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第七章 詩の中の英雄 (11)


 少し離れた木立のどこかから、睦まじそうにさえずりあう小鳥たちの声が耳に優しく届く。


 厨房から裏庭に通じる扉。

 それは大きく開け放たれ、朝の澄んだ空気が屋内に入り込んでいる。


 使用人とおぼしき恰幅かっぷくの良い中年女が、かまどから鍋を横に降ろし、皆の目の前でスープを皿に分けはじめた。乳白色に近いスープの表面には、煮こまれて柔らかくなった赤や緑の野菜が彩りのバランスよく浮かんでいる。


 厨房の片すみには、木製の丸テーブルが置かれている。それは表面のところどころに焦げや食材の染みが目立ち、頑丈な造りに見合った扱われかたをしているようだ。


 中年女は無愛想な顔で無言のまま、スープ皿をテーブルの上に並べていった。彼女が一皿置くごとに、まろやかな旨味を想像させる匂いが場に増していく。

 テーブルの中央には一足先に大皿が置かれている。そこに乗せられたパンやら果物やら干し肉やらは余裕を持って全員に行き渡る分量だ。


 壁際の椅子に座るギュラン・ド・ボードロット男爵は、簡素なデザインのゆったりとしたシャツとズボンを身につけている。今の彼を道端で見かけたとしても少しばかり洒落しゃれのある老人としか認識できないだろう。ましてや貴族という地位にある人物だとは決して気づくことはできそうにない。


 ボードロットが片手を振って、朝食の準備を終えた中年女性に合図する。彼女は一度だけ小さくうなずいてから厨房から裏庭へと出ていった。


 静かに閉じられた扉を確認してから、ボードロットが水差しを持ち上げて木のカップに中身を注ぎ込む。


 ボードロットの三方を囲むように座る三人はじっとその様子を見つめていた。


 やがてカップに満たされた水をボードロットは一息に飲み干してみせた。からになった中身が見えるようにカップを静かに手前に置く。


 ボードロットが、同席した者らに目でうながす。男爵の前でも特に気負う様子も無い三人の人物は、皿から思い思いに食材を選びとる。


 そして三人がそれらを口に運ぶ前に、ボードロットは皿に残されたパンを指先で一つ掴みあげて、ぱくりとかじりついた。

 その仕草はゆっくりかつ丁寧なものだ。だがそれは爵位から来る上品さと言うよりは、彼が確かに食材を口に入れたということを周囲に包み隠さず確認させることを意図しているように思えた。


 そんなボードロットを横目に、ふん、と小さく鼻息をもらしたバスフロワ・ヴィスロは、干し肉をむしゃむしゃと噛みちぎる。指先に残る塩気をぺろりと舐めとって、彼はぼそりと言った。


「こちらの男爵さまはずいぶんと変わり者のご様子だ。こんな狭っ苦しい場所で平民と席を同じくすることに抵抗が無いと見える」


 パンをじっくりと咀嚼したあと、スープを一口すすったボードロットが言葉を返す。彼はいかめしい表情を崩すことはなかったが、バスフロワの慇懃無礼な軽口にも気を悪くした様子は無さそうだ。


