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第二章 数を愛した男 (2)

 王都を見下ろす岩山の一角。

 

 さんさんと照らす太陽も届かない岩棚の奥、少女は敷物の上に正座し瞑目している。

 日陰となっているこの場所は、少女が放つ怜悧さもあってか、どこかひんやりとした空気である。


 不審者に備えて周囲の岩場を見張っていた大槻キュウタが、岩棚の入り口からひょいと少女を覗きこむ。


「まだ『定着』しないの?」

「しばらくは安定しています。ですが、『二十年』ほど先の未来で一波乱ありそうです」


 サザレがゆっくりと目を開け、大きな青い瞳をキュウタに向ける。


 キュウタとサザレが、セネルケフと共に王都に到着してから一ヶ月あまり。二人はセネルケフの身辺を表や裏から見守っていた。だが、二人が案ずるような類の『危機』がセネルケフに訪れる気配は無い。


 セネルケフが、『王墓』設計の任にあたるイムイブラの工房で働いている。その一点だけで、貴族や庶民からのセネルケフに対する尊敬の念は十二分に高いものとなっているのだ。


 王墓を造ろうとする者に対して害をなすことは、すなわちラメス王に対する害を意味する。王からの支配に対する絶対の服従。生まれた時からそういう文化で育ち、その秩序によって成り立っている国の人間が、セネルケフに対して悪感情を持つことは考えにくいことである。

 それはサザレの『未来視』魔法によっても、ある程度裏付けられている。


 二人にとって重要なのは、王墓建造の成否ではない。

 問題は、セネルケフがこの先に成し遂げる業績である。サザレが未来視で見る魔法発展の歴史上に、彼の業績が『定着』するかどうか。

 それは五千年後に起こるであろう人類と魔族の戦い。その行く末を決定する、重要な分岐点なのである。

 キュウタが水の入った皮袋をサザレに渡す。彼の口ぶりは真剣そのものだった。


「セネルケフさんは魔法発展のために必要な人だ。万が一の可能性も見逃したくない」


 皮袋から水を一口喉に流し、ふうと可愛らしく息をつくサザレ。彼女はキュウタとは対照的にどこか気楽な態度である。


「少なくとも今から『二十年間』、セネルケフ様の人生は確実に歴史に定着しています。その間、彼が死んだりすることは絶対にありえません」

「うーん……二十年後、彼に何が起きるんだ?」

「多くの可能性が重なりあっています。まだ、どれとは断言できませんね」


 キュウタが時間転移し、サザレと出会ってから十九万年以上が経過している。

 その間、常に彼らはサザレの未来視が予測する歴史が、『魔法の発展』に寄与するよう行動している。


 彼らの行動は多岐に渡っていた。ある時は、魔術士の血統を持つ一族に力を貸し、他の部族との血みどろの戦いを有利に進めたこともある。

 時には魔術士の血統とは無関係の者に干渉したこともある。二人が歴史改変の手段として用いたのは、単純な『暴力』だけでは無い。土器や文字、果ては金属の発見など。それらに関わる歴史上の多くの出来事や人物に積極的かつ慎重に介入し、人類の進歩を後押ししたりもしたのだ。


 人類は少しずつではあるが、魔法を世界と歴史の上に定着させている。それは二十万年越しの壮大な計画、すなわち人類が魔族との戦争に勝利するための『刃』を研ぐ作業なのである。


