第八章 暗紅老仙 (8)
次の村には三日ほどで到着した。
大きな街道から少し外れた山間の農村。
必ずしも豊かな土地ではないかもしれないが、家屋や田畑の様子からするとそれなりに時代を重ねて根付いてきた人々の暮らしが見て取れる。少なくとも住人の生活を数代以上途切れさせず維持できる程度には安定した環境なのだろう。
大槻キュウタは、村はずれにある廟の前に立っていた。
廟といっても仰々しい建物ではなく、土塀で囲った小さな敷地に、屋根と戸をかぶせた祭壇がちょこんとあるだけだ。村長に少し話を聞いたかぎりでは、リャオの地で神格視されている古代の偉人を祀っている場所、ということらしい。
ここまでの道のりで、リャオの様々な階層の人々と接触してきた。それにつれて、リャオの風土というものがおぼろげに見えつつある。
神や祖先に対する敬畏は厚く、人々は家族親族の血の繋がりを強く重視している。その一方で現実的、即物的な価値観も臨機応変に受け入れられていた。文化的、学問的な分野では人口が密になる都市部ほど盛んな活動が目立つ。ありていにいえば、他の国々とそこまで差異があるわけではない。
そう、差異はないはずなのだ。
日常会話の中でそれとなく探りを入れてみても、リャオの人々は、『魔法』というものに忌避感を持っていない、というのがキュウタの印象だ。
だが肝心の『魔法学』に関しては、リャオの知識人とみなされる者にとってはそれほど関心を引き寄せられるものではないのが現実だった。
腕組みをしたキュウタがううむ、と目を閉じて思案に暮れる。
ひっきりなしにがなりたてる蝉の声と、相変わらずの蒸し暑さに思考を集中させるのが難しくなっていた。
青空のところどころに浮かぶ雲のかたまりが、ときおり太陽を隠してはまたどこかへと流れていく。交互に現れる炎天下と日陰の繰り返しに、無情に過ぎゆく時間の流れを嫌でも意識させられてしまう。
しかし思い返されるのはこの国の広さだ。西方諸国であればすでに二、三国は横断しているほどの道のりを費やしているはずだが、これでもリャオの国全体から見ればさしたる距離ではない。どうにかしてこの国で魔法学が盛んに研究されるようにできれば、魔法の発展も大いに加速されるはずなのだが、とキュウタは思う。
そんなことを考えながら待ち合わせ場所の大樹のほうへと歩いて行くと、サザレが木の根本に膝をついて、地面に置いた『何か』に手をかざしている。
一体何を、と彼女の背中越しにのぞきこんだキュウタの目に、ガラスの『丸壺』が映る。
『ああ……やはり若い女子の『気』はいいのお……』
丸壺の中では血によって形成された老師の顔が心地よさそうにゆらゆらと揺れている。
あからさまに呆れ顔になるキュウタ。
「何やってるの」
ひょいと振り向いたサザレがきょとんと小さく首を傾げる。
「魔力を注いでほしい、ということだったので」
「は?」
老師が目をぱちぱちさせてキュウタを見た。
『うむ。こうしてたまに『気』を注いでもらわんと、血が腐ってワシはただのゴミになってしまうのだ。一度そうなると二度と元には戻らんのよ。いわば仙人ガン・ワン、二度目の『死』といった塩梅だな』
「はあ」
『普段はイェンルゥにやってもらっているのだが、他の者の『気』もなかなか新鮮な気分になれて悪くない』
ふとキュウタはサザレから発せられている魔力の気配が原初魔法のそれと違っていることに気づいた。
「サザレ。気を注ぐ……ってどうやってるの?」
「ここに呪文が」
サザレが丸壺をひっくり返す。中の老師が『うひゃあっ』と抗議の声を上げるが二人は特に気にしない。丸壺の底に刻まれた文字列をキュウタが見る。文字種や文法は『魔法諸原理』の記述に使われているものと同じようだが、キュウタが知る呪文の『定石』とはどこか『異質』な物が感じられた。
「へえ。面白い感じの呪文だな」
「たしかに西方諸国では見かけない構造ですね」
刻まれた呪文にじっと見入るキュウタ。そこまで高度や複雑な呪文ではない。だが何かが一瞬引っかかった。その引っ掛かりを捕まえようとするキュウタの思考を、丸壺の中から老師がおどけた声で妨げる。
『あんまり見つめるな。恥ずかしいぞ』
頭をぽりぽりとかいたキュウタがため息をついて立ち上がる。
そういえばイェンルゥの『仕事』はそろそろ終わるころだろうか。
◇
やけに戻りが遅いイェンルゥの様子を見に来たキュウタたちは、とある民家の戸口の前で住人らしき中年女と静かに言葉を交わす彼女に気付いた。
互いにどこか気まずそうな空気が漂っている。
サザレの腰の道具袋からちょこんとはみでている丸壺がキュウタにそっと言う。