胸襟きょうきんを開いた話をするならまず食事を共に、というのが今も昔も常道だ。水やパンに妙な『細工』をされていないか、君らが邪推する手間を省く意味もあるがね」


 パンを二つに割って手頃な大きさにした大槻キュウタは、隣のサザレが黙々と梨を頬張ほおばる様子を見ながら小さく苦笑した。


「そんな心配はしていませんよ」


 ギュラン・ド・ボードロット男爵の屋敷を賑わせた昨晩の『騒ぎ』。それは、結局のところ邸宅のあるじの鶴の一声によって収められた。


 キュウタたち三人は、帰宅したボードロットの指示によりあてがわれた客室で実に快適な一晩を過ごした。

 そして一夜明けた朝、いまの彼らはボードロット本人からこうして朝食に招かれている。


 バスフロワの身を案じたサザレの一方的な蹂躙によって発生した怪我人は十数名に及んだ。だが、軽傷重傷の差はあれど命を落とした者は皆無である。

 そしてそれは単なる偶然などではない。そうボードロットは理解しているようだった。


「お嬢さん。部下の無礼な振る舞いは謝罪させてもらう。そして『手加減』してくれたことにも感謝する」


 リスのように両手で支えた梨の果肉を前歯で小刻みにかじりとっていたサザレが、目をぱちぱちさせてから小さく肩をすくめる。

 口元を真面目そうな表情で結んだまま、わずかにうなずき返したボードロットがバスフロワに向き直る。


「さて。食べながらですまないが、話をしていいかな。バスフロワ・ヴィスロ君」


 椅子の上で半身になったバスフロワが背もたれに肘を乗せてだらしなく寄りかかる。片手にもったカップに唇をつけてごくりと水を一口飲み込む。


「お好きにどうぞ、男爵さま」


 ボードロットはテーブルの上で両手を組み合わせた。その視線はバスフロワの表情の裏までを読もうとするような注意深さがある。彼の声がゆっくりと尋ねた。


「昨晩のうちに『書簡』は読んだだろうね」


 バスフロワは亀のように首を突き出し、わずかに上下させて肯定の意を示す。


「ひととおり、目は通しましたぜ」

「つまり、ディノン・カーヌの『真実』に辿りついた、というわけか」

「そうなりますな」


 さらりと言ってのけたバスフロワに、キュウタが興味深げな視線を向ける。

 バスフロワがガレルの英雄ディノン・カーヌについて、何らかの結論に行き着いたことは予想できる。だが、その詳細についてはまだキュウタもサザレも何一つ聞かされていなかったのだ。


 目を閉じて小さくため息をついたボードロットが、ゆっくりと瞼を開けてバスフロワの自信に満ちた鳶色とびいろの瞳を見る。


「いささか思惑が外れてしまったな。念のため聞いておくが、まだ私と『取引』をするつもりはあるかね?」

「無いですな」


 にべもなく応じるバスフロワは男爵相手でもまるで遠慮する気配がない。

 諦めたようにぽつりとつぶやくボードロット。


「だろうな」


『真実』を渡すかわりに、バスフロワも『詩』を書くのをめる、という取引。それが、刀傷の男を通じてボードロットから持ちかけられたらしいということはキュウタも知っていた。

 だが『刀傷の男』は、剣をもってみずからその取引をご破算にしようとした。結果、バスフロワは取引にだくすることもこばむこともしないまま、真実を手に入れることができたのだ。

 

 サザレの実力をこれ以上ない形で思い知らされたいま、もはや力でバスフロワをどうこうすることは天地が引っくり返っても無理な話だとボードロットも理解しただろう。

 およそ全ての手札を失った老男爵の心中しんちゅうを察すると、キュウタはほんの少しいたたまれない気分になる。


 キュウタ自身にとってはディノン・カーヌの真実も、彼女の列聖もさして重要ではない。バスフロワ・ヴィスロがディノン・カーヌの『詩』を書き上げさえすれば何の文句もないのだ。それで魔法の進歩は加速されるはずなのだから。


 どこかうんざりした様子のバスフロワが、カップをテーブルに少々乱雑に置く。


「そんなに隠さなきゃならんことですかねえ」


 バスフロワのとげのまじる声が、厨房のぬるい空気に凛と響く。


「ガレル王国の英雄ディノン・カーヌが、敵国ブリテアの『内通者』だったってことが」


 ボードロットはぐっと唇を引き締めた。

 テーブルの上で彼の両手の指がきつく絡み合う。彼の眼差しには、バスフロワの些細な仕草も見逃さぬ鋭さが浮かんでいた。





 三人はじっと聞き入っていた。

 詩人バスフロワ・ヴィスロが辿りついた『真実』を。


 バスフロワはゆっくりと語った。

 彼はディノン・カーヌに対して、はじめから違和感を持っていた。


 その原因はディノン・カーヌをたびたび導いた『神の声』だ。


『神の声』はガレル王国の絶望的な危機においてディノンの心に啓示を与え、進むべき道を提示した。『神の声』は常に正しかった。圧倒的不利な戦況をくつがえしただけではなく、ディノンがガレル軍の中で中心的な位置を占めるための政治的駆け引きにも功を奏したふしがある。

 それは『奇跡』と呼ぶにふさわしい偉業の数々だ。


 そして、その過剰なまでの奇跡こそが、バスフロワが抱いた違和感の元だった。『神の声』はあまりにも具体的で正確すぎたのだ。バスフロワは旅の中で得た無数の情報から一つの結論を導き出した。