 キュウタはサザレの隣に腰を下ろす。彼女の未来視から考えると、しばらくはのんびり出来るのだろう。

 彼の心を読みとったのか、サザレがキュウタに寄り添うようにしがみつく。


「最近は色々と忙しかったですからね。ちょっと休みましょう」


 キュウタはうなずいて、大きな薄手の布を取り出し、二人の体をふわりと包みこんだ。にっこり笑ったサザレが彼の方に更に体を寄せる。

 生きてきた時間の長さにはそぐわない、キュウタのいかにも十七歳な、子供らしい瞳が揺れ動く。遠くを見つめるような表情で、彼は独り言のようにつぶやいた。


「不思議だな。二十万年近く生きているのに、消えない感情があるなんて」


 魔族、そして魔神王に対する復讐。キュウタが恐れていたのは、その感情が長い年月の中で風化して、心の中から削り取られてしまう事だった。

 だが、その心の炎は消えていない。今でもあの日の事をありありと思い浮かべることが出来る。あの日の光景を、あの日の自分の感情を。

 これも『不老』の効果が関係しているのだろうかと、ぼんやり思う。

 サザレが沈黙をぽつりと破る。


「私にも、消えない感情がありますよ」

「へえ、そうなんだ」

「キュウタ……」


 すでにぴたりとくっついているサザレが、仏頂面のキュウタの方へ更にグイグイにじり寄ってくる。その顔は甘えんぼうな十三歳の少女の物だ。

 そして少女の艶かしい声が、少年の耳を優しく打つ。


「キュウタ……二人で子供を作りましょう」

「却下」


 即答するキュウタに、サザレの整った顔が焼き上がった餅のように丸くなる。


「むむぅ」

「ふくれてもダメ」


 このやり取りも何度しただろうかと、キュウタはため息をつく。

 唸り声を上げて、腕を回して抱きついてくるサザレを適当にあしらいながら、彼女と出会った頃のことを思い出す。

 言葉遣いこそ丁寧になっているのだが、サザレの中身は洞窟に住んでいた頃とあまり変わってない気がするのだ。

 サザレの細身ではあるがそれなりに起伏のある体。彼女はそれを自分でむにむにと撫で回し、キュウタを上目づかいに見つめる。


 その仕草にキュウタもついどぎまぎしてしまう。こんな時はいつも、自分に与えられた『不老』が肉体のみならず自分の『心』までも、十七歳の時点に釘づけてしまっているのだと強く自覚する。

 動揺し、すっかり口をつぐんでしまうキュウタ。サザレがそんな彼に不満気な声を漏らす。


「私、これでも歳の割にいい体だと思うんですが」

「そういう話じゃ無いんだってば」


 自分の子供が爺さん婆さんになって死ぬところを見る気にはなれそうもない。

 そして何よりも、一つの事実が頭の隅に引っかかっている。この十九万年以上の時の中、歴史改変のためにキュウタは幾度と無く『人を殺して』きた。その事自体を悔やむつもりは毛頭ない。

 そもそも生まれてからずっと兵士として育てられてきたキュウタにとって、敵は魔族だけではなかった。醜悪で身勝手な人間を数多く見てきたし、組織の秩序を守るためそういった者を『処分』したことさえある。


 罪悪感などこれっぽっちもない。だが他人の命を奪い、復讐に身を捧げる自分が、新しい命を生み出すことにどうしても踏ん切りがつかないのだ。

 サザレが子猫のような声でキュウタの注意を引き戻す。


「キュウタ。私の事が好きですか?」


 それは文字通り何万回となく、キュウタに向けられた問いだ。そして、彼はいつも沈黙で答えてきた。その行為をキュウタは自分でも不思議に思う。この少女を想う気持ちは、初めて会った頃から何一つ変わっていないというのに。

 彼がこの質問に答えてくれないことに、サザレはもう慣れっこになっている。彼女はキュウタの胸に顔を埋めるようにしがみついた。


 言葉なんていらない、ただ一緒にいられればそれでいい。サザレの体の温もりは、そうキュウタに語りかけていた。





 人の背丈ほどもある銅鑼どらが、石造りの広間に盛大に音を響き渡らせる。


 謁見のには、壁際に衛兵がずらりと立ち並んでいた。皆金属製の肩当てと手甲を身に付けており、長々とした槍はいつでも無礼者を突き刺す準備ができているのだろう。

 物々しい空気と、セネルケフが石床についた膝から伝わる冷たさ。そこに彼は自分が巻き込まれた状況の重大さを実感している。


 幅広い階段の上に設えた豪華な玉座。その両脇には透き通るような薄い布を裸にまとった女性奴隷が静かに佇んでいる。

 玉座を見上げる場所にひざまづいているのは、イムイブラと共に王との謁見にのぞんだセネルケフ。彼は王の威光を前にして、ひざまずいたまま顔を上げることが出来ず、王の言葉を震える体で聞き入るのが精一杯であった。


 王のよく通る声音が高い位置の玉座からイムイブラに向く。


「イムイブラ。お前が示した案は実に気に入った。速やかに計画を進めよ」

「かしこまりました。では、そのように」


 イムイブラは何度も王と言葉を交わしているとのことで、すっかり落ち着き払っている。セネルケフはそんな上司を心強く思い、尊敬の念を強くするのだった。


「ところで。セネルケフ、だったか」


 突然、王の口から自分の名前が出される。セネルケフは心臓が跳ね上がりひざまずいたまま、更に頭を低くした。

 王の声にどこか楽しげな空気がにじんだように思える。


「なかなかに有望な才ある者と聞く。イムイブラの下でよく学び、よく励めよ」


 その言葉に、セネルケフの体にかかっていた重圧がすっと和らいだ。広間に入ってからずっと伏せていたセネルケフの顔が自然に上がり、彼の視線が玉座へと向いた。


 黄金と宝石で飾られた王冠の下、彫りの深い壮年男性の顔にほんの少しだけ微笑みが浮かんでいる。

 ラメス王は穏やかかつ荘厳な表情をセネルケフに向けていた。

 

