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第七章 詩の中の英雄 (6)


 秋晴れの陽気が心地よく大地を照らし、黄色くせはじめた草原をそよ風が流れている。


 空気にはほんの少し潮の香りが混じり、正面に見えるなだらかな坂の先に横たわる『海』の存在をほのめかしていた。


 左右を少々険しい山に挟まれたこの土地は、もっとも近い水場からも丸一日の距離があり、住み着いている人間は数えるほどである。


 だが、戦略的な観点からはこの場所が持つ意味は決して軽いものではない。それは三十年以上前にここで繰り広げられた交戦結果が以後の戦局に与えた影響によって、明瞭に実証されていた。


 はっきりした道も無く、ただ自然のままに広がる景色。

 そんな中、白い外套マントを身につけた二人の姿が膝丈ほどの草むらの隙間に見え隠れしている。


 大槻キュウタは手頃な岩の上であぐらをかいて、ぼんやりと草原を眺めつつ独り言のように呟いた。


「ギュラン・ド・ボードロット男爵。ブリテアとの戦争において常に前線に立ち続けた、ガレル軍きっての名将。戦争後期には英雄『ディノン・カーヌ』を陰日向かげひなたなく支えた存在としても知られる、か」


 サザレはキュウタと背中合わせになる位置で岩に腰掛けている。

 ボードロット男爵本人や、その屋敷に対する調査は、常人をはるかに凌駕する知覚と身体能力を持つサザレにすればそれほど難しいものではなかった。


 壁越しに屋外へと漏れ聞こえる、男爵や使用人たちのかすかな話し声は有益な情報源であった。さらには人気ひとけのない瞬間を見計らって屋敷内部に侵入し、ボードロットの個人的な手紙や覚え書きを盗み読むことまでしていたのだ。

 サザレが幾日かの内偵作業から得られた情報をキュウタに伝えていく。


「はい。今は表舞台から退しりぞいて、所領を息子に任せたのち、自分は首都郊外の別宅で静かに暮らしています」

「バスフロワさんに脅しをかけてきた『刀傷の男』は、男爵の目的を知らないのかな?」


 いくつかの可能性を心の中で整理しながら、キュウタが肩越しにサザレの背中を見る。少女は前を見つめたまま、風ではためく外套のフードの端を整えながらうなずく。


「おそらく。ここ数日間の行動と会話を見るかぎり、ボードロット男爵は全てを自分の胸の中に秘めているようです」


 ふむ、と小さく唇を結んだキュウタ。

 鍵が『ディノン・カーヌ』なのは間違い無いだろう。

 問題は蓋を開けた中に何が入っているのか、それが見当もつかない点である。


 どうしたものかと考えこむキュウタが、ちらりと視線を巡らせる。


 その先にある大岩の側面にできた窪みに体を沿わせるようにして、一人の人物がのんびりと横たわっている。


 ため息を吐き出してキュウタは立ち上がり、そちらへと歩み寄った。


 バスフロワ・ヴィスロは少年の気配にも反応することなく、胸の上で手を組み、ただじっと目を閉じていた。

 その様子はひたすらに五感を研ぎ澄ませ、この場所を体全体で感じ取ろうと試みているようにも見える。


 彼らがこの場所を訪れてからすでに数時間が経っていた。

 

 声をかけていいものか、キュウタがその場に立ったまま考えあぐねていると、バスフロワがふっと片目を開けて少年を見た。

 鳶色とびいろの瞳が、相手を試すような表情になる。


「ブリテア軍に有利だったいくさの天秤は、ここで一気に逆転した」


 ゆっくりと体を起こしたバスフロワ。

 彼はかたわらの道具袋から、頑丈な紐でじられた紙束を取り出し、それに目を落とした。

 バスフロワの声には、どうにも腑に落ちないという思いがはっきりと現れている。


「ブリテア軍は完全な奇襲を実行したはずだった」


 ガレル首都のイリユヌス教会に保管されていた記録には、百年以上にわたるガレルとブリテアの戦争の詳細な経緯が残されている。十日ほど前にそれを手に入れたキュウタは、バスフロワの要望もあって、ガレルとブリテアの戦争における『転換点』とも言える戦場をその目で確認しに来ていたのだ。


