第八章 暗紅老仙 (10)
出立から十日ほどが過ぎた。
幸いにもからりと晴れあがった日々がしばらく続いている。
町をつなぐ主要な街道を外れてからは、徐々に山がちな地形が増えはじめ、ゆるやかな登り下りと野宿を何度か繰り返す単調な道行きだ。
そろそろ夏の暑さも落ち着いてくる頃合いだろうか。
やせた木々がまばらに並ぶ林のなかを、そよ風が心地よく流れる。
しばらく続いていたきつめの勾配が緩やかになった。はっきりした道こそ付いていないが、進むのにさほど労力は要さない。それゆえに、うかつに足を踏み入れれば方向を見失って立ち往生しかねない危うさを感じる。
イェンルゥが案内役として少し先を進んでいた。その背中に付いていきながら、大槻キュウタはふと隣のサザレに意識を向ける。
白い外套に小柄な体をすっぽり包んだ少女。立ち居振る舞いは、いつもと変わりないように思える。
だがここ数日、サザレがやけに静かな物思いにふける瞬間をキュウタは目撃していた。どうやらイェンルゥとのあいだに何かがあったらしい。
ただ、諍いに類するものでは無いようにキュウタは感じる。当の二人のやり取りには親密とも敵対とも違う、なんとも表現しがたい空気と距離感があったのだ。
キュウタは頭をかいて小さなため息をひとつつく。さて、どうしたものか。気にする必要など無いかもしれないが、気になるものは仕方がない。
不意に、サザレが歩きながらぽつりとつぶやいた。
「キュウタ。私は大丈夫です」
突然の言葉にキュウタは肩をびくっとさせる。まるで心を読みとられた気分だ。サザレのわずかに伏せられた視線は前方に向いたままである。
可愛らしくも整った横顔はごく落ち着き払っていた。
そうだった。サザレは嘘をつかない。女性の心理を案ずるなど我ながら無謀な試みをしたものだ。
キュウタは小さく頷いた。
「……うん」
もう少し気の利いた返しができれば良いのだが、と思いながら目をイェンルゥの後ろ姿へと戻す。
林が途切れている場所でイェンルゥが立ち止まっていた。木々の向こうは光にあふれ、開かれた空間の気配が伝わってくる。どうやらそこから一気に下り道にさしかかるようだ。
キュウタはイェンルゥの隣に立った。尾根をすがすがしい風が吹き抜け、彼らが見下ろす風景へと流れていく。
深い緑の山にはさまれた谷間。一瞥したかぎりでは、伸び放題の草むらが緑と茶の斑模様を織りなしている。キュウタはふと、草むらのあちこちに枯木らしきものが折り重なって埋もれていることに気付いた。
よくよく見れば、それらは自然に形成されたものではないことが分かる。規則性をもった構造体、おそらくは建築物の名残りだ。たしかに、そう意識して谷を見渡してみれば、天然に作り上げられたとは考えづらい地形も散見される。
ここはかつて人の住処だったのだ。
イェンルゥが編み笠をかぶり直して表情を隠す。彼女の声は不自然なほど感情のこもらぬ単調さであった。
「あそこがあたしたちの……仙人の『里』だ」
◇
もちろん、いまは人々が住んでいる気配など無い。
かつて集落だったモノの残骸がそこにあるだけだ。
素朴な造りの木造住居だったモノは、長年の風雨によって外観は黒ずみ、屋根や壁の大部分も朽ち落ち削り取られ、歪な輪郭を晒している。
何かの拍子に外れたらしい戸板の隙間から、苔や蔦がじめじめした薄暗い室内の土間や柱を覆っている様子が見えた。
原型をとどめている住居はまだマシなほうだ。
キュウタがざっと見渡した『里』に残っている建物は、その多くが一部の土台や柱の傾いだ基部を草むらに埋もれさせてしまっている。
自然による劣化、と言い切れないものがあった。人為的な『破壊』の痕跡を強く感じる。
キュウタは腰に下げた道具袋のなかにある丸壺をちらりと見た。
どうにも胸がざわつく。これは何かの『核心』に近づいている前兆に思えてならない。
