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第七章 詩の中の英雄 (終)

 小さな帆が唐突に、右から左へとふくらみの形を変えた。

 

 急に変わった風向きに、潮風に長年吹かれ続けて黒ずんだ帆柱が、まるで抗議するようなきしみを上げた。


 初冬の空で鉛色の雲が、手の届きそうなほど低く垂れこめている。


 傾斜のきつい波をまた一つ乗り越えた小さな船体が、前後に大きく揺り返し、海に不慣れなバスフロワ・ヴィスロの気を滅入らせる。


 船はせいぜい六、七メートルの全長で、幅も大人が寝そべればぴったり収まるほどの窮屈さだ。もちろん船室などなく、乗客は吹きさらしの空の下にむき出しにされている。ただ水に浮かび風を受けて走るだけの、あまりにも合理的で素朴な造りの船であった。


 船縁ふなべりの陰で腰を下ろしてもたれかかっている彼らの身に叩きつける風は不規則で、そして思いのほかの冷たさだ。海面から巻き上げられた無数の水飛沫みずしぶきのせいもあるのだろう。


 バスフロワは不愉快そうな顔を持ち上げ、ひょいと波の向こうをのぞきこむ。揺れる視界に映る陸地の輪郭を眺める鳶色の瞳は、じめっとした色が現れていた。


 回り道をしてもせいぜい一日かそこらの船旅ではある。また、それなりの無理を通して船を出してもらったこともあり、あまり贅沢を言える立場ではないことも理解している。

 だが、麻のズタ袋を敷物代わりにしただけのこの板っぺりが、船主に運賃として支払ったコインに見合う席だとはお世辞にも言い難い。

 隣に座るキュウタとサザレはまったく意に介していない様子なのが、また妙にしゃくさわる。


 口でため息をつけば、それと入れ替わりに脂と血の残り香が鼻についた。この船が普段はもっぱら漁に使われていることの証拠だろう。


 シャツの袖口で鼻をこすってから、バスフロワはほんの少し近づいた海岸線を待ち遠しげな顔で見つめた。


 島国『ブリテア』の切り立った岩壁は奇妙なほど白く、まるで波がはじける一瞬の光景を写し取ったようでもあった。





 ガレル王国と海峡をはさんだところに浮かぶ島、その地を統一する国家が成立したのは六百年ほどさかのぼった時代のことだ。

 

 二千年以上前の古代からこの島には、様々な理由でいくつもの人種や勢力が、大陸から海を渡り散発的に移入してきた。


 彼らは島の各地に小国家を立ち上げた。

 出自も文化も異なるそれらは、めいめいのやり方で少しずつ支配地域を拡大していった。だがここはあくまでも海に囲まれた土地という、生きるためのリソースを分け合うには狭すぎる環境とも言える。そこから導き出される当然の成り行きとして、島は小国家同士が常に互いの隙をうかがい合う緊張状態を強いられていた。


 だが六百年ほど前、とある小国家の王である人物が権謀術数といくさを重ね、ついに島に存在する国家群を支配下に置くことに成功した。

 のちの時代に賢王と讃えられる彼は、ようやく一つに束ねられたこの国に名を与えた。


『ブリテア』の誕生である。





 ブリテアの地に降り立ったバスフロワの第一声はげんなりとしていた。


「あー。何だかまだ足元がぐらぐらしてるぜ」


 港の端でこそこそとキュウタたちを降ろした船は、逃げるようにガレルへと戻っていった。

 フィロマ教会の正式な委任状を携えたキュウタがいる以上、その船がブリテアに入り込んだところで後ろ指を指されるようなことにはならない。とは言え、三十年前までは血みどろの戦争をしていた相手の土地。そこに長居するのは居心地が良いものではないのだろう。船主の及び腰をことさら責めるのも酷というものだ。


 そもそも、帰りの便はまた別に手配する予定である。特に心配することもない。

 波間に去っていく小舟を見送ってから、キュウタは桟橋を進み、先に上陸していたサザレとバスフロワの元へと向かう。


 木槌きづちのこぎりで船体補修に勤しむ船大工や、網を手入れする地元の漁民の間をすり抜けていく。大陸との玄関口でもあるこの大きな港は、朝から晩まで引っ切り無しに大小の船が出たり入ったりを繰り返している。


 これだけ活発な港を誰も管理せず皆の勝手にさせれば、一日と経たずに収拾がつかなくなるのは明らかだ。

 港の現場で、船や人や荷の出入りを取り仕切っている組合が、半ば役人のような権力を与えられているらしいのもうなずける。


 海岸から少し離れると、共同の荷物集積所らしきところに出た。一定間隔の通路を確保しつつ整然と積まれた木材やら樽やらは、雨風を避けるためとおぼしき大きな灰色の布を被せられている。ところどころにたむろしている連中は荷の見張りでもしているのだろう。


