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「なんてカッコ良く言ったけど、本当に大丈夫なんだろうな!?」

「文句を言う暇があるなら、とっとと働け」

「お前も働けよ!」

 先ほどまでの堂々たる態度はどこへやら、ファウストもといハインリヒは、運んでいた重たい荷物を地面に置いた。肩で大きく息をする。

「失礼な。我が輩、こんなに働いているではないか」

 対するメフィストフェレスは、金属棒を組み合わせている真っ最中だ。

 二人がいるのは城のすぐ側の断崖絶壁であった。それは黒の森を何の障害もなく全て見渡せる地点でもあった。

「それが件のシュラなんたらの鏡か?」

「貴様、おっと失礼これは主人に対しては不適な呼びかけだったな、お前は本当に固有名詞を覚えるのが苦手だな。『シュラクサイの鏡』だよ。あるいは『アルキメデスの鏡』とも言うな。

 昔々、シュラクサイなる地があってな、海から強大な敵艦隊に囲まれたのだ。絶体絶命の状況だったが、幸福なことに彼の地にはアルキメデスという天才がいてだな、彼が様々な兵器を作りだし、シュラクサイは長らく持ちこたえたのだよ。

 その中で最も有名かつ伝説的なのが、この『シュラクサイの鏡』ってわけだ。何でも遠く離れた艦隊を焼き払ったと聞く」

 喋りながらも金属によるフレームを完成させたメフィストフェレスは、ハインリヒが運んできた箱から大量のガラス鏡を取り出すと、その間に器用に嵌め込み始めた。

 「へぇ」。古代の知識に通じているはずのファウスト博士が、素直に感心の声を上げた。「鏡でそんなことが出来るなんて凄いな」。

「素直なやつめ。我が輩は『聞く』と言ったのだぞ。全ては伝説だ」

「え、じゃあシュラクサイの話は、嘘なのか?」

「知らぬ。なにせ我が輩、その頃にはまだ生まれていなかったのでな」

 歌うかの如き口調で楽しげに言い放ったメフィストに、ハインリヒは絶句する。それでも絞り出すように聞いた。

「でも、お前の力でなんとでもなるんだろう?」

「我が輩は弱っているのだぞ。そんな大がかりなことをした日には、過労死間違いなしだ。我が輩、そんな死に様は真っ平御免蒙る」

「お前!」

 ハインリヒの怒りに、あははと陽気にメフィストフェレスは笑った。

「元から我が輩、魔法など使う気はないよ。そんなことをすれば異端審問に捕まるのだろう? だから魔法ではなく、技術を使うのだ。ちゃんと仕込みも万端だぞ。な?」

 返事をしたのは猫、ベゲモートであった。いつからかすっかり姿を見なくなっていた黒猫が、嬉しそうにハインリヒに頭を擦りつけていた。

 グルグルと喉を鳴らす姿は可愛らしいとハインリヒも思いはするのだが、どう接して良いのやら彼にはさっぱり分からない。それでも恐る恐る触れてみれば、黒い毛皮からは微かに硫黄の臭いがした。いつかあの白面の僧が言った悪魔の臭い、だ。

 「おい、我がご主人様」、メフィストが居丈高に彼を呼んだ、「さっさとガラス鏡を運んで来てはくれないか」。

 見ればメフィストフェレスは金属フレームの半ばまで、鏡をきっちり嵌め込み終わったところであった。既に一つ目の箱に入っていた鏡は、空っぽになっている。

 やれやれと腰を上げたハインリヒは、遠巻きにこちらを見遣る人々に気が付いた。輝く鏡を用いる彼らの工作は遠くまで反射光を投げかけており、目撃者の好奇心を誘っていたのだった。その正体を見極めようと、わざわざここまで上ってくる好奇心旺盛な連中も中にはいたのだ。

 ハインリヒの見た人々は、全員が全員、襤褸を纏っていた。亡命も叶わず、また国境線から離れることも出来ぬ、最貧層の連中なのだ。

 「宜しければ」、人好きのする笑顔を被ったメフィストが、見物人たちに向かって声を掛けた。「手伝ってはいただけませんか? 全てが終わった後には、みなさまに鏡を一枚ずつ差し上げますよ」。