イェンルゥは草むらのなかに立ち、あたりを黙って見つめていた。そよ風や草葉の擦れるささやきに耳を傾けるかのように。
やがて彼女は道具箱を背から降ろし、手近な木の根元に置いて身軽な格好になった。
「せっかくだから、みんなに会っていくよ。老師は?」
キュウタが丸壺を取り出すと中の顔がぐるりと回り、あたりを確かめる。
『ワシとキュウタは祠に行く』
話がよく見えず、キュウタは怪訝な顔になったが、わざわざ反対する理由もなかった。
そして沈黙が流れる。
気付けば三人の視線がサザレに向いていた。
不意に注目の的となったサザレが珍しく口ごもってしまう。
「えーっと……わ、私は……」
◇
里の外れに広がる荒れ地は、みすぼらしい低木とごろごろした石くれの隙間にまばらな草むらがあるだけの寒々しい風景だ。
せいぜい年に一度訪れるかどうかの場所。
薬を売って町々を渡り歩く暮らしのせいで、ついつい足が遠のいてしまう。というのは、もちろん自分を誤魔化すための言いわけである。
ここには得られるものも見るべきものも無い。
幸せだったころの記憶など、頭の奥にしまいこんで埃が被るに任せてしまうべきなのだ。
そして、イェンルゥは自分の思考にかまけ、背後にいる同伴者の存在をうっかり忘れていた。ため息とともに訝しげな表情を振り返らせる。
それに気付いたサザレがむっとした顔で言う。
「何か?」
少女の語勢につられてイェンルゥもつい、つっけんどんな調子になる。
「あの坊やと一緒のほうがいいんじゃないの? あたしに付いてきても面白くないだろ」
頬を軽く膨らませたサザレが、ぷいと視線を外した。
「面白くは……ないです。けど、」
「けど?」
サザレがその続きを言うことは無い。口を開けば開くほど自分の首を絞める羽目になりそうな気がしていた。
イェンルゥに<姉>の面影を重ねてしまったことがまだ尾を引いている。かといって、イェンルゥを過度に忌避してしまうのも、それはそれで負けたようで癪にさわるのだ。
また、感情的な部分はさておき、イェンルゥの今後の人生が魔法技術発展の歴史に影響を及ぼすかどうか、という点を『未来視』を通じて確認しておきたいという部分もあった。
今のところ未来視で得られた情報から判断するに、魔法技術と仙術の繋がりはゼロだ。
互いの技術体系は隔絶しており、蓄積されたノウハウを持ち寄ったところで相乗効果を生みはしないだろう。
この予想をさらに確かなものとするため、『仙人』であるイェンルゥの未来のさまざまな可能性を見ておいても無駄ではないはずだ。
結局のところ、知識や技術を磨き伝えていくのは『人』の手なのだから。
中途半端に言葉を切ってだんまりを押し通すサザレだったが、イェンルゥもそれ以上特に気にとめる気配を見せなかった。
やがて唐突にイェンルゥが足を止めた。
周囲の風景をひとつひとつ丁寧に確かめるように、ゆっくりと視線を巡らせている。
イェンルゥの眼差しの先をサザレが追った。
そこは、『石』が立ち並ぶ景色だった。
形もそれぞれ不揃いで特に加工されているわけでもない、三十センチほどの高さがある縦長の石。それらはいずれも直立するように土に埋め込まれ、前後左右ほぼ等間隔に配置されている。石の表面に薄くこびりついた土埃や泥の様子や、周囲の草や土との馴染みかたを見るに、それなりの年数の経過を想像させられた。
不意に、サザレはそれらが総て『墓』であることに気付いた。
静かに前に歩み出たイェンルゥがひとつの墓に手を優しく添えた。
「ここはあたしの親代わりだった人。見てるこっちが恥ずかしくなるくらい仲良い夫婦だった。せっかくだからこうして一緒にしておいたんだ」
イェンルゥの唇にやわらかな微笑みがよぎる。
墓のあいだをゆっくりと進んでいくイェンルゥのあとを、サザレも何とは無しについていった。