 その一角で行商人らしき老人とやり取りしているバスフロワとサザレが見えた。

 キュウタは二人の背中に声をかけた。


「お待たせしました」


 バスフロワがたった今買い求めたパンを一口もぐもぐとしながら、振り向いた。


「おう。で、これからどうすんだ?」


 彼の隣で一心不乱にパンをむさぼるサザレを見て内心ため息をつきながら、キュウタが応じる。


「迎えが来ているはずなんですが」


 ざっとあたりを見回すキュウタ。この港は何度か立ち寄ったことがある。最後に来たのは百五十年ほど昔だが、それほど大きく様変さまがわりはしていない。

 あっという間にパンを平らげたサザレが彼方の人影を見とめ、少年に呼びかける。


「キュウタ」


 彼女の視線の先に立つ数人の修道服姿の男たち。

 フィロマで見かける修道士とは、細部のデザインや色使いがわずかに異なる。


 ブリテア王家がささいな信仰上の理由と、大きな政治的理由によってフィロマ帝国と一定の距離を置いた結果、誕生したイリユヌス教の独立教派。


『ブリテア国教会』の高位聖職者たちは、不審に満ちた眼差しをキュウタたちに向けていた。





 港からブリテア首都までは、川をさかのぼる船が用意されていた。


 また船か、と顔をしかめたバスフロワだったが、さすがに海の上ほどの手荒い洗礼にはならないだろうと思い至り、不満をすんでのところで飲み込んだ。


 事実、ブリテア国教会が用意した船はそれなりに乗客を考慮した快適なものだった。とは言っても船自体が豪華というわけではなく、海峡越えに調達したものと大差ない外観だ。この時代、大量の荷を積んで遠出するような商船のたぐいならいざしらず、近場の海川で足代わりに使える船の造りや大きさなど五十歩百歩である。

 急ごしらえではあるが一応の簡素な座席と、身元のしっかりした船守を準備してもらえただけでも感謝に値するだろう。


 途中の村で一泊を挟み、首都の街並みが川沿いの樹々の向こうに見え始めた頃。

 キュウタたちに同行し、彼らを目的地まで案内する任にあたっている初老の『司教』が探るような顔で話題を切り出した。


「その……フィロマ教会の……会皇かいおう台下だいかからの親書、というのはまことですかな」


 相手の疑心に苦笑したキュウタが荷物袋をそっと撫でる。


「ええ。委任状の印章は確認していただいたはずですが」


 キュウタがフィロマ教会最高指導者、会皇の正式な使いであることを証明する書状には、間違いなく現会皇本人の署名と印章が押されている。

 司教は冬空を鏡のように映す黒みがかった川面かわもを見つめて腕を組んだ。


「若いあなたには分からないかもしれない。ブリテア国教会とフィロマが疎遠になって百年近く。此度のフィロマ教会からの接触は、帝国がブリテアに対し何かを画策しているのでは、と宮廷や国教会の中は戦々恐々としておるのですよ」


 風がほんの少し冷えてきた。キュウタは白い外套マントの襟を整えて、出来るだけ正直に聞こえるような声調を意識した。


帝国フィロマはブリテアに含むところなど何もありませんよ」


 司教はキュウタに膝を寄せて言葉を重ねた。


「王陛下は聡明なおかたです。外とのいさかいなど決して望んでいないということを、帝国にはご理解頂きたい」


 キュウタはうなずいた。


「帝国の国力を周辺の国々が脅威に思うのは分かります」


 川岸を子どもたちが棒を振り回してはしゃぎながら、キュウタたちが乗る船と並走している。サザレが小さく手を振ってやると、何が面白いのか子どもたちがわあっと歓声を上げた。

 司教は目を細めてその様子を見つめて、ぽつりと言う。


「私はブリテアがガレルといくさをしていた時代を肌で感じていた。戦争が終わってから、国内もだいぶ安定しました。あの頃の二の舞いは勘弁願いたいというのが、正直なところなのです」