 ディノン・カーヌが聞いたのは『神の声』などでは有り得ない。


 彼女が聞いた『神の声』は、ディノンがブリテア側の『内通者』として触れることができた、ブリテアの内部情報の遠回しな表現だったということに。そうでなくては、ブリテア軍の動きを正確に予測し適切な対応をディノンがおこなえた説明がつかないのだ。


 それ以外に解釈の余地は無い。

 バスフロワは静かに断言した。


 ガレル王国を救った英雄『ディノン・カーヌ』は、『裏切り者』でもあったのだと。





 厨房の中はしんと静まり返っていた。


 キュウタは口元に手を当てて、バスフロワの言葉を自分なりに吟味していた。確かにすじは通っているように思える。

 噛みしめるようなバスフロワの言葉が続く。


「ディノン・カーヌは、ブリテアが密偵としてガレル王国の土地に潜ませた一族の人間だったはずだ。そして途中までは実際にブリテアに利する行動を取っていた。だが、彼女はある時を境に本当にガレルのために戦うことを選んだ。英雄になることを決めたんだ。ま、その理由までは分からんがな」


 バスフロワはカップの中身を飲み干し、乾いた喉に一息を入れる。

 ほんの少し語勢を低めた彼の声が再び続けられた。


「ディノンの立ち回りは巧妙なやり口だったろう。表向きは『内通者』としての立場を利用し、ブリテア軍の情報を引き出しつつ、いくさをガレル優位に進むような流れを周到に作っていった」


 ボードロットの謹厳な表情にわずかな陰鬱さがよぎる。

 それを見たバスフロワは言葉を切った。彼は小さくため息をつくと、指でがりがりと頭をかいてから、気まずさと苛立たしさの混じった声音こわねで締めくくった。


「とにかく、最終的にブリテアはディノンの裏切りに気付いた。そして裏切り者をあぶり出すべく偽の情報が流され、それを掴まされたディノンは捕縛され、ブリテアの地に連行され処刑された。ブリテアが処刑の判断を下したのは、口封じの意味もあったかもしれん」


 バスフロワは立ち上がり、厨房から裏庭へ通じる扉を開けた。朝の新鮮な空気が中にするりと流れ込んでくる。

 戸口に寄りかかったまま、バスフロワは木立や草地から照り返す朝陽の光にぼんやりと目を細める。もはや言うべきことは言い切った、というていだ。


 バスフロワが語ったディノン・カーヌの『真実』。

 

 そう言われてみればなるほど、とうなずける話であった。『神の声』などという得体のしれない物を肯定するくらいならば、ディノン・カーヌがブリテアと密かに通じていた、と考えるほうがよっぽど腑に落ちるというものだ。


 キュウタはちらりとボードロットの表情を盗み見た。老男爵は唇を軽く噛み、射るような視線をバスフロワの背に投じている。今ならこの老人がなぜディノン・カーヌの詩の完成を嫌ったのか、分かる気がする。


 戸口に立つバスフロワの背をじっと見つめていたボードロットは、テーブルの上に視線を落とすと、重く閉ざしていた口をぽつりと開いた。


「ディノン・カーヌはガレルの英雄でなければならない。人々の心のどころとして、彼女は一片の曇りもない完全な英雄でなければならんのだ」


 ボードロットはきみなら分かるはずだ、とでも言いたげな瞳でキュウタを見て言葉を継いだ。


「もしディノンが敵国ブリテアと通じていたことが露見すれば、先のいくさそのものの意義が揺らぎかねない」


 バスフロワがきりっとした面持ちで、肩越しにボードロットへ振り返る。その声には呆れた思いがありありと浮かんでいた。


「そして再びいくさのきっかけになるとでも? 男爵さまは、世のなかの人間が馬鹿ばかりだと思ってるんですな?」


 ボードロットの老いたかんばせには、長年の深慮によって刻まれた皺が断固たる信念を描いている。


「感情にとらわれ、間違いを犯すのはひとつねだ。先を見越し、災いを未然に防ぐ。それが上に立つ者の義務だよ」


 老男爵はすっくと立ち上がり前に一歩進んだ。

 バスフロワとボードロットは火の散るような視線をぶつけ合う。万の言葉を費やすよりも、その一瞬の視線の交錯に互いの全霊を注ぎ込むように。


 ボードロットの声が静かに、そして決然と向けられる。


「一人の人間として頼みたい。ディノン・カーヌの詩を書かないでくれ」

「断る。俺は詩を書くのをめるつもりはない」


 迷いなく打ち返された詩人の言葉。

 それは、ボードロットに何がしかの決断を迫るに十分なものを持っていた。


 梨の芯を人差し指の上に乗せて器用にバランスを取りながら、サザレは二人の様子を注意深く見つめていた。まさかとは思うが、ボードロットが力に訴える可能性はまったくのゼロになったわけでもないのだ。