 人々はそれぞれに顔を見合わせた。だが元々がここまで上ってくるほどに好奇心の豊富な連中のこと、一人が手伝い始めると、次々に雪崩を打って参加したのだった。

 「何も隠すものなどない」、メフィストがハインリヒに囁く、「これは悪しき術ではなく、技術なのだから。こいつらがその証言者になってくれるだろうよ」。

 見物人たちはせっせと鏡を運び、磨き、メフィストフェレスの指示の元、シュラクサイの鏡装置にガラス鏡を組み込んでいく。そんな彼らのおかげで、想定していたよりもずっと短い時間で、シュラクサイの鏡が三基完成した。

 メフィストフェレスが再度声を張り上げる。

「みなさま、どうぞ一枚ずつ鏡をお持ちください。後で持ち帰ってくださって構いません。けれども今はご協力を願います。鏡を掲げた上で、少しお下がりを」

 ざわざわと囁きながら、みなは指示に従った。最初は十人を超えていなかったはずが、気が付けばそれなりの人数と化していた。

 三十八枚の鏡を備えたシュラクサイの鏡装置が三、加えて若干離れたところには、鏡を掲げ持った人間が五十ほど。

 彼らはみな、初めて触れる美しいガラス鏡に興味津々の様子であった。その様をメフィストフェレスは満足げに見回すと、シュラクサイの鏡装置に繋がる紐を突如ハインリヒに押しつけた。そして彼の肩を叩き、耳元で囁く。

 「頼んだぞ、『ファウスト博士』。これはお前の、一世一代の見せ物だからな」。動揺するハインリヒに、ベゲモートが安心させるように鳴いた。「そうそう、ベゲモートがおまえの補佐をしてくれるそうだ。念のために、これも渡しておくかな」。

 そう言って小さなガラス鏡を手渡したかと思うと、メフィストフェレスは黒い森に向かう急な坂を、風の如く華麗に颯爽と下り降りて行った。周囲の人間たちから感嘆の声が上がる。

 小さくなるその黒い背中に、ハインリヒは不安を覚えた。それでも彼は、必死に自分を励ました。あの悪魔は一度たりとも、彼を裏切ったことなどなかったのだ。

 それに、とハインリヒは大きく深呼吸を行って平静を取り戻そうと努めた、彼は今やただのハインリヒではなく、ファウスト博士、古代の知識に長けた知者にならなければならないのだ。動揺など見せられない。

 彼はシュラクサイの装置に繋がった紐を確認した。鏡の一枚一枚を磨き直し、さらに周囲の人々にも自分の鏡を磨きあげるようにと、「それらしい」指示を出した。

 なにせこの鏡の反射率こそが、今回の見せ物の成否を決めるのだ。……少なくとも、そういうことになっている。


 ファウストはこっそりと、メフィストフェレスに手渡された鏡を覗き込んだ。それは、いつかキュマニスがくれた聖なる金属鏡と、同一のものであった。その表に映し出されるのは、彼の悪魔の姿だ。声を伝えてくれるのは、前回と同じくベゲモート。

 彼の胸に、シュトゥーベンベルグ城での出来事が蘇った。だが今度は違う、と彼は信じた。今は悪魔が味方なのだ。

 鏡の中のメフィストフェレスが、白馬に近づいて行く。悪魔だけを映していた鏡が、徐々に周囲全体を視野に収め始めた。

 黒衣のメフィストとの対比も鮮やかな馬の上には、キュマニス。その隣に用意された馬に、メフィストが軽やかに飛び乗った。それで準備は全て整ったらしく、ファウストの見守る鏡の中で、キュマニスを筆頭として兵士たちが黒の森へと近づいて行った。