 少々心配性な司教をどうやって安心させようかと考えるキュウタ。

 そのとき、船の隅でごろりと寝転がっていたバスフロワがむっくりと体を起こした。彼は自分のつま先をぼんやりと眺めたまま、つぶやくように尋ねた。


「なあ、司教さまよ。今の王様はどんな人なんだい?」


 目をしばたかせた司教がバスフロワの方を見る。


「特徴のあるなまりだ。ガレルのおかたかな?」

「まあね」


 バスフロワがブリテアで使われている言葉を話せるとは、キュウタも知らなかった。

 しばし考え込んだ司教が慎重に言葉を選んで答える。


「民を愛し、平和を愛するかただ。御両親の徳をあますところなく受け継いでおられる。五年前に即位されてから、ブリテアは確実に良き国へと向かっておるよ」


 バスフロワは、小さくため息をついて再びごろりと寝転がった。

 司教はその背中をいぶかしげに見ている。バスフロワをガレルが放った間者かんじゃか何かかと疑っているのかもしれない。


 バスフロワはそれ以上口をきく様子もなかった。少し何かを考えこんだ司教だったが、気を取り直すようにキュウタに向かった。


「キュウタ殿。首都からはそのまま『離宮』へ、で良いのですか?」


 その言葉にキュウタが船の舳先をちらりと見る。川の両岸は、ろくに手入れされていない土手の光景が、いつの間にかしっかりした石積みの壁に取って代わっている。正面にそびえる大きなアーチ橋をくぐった先、船着場らしき板張りの足場がちらりと顔を覗かせている。

 どうやら船の目的地に無事到着したらしい。ここからは徒歩で一日程度の移動になるはずだ。


 キュウタは手際よく荷をまとめながら司教に答える。


「ええ。この親書を少しでも早く『王太后おうたいこう』陛下へ御渡おわたししたいので」






 珍しくきれいに澄み渡った青空に、ところどころ引っかき傷のような雲が浮いている。


 午後の太陽の光。

 それは地面に立木の陰をはっきりと刻むほどのまぶしさではあるが、冬の寒々とした空気を覆すほどの熱は持っていない。


 広々とした庭園は、南北に長く伸びる大きな池を中心として、様々な樹々が、人の作為を感じさせないように配置されている。まるで自然の景色をありのままそこに持ち込むことを目的としているようだった。


『離宮』は、ブリテア首都から緑豊かな地域へと入ったところにある。


 それは首都にそびえる豪華な宮殿とはまるで違う趣きを持っていた。抑制された美とでも言うべき、白を基調とした石造りの建物が、深い森の彼方に溶け込んでいるのだ。


 かけられた石橋を片手に見ながら、キュウタは池のふちを歩いていた。隣にはサザレが付き従っている。

 二人はあらかじめ白い外套を預け、寸鉄すら帯びていないことを離宮の衛兵長に確かめさせていた。


 キュウタたちが池にそって歩みを進めていくと、人の背丈ほどの丸みを帯びた生け垣が二つ三つ並んでおり、その向こうに何かの人工物のシルエットが見えてきた。


 それは池の南端に設けられた、白木屋根の四阿あずまやであった。

 陽を受けて光沢を放つ屋根。その下に据えられたテーブルの脇の椅子に、一人の『人物』が腰をかけていた。


 キュウタたちの位置からでは、背を向けたままのその人物の容姿は分からない。

 だが、全体的に落ち着きを感じさせるふっくらとした小柄な体、なで肩にかけられた厚手のショールや、白いものが混じり始めた金色の髪が、それなりによわいを重ねた『女性』であることを示している。


 その人物は、キュウタたちの気配を感じ取ったのか、背を向けたまま言った。発せられた声はけっして大きく無かったが、揺らぎない凛とした物が柱のように通っているように思えた。


「フィロマ教会からのお客様、というのは貴方達ですね」


 キュウタは立ち止まり、相手の背中に向けて頭を下げた。


「はい。フィロマ教会認定魔術士、キュウタと申します。本日は突然の拝謁をお許しいただき、ありがとうございます」


 女性はゆっくりと立ち上がり、キュウタとサザレに向き直った。

 上質な白い生地に赤と金で美麗な刺繍がなされたスカートの裾が軽くゆれる。


 歳の頃は五十を越えたかどうか、というあたりだろう。

 物腰は柔らかいが背筋はまっすぐに伸びていた。皺が目立ち始めたまなじりの奥に隠れた青い瞳には『力』がある。


 キュウタは、彼女の中に王族たる威厳を見たような気がした。


『マリエーヌ・ド・ガレル』。


 先代ガレル王の第一王女。そして、ガレル王国とブリテアのいくさの中、政治的判断によりブリテア王のきさきになることを強いられた悲運の姫。

 時が流れた今では、良王として名高い現ブリテア王の母として、彼女自身がブリテアの民から敬愛される存在である。数奇な運命、というものがあるのなら、彼女にこそふさわしい言葉だろう。


