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第七章 詩の中の英雄 (2)


 大陸西端に位置する国、『ガレル王国』。

 

 そして、ごく狭い海峡を挟んでガレルと向き合う島国、『ブリテア』。

 

 この二国は長年に渡る戦争を続けた。

 理由はガレルの土地と、その入り組んだ王位継承権を巡る争いだ。

 

 といってもいくさ自体は三十年ほど前に最終的な和平が結ばれている。

 今でも多少ぎくしゃくしているものの、現在の二国間の交流はおおむね理性的に行われていた。


 しかしガレルの民にとって、自国領で幾度と無く繰り返された戦乱は、未だに悪夢の記憶として心に刻みこまれている。


 戦況はその大部分の期間において、ブリテアの優勢で進んだ。ほぼ一方的に国土を蹂躙するブリテア軍に、ガレル軍はなすすべなく敗走を重ねるしかなかったのだ。


 そしていくさは数度の『休戦』を挟みつつ、百年以上に渡り続けられた。


 そのつどブリテアから提示された休戦の条件は、常にガレルに重い負担を強いるものであった。

 土地を切り取られ、賠償金をむしり取られ、時にはガレル王の王女を人質同然にブリテア王へとつがされたりもした。


 じわじわと真綿で首を締められるように崩壊していくガレルに、もはや希望と呼べるものは何一つ見当たらなかった。


 だがある時、一人の『人物』がガレルに現れた。


 その者は寡兵を率いて、圧倒的劣勢の戦況を次々と覆した。そして一年と少しの間にガレルの地からブリテア軍を駆逐し、戦争の完全なる終結へと繋がる道を切り開いたのだ。


 誰もがそれを奇跡と呼び、その人物を『英雄』と褒めそやした。


 だが、その英雄は神話や伝説にあるような筋骨隆々の剛の者では無かった。


 十七歳を迎えたばかりの『少女』。


 ごく普通の農夫の娘として育ったその少女が、数々の奇跡的な戦功を上げてガレルを救ったのだ。

 その名には惜しみない感謝と称賛が未だに贈られ続けている。


 そして少女の生きざまだけではなく、その悲劇的な『死』もまた、彼女の存在に華を添えていた。


 少女の名は『ディノン・カーヌ』。


 流れ星のごとく現れ、そして一瞬のまばゆい輝きを残し消えていった一人の少女。


 その名をガレルの民は決して忘れはしないだろう。





 静かに爪弾つまびかれるリュートのげん


 奏でられる旋律は、室内を薄暗く灯すロウソクの炎のゆらめきと融け合うようにささやいている。


 自慢の演奏技量を聞かせる相手などいない、一人きりの部屋。

 だが、バスフロワ・ヴィスロは、宿とあたたかな夕食にありつけた幸運を、胃袋とリュートを奏でる指先の両方で存分に満喫していた。


 寝台の上にだらしなく寝そべり、心の流れのままに指は弦の上を渡っていく。


 ここの司祭はお人好しという言葉が人形ひとがたをとったような人物であった。どこの誰とも分からぬバスフロワに教会の一室を宿泊先としてあてがい、あまつさえ食事まで振る舞うなど、お伽話に出てくる聖人の生まれ変わりに思えるほどだ。


 バスフロワの脳裏に、夕食を共にした二人組の記憶がよみがえる。

 互いに簡単な自己紹介を済ませただけだったが、不気味な人間だという第一印象だけが残っている。外見だけならばただの子供にしか見えない。だからこそ問題なのだ、とバスフロワは思考に沈む。


 ブリテアとの戦争が終わって久しいとは言え、ガレルの国内はまだまだ安定しているとは言いがたい。不用心な旅人から嬉々として金品を剥ぎ取る物騒な連中がうろついている場所も珍しくはない。