 バスフロワのそばに腰を降ろしたキュウタは岩に背中をあずけた。

 ふん、と息を吐き捨て、ばさりと紙束を一度振ってみせたバスフロワが彼方へと視線を投じてつぶやく。


「だが、ディノン・カーヌが聞いた『神の声』はブリテア軍の動きを正確に予見した。それに導かれたディノンは、ここにガレル軍のほぼ全てを突っ込み、手ぐすね引いて獲物を待ち構えていた」


 先日流し読みした戦争記録を思い返しながらキュウタがうなずく。


「他にもブリテアの進攻が予想される地点はいくつもあったにも関わらず、ですね」

「仮に『神の声』が間違っていたら、ブリテア軍は一気にガレルの首都に到達していた。そしてそこで戦争は終わっていたはずだ。ガレルの敗北って形でな」


 確信に満ちたバスフロワの横顔。

 キュウタはふっと目を逸らして噛みしめるように言う。


「でも、ディノン・カーヌは勝った」


 ガレルとブリテアの戦争全体における最大規模の交戦が行われたこの場所では、二万人近いブリテア軍兵士が死亡したと見られている。

 血で染め上げられた大地を、切り刻まれた無数のむくろが埋め尽くし、それが発する臭いは翌年まで周囲の村々に漂い続けた、とまで伝えられている。


 腰掛けていた岩から立ち上がり、両足を地面にしっかりとつけるバスフロワ。彼は草原の端から端までをなめるような視線で観察する。強い光をたたえた鳶色の瞳は、時の流れすら飛び越えて全てを見通そうとしているようでもあった。


「ああ。首都陥落の瀬戸際でガレルは踏みとどまった。ここからガレルの大反攻が始まったんだ」

「大したものですね。ディノン・カーヌは」

「そう思うか?」


 わずかに苦々しさが浮かぶバスフロワの声に、キュウタが眉をひそめる。


「……違うんですか?」


 ふっと皮肉交じりの笑みを唇に乗せたバスフロワ。


「いいや、確かに大勝利だぜ。奇跡といっていいんじゃねえか」


 からかわれているような気になったキュウタが、かつて凄惨な戦いが行われた草原を眺める。だが彼には、いま目に見えるもの以上の情報をこの景色から読み取ることはできなかった。


 バスフロワには何か別のものが見えているのだろうかとキュウタは訝しんだ。だが、仮にそれを聞かされたところでやすやすと理解できない気もしている。


 バスフロワの持つ『感性』は余人とはかけ離れた場所に立っている。そしてそこから生まれる洞察力の牙は常に鋭く、真実の一端をがっちりとくわえこんでいるように感じられるのだ。


 人の心を打つ詩を書く才能は、きっと彼の『本質』の上澄みでしかない。キュウタはそう考えるようになっていた。


 諦めたような顔でキュウタが空を見上げ太陽の傾きを確認する。これ以上何もない野っ原に長居する理由は見当たらなかった。


「ここで見るべきものは、もう無いと思いますが」

「……そうだな」


 言葉とは裏腹に、バスフロワは仁王立ちしたままいつまでも草原を見つめ続けていた。





 薄暗い空間を、がやがやとした喧騒が満たしている。


 板張りの床にところ狭しと並べられた木のテーブル。ほとんどの席は埋まっており、酔いの回り始めた連中の陽気ながなり声が飛び交っている。

 安酒とさして手のかかっていない簡単な料理の匂いが入り混じり、雑然とした空気にかすような高揚感を追加していた。


 すっかり常連になってしまった酒場の片隅で、キュウタは木のカップに唇をつけた。安物のワインを飲みくだし、やるせないため息を小さく吐く。アルコールはあまり口に合わないたちだが、この酒場で注文できる飲み物の選択肢は多くない。