 現在のマリエーヌ王太后は、先代ブリテア王の崩御、そして長男のブリテア王即位を契機に、首都の宮殿を離れこの離宮に住まいを移していた。


 マリエーヌ王太后は孫を迎えた祖母のように、にこにことしながら二人に椅子を勧めた。


「おふたりとも、どうぞ席にお着きなさいな」


 キュウタはわずかに迷ってから、サザレに目配せした。

 彼は再び頭を下げてからテーブルの横に回る。


「では、失礼いたします」


 同じように頭を下げたサザレも一緒に腰を下ろす。

 テーブルの上には四人分の白磁のカップと水差しがあった。


 マリエーヌ王太后が手ずからカップに水を注ぎながら尋ねる。


「あまり堅苦しくせずとも良いのよ。王太后とは言っても、もとより隠居の身です。年寄りの暇つぶし相手と思ってくださいな」


 目の前に置かれたカップにキュウタは恐縮して再び頭を下げて、他に人気ひとけの感じられない周囲をちらりと見回す。


「恐れいります。つかぬことを伺いますが、従者のかたをそばに置かれていないのは……」


 両手で持ったカップに猫のように口をつけたサザレに微笑んでから、マリエーヌ王太后はキュウタを見やる。


「私には、誰かを恐れる理由などありませんよ。ところで、お客様はもうお一方ひとかたいらっしゃると聞いたのですけれど」

「……はい。向こうに控えております」


 と、キュウタが視線を送る先、一つの丸い生け垣の陰から、『リュート』の弦がつまびかれる音が静かに響く。


 目を丸くしたマリエーヌ王太后がキュウタへと首を傾げる。

 キュウタは気まずそうな笑顔で言う。


じつは少々、趣向を凝らしてみたく思いましたので。不愉快に思われましたら申し訳ありません」


 ぱちぱちとまばたいたマリエーヌ王太后が、くすくすと笑い返した。


「あら、いいのよ。離宮ここは静かでいいけど退屈なの。たまには刺激が無いとね」


 そして、歌が始まった。





 冬の空の下、庭園にバスフロワ・ヴィスロの歌声が響く。


 それは一人の少女を歌ったものだった。


 少女の人生は悲しみに満ちていた。


 勝利と栄光は手にしたが、それに意味は無かった。

 本当に欲しいものはこれではない、ということに心のどこかで気付いていたからだ。


 それでも、なすすべなく少女は先の見えない道を戦い続けるしかなかった。

 やがて運命は少女に死をたまわった。


 これでようやく全てが終わると少女は安堵した。

 だが結局のところ、世界は少女に安息を与えたりはしなかった。





 歌が終わり、静寂が庭園に満ちた。


 がさり、と音を立ててバスフロワが生け垣の陰から進み出る。彼はマリエーヌ王太后の前にうやうやしく膝を付いてこうべを垂れた。


「バスフロワ・ヴィスロ。詩を書くことを生業なりわいにしております。未熟ながら詩の一節を披露させていただきました」


 椅子の上で両手を組み、マリエーヌ王太后は穏やかに微笑んでいる。だが、その笑みの裏には微かな冷ややかさが混じりつつあった。


「素敵な歌ですね。題はあるのかしら?」


 すうっと顔を上げたバスフロワがマリエーヌ王太后の青い瞳を見据える。


「そうですねえ……『失われた英雄、偽りの王妃』といったところですかな、マリエーヌ王太后陛下。いや……こうお呼びすべきですかね」


 そして続く言葉、バスフロワの声に重たげな鋭さが込められた。


「ガレル王国を救った英雄『ディノン・カーヌ』殿」


 マリエーヌ王太后はじっと青い瞳をバスフロワへと投じていた。

 細められた瞳は先ほどまでの品の良い初老の婦人とはまったく別人のようである。

 相手を刺し貫かんばかりの視線は、彼女が確かに命のやり取りを無数に経験した者であることの証だろう。


 キュウタとサザレは無言で待っていた。これを彼女が肯定するにせよ否定するにせよ、自分たちが何かを強制することにあまり意味がないように思っていたのだ。

 やがて、マリエーヌ王太后のかすかなため息で沈黙の時は終わった。


「いつかこういう日が来るのでは、と思っていました」


 すっと目を閉じて息を整えたマリエーヌ王太后がゆっくりと目を開く。


「マリエーヌ・ド・ガレルは私の『姉』です」


 彼女は三人の顔を見渡して、きっぱりと言った。


「そして私は……『ディノン・カーヌ』は、先代ガレル王が平民の女に産ませた娘です」





 十七の歳、ディノン・カーヌは村外れの丘の上で『声』を聞いた。『ブリテアと戦い、ガレルを救え』と。


 その声に従い彼女は取り憑かれたように戦場へ身を投じた。『声』はいつでもディノンを導き、勝利をもたらしてくれた。たった一度、最後の戦いを除いて。


 たった一度、『声』は事実とはまったく逆の道を示し、ディノンは敗れ、ブリテアに捕縛された。


 海を渡りブリテアの地に連行された彼女は、当然のごとく死刑判決を下された。だがディノンには恐怖も後悔もなかった。いくさの流れが完全にガレルに有利なものになっていたのだから。自分がいなくても、ガレルはブリテアに勝つと確信していたから。