 誰もが言葉を発することなく、心臓が鼓動を十回かそこら打つほど経ったころ。

 場を圧する沈黙は、バスフロワの言葉でそっとゆるめられた。


「かといって、ディノン・カーヌの詩を世に出すつもりも無い」


 ボードロットは体の両脇で握られていた拳から力を抜いて、半信半疑な面持ちでバスフロワを見た。

 詩人の表情に怒りや恐れはなかった。相手をただ哀れんでいるように思えた。

 ボードロットはかすかに首を傾げ、じっとバスフロワの表情を観察しつつ言った。


「……それは、どういう風の吹き回しかね」


 バスフロワは大げさに肩をすくめ、皮肉あふれる笑顔をしてみせた。


「きっと『これ』は面白い詩にならないし、そういうのは誰も買いたがらない。俺は売れる詩を書くことで有名なんでね」


 ふっと視線をそらしたバスフロワ。

 それが心の奥を覆い隠すような仕草に思えたのはキュウタの気のせいだろうか。

 声の裏に安堵を忍ばせたボードロットが尋ねる。


「信じていいかね」

「詩人の誇りに賭けて誓いますよ、男爵さま。では、俺はこれで失礼させていただきますぜ。朝飯あさめしごちそうさまでした」


 芝居がかった仕草で軽く頭を下げたバスフロワが扉の外へと一歩踏み出す。

 その背中にボードロットは言葉をひとつ追いすがらせた。


「この三十年、ずっと心に引っかかっていることがある。最期の瞬間、ディノンは火刑台の上で何を思っていたのだろう、と」


 ぴたりと足を止めたバスフロワが頭を回す。彼は寂しそうな笑みでボードロットを見やった。


「満足していましたよ。全てをやり切ったと確信して、彼女は悔いなく逝った」


 それだけを言って、バスフロワは裏庭から敷地の外へ向かって歩き出した。

 ボードロットはバスフロワの後ろ姿にそっと声をかけた。


「……そうか。ありがとう」


 老人の感謝の言葉に、流浪の詩人は振り返ることも立ち止まることもなく、ただ片手をひよいと上げてみせただけだった。





 夜の街をひっそりとした静けさが柔らかく包んでいた。


 三日月が天の中ほどで赤みがかったミルク色に輝いている。


 ガレル王国首都の中心街。

 そこにたたずむイリユヌス教会は、東端に置かれた背の高い塔と、西に建てられた礼拝堂を中心とした左右対称の構造をしている。


 四方を古びた石畳の道路と街路樹に囲まれた土地は重厚感のある印象で、この国においてイリユヌス教が持つ歴史と影響力の一端を示してもいた。


 物置小屋の軒下に積み重ねられた薪の山。

 いつもの白い外套姿のキュウタはそこに寝そべって、何をするでもなく夜の空気を体で感じていた。


 ひた、と静かな足音と気配が傍らに生まれる。

 相手が誰なのかは確認するまでもなかった。キュウタは夜の街並みと星空の境目を目でぼんやりなぞりながら尋ねる。


「バスフロワさんは?」


 サザレもキュウタと同じ白い外套を身につけている。別段外出する用事もないのだが、この格好がお互い妙に落ち着く。

 少女はちらりと教会の建物の一角、ロウソクの灯りがわずかに漏れる窓を見て答える。


「部屋で詩を書いています」

「ディノン・カーヌの?」

「はい。そう言っていました」


 やれやれ、といった感でキュウタは寝転んでいた姿勢をさらに楽にする。これでまた一仕事片付いた。どういう形を取るのかは知らないが、これで魔法の発展が更に加速される歴史へと世界は進むのだ。