 ――ついに、シュトゥーベンベルグとの直接対決が始まるのだ。

「さて覚悟は、姫様?」

 問うたのはメフィスト。キュマニスはくっと唇を吊り上げた。

「我らにはファウスト博士が付いているのだろう? 不安などないさ」

「然り」

 ファウストの胸に、緊張感が込み上げる。しかし最早、止めることなど出来ない。全ては、動き出したのだ。

 森の直前で、彼らの足が止まった。キュマニスの合図の下、ノイベルグの兵士が笛を吹く。鋭い音が森に響き渡ったのを確認して後、キュマニスが大声を張り上げた。

「シュトゥーベンベルグの王子、アンブロシウスよ。そこにいるのは分かっている。此度の国境侵犯に関して、申し開きがあるのならば、聞こう」

 黒い森に、金属の擦れ合う音が響いた。木々の隙間に兵士たちの姿が見えた。その中、影から太陽光の下に歩み出して来たのは、黒馬が二頭。馬上には、アンブロシウスと白面の僧ロザリオの姿があった。

 ロザリオとメフィストフェレス、アンブロシウスとキュマニスの視線が正面から衝突した。誰も引く気は、ない。

 最初に口を開いたのは、アンブロシウスであった。

「用件は一つ、ガラス鏡の職人ハインリヒを引き渡せ」

「それへの返事は、もうした。そこのロザリオから、聞いただろう?」

 「僕は理解出来ないよ、キュマニス」。アンブロシウスの口調が緩んだ。「どうしてそこまでして、あの少年を庇うんだ」。

「私には、どうしてあなたがそこまで彼に拘るかの方が、分からない。ガラス鏡はただの道具であって、それ以上でもそれ以下でもないでしょうに」

 「違う!」 鋭い否定はロザリオ。「あれは悪しきものだ、悪神に属するものだ」。

 「善と悪の間には、明確な区別などありはしませんよ」。異端審問僧に応じたのは、悪魔。「相手が道具ならば、尚更です。あれは確かに特別に素晴らしい、普通ではない物かもしれません。ですが……それだけです」。

 「悪魔め」。ロザリオの言葉は鋭い。「お言葉ですね」、対するメフィストは柔らかく笑んで見せた。

「けれどガラス鏡と同じく、わたくしも『普通ではない』ことは、認めましょう。ですがそれはロザリオ様、あなたもでは? そしてわたくしは、先ほど言いましたでしょう。善と悪とは区別不可能だと。両者とも等しく、『普通ではない』のです」

 なにを、と声を上げるロザリオを、メフィストフェレスは一笑に付した。

 「闇のない世界に、光があるでしょうか? 黒のない世界で、白の素晴らしさが理解出来ますでしょうか? 異端には両極が必要なのですよ。そしてその両端は表裏一体であり、切り離すことなど出来はしません。もしも」、笑むメフィストの瞳に浮かんだのは、しかし明白な侮蔑であった、「それらを分けることが出来ると、善と悪が独立した別個のものだと言う輩がいたならば、それはもれなく紛い物なのです」。

「黙れ!」

 「ロザリオ」。激した僧を止めたのは、アンブロシウスの一声であった。「キュマニス、君も同じ意見なのかい?」

 「分からない」。キュマニスの声は静かだ。けれど、そこには確かな強さが宿っている。

「私には、よく分からない。けれどハインリヒの鏡が悪しきものだとは、どうしても思えない。彼の鏡には彼だけではなく、様々な人たちの想いが含まれている。私はそれを守りたい」

「なるほど。どうやら僕たちは、分かり合えないようだ」

 その言葉が決定的な引き金となった。

 先陣を切ったのは、僧のはずのロザリオであった。その馬が目指す先は、メフィストフェレス。隠し袖から取り出された筒が見る間に組み上げられ、槍となる。

 彼に続かんと、森の中の兵士たちもそれぞれ自身の馬に鞭を当てた。昼なお暗い黒の森から、ノイベルグの拓けた地に向かって熱気が爆ぜた。

「おやおや、最近の僧は物騒だな」

 周囲に漲る緊張感に逆らって、メフィストフェレスは一人、普段通りの口調で肩を竦めて見せた。だが丸腰だ。そんな彼女に勝利を確信したロザリオが、己の獲物を大きく振りかぶる。