 処刑の前夜、彼女が入れられていた牢に一人の訪問者が現れた。


 美しい金の髪と深く青い瞳の女性だった。極めて高貴な身分であることが分かる服装。そして、ディノンの頭の中に『声』が響いた。それは何度も自分を導いてくれた『声』だった。その女性こそ『声』の正体だとディノンは即座に理解した。


『神の声』としてブリテア軍の情報をディノン・カーヌに伝えていたのは、ブリテア王妃『マリエーヌ・ド・ガレル』だったのだ。


 ディノン自身に自覚はなかったが、彼女とマリエーヌは『同じ魔法』を使う力を持っていた。

 それは遠く離れた場所でも互いの『心の声』を伝え合う力だった。すべてのからくりを理解したディノンは思わず笑った。なんだ、自分は神に選ばれた英雄などではなかったのだと。


 自分の身分を明かしたマリエーヌは、ディノンもまた王の娘であると告げた。

 それは当然ながら衝撃的な事実であったが、ディノンは驚く暇も無かった。


 マリエーヌからある『仕事』を依頼されたのだ。そのために彼女はディノンを故意に敗北させ、ブリテアの地へといざなったというのだ。





『ディノン・カーヌ』はキュウタを見て言った。


「ガレルがブリテアに負け続けたのは何故だったか、分かりますか?」


 彼女はカップから水を一口飲み、言葉を続けた。


「それは『束ねる者』の不在です」


 単純な戦力という意味では、当時のガレル王国とブリテアはほぼ同規模であった。

 だが、ガレルの本当の敵は身内にあったのだ。

 ブリテアという外敵に直面してなお、ガレルの内部は愚にもつかない権力争いや、国よりも自己の利益を優先するような者らばかりだったのだ。


 どれだけ兵がいようとも、それを束ね率いる者がいなければ、いくさには決して勝つことはできない。


「ガレルには軍をまとめ上げ、強力な一本の矢とする者が必要でした」


 その一方で、連戦連勝だったブリテアにも徐々に綻びが生まれていた。

 長年に渡るいくさは、ブリテア各地の諸侯が持つ軍力を無分別に増やす方向へと働きつつあったのだ。その傾向が推し進められれば、ブリテアはガレルとの戦に勝ったとしても、国内の均衡を失い、内紛により瓦解する恐れすらあった。


「先代ブリテア王はその状況を理解していました。だから一刻も早く戦を終わらせる必要があった。それも単に勝つのではなく、戦後の安定をも見据えた戦争の終わらせ方が必要だった」


 キュウタが王太后の言葉に考え込む。

 ガレル王国とブリテアの力関係を調整しつつ、二国間の戦争を終わらせる。そんな都合の良い一手など常識的には存在しないだろう。

 だが、何という偶然か、それを可能にする物が先代ブリテア王の目の前に転がっていたのだ。


 王太后が立ち上がり、池のほとりに立つ。ショールを肩にかけ直し、彼女は冬のそよ風に揺れる水面を見つめた。


「先代ブリテア王の妃であった姉が……マリエーヌ・ド・ガレルが、自分の身に宿る『魔法』について理解し、その力を通じて『ディノン・カーヌ』の存在に気付いたのはその頃でした」


 自分の手を見つめた王太后がゆっくりと拳を握る。


「姉と先代ブリテア王は、私を利用していくさを終わらせることを考えました。英雄を使いガレルをまとめ上げると同時に、ブリテア各地の諸侯が集めた兵力を削ぎ落とし、戦後のブリテア国内の安定をはかる、という一石二鳥の策です」


 ふっと自嘲の混じる微笑を漏らし、王太后はキュウタたちにちらりと視線を戻す。


「ディノン・カーヌが出現した後のことは、貴方がたもご存知の通りです。英雄はばらばらだったガレル軍をまとめ上げ無数のブリテア兵を殺した。結果、先代ブリテア王も国と民を終戦へと無理なく導くことができた」


