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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (19)



 短く突き上げるような数回の振動の後、水平方向への激しい揺れが三十秒近く続いた。


 文字にしてしまえばそれだけのことであるが、帝都『カノンブルヌ』がこうむったダメージは甚大なものである。崩壊した建造物は総数を把握するだけでも相当な期間が必要のはずだ。ましてこの数分で失われた命の数はどれほどのものか、想像するだけでため息が出る。


 いま、帝都と外部を隔てる『城壁』の前に大槻キュウタとサザレはいた。


 大陸でも有数の規模と人口密度を誇る都市にも関わらず、街は不気味な静寂に支配されていた。


 突然破壊された日常。

 誰もが言葉を失い、うつろにしびれた心を無為にかかえ、何をすべきかも分からなくなっているのだ。


 白い外套マントをまとったキュウタたちの周囲を、市民たちが呆然と混乱をないまぜにした表情で立ちすくんでいる。傷ついた頭や手足から血をにじませている者も少なくない。

 多くの者は何が起きたのか理解できていないのだろう。時々、叫ぶような祈り声が奇妙にはっきりと街にむなしく響いていた。


 だがそんな中、周囲を満たす重苦しい恐慌とは一線を画する、落ち着き払った少年と少女。彼らの異質さに目を向けられるほど心に余裕のある者はいないだろう。


 もちろん、彼らの体が地面から数センチほど『浮いて』いることに気づく者は皆無である。『硬化』させた空気の層に乗って揺れをやり過ごした二人は、ちらりと視線を合わせてどちらからともなくうなずきあう。

 何事も無かったように、空気の足場から地面へと降りる二人。


 キュウタが背後を見上げた。『城壁』は最前の激しい揺れにも関わらず、石積みにはわずかのズレも生じていない。『硬化』魔法はそれなりに役に立っているようだ。キュウタが呟く。


「一応、ここまでは予定通りかな」

「はい」


 サザレが落ち着いた眼差しで周囲を確認しながら頷いた。

 少し離れた中央市街の方向からは、まだ事態を認識できていない人々のくぐもった喧騒が伝わってくる。

 小さく肩をすくめたキュウタが唇をむっつりと結んだ。


「ここからは基本的に軍に任せるしかない。余裕があれば手伝いたいところだけど」


 そう言って、彼は歩き出した。

 隣につき従うサザレが尋ねる。


「これからどうします?」

「そうだな……まず学院の無事を確認しよう。備蓄してる物資はどれくらいだっけ?」

「教会認定魔術士と学院関係者をまかなうだけなら、およそ二十日分といったところですね」


 よどみないサザレの答えに、キュウタがちらりと視線を彼方へ投じる。


 遠くに見える水道橋はとくに大きな損壊は無いように思えた。それ以外にも、最低限の生存活動に必要な都市機能は守ったつもりだ。『硬化』魔法の残留時間を計算にいれつつおこなった、市内各地の重要施設の補強作業が成果を上げていることを祈る。


「とりあえず市内に戻ろう。学院や教会と方針のすり合わせをしておきたい。しばらく帝都はまともに機能しないだろうからね」


 視線を足元に向けながら、キュウタは静かに嘆息する。

 地震そのものの被害も重大ではある。

 だが、その先に待ち受ける市民生活の停滞と混乱。それが人々の心をすさませ、都市というシステムの歯車に軋轢あつれきじ込むのだ。


 平時ならともかく、命や生活が懸かった極限状況にさらされた時、人々が他者へ思いやりを向ける余裕がどれだけあるのか。そこを読み違えると取り返しのつかないことになるだろう。

 要するに、自分の生活は自分で守らなければならない、ということだ。


 キュウタが最も重要視しているもの。とどのつまりそれは『魔法』の知識の研鑽と継承である。だからキュウタの行動方針もそこに主眼を置いていた。

 魔術士をはじめとした、魔法知識の発展に寄与する人物たちは魔法教導学院に集められている。キュウタの『硬化』によって補強された学院施設にいる限り、命に危険が及ぶ可能性は低いはずだ。


 もちろん、地震のショックで我を失い学院施設の外へと飛び出す者がいる可能性はある。だが、いまここで心配しても詮無いことだ。キュウタが隅から隅まで目を光らせるなど無理な話なのだから。