 なのに、あの二人は大した苦労も無く、庭先を散歩するかのような気軽さで旅をしてきたように思える。


 司祭がこの子供たちに向けるどこか『おそれ』のような態度も相まって、バスフロワは二人から危険な『匂い』を鋭敏に感じとっていた。


 なんの面識もないバスフロワに宿をはじめとした色々な便宜を図るという行為からして、胡散臭さしか漂ってこないのだ。いったいどんな魂胆があるのか分かったものではない。


 面倒に巻き込まれる前にあの二人の前から行方をくらますことも一案として考えておくべきだろう。半ば無意識にリュートを静かにかき鳴らしつつ、バスフロワは忍び寄り始めた睡魔に心を預けようとした。


 そのとき、扉を叩く乾いた音が部屋に響き、バスフロワは体をびくつかせた。

 怪訝な視線を扉に向け、どうしようか一瞬迷ったが、とにかく返事はしなければならない気がした。


「開いてるぜ」


 タダで泊めてもらっている身分にはそぐわない台詞かとも思ったが、他にふさわしい言葉も思いつかなかった。

 すっと開いた扉の陰から、夕食の席で『キュウタ』と名乗った少年がひょっこりと顔を出した。


「こんばんは。いい歌ですね、それ」


 前置きなく向けられた言葉だが、不思議と不躾には感じられなかった。

 何よりそう言われてはじめて、バスフロワは自分が呟くような歌声を発していたことに気付いたのだ。


 収まりの悪い気まずさに、彼は唇をへの字に曲げて寝台の上で頬杖をつく。

 

 戸口にいるキュウタはその場に立ち止まったまま部屋に入る素振りは無い。じっと相手の言葉を待つような態度に、バスフロワは観念して片手を振ってうながす。


 にっこりと笑ったキュウタが静かな足取りで中に入り、扉を後ろ手に閉めた。


「お邪魔でしたか?」

「まあな」


 ぼそりと答えたバスフロワは寝台の横にリュートを立てかけた。じろりとキュウタを見る視線には警戒心がはっきりと現れている。


「なんだ、こんな夜中に。男色趣味でもあるのか? 悪いが俺はそのはないぞ」


 キュウタが無言でじっと見つめてくる様子に、バスフロワは顔をしかめて虫を払うような仕草で手を振った。ふう、と大きく息を吐き出したキュウタがかたわらの椅子に腰を下ろした。


「少し寝付けないので。暇つぶしというか、話し相手を探してるんですよ」


 するとどこから取り出したのか、少年の両手の中に林檎りんごが一つずつ収まっていた。片方をバスフロワに差し出し、自分はもう片方にかじりつく。

 わずかに呆気にとられたバスフロワが肩をすくめて林檎を受け取る。キュウタにならってかぶりついた彼の舌に、酸味の効いた甘さが広がる。

 もぐもぐと動かす口の隙間からバスフロワがつまらなそうに言葉を吐き出す。


「そんなに暇なら、一緒にいたあの娘とイチャついてりゃいいだろ」

「それも悪くは無いんですがね」


 苦笑いで首を傾けたキュウタが靴を脱ぎ、椅子の上であぐらをかく。

 長居するつもりなのだろうか、ずいぶんとくつろいだ振る舞いだなとバスフロワは思った。だが、寝台の上でだらしなく頬杖をついている自分も、人をとやかく言える態度では無いと気付いてしまう。