 いつの間にか椅子に座っていたバスフロワ。彼はリュートのネックにアゴを乗せたまま、片目だけを開いて王太后を見た。


「そこでめでたしめでたし、とはならなかったわけですな」


 こくりと首肯した王太后が憂いを浮かべた。


「問題が一つだけ残っていました。その時、先代ブリテア王には子がいなかった。姉は子を産むには体が弱く、さらに重いやまいも得ていた。自分の命が長くないことを知っていたのです」


 彼女は池の中を泳ぐ大小の魚を眺めながら続ける。


「王にとって後継者の有無は重大な問題です。後を継ぐ者がいなければ、巧妙な均衡の上に成り立っているこの国は必ず乱れ、多くの民が苦しむ。だから、強い王妃が必要だったのです。子を産み、王を支えることのできる王妃が。かといって、女なら誰でもいい、というわけではなかった。

 ブリテア全ての民にとって完全に『中立』であり、その上でなお、王妃にふさわしい出自しゅつじを持たなければならない。その条件を完全に満たすのはガレル王女『マリエーヌ・ド・ガレル』だけでした」


 視線を足元に投じていたバスフロワがわずかに眉をしかめる。王太后が次にどんな言葉を紡ぐのかはっきりと分かっていたからだ。


「ディノン・カーヌが処刑される前夜、牢の中で姉と私は『入れ替わった』」


 キュウタが唇をぎゅっと結んだ。

 バスフロワの詩は『本当の真実』を寸分違わず看破してみせたことが証明されたのだ。だがキュウタはそれを手放しで喜ぶ気分にはなれなかった。


「姉はブリテアの民を守ってほしいと願い、火刑台へと自ら登った。私はその願いを託された。そして私は今、こうしてここにいる」


 薄い雲がすっと太陽を隠す。

 ひんやりとした空気が庭園に立ち込めた。


 王太后は振り向き、三人に問い掛ける。その青い瞳には多くの苦悩と絶望と喪失が幾重にも塗られていた。


「あなたがたは何のためにここへ来たのでしょうか」


 彼女はうつむき、自身の胸に手を当て、ぐっと握りしめた。悶える心を抑えこもうとするように。


「ブリテア王太后がディノン・カーヌであるとおおやけにするため? それともその事実をもとに私から金品を脅し取るため? あるいは……」


 切り捨てるように短く息を吐いたバスフロワが、むっつりとした顔で王太后の言葉をさえぎる。


「どれでもないですぜ、『王太后陛下』」


 はっと顔を上げた王太后に向かって、バスフロワはリュートのネックを人差し指でとんとんと叩いてみせた。


「俺は詩人だ。詩を読み聞かせるべき相手がいる所に行き、詩をつづり歌ってやる。そうやって俺は生きていく。今までも、これからも。ただそれだけのことだ」


 すっくと立ち上がったバスフロワは肩にリュートを担ぎ、他には何も言わずにその場から歩み去っていった。

 半ばぼんやりとした面持ちで、ゆっくりと椅子に体を戻した王太后が戸惑いがちに微笑む。


「不思議な御仁ごじんですね」


 キュウタが肩をすくめて笑い返す。


「僕もそう思います」


 そして彼は姿勢を正して王太后に向き直った。


「陛下。一つだけお願いがあるんですが」


 王太后は小さく、それでいて迷いなくうなずく。

 彼女はこの少年のことを私利私欲に縛られる人物では無いと感じていたのだ。

 キュウタが指を一本ずつ立てていきながら言葉を継いでいく。


「陛下はガレルの民を救い、ブリテアの民も救った。そのついででは無いんですが、『未来の世界』も救っていただけませんか?」


 どこか冗談めかしてはいるが、嘘の気配は微塵もない誠実さがある声音こわね

 ブリテア王太后は怪訝そうに目をしばたかせた。





 吹き付ける冷たい潮風が、港の景色から色彩すら奪い去ったような印象を与えている。


 海岸からハリネズミのようにせり出す桟橋たちの一角に、がっしりとした造りの中型船が係留されている。

 その船の帆柱にはフィロマ教会の紋章が描かれた旗がはためいていた。


 数分前に下船した者らが長旅でこりかたまった体を大きく伸ばしほぐしている。

 彼らは黒いローブ姿の数人の男女だ。

 若い者もいれば、かなりの老齢者もいる。


 キュウタは彼らの様子を頼もしげな眼差しで眺めていた。


 枯れ木のように痩せぎすな長身の男がキュウタの前に立った。四十を少し越えた年頃で、長いもみあげからあごへと続く豊かな黒ひげが目立っている。