 その時、キュウタの胸に、ふと一抹の不安がよぎった。

 それがどこから生まれたものなのか、彼自身にもはっきりとは分からなかったのだが。





 薄暗い大聖堂の内部もまた、市街と同様の不気味な静けさに満ちていた。

 

 激しい震動によって、壁や天井の隙間からはじき飛ばされた大量のほこりがそこら中に浮かび上がり、霧のように視界をぼやけさせている。


 がたん、とはずれた分厚い一枚の板。それが足場の頂上から滑り落ちる。

 

 大人の背丈を数倍するほどの長さを持つそれは、二十メートル以上の高さから風切り音とともにまっすぐに墜落していった。

 そして石床との耳障みみざわりな衝突音が大聖堂の中に反響する。

 

 主身廊のなかに林のごとく組み上げられていた足場を支える木製の骨組みは、いまやあちこちが目に見えてかしいでいる。

 また、支柱の継ぎ目から不均一な荷重によってきしむ音が絶え間なく響いていた。それは、崩壊寸前の足場が発する断末魔の悲鳴と言っていいだろう。


 そして、地震の第一撃が去ったあともなお不安定に揺れる足場の頂上。そこに二つの小さな人影がうずくまっている。少しばかり空いた互いの距離を埋めるものは、恐怖と心細さだけであった。


 ところどころ板が外れ落ちた足場の隙間から下が見える。二十メートル以上の落差は大人でも足がすくむ域だ。


 固定部の片側が支柱から外れた足場の床板。

 その先端が悪魔の舌のように宙空へ突き出している。


 エマは斜めになった足場の床板に這うようにしがみついていた。

 少女の片足が足掛かりのない空中でぶらぶらと力無く揺れている。床板を掴んでいる指の力をゆるめれば、あっというまにその身を空中に投げ出すことになるはずだ。

 少女は涙まじりの声を上げる。


「ラッチぃ……」


 蒼白になったエマの視線の先には、やはり足場の床板にしがみついているラッチがいる。彼のいる足場も床板は半分外れかけ、ゆっくりと上下に無情な揺動ようどうを繰り返している。

 表情をこわばらせつつも、比較的動揺の少ない声でラッチが呼びかけた。


「うごいちゃダメだよ、エマ」


 二人が足場から振り落とされなかっただけでも奇跡と言うべきだろう。

 あの瞬間、まるで嵐の中に放り出された小舟のように、大聖堂全体が激しく揺さぶられたのだ。


 ラッチはゆっくりと視線を背後へと向ける。わずかな動きでも足場全体が崩れ去りそうな恐怖があった。


 不安定な足場から安全な通廊へと戻る唯一の道である『橋板』。それは最初の揺れで弾き飛ばされたのだろうか、どこにも見当たらない。かろうじて残っている足場と欄干のあいだには、三メートルほどの空間が絶望的な谷間と化している。そしてその下は、はるか下方の地上の石床まで遮るものは何もない。

 

 辺りを見回して助けを求めようにも、どこにも人影は無い。

 もともと改修作業の中休なかやすみ期間でもある。何より巨大な地震に見舞われた直後の今の市内では、誰もが自分自身の面倒を見るので手一杯な状況のはずだ。大聖堂の被害の確認を一番に考えるような酔狂な人物の出現はあまり期待できないだろう。