「こっちは弟みたいに思ってた子。家のそばにでかい木があって、しょっちゅう一緒に登って遊んでた」
イェンルゥがまた別の墓の頭をとんとんと人指し指で叩いて、呆れ気味に片目を閉じた。
「この人には字の読み書きと、薬の作り方を教わった。ついでに酒の飲み方も教わったっけ。ふふっ、子供に教えることじゃないよねえ」
どれもこれも名も刻まれていない、天然の石を立てただけの粗末な墓だ。だが、その総数は百を超える。
強い風が吹いた。
イェンルゥの背中で束ねられた長い髪が大きく揺れる。
「みんな、ここにいる。あのとき、みんな死んだ。あたしだけが死ななかった」
イェンルゥの視線が空に向く。やや傾いた陽が雲間に隠れていくのをただ静かに見つめていた。
ここにある墓は、すべてイェンルゥが一人で建てたのだろうとサザレは思った。直感でしかないが、きっとそうだ。
キュウタが丸壺から伝え聞いた、ガン・ワン本人がツィウ・ハーに殺されたという十年前の出来事。おそらくそれが関係しているのだ。
当時ほんの小さな子供であったはずのイェンルゥは、どんな思いでこれらの墓をひとつひとつ建てていったのだろうか。
サザレは相手にかける言葉も見つけられず、複雑な思いのままイェンルゥの背中を見つめていた。
◇
今では背の高い草むらとしか見えないが、おそらく田畑があった場所なのだろう。土を盛ったあぜ道のような痕跡が、なだらかな斜面に曲線を作っている。
キュウタはひざ上まである草をかき分け、ゆるい土壌の足元を注意しながら進む。彼が腰に下げた道具袋の中から、丸壺の声が投げられる。
『てっぺんが平らな丘が正面にあるだろう。その裏手の中ほどだ』
何の道も作られておらず、登りに多少難儀したが、三十分ほどで目当ての場所を見つけた。
その『祠』は遠目に一見しただけでは気づくことは難しい。『里の中でもここの存在はワシとイェンルゥしか知らなかったからな』という丸壺の言葉も納得できる。
どの方向からも木や岩で巧妙な死角になっている斜面の窪み。そこに片開きの木の扉が埋め込まれている。形はほぼ真四角で、大人が四つん這いでくぐれる程度の大きさだ。
扉の周辺にこびりついた乾いた泥土や草の根やらを見るに、かなりの期間ここは手付かずのまま開かれていないのだろう。
錠前の類は無い。把手を引けば簡単に開きそうだ。だが、その無防備さを逆に警戒したキュウタが道具袋から丸壺を取り出し、中の老師を見る。
「あの、老師……」
『構わん。開けろ』
あっさりと答えた丸壺の表情はどことなく憂いを帯びていた。
ふむ、と一息ついてから、キュウタはぐいっと把手を引いた。はたして扉はあっけなく開き、内部に漂うカビ臭い空気が少年の鼻をつんと刺激した。
「これは……」
キュウタは発光魔法の術式が刻まれた札を取り出し呪文を唱えた。宙空に発現させた小石ほどの大きさの光球に左手を添えて、照明の方向を制御する。
祠のなかは掘り下げられた空間で、人ひとりがしゃがんですっぽりと収まる程度の小ぢんまりとした広さだ。地面には、すのこ状の木の床が敷かれている。扉以外の三方の壁には棚が据え付けられ、おびただしい数の『書物』がぎっしりと収められていた。
キュウタは丸壺をそっと扉のそばに置いて、祠のなかにゆっくりと体を滑り込ませた。注意しながら床に腰をおろす。発光魔法で作った光球を天井近くに移動させ、じっくりと祠の内部を見渡した。
書物の一つを抜き出し、開いてみる。表紙にへばりついていた次の頁が一緒に開き、ばりっと裂け目が入った。紙面のあちこちにできた黄色や茶色の滲みといい、紙そのものの手触りといい、明らかな劣化を感じる。
野ざらしで無かったとはいえ、長期間こんなところに手入れもせずしまいっぱなしでは無理もない。
ふと、キュウタの心に既視感が生まれる。再び、祠の棚を埋めている書物の並びをじっくりと観察していく。