 ここひと月ほど、キュウタは首都を中心にガレルのあちらこちらを歩きまわって、『ディノン・カーヌ』ゆかりの場所を検分する、という日々を続けている。

 もちろんバスフロワ・ヴィスロもつねに行動を共にしていた。今のところ、例の『刀傷の男』が率いる連中に出くわす気配はない。だが監視の目はいつでも張り付いているはずだ。


 向かいの席で背もたれにだらしなく体をあずけたバスフロワが面倒くさそうにパンをかじっている。

 ふとキュウタの視線に気付いたバスフロワが、もう一口パンを噛みちぎってもぐもぐと飲み込む。口元を手の甲でぞんざいに拭って彼は言った。


「目ぼしい場所は粗方あらかたまわったな」

「そうですね。で、ディノン・カーヌの詩は書けそうですか?」


 頬杖をつくキュウタの問いに、バスフロワは腕組みをして顔を天井に向ける。


「いまいちピンとねえんだよな」


 キュウタが目をこすった。適度な満腹感と酔いを心から追い出して思考に集中する。


「足りないものがあるんですか?」

「なんつうか、なまのディノン・カーヌが見えてこない」


 雲をつかむような表現にキュウタが首をひねる。


「ディノンに関する逸話はもう集めきった感がありますがね」


 カップの中に目を落とすバスフロワ。ワインの表面で揺れる自身の瞳に問いかけるように彼は言う。


「だが、何かを見落としている気がする」


 そして彼がふっと視線を上げてキュウタを見つめた。


「なあ、キュウタ。お前はディノン・カーヌをどう思う?」


 わずかな間、視線をさまよわせて思考をまとめたキュウタがゆっくりと答える。


「そうですね……時代が求めた英雄、という感じはします。もちろん彼女自身、強い意思と行動力を持っていたのは確かだと思いますが」

「聖人にふさわしい人物か?」

いくさを終わらせた、という点では。列聖審査を通過するか否かは、彼女の処刑に殉教の要素がどこまであるか、そこをフィロマ教会がどう判断するかでしょうね」


 ていねいに説明するキュウタをバスフロワが見る。


「お前の仕事は目処めどがついた、ってことか?」


 キュウタは肩をすくめた。


「列聖審査という意味では、あとはガレル王家が持っている書簡やらの記録にあたるくらいですね。できれば、捕縛されたディノン・カーヌにブリテア国教会が行なった『審問』記録も欲しいところですが、政治的な絡みもあるのであまりアテにはできないでしょう」


 眉間にしわを寄せたバスフロワ。

 

「ブリテア国教会もイリユヌス教には違いないんだろ? フィロマ教会の言うことなら聞くんじゃねえのか?」


 キュウタは足元の道具袋に目を落とす。詰め込まれた様々な覚え書きや書類の写しでそれは今にもはちきれそうだ。


「ブリテアにも威信がありますからね。数万のブリテア兵の命を奪った仇敵きゅうてきディノン・カーヌに関わることとなれば、あまり良い顔はしないでしょう。先の戦争も、我々はガレルに負けたのではない、ゆずってやったのだ、というのがブリテア側の見解らしいので」

「ガキの意地の張り合いだな」


 ばっさりと言い捨てたバスフロワ。

 寂しさのまじる苦笑でキュウタが応じる。


「人を動かす感情というのは、はたから見れば取るに足りないつまらないものだったりしますよ」


 バスフロワがそっとカップを置き、堅い椅子の背もたれに体を埋める。だらりと下がった手が、床に置かれた道具袋とその中にしまわれたリュートのネックの手触りを確かめた。

 誰に向けたわけでもない、自らに言い聞かせるような静かな声。


「そして当の本人は大真面目おおまじめだから、余計に滑稽なんだよな」


 キュウタの瞳がかすかにかげる。

 騒がしい酒場のなか、彼らのいるテーブルが周囲から切り取られたような沈黙に包まれる。

 