 のんびりとした雰囲気のキュウタを見下ろしていたサザレがぽつりとつぶやく。


「ただ……」

「ん?」


 少女の声調に含まれた戸惑いが、少年の注意を呼び覚ました。

 サザレはキュウタの視線がこちらに向いたのを確かめてから言葉を続けた。


「先ほどから『未来視』を発動させているんですが、魔法技術の進歩が加速される気配が『無い』んです。ここまで来れば多少は『定着』のきざしがあると思うんですが」


 キュウタがゆっくりと体を起こしてサザレを見上げる。

 サザレの『未来視』はいつも正しい。彼女がこんな言い方をするということは、まだ何か続きがあるということだ。

 腕組みをしたキュウタの眼差しに思慮の色が浮かぶ。


「詩の完成が歴史改変の条件じゃない……?」


 サザレがこくりとうなずく。

 

「その先にもう一つ『何か』があります」


 キュウタが口を開こうとした時、別の足音が現れた。

 シャツの胸元をゆるめた表情には憔悴がある。だが、それを上回る静かな達成感が彼の鳶色とびいろの瞳には現れていた。


 バスフロワ・ヴィスロは少年と少女の前にゆっくりと足を進めた。

 彼の片手には何枚かの紙をひとまとめに丸めたものが無造作に握られている。

 書きもの作業で強張こわばった肩を指で揉みほぐしながら、目を閉じたままのバスフロワがぼそりと言う。


「上手な『嘘』のつき方を知ってるか?」


 ぽかん、と顔を見合わせたキュウタとサザレ。

 キュウタが小さく首を振ってバスフロワを見る。

 詩人は片目を開け、不敵な笑みを二人に向けた。


「知られても構わない真実を『半分だけ』見せてやることだ」


 キュウタとサザレが再度顔を見合わせる。

 むう、と唇を結んだキュウタが、取り敢えず話を合わせておこうと、仕方がなさそうにうなずく。


「それは、まあ……分かる気がしますけど」

「ボードロット男爵は、上手な『嘘』をついた」

「……えっ?」

「そしてボードロットは、俺たちがその『嘘』に引っ掛かったと思い込んでる。クソ生意気な詩人は『見当違いの真実』を手に入れて満足したはずだ、ってな」


 薪の山の上で座り直したキュウタが身を乗り出す。眉をひそめた少年は思わず自分の額に手をやって首をかしげた。


「ちょ、ちょっと待って下さい、バスフロワさん。今朝、話してくれた『あれ』がディノン・カーヌの『真実』じゃないんですか?」


 目を丸くするキュウタをよそに、視線を横に向けるバスフロワ。彼の瞳は夜の首都を見つめ、またさらにその先にある何かへと向けられていた。


「ああ、違う。ボードロットが俺たちに見せた書簡にはいくつか『抜け』がある。核心に迫るための重要な部分が意図的に消し去られている。それらはとっくの昔にボードロットが焼き捨てるか何かしてんだろう。俺たちを『間違った真実』へと導くために、な」


 ざわざわとしたものがキュウタの背中を這い登る。

 人の尺度を超えた何かをバスフロワの中に見た気がした。

 この男もまた、紛れも無く『偉人』の一人なのだと理解できたのだ。


 ふん、と鼻息をはきだしたバスフロワが不機嫌そうな声音こわねで言い捨てた。


「あの男爵さまは俺を甘く見すぎだ。残った書簡から逆にたどれば、何を見せたくないのか、はっきりと分かっちまう」


 バスフロワは丸めた紙束をキュウタにひょいと差し出した。


 まだ乾ききっていないインクの匂いがかすかな生々しさを漂わせている。書き上げてすぐさまここに持って来たのだろう。

 詩人は絶対の確信とともにはっきりと言い切った。


「これがディノン・カーヌの『本当の真実』だ」


 キュウタはそれに魅入られるように動きを止める。何の変哲もない紙束に、目に見えないずっしりとした『ときの重み』を確かに感じていたのだ。

 

 少年はゆっくりと手を伸ばし『詩』を受け取る。

 

 小さくうなずくバスフロワ。その鳶色の瞳がキュウタを勇気づけるようにうながす。

 

 ふうと一つ息を吐き出してから、キュウタは紙束を一枚ずつ丁寧にめくり、そこに刻まれた詩に意識を向けた。

 