やがて彼はその内の数冊を抜き出し、表紙を確かめてから床に重ねていった。
重ねられた書物の数が二十を越えたあたりで、キュウタは手を止めて振り返った。扉の外から自分を見つめる丸壺と視線が合う。
赤い液体の濃淡が作る単純化された顔。だが、そこにれっきとした意思を見ることができた。
この丸壺は明らかな意図をもって、キュウタをこの場所へ導いたのだ。
キュウタは相手をじっと観察しつつ尋ねる。
「なぜ、僕が『不老』だと解ったのか、その理由を聞いてませんでしたね」
『昔から、仙人は外の国から入ってくる書物を積極的に集めていた。そしてあるとき、ワシはちょっとした違和感に気づいたのだ』
ガン・ワンはキュウタが抜き出した書物をちらりと見て続ける。
『書かれた時期が百年や二百年の開きがあるはずなのに、『筆跡』が同一の書物がいくつかあった』
そこで言葉を切ったガン・ワンが片方の目をぴくりと見開かせる。あとは説明するまでもないだろう、とでも言いたげな仕草だ。
先日、ガン・ワンの前で自分の名前を書いてみせた手のひらを無意識にさすりながら、キュウタが肩をすくめる。
「気付く人がいるかも知れない、とは思っていました。それなりに警戒した時期もあったんですが、最近すこし気が緩んでいたようですね」
そう苦笑したキュウタは、ふっと視線を外して床の上の書物を眺めた。いずれも『魔法学』に関する書物であり、大なり小なり自分が翻訳や写本、そしてリャオの土地への持ち込みに携わったものである。
そしてガン・ワンの種明かしを聞きながら、自分のなかで形を取り始めていた、とある一つの『仮説』。それをキュウタは慎重に分析していた。
仙人ガン・ワンの心と記憶を複製すべく、ガラスの丸壺に刻まれた独特な『魔法』術式構造。
丸壺の言葉の端々から垣間見える『魔法』の知識の片鱗。
リャオ王朝の皇城書庫にすら無かった『魔法学』の書物が、この仙人の『里』に存在するという事実。
キュウタが今回の道のりで出会ったこれらの違和感たちは、ひとつの『仮説』を指し示している。
じっと思考に沈んでいるキュウタに、丸壺の中の顔がぽつりと呟きを向ける。
『お前は、それほどの魔力を鍛え上げるまでに、どれだけの年月を生きてきたのだ? 五百……いや、千年か?』
キュウタは腕組みして書物の山を見つめながら、半ば上の空で答える。そもそも彼にとって、それを知られることに大した痛手は無かった。
「およそ二十万年です」
隠す素振りもなくさらりと返したキュウタに、ガン・ワンの表情が強張る。
『それは……『道』に辿り着いた、ということか?』
以前にもガン・ワンとの会話でちらりと出てきた謎めいた言葉に、キュウタは力なく首を横に振った。
「そもそも道とやらが何なのか、僕は知りません」
『いまだかつて道を定義できた者はただの一人もおらぬ。『道を知る』ことは『道を得る』ことと同義なのだ。誰も知らぬからこそ、仙人たちはそれを何千年にも渡って追い求めてきた』
重々しく語る丸壺の言葉に、キュウタはまるで興味を惹かれなかった。形の無いものに思索と時間を割くのは自分の領分ではない。
「僕がいま知りたいのは、あなたが僕をここに連れてきた理由ですけどね」
突き放したキュウタの声には、確信めいたものが現れ始めている。
少年の思惑を感じ取ったとみえるガン・ワンが半ば諦めたように声のトーンを落とした。
『お前には話しておかなければならん、と思うのだ。仙人のこと、この里のこと、そしてワシとツィウ・ハーのことを』
◇
三日月に照らされた灰色の雲が、夜空にまだらな模様を描いている。
里のなかでもかろうじて建物としての形を保っている一軒を選んで、キュウタたちは一夜の宿としていた。
戸口の前で起こされた焚き火の上には小ぶりな鍋がかけられ、中の粥をふつふつとさせている。
椀に自分の分をよそおうとしたイェンルゥが目をぱちくりさせて動きを止めた。彼女の視線は丸壺へ向いている。