 フィロマ市において魔法教導学院の上位組織とも言える魔法研究機関。彼はそこに籍を置く学者として、最高学位の肩書を持つ人物だ。

 つまり、この世界において最高の魔法学者といっていいだろう。

 浜風に体を縮こまらせた魔法学者が不機嫌そうにうなずいた。


「久しぶりだな、キュウタ、サザレ」


 少年の隣でサザレがこくりとうなずく。

 キュウタは口では恐縮しているが、顔ではあまり申し訳なく思っていなさそうである。


「わざわざすいませんね、先生。フィロマからブリテアまでの旅、大変だったでしょう?」


 彼のように普段から部屋のなかにこもりっきりで研究に没頭している者にとっては、なかなかにこたえる道のりだったはずだ。

 魔法学者は唇の片側をぐっと釣り上げて形ばかりの笑顔を作ってみせた。


「教会の命令じゃ仕方がないわな。これも認定魔術士の辛いところだ。それで? 腕の良い魔術士を何人か連れてこいってのはどういう了見だね」


 魔法学者が覗きこむように顔をキュウタへ近づける。

 得も言われぬ圧迫感にキュウタが軽くたじろぎつつ苦笑で応じる。


「面白い原初魔法の持ち主を見つけたので。術式での再現も視野に入れて調査をお願いしたいんです」

「ほう。どんな原初魔法だね?」

「『念話』です」


 にやりとする魔法学者。


「確かに面白そうだな。『魔法学』の創成以来、可能性だけは示唆されていたが、実在する例は無かったはずだ」

「ええ。きっとこれからの魔法の発展に役立つはずです」


 奇妙な確信をのぞかせるキュウタに、魔法学者はわずかな疑心を拭うように小さく肩をすくめてみせる。


「かもしれないな。ところでお前、ディノン・カーヌの調査をしてたんじゃないのか?」

「あー、そうなんですけど、色々ありまして」


 口ごもるキュウタ。

 ふむ、とつぶやいた魔法学者がひらりと片袖を振ってみせる。


「まあいいさ。調査の方は分かったが、細かい段取りは頼んでいいんだな?」

「向こうに案内人がいるので先に行ってて下さい。すぐ追いつきます。ああ、それから、調査対象は『立場』のあるかたなのでくれぐれも失礼の無いようにお願いしますよ」


 真面目くさった顔のキュウタに、魔法学者はへらへらと肩を揺する。


「はいはい、まあ任しとけ。その辺の貴族か何かか?」

「ブリテア王太后陛下です」


 ぶほっ、と咳込み思わず背を丸める魔術士。そして彼は吹き出た鼻水を黒ローブの袖でぬぐいつつ、キュウタを上目遣いでじろじろと眺め回す。


「……お前はいつもいつも厄介ごとの種を持ち込むが、今回はまた飛びっきりだな」


 頭をかきながらキュウタが笑う。


「ははは。すいません」


 そして魔法学者たちは手荷物をまとめて案内人に先導され、港の敷地から外へと歩み去っていった。

 それを見送っていたキュウタの背中から声がかけられる。


「誰だあいつら。知り合いか?」


 バスフロワが片手に持った干し魚をむしゃむしゃとかじりながら、キュウタの頭越しに視線を魔法学者たちの後ろ姿へ向けた。


「ええ、まあ」

「あいつらも魔術士か」

「ええ。それよりも、バスフロワさん。帰りはあの船を使って下さい。話は通してありますので」


 フィロマ教会の旗を上げた船を見てバスフロワは片側の眉をひょいと上げた。感心した、という意思表示らしい。

 そしてキュウタの言い方に、バスフロワは干し魚の最後の一口をぺろりと呑み込み、少年をじっと見下ろした。ぽつり、とバスフロワが言う。


「ここでお別れ、だな」

「……そうですね」


 キュウタの隣に立っていたサザレの顔が少しかげる。

 このあとキュウタたちは、魔法学者たちと行動を共にする予定である。

 バスフロワの詩は完成し、魔法発展が加速される歴史もほぼ『定着』している。キュウタとバスフロワの道はここで分かれることになるのだ。


 キュウタが、にやっと笑いかける。


「楽しかったですよ。あなたとの旅」


 バスフロワが両手をおおげさに上げて皮肉たっぷりの笑顔で返す。


「いい気なもんだぜ。こちとら危うく死にそうな目にあったってのによ」


 二人は笑顔のまま、しばらく視線を合わせていた。

 言いたいことはたくさんあるような気がしたが、いざ口にしてしまうのは妙に躊躇ためらわれた。


 指で頭をぽりぽりとかいたキュウタが、ずっと心に持っていた疑問を言葉にする。


「バスフロワさん。あなたはディノン・カーヌの『真実』を見抜いてみせた」

