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第七章 詩の中の英雄 (1)


 初秋の青空に、おだやかな陽気をはらんだ風がのんびりと流れている。


 滑るように空を行く一羽の鳥が、焦げ茶色の翼に空気をはらませて大きく羽ばたく。


 風に乗って高度を上げたその眼下には、見渡すかぎりに畑が広がり、大きく実った小麦の穂がそよ風に吹かれた水面みなものように波打っている。


 畑のなかで小道がゆるやかなカーブを描いていた。

 そこを牛にかれた一台の荷車がゆっくりと進んでいる。


 木の車輪が乾いた地面を回る音が心地よいリズムを刻んでいる。荷は日持ちの良い食料品が山積みされ、上から幌布を被せられている。

 

 牛をぎょしているのは麦わら帽子をかぶった、白く長いあごひげの目立つ、人の良さそうな老人だ。


 そして荷車の後部には、進行方向とは逆を向いて荷台の端に腰掛ける二人の人物があった。

 あふれ出しそうな荷物に背を預けた彼らは、荷車が揺れるに任せて足をぶらぶらさせている。


 白い外套マントを羽織って寄り添う姿はどこにでもいる少年と少女にしか見えない。


 やがて彼らの行く手に『村』の形が少しずつ姿を現す。


 畑を縫って走る小道の先、丘々のあいだで寄り添うように並ぶ建物たちは質素そのものだ。しかし、けっして貧しさからくる装いではないようにも感じられる。

 代々の先祖たちが繰り返してきた素朴な暮らしの形を守り継ごうという意思が見えるような気がしたのだ。


 この地域を治める、大陸西端の有力国家、『ガレル王国』。

 それはここ百年ほどの歴史において、少なからぬ激動を味わっていた。


 そしてこの村はそんなガレルを『危機』から救った『英雄』が生まれた場所でもあった。





 傾きつつある太陽が、空にうっすらと赤みを漂わせはじめていた。


「ありがとうございます。わざわざ寄り道までさせてしまって」


 大槻キュウタは荷車の持ち主である老人に、常識的な運賃に比べて少しばかり多めのコインを渡した。


 老人の目が丸くなる。

 そして彼は口笛を短く吹いてからニンマリと笑って、麦わら帽子のつばをひょいと持ち上げてみせた。上機嫌な鼻歌とともに、器用に牛を操り荷車の向きをぐるりと変えていく。

 

 キュウタはのんびりと遠ざかる荷車の背をしばらく眺めていた。やがて肩をすくめて微笑んだキュウタが後ろを振り向く。


 さらさらと流れる小川にかけられた、簡素な石造りの小さなアーチ橋。そのたもとで、サザレが静かにたたずんだまま瞑目している。

 長く伸びはじめた少女の影をキュウタがそっと踏むと、彼女のまぶたがぴくりと震えた。


 ゆっくりと開かれたサザレの青い瞳が、何かを指し示すように彼方へと向けられる。


 それを追ったキュウタの視線の先には、村の姿が静かに横たわっている。目当てのものはあそこにあるということだ。


「行こうか」


 キュウタが歩きはじめ、サザレはその少しあとに付き従う。


 あっという間に空が夕焼けに染まっていく。

 草地に挟まれた小道を抜けたキュウタたちは、村の入口を示すらしき石柱の横を通り過ぎた。徐々に増えていく建物たちをさり気なく眺めながらさらに道を進む。


 ほとんどの家は荒土で塗り固めた外壁と、暗い灰色の粘板岩でいた屋根である。

 あちらこちらの民家から炊事の煙がたなびき、子供らの無邪気なはしゃぎ声がときどきどこからか小さく伝わってくる。家畜小屋に牛を入れようとしている者がちらりとキュウタ達に視線を向けたが、すぐに自分の仕事に心を戻した。


 この土地に住む村人にとって、余所者よそものが村に立ち寄るのはそれほど珍しい事ではないのだろう。何しろ、国を救った『英雄』が生まれた村なのだ。観光地とまではいかなくても、話の種にと村を覗く旅人がいてもおかしくはない。


 だが、そんな連中を当てにした商売が成り立つほど、人が盛んに出入りしてはいないようにキュウタは思った。旅人から路銀をかすめ取るような宿屋やさかがある様子もない。ここはあくまでも辺鄙へんぴな農村であり、それ以上の付加価値を住人自身が求めていないのだ。


 英雄の生誕地、といっても現実は意外にそんな物なのかもしれない。キュウタはそうぼんやりと思った。


 しばらく歩を進めるなかですれ違う村人もキュウタたちをやはり一瞥いちべつはするものの、ことさら二人を怪しむ様子もなかったのだ。


 感覚的には村のほぼ中央あたりまで辿り着いたかという頃合い、キュウタは分かれ道の途中で立ち止まる。寄り合い所のような大きめの建物や共同の物置らしきものがまとまって建っている。