『あの家の息子がちと体が弱くてな。イェンルゥはこの村に寄るたびに薬を置いていってる、んだが……何か様子がおかしいな』
キュウタたちの姿に気付いた中年女が不審そうな眼差しになった。
「どちらさんだい」
ちらりとキュウタを見たイェンルゥがぎこちない微笑を作る。
「ん、あたしの連れだよ。ちょっと事情があってね」
「そうなのかい。引き止めて悪かったね、イェンルゥちゃん。ああ、これ少ないけど、うちで取れたやつだよ。持っていきな」
女が、野菜らしきものを包んだ小さな筵をイェンルゥに差し出す。
「でも、おばちゃん……あたし」
「いいんだよ。あ、そうだ、ちょっと待ってな」
包みをイェンルゥの白い着物の胸に押し付けて、女が家の中に引っ込む。すぐに戻ってきた彼女の手には、枯れかけた野花で編まれた小さな花輪が握られていた。手のひらに乗る程度の粗末なものだったが、女はそれをそっとイェンルゥに差し出した。
「これも持っていってくれないかい。『あの子』が春先に作ったもんなんだ。どうせすぐ萎れるから止めな、って言ったんだけど、アンタにあげるんだ、ってどうしても聞かなくてね。邪魔だろうけど、貰ってくれると、あの子も喜ぶと思うんだ」
吸い寄せられるように手を伸ばしたイェンルゥの指先が、熱いものに触れたようにぴくりとわななく。そしてイェンルゥはそっと花輪をつまみ上げた。小さく唇を開けたままそれを見つめ、やがて彼女はぽつりと言った。
「ありがとう、おばちゃん……ごめんね」
中年女がふっと笑いをこぼしてイェンルゥの肩を軽く叩く。
「何言ってんのさ。あの子は赤ん坊のころから体が弱かったからね。町の医者には、長く生きても三つくらいまでだろう、って言われてたんだよ。あの歳までやってこられて、アンタには家族みんなが感謝してるんだ」
軽く鼻をすすった女が強がるような笑顔でイェンルゥに言った。
そういう笑顔は、キュウタも二十万年のあいだ世界のいたる場所で何度となく見てきた表情であり、その裏に秘められた意味もはっきりとわかっていた。
◇
村を出たキュウタたちは、少し荒れた高い山肌に挟まれた薄暗い谷間を進んでいた。
日陰になった柔らかい土壌はしっとりと湿っている。
露出した岩や野放図に伸びている木々のせいで、荷車や牛馬が行き来するには相当難儀しそうな凸凹な細道がぐねぐね続いていた。周囲の住民には徒歩に限った急ぎの近道としてしか利用されていないという話もうなずける。
先を歩くイェンルゥに少し遅れて、キュウタとサザレが付いている。
編み笠を被り直したイェンルゥがぽつりと言う。
「夏の前、ちょっと雨が続いた時期って言ってた。風邪こじらせて、そのままあっさり……だってさ」
イェンルゥの帯にくくられた腰袋の中から老師が言う。
『あの家の息子……今年で八つか、それくらいだったか。残念だったな。お前にもずいぶんと懐いていたのに』
ふん、と息をもらすイェンルゥ。その声も足取りも、あくまでも淡々としていた。
「大人だろうが子供だろうが、人が死ぬのは当たり前だよ。珍しくもなんともない、さ」
『……そうだな』
老師は少し開いた腰袋の口の隙間から、イェンルゥが背負う道具箱の脇に結び付けられた小さな花輪を見ただけで、それ以上は何も言わなかった。
誰も言葉を発することなく、黙々と歩き続けた。
キュウタはイェンルゥの後ろ姿を見ていた。彼女の姿が目に入るたびに、過去に自分が味わった魔族の忌まわしい記憶が突き刺さるような痛みとともに蘇る。彼女に対する蟠りは拭い切れない。そしてそれがイェンルゥには何の非も無い、キュウタ自身の勝手な思い込みだという自覚も。
過去に囚われているのだ。
人類の未来のため、などという御大層なお題目を掲げてはいても、結局は『そこ』から抜け出せないのだ。友を殺され、世界を蹂躙された個人的な遺恨を晴らすべく二十万年近い時を重ねてきた。その時間の中で溜まりに溜まった鬱憤をたまたま出会ったイェンルゥにぶつけているだけなのだ。
まるで駄々をこねる子供だ。頭を冷やせ。思考を曇らせるな。キュウタは拳を作って、自分のこめかみを強めに打った。サザレが怪訝な顔でキュウタを見る。
先を進むイェンルゥがふと立ち止まった。
地面に落ちていた緑の葉を拾い上げる。じっくりとそれを観察してから彼女は編み笠の端を持ち上げ、左右の切り立った崖を見上げた。
そしてイェンルゥはそこを登ろうとでもいうのか、崖に突き出ている手頃な岩におもむろに手をかけた。だが、柔らかい土からぽろりと外れたその岩が彼女の足元にごろりと転がる。
苛立つように鼻から息を吐きだすイェンルゥ。
後ろで怪訝そうな顔をするキュウタの気配を察したのか、老師が言う。