 キュウタが隠しごとの気配のない率直な声で言った。


「ちょっと気になったんですよ」

「あん?」

「もしかしたら僕らは『同じ方向』に進んでいるのかも、と」

「何だそりゃ」


 答える代わりにキュウタはバスフロワに問いかけた。


「バスフロワさんはどうしてこの村に?」

「別に。気まぐれに毛の生えたような理由だ。お前にいちいち話してやる義理もねえな」


 言い捨てたバスフロワは寝転がったままかたわらの窓を細く押し開き、林檎の芯を夜闇の向こうに放り投げる。

 再び窓がぱたりと閉じられると、それに合わせたようにキュウタが口を開く。


「宿の紹介料がわりに教えていただくわけには?」


 痛いところを突きやがるガキだと、バスフロワは内心で仏頂面になる。

 興味半分、からかい半分の目でみつめるキュウタに、バスフロワは眉をしかめてため息をついた。


「大した話じゃねえよ。『詩』を書きたいんだ。ガレルを救った英雄『ディノン・カーヌ』の詩をな」





 バスフロワ・ヴィスロは自分の『目』が、大多数の他人とは『違うもの』を見ていることを幼少の頃から知っている。


 彼が見る世界はいわば『言葉』という『台本』にそって演じられる『舞台』だった。


 誰もが他人のみならず自分自身までもをあざむいつわり、目に見えぬ鎖で何もかもを縛り上げた世界で窮屈に生きているのだ。


 子供の頃のバスフロワはそんな世界が我慢ならなかった。

 世界の本当の姿を皆が知るべきだと思った。


 だが、人が真実と向き合うこと。それは苦痛と同義であることもバスフロワは痛感せざるを得なかった。

 少年時代のバスフロワが言葉に乗せた『真実』を誰もが毛嫌いした。


 人々が内に隠した欲望や感情、誰もが見て見ぬふりをしていた社会と世界の理不尽さ。誰かが他人の妻と交わした秘事、商人が取引相手についた嘘、聖職者が神の名のもとに正当化した自分自身の個人的な思想。バスフロワはそれを次々と看破し、明快に一片の反論の余地もない言葉で語ってしまったのだ。


 知りたくもなかった真実を突きつけられた人々は、当然のごとくバスフロワにいきどおった。


 不利益をこうむった者たちの中には、バスフロワに対して直接的な暴力で訴えようとする手合いも珍しくなかった。時には命の危険すら感じたこともある。彼がこの歳になるまで死をまぬがれてこれたのは、かなりの幸運であると言うべきだろう。


 ある日、知り合いから『詩』を書くことを勧められたとき、バスフロワはそれを初めは『逃げ』だと思った。たしかに、小奇麗な文章で書物という緩衝体かんしょうたいを通して遠回しに真実を語れば、他人から無闇に憎悪を買うこともなく、自分の人生はもっと穏やかにやわらぐだろう。だがそれこそが彼が嫌悪した偽りの世界そのものではないかと。


 それでもとにかく書いてみろと、しつこく粘られた結果、ついに根負けしたバスフロワは、もやもやとした感情のなかでいくつかの詩を形にすることになった。


 それは彼にとっての意外な転機となった。

 バスフロワは『詩』もまた一つの真実の形であることに気付いたのである。


 詩を書く作業は己の心と向き合うことと不可分でもあった。

 題材の有りのままの姿をただ書きつらねただけでは、何かが足りない気がした。


 目で見たもの、耳で聞いたもの。それらは、そのままでは単なる情報の羅列でしかない。

 詩作とは、バスフロワの感性がそれらの情報をどう解釈したのか、そして読み手に何を『伝える』べきなのか、あるいは何を『伝えない』べきなのかの選択の連続でもあった。

 

 詩はそれが作られる全ての過程において、バスフロワに容赦なく決断を迫るのだ。


 バスフロワ・ヴィスロよ。

 お前の魂はこの詩に何を刻むのだ、何を託すのだ、何を求めるのだ、と。


 生き生きとした詩を生みだすには、バスフロワ・ヴィスロの内面を、恥も外聞も投げ捨てて心の命じるまま、感じるままを文字に吹きこまねばならないと気付くのに長い時間はかからなかった。