 

 道の真ん中で左右を見回したキュウタがちらりと後ろのサザレを見やる。その視線に少女は肩をすくめて返すだけだ。


 原初魔法『未来視』と言えども、いつも便利な道案内に使えるとは限らない。


 キュウタは、小さくため息をつくと少し離れた場所で薪の山に腰掛けている農夫を見つけた。一仕事終わったところなのか、斧を杖代わりにして目を閉じてじっとしたままだ。

 農夫のそばへ歩み寄ったキュウタが控えめに声をかける。


「すみません。この村の教会を探しているんですが」

「あぁ? 教会ぃい?」


 ぴくりと農夫の顔が上がった。

 本能的な警戒心のあらわれ、とでも言うべき濁声だみごえがキュウタに向けられる。


 長く伸びた茶色の眉毛。その下から探るような視線がキュウタを見上げ、じろじろと眺め回す。やがてキュウタのことを不審者というより、自分の子供と同じ年頃の相手と気づいたのか、農夫の声音こわねがいくぶん柔らぐ。


「……そっちの道をまっすぐ行きな。ちっこい建物だから見落とさんようにな」

「ありがとうございます」


 頭を下げて背を向けようとしたキュウタに、農夫の声がかけられる。


「あんちゃん、教会の人か? どっから来たね?」


 足を止めたキュウタが穏やかな笑みで答える。


「フィロマです」


 農夫が「はあー」といたく感心した声を上げ、まんまるに開いた目でキュウタを覗きこむ。


「そらまた遠いところをご苦労なこった。んー、帝国の人にしちゃ、このへんの言葉を上手に喋っとるねえ」

仕事柄しごとがら、あちこちを旅して回るので。土地の話し言葉はいつの間にか身につくんですよ」

「へえ。そういうもんなのかね……ん、仕事って言ったかい?」

「ええ。フィロマ教会の依頼で、とある『人物』の人となりを調べることになりまして」


 キュウタの答に、相手は眉をひょいと上げて訳知り顔でうなずく。


「なるほど。そういうことか」

「あれ、分かりますか?」

「まあな。外の者がこんなド田舎に来る理由なんぞ、たかが知れとるで」


 困り顔を隠すように微笑んだキュウタが辺りをゆっくりと眺め渡す。


「なんと言うか、のどかな場所ですよね。道中で他の村をいくつか通ってきましたが、ここと比べると皆どこか余裕が無かったように思います」

「そりゃきっとあれだ。この村は国王さまから税を免除されとるでな。そのせいもあんだろ」

「ああ……そう言えば聞いたことが。『あの人』が成し遂げた武勲への褒賞、でしたっけ」


 足元の土を靴のつま先でいじりながら、農夫がため息まじりにうなずいた。


「うむ。無税目当てに他所よそからここに越したがる連中は結構な数がおる。だが、よっぽどじゃなきゃ住民になる許可は降りん。当たり前っちゃ当たり前だな」


 どことなく達観した口ぶりの農夫にキュウタが尋ねる。


「ここの方々かたがたは『あの人』を誇りに思っているんですよね?」


 キュウタはこの村の雰囲気に少しだけ違和感を持っていた。

 仮にも国を救った英雄の生誕地であれば、何かしら記念碑の一つでもあるのかと彼は期待していた。だがこの村にそんなものは影も形もなく、むしろ出来る限り『普通』の土地であろうと努めているようにすら思えたのだ。


 キュウタを見つめてわずかに考え込んだ農夫がゆっくりと視線を伏せる。その声にはどこか重苦しさがこもっているような気がした。


「もちろんだ。『ガレル』の土地から『ブリテア』の連中を追い出してくれたんだからな」


 言葉に嘘の気配はなかった。

 だがキュウタは一瞬、相手の声の裏に別の何かが隠されているように感じた。彼はほんの少し考えたあと、それはきっと気のせいだろうと、その違和感が意識の中を通り過ぎるに任せていた。