「まあな。それがどうした?」


 キュウタの笑顔に挑むような色が浮かんだ。


「では、『僕』の『真実』はどこまで見抜けましたか?」


 二人は沈黙のままじっと見つめ合った。敵意こそないが、真剣で隙のない視線のやり取りが場の空気を硬直させる。

 やがて、バスフロワは肩をすくめて微笑んだ。


「まるで見えなかったぜ。なんつうか、どこまでも底なしの泥ん中に沈んでいく感じだったな」

「……そうですか」


 どことなく落胆したようなキュウタに、バスフロワはのんびりとした気楽な顔で言う。


「ま、たまにゃそういうこともあるさ」


 バスフロワがキュウタを見つめる眼差しは、普段の彼にはまるでそぐわない、優しさと温かみがあった。


 船の上から大声が響き、出立の時刻が来たことを知らせてきた。

 バスフロワは道具袋を背負い直してきびすを返した。

 肩越しに振り返るバスフロワはいつもの不敵な笑顔だ。


「じゃあな。サザレをしっかり捕まえとけよ。必ずいい女になるぜ」


 キュウタがうなずいて返す。


「覚えておきます」


 サザレが少しだけぎこちない笑顔になる。


「師匠も、お元気で」

「おう。お前さんはバスフロワ・ヴィスロ様の最初で最後の弟子だ。存分に自慢するといいぜ」


 にっこりとうなずくサザレに、バスフロワもにっと歯をむき出した笑顔で応じた。


 そしてバスフロワは片手を上げながら軽やかな足取りで桟橋を進んでいった。彼が船に乗り移ると同時に帆は上げられ、風をはらんで大きく膨らんだ。


 波をかき分けつつ滑らかに動き出した船の姿はあっという間に小さくなり、水平線の向こうへと消えていった。





 離れた場所へ瞬時に情報を伝達する原初魔法『念話』。


 その研究は即座に実を結ぶことはないかもしれない。だが、魔法という体系の中で規定される『時間』や『空間』の理解を深く進めるための足がかりとなるだろう。

 それは数百年後の魔法学の、より先進的な分野において、基礎概念の一部となり日の目を見ることになる。


 フィロマ教会の魔法研究の記録において、『念話』を原初魔法として宿した人物は後にも先にも二人だけである。

 だがその人物の名はフィロマ教会の秘中の秘とされ、会皇ですらもそれを知ることは許されない。


 歴史の『真実』は、一人の英雄の『真実』とともにひっそりと優しく朽ちていくだろう。





 ぽん、ぽん、と祝砲が青空に白煙をたなびかせる。


 ガレル王国の首都は年に一度の祭りで、浮き立つような熱気に包まれていた。


 ガレルがブリテアとのいくさに勝利した日を記念した祭りは今年で九十回目を迎えるらしい。

 首都のあちこちは臨時の市場が立ち、国中から集まった商人やら祭り目当ての旅人やらで賑わっている。


 その片隅で一人の行商人が、白い外套姿の少年と少女に向かって流れるような弁舌を披露していた。


 地べたに広げた布の上には、様々な珍しい雑貨や書物がどっさりと並べられている。


「兄ちゃん、嬢ちゃん、知ってるかい? ガレルが誇る大詩人『バスフロワ・ヴィスロ』。二十年くらい前に死んだ詩人なんだがよ、そいつの未発表の詩がつい最近見つかったんだよ」


 懐かしい名前に瞳をきらめかせた少女を見て、少年は微笑んだ。

 彼はふところからコインを取り出して行商人に差し出した。


「へえ……面白そうですね。一冊買いますよ」


 行商人が揉み手をしつつ、満面の笑顔で大声を張り上げる。


「おっ、まいどありっ。兄ちゃん、いい趣味してるねえ。文化に理解のある男ってのはモテるぜえ」

「そ、そうなんですか」


 苦笑いしながら少年が本を受け取り、隣の少女に手渡す。白い表紙に赤い装飾文字が刻まれている。うずうずとした表情を隠そうともせず、ぱらぱらとめくりはじめた少女を優しく見つめながら、少年が尋ねた。


「これ、何の詩なんですか?」


 行商人はよくぞ聞いてくれた、とばかりに滔々とうとうと語りだした。


「おう、題名は『さまよえる魔術士』ってんだ。何十万年も少年の姿のままで世界中を旅する魔術士を書いた詩なんだが……って、どうした兄ちゃん、突然むせ返って。大丈夫か? ほら、お嬢ちゃんも笑ってないで背中でもさすってやれよ……えっ? 『さすがは師匠です』……ってどういう意味だ?」




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