 そして煩悶の果てに作り上げた詩は、バスフロワに『新たな世界』を提示した。


 詩は確かに自分自身の中から生まれた。にも関わらず、バスフロワはその詩が描き出した世界に新鮮な驚きと興奮が満ちていることに気付いた。


 バスフロワはそんな世界に対して、一種のいとおしさに似た想いをいだかざるをえなかった。その愛は彼の心に強い種火を灯した。

 世界のあらゆるものを詩に書き表したいという欲求と情熱がとめどなく溢れだしたのだ。


 詩に出会って、彼の人生は決定した。


 バスフロワ・ヴィスロは『詩』を書くことを、『世界にれる』手段として選んだのだ。





 秋晴れのカラリとした空気と控えめな陽気が肌に心地よい。


 草原の中の小道は見通しがよく、進む先には人っ子一人いないことが分かる。


 バスフロワは黙々と目的地へと歩みを進めていた。


 肩にかついだ道具袋はいつもと変わらない重さだ。だが彼は自分の足取りに妙な圧迫感を抱いている。

 一夜の宿を借りた教会から出発して以来、背後からずっとついてくる二組の足音がその原因だ。


 彼はぶすっと唇を曲げたまま、不機嫌さに満ちた鼻息を吐き出した。だが相手を邪険にする気にもなれない。言ってみれば一宿一飯の恩義ある相手なのは事実なのだから。


 白い外套マントをまとった二人の少年少女。

 彼らは何かを問うわけでもうながすわけでもなく、ただバスフロワの後を静かについて歩いている。なぜなら、彼らも自分たちの『旅』とバスフロワ・ヴィスロがどういう理由で関わるのか、正確には理解しきっていなかったのだ。


 キュウタがバスフロワの背中を見つめながら、隣を歩くサザレの耳に顔をそっと寄せる。


「それで、バスフロワさんの『未来』はどうだった?」


 青い瞳をバスフロワにぴたりと向け、サザレが囁き声で返す。


「彼自身をこうして間近に『る』ことで、『未来視』は詳細になりつつあります」


 うなずくキュウタ。それをちらっと見たサザレが言葉を続ける。


「彼がディノン・カーヌの『詩』を書き上げることで、魔法技術の進歩が加速されるのは確かです。ただ、『何故』そうなるのかが視えてきません」

「うーん……ま、結果が出るなら過程にこだわるつもりは無いんだけど」


 どこか呑気に言うキュウタ。

 小さくため息をついたサザレの茶色まじりの黒い長髪が風にゆれる。


「それにもう一つ疑問が。そもそも、バスフロワ・ヴィスロには魔法の才能が『ありません』」

「そうだね」


 昨夜、バスフロワの前でキュウタは、原初魔法『硬化』を全力に近いレベルで発動させてみたのだ。


 キュウタが『不老』を利用して、二十万年近い時間を費やし鍛錬した、凄まじいまでの魔力の発現である。ほんの少しでも魔法の才能がある人物であれば、その天変地異にも似た異常な気配を容易に察知できるはずだった。だが、バスフロワは微塵の動揺も見せなかったのだ。


 サザレが視線を空へと向ける。今までの記憶を辿るような少女の横顔をキュウタはじっと見つめていた。サザレは噛みしめるように言う。

 

「魔法の才能が無くても、魔法発展の歴史に影響を与える人物は今までも数多くいました。でも、彼らのほとんどが『学術的』な意味で大きな貢献をする人々でした」

「うん」

「魔術士でもないバスフロワ・ヴィスロ。彼が詩を書く行為が、魔法の発展とどう繋がりがあるのか……」


 不満げなサザレの物言いに、キュウタが微笑みながら肩をすくめる。


「歴史にどういう形で影響するかはともかく、要はバスフロワさんが詩を完成させれば済む話なんだろ? 難しく考える必要はないよ」

「かもしれませんが……便利なようでいて、融通の利かない『未来視』が時々もどかしく思えます」


 表情を沈ませるサザレ。

 相変わらずのんびりとした面持ちのキュウタが、周囲に広がる草原を眺めながら言った。


「僕は君が見た未来を信じてる。その先に何があってもね」


 ぴくりと肩を震わせたサザレが耳を少し赤くする。

 頬を軽くふくらませ、照れ隠しの混じる責めるような視線がキュウタに向く。


「優しい言葉でごまかそうとしてませんか? 私が甘やかされるだけで満足するような女だと思ってるなら……」

「どこでそんな言葉おぼえてくるんだよ……そうじゃなくてさ」


 キュウタの瞳に哀惜あいせきの陰が浮かぶ。少年は自分の進んできた道を確かめるように言葉をつないだ。


「確かなものなんて一つもない。二十万年のあいだ、それは嫌というほど味わってきた。世界や歴史の流れの前じゃ、僕みたいな一人の人間の努力なんて、あっさり押し流され潰されてしまう。だったら、せめて自分が納得できる道標みちしるべに従いたいんだ」