 キュウタは自分を動かしている感情を自覚している。

 そしてそれを共有できる者がこの世界にいないということも知っている。なにしろキュウタが復讐すべき相手は、どこを見渡してもまだ影も形もないのだから。


 この時代に生きる人々から見れば、キュウタの怒りはただの空回りや言いがかりと大差無いだろう。


 それでも、この怒りは紛れもない本物だ。

 魔族を必ず根絶やしにしてみせる。それだけがこの心の炎を鎮めることのできる、たった一つの手段なのだ。


 キュウタは表面上は静かなたたずまいを決して崩すことはない。だが魔族によってずたずたにされた世界を思い返すたびに、その無言の胸中に怒りがたぎっていくのだ。

 木のカップを両手で包むキュウタの指にほんの少し力が込められた。


「おい」


 軽くたしなめるような呼びかけに、はっと目をしばたかせて顔を上げるキュウタ。

 バスフロワのどこか憂鬱な視線と目が合う。激情に思考を絡めとられていたせいで、キュウタは相手の眼差しにこの瞬間まで気付けなかった。


 焼けつくような心を落ち着かせるように、キュウタは小さく息を継いで肩から力を抜いた。バツの悪い苦笑いとともに、気まずそうに手の中のカップを弄ぶ。


「すいません。ちょっと考え事をしていました」

「ちょっと、って感じじゃなかったがな」


 バスフロワは大して興味もない、といった風にカップをぐいと傾けてワインを一口あおる。

 つられるようにキュウタもカップを持ち上げたが、ふと思い直してそれをテーブルの上に静かに戻した。不老の肉体と言えども、過度に深酒すれば翌日に響きかねないのは他の人々と同じなのだ。

 酒で気を紛らわせる代わりにキュウタは言葉をそっと吐き出した。


「時々、こうなるんです。昔の嫌な記憶を思い出すたびに」

「もっと飲んで忘れちまえばいい」


 どこかあらぬ方を見ながらバスフロワがカップを小さく振り、つまらなそうに応じる。

 キュウタはテーブルの上で両手を組み合わせてわずかに俯いた。


「忘れることはできません。何があろうと、絶対に忘れちゃダメなんです」


 バスフロワがテーブルに頬杖をついて目を閉じる。


「しんどいだろ。そういうの」


 キュウタの両手に力が込められ、まるで祈るような形になる。


「それでも、僕は『それ』をやり遂げなければならないんです」

「……『それ』?」


 不審げに目をすがめるバスフロワ。

 キュウタがぽつりと言う。


「殺したい相手がいるんです」


 バスフロワは眉一つ動かさず、キュウタの言葉に耳を傾けている。


 酒のせいだろうか、妙に口が軽く回る。キュウタが自分の境遇をこんなふうに他人に話すことなど滅多にないことだ。

 忌まわしい記憶を改めて心に刻むがごとく、キュウタはそれを言葉にしていく。


「僕が生まれた場所は、終わりの見えないいくさのせいで全てが疲れきっていました。人も、国も、何もかもがなかば死んでいるようなものだったんです」


 薄く開いたバスフロワのまぶたの下で鳶色の瞳が興味深そうな色になる。

 キュウタはうつむいたまま、噛みしめた歯の隙間から押し出すように言った。


「世界をそんなふうにした連中を許すことはできません。この手で報いを受けさせることが僕のつとめなんです」


 バスフロワは数拍の間、じっとうつむくキュウタを見つめてから、ゆっくりと尋ねた。


「それを成し遂げて、何かが変わるのか?」


 その問いはキュウタ自身、数えきれないほど自問してきたことである。そして自分の心に浮かぶ答えはいつでも同じだった。


「『僕の過去』は変えられません。いったん失われた物は取り戻せない。死んだ者は決してかえってこない。でも、『この世界の未来』は変えられるはずなんです。やがて降りかかる『災厄』に備えることは出来るはずなんです」