 誰も一言も発しない沈黙のなか、キュウタが紙をめくる乾いた音がぱらりぱらりと時おり流れる。


 空にある三日月がわずかに上へと動いた頃、キュウタの指先がぴくりと震えた。


 キュウタは視線を険しくし、せわしない仕草で数枚ページをさかのぼり、自分が読んだものを再確認する。視線を宙へと巡らせた彼は、突きつけられた『詩』のどこかにあらがないだろうかとじっくりと思考した。だが考えを重ねるほど、この詩の整合性の堅牢さは増していく。


 これこそが『本当の真実』なのだ。


 唇を小さく開いたキュウタが何ごとかを言おうとバスフロワを見た。だが少年は言葉を上手く紡ぐことができなかった。

 

 バスフロワはさもありなん、といった表情でキュウタにうなずいてみせる。


「信じられないか?」


 食らわされた真実の一撃からキュウタはようやく立ち直り、長々と息を吐き出してから、にやりとぎこちなく微笑んでみせた。


「いえ。信じますよ。そして、あなたが歴史に選ばれた理由がようやく分かった気がします」

「何だそりゃ」

「こっちの話です」


 キュウタは詩の書かれた紙束をサザレに手渡した。これを読めば彼女の『未来視』にも、より一層の詳細さが加えられるはずだ。


 キュウタは、読み進め始めたサザレの隣に立ち、バスフロワに向き直った。


「なぜ、あなたは『本当の真実』に気付いたことを、ボードロット男爵に言わなかったんです?」


 口を結んだバスフロワが少し考えてからさらりと流し答える。


「さてね。がらにもない敬老精神が首をもたげたのかもな」


 あくまでも本心を伏せているような、わざとらしいバスフロワの口調。

 それに応じるキュウタのじっとりとした視線は、このに及んでまさか自分にも隠し事をしていまいな、とでも言いたげな色である。

 少年の意外な威圧感に、珍しくわずかにうろたえ気味になったバスフロワ。彼は片手をひらひらさせて言い訳がましく言葉を続けた。


「そもそも男爵は悪い人じゃねえ。あの人がその気ならいつでも俺を始末できたし、本当に『真実』を隠し通そうとするんなら、そうすべきだった」


 バスフロワの声には、隠し切れない気恥ずかしげな思いが見て取れた。


「俺がだまされた振りをすることであの人が安心できるなら、まあ、それでもいいかと思うんだよ」


 ふっと苦笑したキュウタがサザレをちらりと見る。小さくうなずいて返すサザレの表情からしても、これこそが自分たちが目指す『未来』に繋がる道なのだろう。

 キュウタは外套の下で腕を組む。一つだけ確認しておきたいことがあった。


「バスフロワさん。この詩をどうするつもりです?」


 首の後ろをぽりぽりとかきながら、バスフロワは何ごともないような感で答える。


「男爵と約束した通りだ。これを世に出すつもりはねえ。この詩の『ヤバさ』は俺でも分かる。だから」


 言葉を切ったバスフロワがキュウタをじっと見つめる。


「だからお前に託す。キュウタ。この『真実』は、お前の手の中にこそあるべきだ、って気がするんだよ。ちっと無責任かもしれんがな」


 ぐっと口を一文字に結んだキュウタが、バスフロワを見つめ返す。

 自分のような普通の人間には、真実の『重さ』というやつは実に手に余る代物だ。二十万年近く生きてきてもその感覚は少しも変わらない。


 やがて糸が切れたように体から力を抜いて、少年は微笑んだ。


「分かりました。これは僕がお預かりします」

「ああ、そうしてくれ」

「これから僕は、やるべきことがいくつかありそうです」

「そうかい」


 大して興味もなさげな様子で、ポケットに両手を突っ込んだバスフロワはふらりと星空の下へと進んだ。

 キュウタがその背中に、誇り高い詩人への敬意をこめた言葉をかける。


「バスフロワさん。もう少しだけ僕らに付き合ってもらえませんか? この『旅』に本当の意味で結着をつけるのは、あなたの役目のように思います」


 バスフロワは何も答えず、背をぐっとらした。

 頭の真上に広がる夜空の星々は何かを語りかけているような気がしたが、その声は聞こうと意識するほど闇の彼方かなたへと遠のいていく。


 今にも地上に降り注いできそうな満天の星を、彼の鳶色の瞳はいつまでも見つめていた。



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