 途端、メフィストの手に隠されていた小さなガラス鏡が、奇蹟を起こした。善神の化身たる太陽光を強く反射させたそれが、ロザリオの馬の目を射したのだ。

 思わぬ刺激に動揺した馬が、後ろ足で立ち上がった。片手を離していたロザリオは、ひとたまりもない。しかし悪魔はまだ、それでは満足しなかった。ガラス鏡を高らかに掲げ、森の木の一つに向けたのだ。途端、小さな火の手が、上がる。

 予期せぬ火事に、シュトゥーベンベルグの兵士の間に、動揺が走った。一人気を吐くのは、ロザリオ。「悪魔め!」落馬してもまだ、元気そうだ。

 そんな彼を見下ろしながら、メフィストフェレスがガラス鏡をひけらかした。

「馬鹿を言うな。これは火付けの祭事と全く同じだよ。金属鏡で出来ることは、このガラス鏡でも出来る、いや、この素早い着火は、ガラス鏡の方が優秀だという証拠だな」

 そして、とメフィストフェレスが大げさな身振りで城の方向を振り返った。場の全員の視線が集中した先には、シュラクサイの鏡装置が三基、その輝かしい顔を彼らに向けて、鎮座していたのだった。

 悲鳴を上げる暇などあればこそ。「ファウスト」。ベゲモートを通じて発せられたメフィストフェレスの声のままに、ファウストが紐を引いた。装置に備え付けられた鏡が全て一点を向く。――その効果は絶大であった。

 数本の木が、一気に燃え上がった。元々が燃えやすい木から成る黒の森だ。兵士の間に恐慌が吹き荒れる。


 それを鏡を通じて見ていたファウストは、周囲に上がった歓声で我に返った。珍しい装置を見に集まった物見高い人々が、今や黒の森を指さして叫んでいる。

 彼らは瞬間的に理解したのだ。この巨大な鏡が、あの火を生んだのだと。そしてそれは、ノイベルグが決してただ無力なだけではないと、シュトゥーベンベルグと渡り合うこともすら可能なのだと示しているのだとも、彼らは知った。

 森ではメフィストフェレスの演説が猛威を揮っていた。彼の悪魔は教えてやったのだ。此度のシュラクサイの恐るべき鏡が可動式であり、どこでも狙えるのだと。シュトゥーベンベルグの兵士たちの間に、大きな狼狽が走っていく。

 彼らの手勢は僅かに三十騎。元々がノイベルグを脅すためだけに来たのだ。相手が簡単に折れると思い込んでいた彼らには、反撃に遭う覚悟はなかった。

 対するノイベルグの兵士には、絶対に引けない理由があった。多くの貴族が逃げ出す中で、それでもキュマニスに従った彼らは、彼女のために命を投げ出す覚悟があった。

 真っ直ぐに睨み合うキュマニスと、アンブロシウス。だがどちらが優勢かは、明らかだ。

 その様子を映す鏡を横目に見ながら、ファウストは立ち上がった。彼らが立ち直らない内に、とっととケリを付けなければならない。今ならば、死傷者を出さずに終結させることが出来る。悪魔がキュマニスに約した通りに。

 ファウストは周囲の人々に、彼らに配っておいた鏡を掲げるようにと指示を出した。シュラクサイの装置と同じところを狙うように、頼む。鏡の向こうのメフィストフェレスの指定に従い、ファウストが右だの左だのもっと上だのと彼らを誘導する。

 主力兵器であるシュラクサイの鏡は勝手に焦点を合わせてくれるのだから、彼は操作しているふりをするだけでいい。実に楽な仕事ではあった。

 だがその間にもファウストは、動揺していた。葛藤していた。彼の周囲のノイベルグの人々が喜びを露わにする一方で、鏡の向こう、ベゲモートの伝える声の向こうでは、シュトゥーベンベルグの兵士たちが恐怖に叫んでいるのだ。

 この温度差。戦いの実体など、本来はこんなものなのかもしれない。けれどもファウストには、理解出来なかった、否、理解したくなかった。

 それでも彼は、その断絶を必死に飲み込む。それは彼が望んだものなのだから。

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