。早くこの建物を彼女と脱出しなくてはいけない。
「っ!そうだ!」
扉を開けて少女のところへ戻る。
「っ!怪我・・・してる。」
少女が僕の右手を見て心配してくれる。
「大丈夫。それより早くここを抜けださないと殺される。」
「ころされ・・・?」
少女はいまいち状況が呑み込めないようだ。当然か。しかし説明をしている暇はない。
「僕が君を絶対に守るから。」
そういって少女の手を取り部屋を出る。手はこわばっているが抵抗はしない。倒れている寺門を見て目を見開く。
「なん、だその、少女は?」
寺門がつぶやくが無視して出口へと向かう。しかし出口から出る前に寺門に引き止められる。
「待、て!」
無視してもよかったが少し立ち止まる。
「その机、の下に隠し扉があ、る。そこから地、上へと続く、道が伸びて、いる。」
「なに?」
一瞬耳を疑う。
「そのルートな、らテルさんもノーチェッ、クだ。ある程度遠、くまで逃げられるはずだ。」
テルさんというのは作戦指揮官だろうか。いやそんなことはどうでもいい。
「なんで俺にそんなことを教える?」
明らかに罠だろう。そんなおいしい話があるわけがない。
しかし寺門は鬼のような形相で続ける。
「お前、は俺を倒して、殺さな、いという情けをかけた。そんな恥をかかされ、た奴を他の奴に殺させはしない・・・。」
いや、情けをかけたわけじゃないが・・・。
「俺はお、前を許さない・・・。お前を殺、すのはこの俺だ。」
今の寺門が嘘をついているだろうか・・・。
「この人・・・嘘ついてないよ。」
少女が僕の袖を引っ張りながら言う。
「わかるの?」
少女がうなずく。
「まあこのままこの出口から行っても脱出できるかわからないし、ダメ元か・・・。」
机のところに戻り、いすをどけ床を調べる。
「あった!」
遠目にはわかりにくいが上に開けるはめ込みの扉があった。取っ手を引っ張ると予想よりも簡単に開いた。下に向かって梯子がのびている。
「よし・・・行こう。」
少女に声をかける。そして最後に寺門を一瞥する。
「一応礼を言っておく。」
そういうと寺門は憎々しげにこう言った。
「絶対に殺、しに行く。それまで死、ぬんじゃないぞ。化け物。」
こうして僕たちの終わりの見えない逃亡は始まった。