 教わった道を進むと、すぐに教会の建物の屋根が木々の隙間から現れた。確かに大きな建物ではない。うっかりすると気付かず通り過ぎてしまうかもしれない。


 そのとき、体に軽い抵抗を感じたキュウタが足を止めてちらりと振り返った。


 キュウタの外套を指でつまんだサザレがある一点をじっと見つめていた。その視線の先をキュウタが見やると同時に、何やら二人の人物の揉める声が往来に響いた。


 道向かいの民家の戸口の中には、仁王立ちして腕組みする中年女。その前で三十歳前後と見える男が低姿勢で何事かを訴えている。


「なあ、頼むよ……一晩っ! 一晩だけ、納屋の隅っこでいいからさあ。まさか宿屋も無いような村だとは思わなかったんだよ」


 夕食の支度の最中だったのだろう、中年女が片手に持った木のしゃもじを相手にぐっと突きつける。


「ダメダメ。そうやってなし崩しにこの村に居座って、税逃ぜいのがれしようって算段なんだろ。そんな手合いはもういいかげん見飽きたさね」

「ちょ、待てよ、俺は別にそんな」

「何と言われてもダメなもんはダメだっての」


 頑として首をきっぱりと横に振る中年女。

 男の方は旅姿であり、足元には膨らんだ道具袋らしい物が転がっている。袋の口から木製と思われる棒状の何かが頭を出しているが、この距離ではよく分からない。


 そして男の必死の嘆願はやはりというべきか、聞き届けられることは無かった。


「いいからさっさと消えなっ! しまいにゃぱたくよっ!」


 中年女の威勢のいい声と、叩きつけられるように閉じられた扉。居心地の悪い静寂がその場に降りる。


 まぶたをひくつかせた男が歯ぎしりしながら大きく息を吸い込んだ。


 そして彼の口から雨あられと飛び出したのは、文字にするのもはばかられるような下品な罵声の数々である。内容はおおむね女性の身体的、あるいは精神的な特徴に言及したものだ。


 男の艶のある声が夕暮れの村に朗々と響き渡っていく。隣近所の家の窓からは、いくつかの顔が何事かという表情でこちらを恐る恐る覗き見ている。


 扉が再び勢い良く開かれた。顔を真赤にした中年女が柄杓ひしゃくを鞭のように振り回し、中の水を男の顔にぶちまける。


 そして今度こそ扉はきつく閉じられ、全てを寄せ付けぬ鉄壁のごとく彼の前に立ちはだかるのだった。


 固く閉ざされた扉の前で、前髪から水がしたたる男が仏頂面で肩を小さく落とした。

 男の風体ふうてい見測みはかっていたキュウタが、サザレに向かって目で尋ねる。彼女は無言で小さくうなずいた。

 この男が『そう』なのだ。


 キュウタは迷いのない足取りで男の背後に進むと、そっと声をかけた。


「あの……」

「ああ? 何だよ」


 道具袋を肩にかつぎながら男が面倒くさそうに言う。頭の中は今夜の泊まり先をどうやって確保するかで一杯なのだろう。


 水に濡れた顔を袖口で拭いながら、男はキュウタの姿を上から下まで値踏みするように見ている。

 相手を怪しむ様子を隠さない男に向かって、笑顔のキュウタが肩越しに教会の建物を指した。


「宿にお困りでしたら、僕らと一緒にここの教会に泊まってはいかがですか?」


 一瞬動きの固まった男が、ふっと息を吐き出して片手をひらひらと振る。

 キュウタよりは少し上背のある男が、鳶色の瞳をぎょろりとさせ、唇にわざとらしい皮肉たっぷりの微笑を浮かべる。


「これはこれはご親切に。どこのどなたか存じませんが、好きじゃねえんだ。ああいうカビ臭い建物はよ」

「納屋よりはマシな寝床でしょう。これでも一応、フィロマ教会の関係者なので、そこそこの待遇は保証しますよ」


 ウインクしながら、けろっと返すキュウタに男は背を向けた。


「はっ。施しを受けるほど落ちぶれちゃあいない」

「ま、そう言わずに。旅の者どうし、持ちつ持たれつと行きましょうよ」


 キュウタが苦笑いで相手のシャツの裾をつかむ。「おい、こら」と声を上げた男は否応なく立ち止まり、むっつりとした顔でキュウタとその後ろに立つサザレを眺め回した。


 屈託ないキュウタの笑みと、男の不愉快そうな顔が、夕焼けの下で奇妙なコントラストを作る。

 そのとき、狙いすましたようなタイミングで、冷えた夜風の気配がこの場にいる者らの肌をなでる。


「そろそろ野宿は体にこたえる季節ですよ」


 追い打ちのようなキュウタの提案に、男は喉の奥で小さく唸りつつ熟考する。やがて彼の体からふっと力が抜けたのをキュウタの指先は感じ取った。


 それを受諾のしるしと受け取ったキュウタが相手の服から手を離す。にっと笑って少年が両手を開いて見せるさまは、敵意がないことを示す万国共通のジェスチャーでもあった。


 キュウタの後ろから様子を覗きこんだサザレの目が、男がかつぐ道具袋に吸い寄せられる。

 袋から飛び出していた棒のようなものは、『リュート』のネックだった。


 その男、流浪の詩人『バスフロワ・ヴィスロ』。


 彼はまだ気付いていない。

 歴史の真実を知る『旅』に、自分が足を踏み入れたことを。



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