 まっすぐな瞳がサザレを見つめる。


「僕にとっては君だけが、道を照らしてくれるたった一つのあかりなんだよ」


 その言葉を聞いて立ち止まったサザレに、キュウタも足を止め彼女に視線を向ける。

 瞑目した少女は疲れきったように肩を落としてうつむいていた。やがて形の良い唇から長々と吐息がこぼれ出た。

 むっくりと顔を上げたサザレの前髪の間から、青い瞳がじろりとキュウタを捉える。


「うれしいけど、重いです」


 キュウタが苦笑いして頭をかく。


「分かってる。でも、僕には我儘わがままを言える相手が他にいないんだ」


 そしてキュウタは前方に目を戻した。どうやらバスフロワ・ヴィスロはお目当ての場所に辿り着いたようだ。


 道はいつの間にか上り坂になっている。

 畑が広がる一帯からは村を挟んだ反対側。この辺りはところどころに目立つ岩場や起伏のある地形のせいか、大掛かりな開墾の手が入っておらず自然の姿がほぼそのまま残っている。


 とある丘のふもとで立ち止まったバスフロワは、そのいただきを見上げていた。

 視線の先には葉を落とした数本の樹がひっそりと寄り合うようにたたずんでいる。


 ゆっくりと周囲を見回すバスフロワの鳶色とびいろの瞳。それは隙のない集中力で満たされている。


 バスフロワの思考をさえぎらないようにキュウタがそっと近づいた。芸術家というものが、他人に邪魔されるのを嫌う人種であることはキュウタも何となく理解していたのだ。


 背を向けたまま、バスフロワがぼそりと口を開いた。


「何が見える?」


 ささやかな気遣いは徒労に終わったらしい。肩をすくめたキュウタが素直な感想を述べる。


「普通の丘ですね」

「そうだな」


 どこか上の空なバスフロワに、キュウタが言葉を付け加えた。


「ディノン・カーヌが『神の声』を初めて聞いた丘、でしたっけ」


 意外そうな表情でバスフロワが振り向く。


「よく知ってんな」

「ここの教会に記録が残っているんです。その写しを受取るのが、この村に来た目的の一つでもあります」


 そう言って、キュウタが懐から本と呼ぶには少しばかり雑な綴じ方をした小冊子を取り出す。

 いぶかしむ態度を隠そうともしないバスフロワがざらつくような声音こわねで言う。


「お前、フィロマ教会の人間とか言ったな。修道士か?」


 穏やかに微笑むキュウタがかぶりを振る。


「いいえ。『教会認定魔術士』です」


 詐欺師にでも出くわしたかのような顔になるバスフロワ。


「魔術士ぃい? そんな奴がディノン・カーヌの生まれた村に何の用だ?」


 キュウタは数ヶ月前に交わした教会関係者とのやり取りを思い起こす。


 サザレが未来視で見たバスフロワ・ヴィスロと歴史の関連性。

 それをもとにこの村へ向かうことを決めたとき、ちょうど滞在中のフィロマで教会本部からとある『仕事』の依頼をされたのだ。


 内容といい、タイミングといい少し出来すぎの感はあったが、特に断る理由もなかった。だが今にして思えば、受けたのは大正解と言うべきなのだろう。


 一瞬考え込んだキュウタの心に、バスフロワ相手に隠し事をすべきでは無い、という直感がよぎる。キュウタは事実をありのまま伝えることにした。


「ディノン・カーヌを『列聖』しようという動きがあるんです。まだ根回しの段階ですけどね」


 さらりと告げられた興味深い情報に、バスフロワの目が点になる。


「へえ……マジかよ」


 キュウタはバスフロワの隣に並ぶと、丘を眺めながら言葉を続ける。


「ただ、彼女がブリテアの地で『処刑』されてから、まだ三十年ほどです。本来、『聖人』に列せられるには、少なくとも百年以上かけてフィロマ教会の審査をいくつも通過しなければなりません」