 国の頂点に立つ者が自分の名を覚えてくれている。セネルケフは胸にたぎる熱いものを感じ、再び深く頭を下げるのであった。





 日暮れ時の酒場は、仕事帰りに一杯引っ掛ける職人や商人でごった返している。


 窓際のテーブルで杯にちびちびと口をつけていたセネルケフの隣に、断りもなしに誰かが座った。

 不躾な振る舞いに一瞬目を丸くしたセネルケフだったが、すぐにその表情は笑顔に緩む。

 キュウタは、どこかからかうような視線でセネルケフを見た。


「どうでした、王陛下の御尊顔は?」

「まだ少し足が震えてるよ」


 セネルケフは、自分のふとももをぺしっと叩いておどけて見せる。

 キュウタがくすくすと笑い返した。

 

「工房のお仕事はどうです? 王墓の計画は、あちこちで噂を耳にしています」

「うん、周りが優秀な人ばかりでね。追いつくのがやっとで、毎日悲鳴を上げてるよ」

「そう言う割には、楽しそうですね」

「ははっ……うん、楽しいな。本当に楽しいよ」


 数日に一度ふらりと顔を見せるキュウタとの会話。それは、まだ不慣れな王都生活の中でセネルケフの心をいくらか休ませてくれるものである。セネルケフはいつしかこの少年に対して、古い友人と接するような気安ささえ感じている。

 酒を勧めようとしたセネルケフを制し、キュウタは少し申し訳無さそうな顔に変わった。


「実は、しばらく王都を離れます。今日はその挨拶に来ました」


 びくっと身動きを止めたセネルケフは、キュウタの顔をまじまじと見つめる。突然のことにセネルケフは呆気にとられていた。理由は自分でも分からないが、この少年とはいつまでも一緒にいられるような気がしていたのだ。

 だがそれが何の根拠もない思い込みであることにも気付く。別段親しい友人というわけでもない。たまたま旅の道連れになっただけの他人なのだから。


 それでも背中にまとわりつく、この少年と離れがたく思う気持ちを、セネルケフは酒とともに腹の底に流しこむ。


「そうか……寂しくなるな」


 ぽつりと呟くセネルケフを、キュウタの柔らかな視線が捉える。時折、この少年はこんな目をする。それはまるで子を見る父親のようだと、セネルケフは思ったことがある。


「またいつか会えますよ」


 社交辞令なのだろうが、キュウタの言葉には表裏がないように聞こえる。このひょうひょうとした少年は、いつか本当に自分の前にひょっこり姿を現してくれる気がした。

 キュウタはセネルケフの肩を優しく叩いて、椅子から立ち上がる。


「では、もう行きます。お体に気をつけて。お仕事の完成も楽しみにしています」

「ああ。君も元気でな」


 セネルケフは杯をひょいと上げて笑ってみせる。戸口から人混みの彼方に消えていくキュウタを彼はいつまでも見送っていた。


 キュウタが夕闇の奥へ姿を消した後も、彼はその方向から視線を外さずに少年の後ろ姿を心に焼き付けていた。





 無数の窓から漏れだす照明の光が、点々と町の輪郭を描き出している。

 夜の王都を見下ろす岩山の上で、キュウタはサザレと合流した。白い布をローブのように全身に巻きつけたサザレが首をかしげる。


「これからどこに?」


 キュウタはアゴに手をやってしばらく考えこむ。

 二十年ほどは気ままにあちこち見て回る時間がある。折角だから大陸の端まで足を伸ばしてみようかと思い至る。気の遠くなるような長い時の中で何度も辿ったことのある道だ。だが旅にはいつも新しい発見があるのだ。今度はどんな道行きになるだろうか。

 

「東にしよう」


 それだけを宣言して歩き出す。後ろからついてくるサザレは何か楽しそうだ。


 月明かりに照らされながら歩く少年と少女の影は、離れたり付いたりしながらずっと優しく揺れ動いていた。




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