『ビャクロウだな。珍しい花でな、良い薬にもなる』
キュウタはイェンルゥの手の中の特徴的な形状の葉と、崖の頂き付近の風景を見比べてうなずく。
「ああ、あのずっと上に生えているやつですね」
イェンルゥが意外そうな顔でキュウタをちらりと見てから、ふてくされ気味の声で言う。
「でもあそこは無理だ。何年か前に山崩れがあってから、あそこに行く道が切れちまったんだ。崖を登ろうにもこれだしね」
そう言って、イェンルゥは傾斜のきつい山肌を見る。ろくに手がかりもなく柔らかい土質のこれを登るのは難しいだろう。
「空を飛ぶ仙術とかあればね。そういうの無いの、老師?」
『んなもんあるなら、ワシが知りたいわ』
「ったく、役に立たない仙人だこと」
『お前、どんどん生意気になるな。昔はもっと可愛げがあったのに』
「そりゃ悪かったね」
首の後ろをぽりぽりとかきながらイェンルゥが寂しそうに崖を見上げた。その整った横顔にキュウタの視線が引きつけられる。どことなくやりきれない笑みがイェンルゥの唇に浮かんでいた。
キュウタは地面に目を落として少し考えてから、一歩前に出た。
崖に向かって手をかざしたキュウタに、ぴくりと反応するイェンルゥ。
キュウタの体から発現した膨大な魔力が、不可視の構造物を中空に築いていく。
原初魔法『硬化』によって生み出された『空気の階段』とでも呼べるものが崖の頂上付近にまで展開されるのに数秒と要しなかった。
ふっと、息を吐き出したキュウタが、後ろめたそうな顔で小さく肩をすくめる。
「どこを足場にするか分かりますよね?」
目をぱちくりさせたイェンルゥが、『気』の気配を手がかりに、こわごわと空気の階段へ足を乗せた。軽く体重をかけて具合を確かめてから崖の頂きを見上げ、それからキュウタにちらりと視線を向けた。
無言で両手を差し出したキュウタに、イェンルゥは背中の道具箱と、丸壺の入った腰袋を預ける。
イェンルゥがおもむろにひょいひょいと数段登ってから、ぴたりと足を止めて振り返る。そしてキュウタを見下ろすようにしゃがみこんだ。彼女は何か珍しい物を見つけたような表情で、その口元には心持ち柔らかなものが生まれていた。
キュウタは自分をまぶしそうに見つめる軽く細められた切れ長の瞳に、ほんのわずかに心を惹き寄せられた。
「きみ、意外と良いやつだね」
鼻の頭をかきながらそれだけを言うと、イェンルゥはぱっと背中を向けて軽快な足取りで空気の階段を登っていった。
キュウタは、小さくなっていくイェンルゥの後ろ姿から目を離せずにいた。
空中を舞うように駆け上がっていくイェンルゥの姿は、まるで伝説に語られる天女が空の彼方へと帰っていく場面にも似ていた。
そして、キュウタは彼女の白い下衣の短い裾からすらりと伸びる色白の脚をじっくりと見上げていたことにも気づき、頭をかきながらさりげなく体を後ろへと回した。
途端、背後から自分をじっと見上げるサザレと視線が合い、キュウタはびくりと体を縮み上がらせた。
赤らんだ頬を少しふくらませて何か言いたそうにしているサザレの様子に、キュウタは気まずげに顔をあらぬ方向へとそらしてしまう。
ずいっと踏み出したサザレの顔がキュウタのそれに触れそうなほどまで接近する。隙あらば噛みついてきそうなサザレの迫力に、キュウタは軽くうろたえつつ目を泳がせる。
「……な、何?」
「キュウタ。もしかして『脚』が好きなんですか……?」
「なに言ってるんだよ」
キュウタは苦い顔でこめかみを押さえながら一歩離れる。だがサザレは二歩詰め寄る。
「目が真剣でした」
「そんなんじゃないから」
「正直に言ってください。私、頑張りますから」
「何をだよ。いいよ頑張らなくて」
腹をすかせた子猫のように小さく唸りながらまとわりつくサザレをあしらうのも一苦労だ。
ふと、片手に持ったイェンルゥの腰袋の中にある丸壺と目が合う。ニヤついている老師に、キュウタはむすっと唇を曲げる。
「何か言いたそうですね」
『女難の相が出とるな』
「仙人が人相占いまで出来るとは初耳です」
ぷいと顔をそらしたキュウタが目の端でイェンルゥを捉えながら老師に言う。
「彼女、騙されやすそうな人ですね」
『照れることはない。仙人というのはな、人を見る目は確かだぞ。お前はもっと自分に自信を持っていいんじゃないか』
「自分のことは自分じゃ分かりませんよ」
『それもまた一つの『気付き』ではあるがな。過ぎた自省はお前自身を縛る鎖でしかない。巡り巡って本当に大事なものを害さぬよう用心しろよ』
老師の言葉はいささか不愉快ではあったが、キュウタの心はそれが真実であると感じざるを得なかった。