 キュウタは、はっとして顔を上げた。少し喋りすぎたことに気付いたのだ。


 バスフロワの瞳が自分をまっすぐに見つめている。心の内に秘めたものを赤裸々にさらけ出してしまったような気恥ずかしさに襲われ、キュウタはごまかすように頭を指でかく。

 ふっと息を吐いたバスフロワが小さくつぶやいた。


「なんだか難しいことを言うんだな」


 その言葉に、キュウタは哀しげな苦笑いで返すことしかできなかった。


 気分を切り替えるように大きく背伸びをしたバスフロワが、口元をゆるめて身を乗り出す。屈託ない声がキュウタに向けられた。


「そういや、ジジイからもらった本はどうした?」


 話題が無難な方向へ転じたことにほっとしたキュウタが表情をやわらげる。


「ああ……『糸紡いとつむぎの女』なら、こないだ読み終わりましたよ」


 バスフロワの瞳に弾むような色が現れる。自身が作り上げたものに最後まで付き合ってもらえる、という感覚は彼にとって何にも変えがたい喜びなのかもしれない。


「そうか。で、どうだった?」


 キュウタは申し訳無さそうな微笑で肩をすくめた。


「よく分かりませんでした。男女の機微きびを理解するのは、まだ僕には早いようです」


 ぷっと吹き出したバスフロワがカップを持ち上げ、慰めるように小さく振ってみせる。


「慌てるこたあねえよ。そのうち分かるようになるだろ」

「だといいんですが。あ、読んでて気になったんですけど」


 小さく呟いたキュウタが自分の道具袋の口を開いて、中をごそごそと探りだす。


「あの本の装丁、ちょっと変わってますよね。帝国フィロマのほうじゃ見かけないじ方というか……あれ? 無いな。どこに入れたっけ……?」


 怪訝そうに袋の中身をかきまわすが、目当てのものは見当たらない。


 その時、ずずっと盛大に鼻をすする音がテーブルの下から響く。


 思わず目を合わせたキュウタとバスフロワが一瞬かたまる。

 そして、こわごわと下を覗きこんだ二人の視界に、白い外套マントの少女が映る。

 

 テーブルの天板の下、膝を抱えたサザレが食い入るように『本』を見つめている。

 ページる指先は、ほとばしる感情のやり場を探すようにわなないている。少女の大きな青い瞳には涙がたまり、今にも溢れ出しそうだ。

 口を半開きにして自分の目を疑うキュウタが恐る恐る尋ねる。


「あの……サザレ……?」


 サザレは下唇を噛んで情動を抑えようとしているが、その努力は成功しているとは言いがたいだろう。

 頬を朱に染めた少女がテーブルの下からキュウタを見上げる。


「ううぅ……これは、あまりにもせつない詩です……」


 そして彼女は本をぎゅっと胸に押し当ててつやっぽい吐息をこぼす。


「はあ……バスフロワ様は天才です。師匠と呼ばせていただけますか……?」


 潤んだ瞳がバスフロワに向く。眼差しに込められたあまりにも純粋な想いに、さすがのバスフロワもたじろいでいるようだ。


「お、おう……好きにしな」


 そしてバスフロワとキュウタはサザレの頭ごしに無言で目配せしあい、テーブルの下を覗きこんでいた体をぎくしゃくと元に戻した。

 見てはいけないものを見てしまった感覚にいたたまれず、二人は気まずそうにカップに唇をつける。


 キュウタの経験上、こんな状態になってしまったサザレは梃子てこでも動かせないのだ。下手をすればここで夜を明かすことも覚悟しなければならないだろう。


 頭痛をこらえるようにこめかみを手で抑えたキュウタの「何とかなりませんか」という無言の視線に、小刻みに首を左右を振って「無理だな」とやはり無言で返すバスフロワの顔。


 実のある結論など出ようもない二人のやり取りは、何度も本を読み返して詩を満喫しきったサザレがテーブルの下からようやく這い出る夜更よふけすぎまで続けられた。



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