「都に行く? あたしが? なんで?」
同じく目を丸くしたサザレがキュウタを見る。倒木に腰掛けた少年は、膝の上で頬杖をついて焚き火をぼんやりと眺めており、少女の視線にも気づかぬ様子だ。
そして彼の隣に置かれた丸壺がはっきりとした口調で言う。
『お前は外の世界に目を向けるべきだ。こんなところで才を腐らせてはならん。イェンルゥ』
「は? なにそれ。意味わかんない」
鼻息まじりに笑い飛ばし、イェンルゥは改めて椀によそった粥をずずっとすすった。
『これは丸壺の務めでもある。ガン・ワンは丸壺に『イェンルゥを頼む』と言い残したのだ』
「あたしは都に用事なんか無いよ」
『本当の目的地は都ではない。お前はリャオを離れて帝国に移り住むのだ』
ぐっと身を乗り出したイェンルゥが、丸壺に人差し指をずいっと向ける。ドスのきいた声は明らかに苛立ちの証だ。
「あのさ、老師。いい加減にしてよ?」
そろそろ抑えが効かなくなりつつあったイェンルゥの次の言葉を遮るように、キュウタの声が響く。
「路銀や段取りは、すべて僕が責任を持って準備します」
静かだがはっきりと言い切るキュウタ。彼を見るイェンルゥの目に不審の色が浮かんだ。
キュウタは自分の道具袋を開け、中身を確認しながら続ける。
「ただ、決めるのはあなたです。老師の意向に縛られる理由など何ひとつありません。リャオに残るも帝国へ行くも、あなたがじっくり考えて、選んでください。僕はその選択を尊重し、協力します」
『ちょっと待て、キュウタ』
キュウタの水を差すような物言い。不服そうな老師に、少年はじろりと視線を返す。
「これは、あくまでも彼女の意思に委ねられるべき問題です。老師、あなたの気持ちは分からなくもありません。でも、諸手を挙げて賛成かと問われれば、違うとしか僕は答えられませんね」
『お、お前……』
自身のあずかり知らぬところで妙な話が進んでいることに、イェンルゥは眉をひそめてキュウタを見る。
「キミたち、昼間ふたりで何を話してたの?」
「賭けをしていたんです。で、僕が負けて、老師が勝った。僕の支払いは『あなたをリャオの外へ連れ出すための協力』です」
淡々としたキュウタの言葉に見え隠れするものを、イェンルゥも何とは無しに感じ取りつつあった。
「キミは乗り気じゃないみたいだけど」
少年はうなずいた。
「あなたにとって、リャオに留まるのが悪いこととは思えません。むしろ良いことのほうがずっと多いように感じます。あなたを必要としている人がたくさんいるのも見てきましたから」
イェンルゥの心から先ほどまでの不愉快さはいつのまにか消えている。キュウタの語る言葉のひとつひとつが、少年の正直な本心の表出であると理解できていた。
キュウタはゆっくりと立ち上がると、道具袋を肩にかけ、白い外套を羽織る。
サザレは、キュウタが夜半だというのに旅支度を始めていたことに気付き、思わず立ち上がる。
それを片手で制したキュウタが視線をサザレに向けた。
「都で先に済ませておきたい用事がある。サザレは二人と一緒に居てほしい」
サザレは思わず口答えしかけたが、敢然としたキュウタの様子に言葉を飲み込んだ。こんな強引な態度をとるときのキュウタには必ず理由がある。
キュウタは改めてイェンルゥを見た。二人のあいだの焚き火が少年の姿を下からぼんやりと照らしている。
座ったままのイェンルゥと、それを見下ろすキュウタの視線がぶつかる。イェンルゥはほんの少しだけ胸の奥で揺らぐものを自覚した。
キュウタの表情と言葉はどこまでも真摯なものであり、見た目の年齢にそぐわない風格を備えていた。
「もし、リャオの外を見たいと思うのなら、冬になるまでに都へ来てください。帝国出身の司祭に知り合いがいるので、その家で落ち合いましょう。場所はサザレが知っています」