 腕組みをしたバスフロワが、キュウタの言葉に隠れたものを読む。


「なんか『裏』があるのか?」

「噂ですが、ガレル王家からの内密な打診があったようです。ディノン・カーヌを早急に聖人に加えてもらえないか、とね」


 呆れ顔のバスフロワがため息のような笑いを吹き出す。


「ああ。英雄の名前を借りて、自分の治世にハクでも付けようって魂胆だろ」


 手の中にある冊子の、あまり質の良くない紙の手触り。それをもてあそびながら、キュウタの眼差しに真摯なものが浮かぶ。


「慣例はあくまでも慣例です。ディノン・カーヌが聖人にふさわしい存在ならば、彼女を列聖することに教会も異は無いはずです。たとえそれが前例の無いほど短い審査期間であったとしても」


 キュウタの試すような視線が相手に向けられる。

 バスフロワは手近な岩に腰を下ろして小さく息をついた。足元の地面を見つめながら彼はキュウタにぽつりと言う。


「ゆうべお前が言った『同じ方向』ってのは、つまりそういう事なのか」


 相手の察しの良さに感心しつつ、キュウタはうなずいた。


「ええ。ディノン・カーヌの足跡そくせきを追い、彼女の人となりを第三者の立場で調査する。それがフィロマ教会から僕らに依頼された仕事です」


 バスフロワは黙ったままじろりとキュウタの顔を見る。

 確かにこの少年と自分は、『同じ方向』へ進む旅をしているのだ。動機こそ違えど、英雄『ディノン・カーヌ』をより深く知ろうという目的においてはぴたりと一致している。


 考えこむバスフロワに、キュウタが手を差し出す。


「一つ、提案なんですが」


 少年の視線には、どこか挑戦的な光が宿っている。

 見た目の年齢には不釣り合いな、何もかもを見通したような表情。それを感じ取ったバスフロワの中で、反骨精神に似た気概が首をもたげはじめていた。

 キュウタが言葉を継ぐ。


「僕らの旅に同行しませんか? 僕は魔術士として、あなたは詩人として『ディノン・カーヌ』という人物を考察し、その上で互いに意見を交換するんです」


 キュウタの唇に浮かんだ微笑みは、相手がどう答えるかを確信しているようにも見えた。軽くウインクしたキュウタが付け加える。


「二つの視点を比較することで、また新しい発見があるかもしれない。お互い損の無い取引だと思いますよ」


 その提案には魅力があった。と同時に、人間をおとしいれることにけた悪魔の言葉にありがちな『落とし穴』の存在も感じられる。


 だが、とバスフロワは考えこむ。

 日々の宿にさえ難儀するような貧乏旅も、そろそろキツくなってきた頃合いだ。


『教会認定魔術士』がフィロマ教会から与えられている経済的保証の風聞は、バスフロワも耳にしたことがある。

 この少年が持っているであろう、フィロマ教会との『つながり』に相乗りできれば、少なからず快適な道行きが期待できるはずだ。


 軽く目を閉じたバスフロワが苦笑交じりに息をつく。


「生意気なガキだな。だが悪くない話だ。乗ってやるよ」


 そして彼は両の目をしっかりと開き、差し出されたキュウタの手をゆっくりと握り返した。

 

 その指先から伝わる力は、親愛ではなく宣戦布告に近しい意志が込められているようにキュウタには思えた。



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