 上方から、ごとり、という音がする。

 ラッチがそちらに意識を向ける暇もなく、彼の数十センチ横を巨大な影がまっすぐ垂直方向に落下していった。


 天井ドームの基部を構成する『石材』の一部が剥落し、ラッチをかすめるように落ちていったのだ。

 床板にしがみついたまま固まったラッチの耳に、下方から石材の砕け散る音のこだまが届く。


 この場所はもう長くたない。

 年端としはの行かない子供の目にもそれは間違いない事実だった。





 大聖堂入り口の前で、アルハーン・サウドは体の支えにしていた柱から片手を離した。


 凄まじい揺れだった。

 いまだに地面が波打っているような錯覚すらある。地震とは縁のない人生を送ってきたアルハーンだったが、これがただごとではないというのは容易に見当がつく。

 彼の足元でうずくまるリネッサ・エンテネスが、ぷはっと息を吐き出した。揺れの最中からずっと呼吸をするのも忘れていたようだ。

 アルハーンはゆっくりと辺りを見回しながらリネッサに尋ねる。


「大丈夫か」

「ええ……」

「これが『地震』というやつか。話には聞いていたが、心臓に良くない代物だな」


 リネッサが弱々しくうなずく。額に浮いた汗が彼女の心情を代弁している。


「カノンブルヌは地震が多いほうですけど……こんなに大きなのは私も初めてです」


 ぼうぜんとした面持ちのリネッサが空を見上げる。

 大聖堂のあちこちの壁には亀裂が走っている。ここから見える周囲の建物のいくつかも、原型を留めないほどに崩壊していた。

 遠くからは怒声や悲鳴が上がっている。突然降りかかった災いに市民は混乱の極みに達しつつあるようだ。

 戦場に似た空気が街に漂い始めている、とアルハーンは思う。無意識に腰の刀の位置を確認した。そして彼はリネッサに手を差し出す。


「立てるか?」

「ええ」


 リネッサは臓腑ぞうふ鷲掴わしづかみにされるような不安を抱えたまま、よろよろと立ち上がった。まだ少し呼吸が乱れている。すがるような心持ちで大聖堂を見上げた。


 口癖のようになった祈りの言葉が唇に浮かびそうになった瞬間、彼女の心に稲妻のような思考が走った。


 そうだ、子供たちだ。

 ラッチとエマがここにいるかもしれないのだ。


 立ちすくんでいる暇など無い。一刻も早く子供たちを見つけ出さなければ。





 市場へと続く街路は人波でごった返している。

 我が家や家族のもとへと急ぐ人々の多くには怯えや戸惑いの色が濃い。


 キュウタとサザレは人々の間をすり抜けながら、市民の様子をそれとなく観察していた。

 衣服のあちこちがボロボロになった初老の男性が、自身の負傷などお構いなしについ先程まで民家の形をしていた瓦礫の山を必死に掘り探っている。


「おい、あんた! この柱どかすの手伝ってくれ! 下に知り合いが埋まってるんだ!」


 別の路地裏では、赤子を抱えた体格の良い母親が、近隣の住民に檄を飛ばしている。


「向こうの広場で兵隊と医者が面倒見てくれるよ! 歩けるやつは怪我人に手貸しておやりっ!」


 最初のショックから立ち直った者がちらほら現れ、まだ茫然自失としている大勢を相手にリーダーシップをりはじめている。こういう場面でこそ、その人物の真の資質が露わになるのかもしれない。


 城壁周縁部から帝都の市街地に戻ったキュウタたちは、魔法教導学院への道を進んでいた。

 

 市民の混乱は激しいものの、略奪や暴動の気配は無い。思っていたよりも秩序は保たれているようにキュウタは感じていた。


 市内に入ってからあちらこちらで見受けられる帝国軍の部隊が効果的に機能しているようだ。皇帝がキュウタの意図を正確に汲み取り、指示を出しておいてくれたのだろう。


 もしかしたら帝都はそれほど間を置かずに立ち直れるかもしれない。

 自分たちが事前に備えていた諸々もろもろの行為が少しは役に立ったのだろうか、とキュウタは思う。

 確信は持てない。『未来視』魔法を用いて歴史や未来を探るのは複雑で繊細な作業である。そして、キュウタたちの行動が世界に与えた影響。それを詳細に検証することは更に難しい。


 キュウタは、自分が世界や人類を導いていると考えたことなど無い。

『大槻キュウタ』という一人の人間は、この世界の中ではあまりにも小さな存在だと彼は知っている。悠久の年月のなか、世界や人々を見つめれば見つめるほど、その思いは強くなるばかりだ。


 自分は不老の体と莫大な魔力を持ってはいるが、しょせんはただそれだけでしかない。世界という広大な海原に落とされた、ちっぽけな一粒の砂でしかないのだ。歴史に刻まれた業績はキュウタのものではない。彼はその歴史の道すじを『選んだ』だけであり、それを形あるものとして実現したのはこの世界に生きた有名無名の人々なのだから。


 キュウタはそんな歴史が積み重なる場面に幾度と無く立ち会える自分の境遇を、心のどこかで嬉しく、そして誇らしく思うのだ。


 少し場違いな物思いにふけっていたことに気付き、キュウタは顔をわずかにしかめる。今はこんなことを考えている場合ではない。


 混乱が続く街に溢れかえる人波。その隙間からしわがれ声の呼びかけがキュウタの耳に届く。


「キュウタ!」


 少年を呼び止める、聞き覚えのある声。

 ぱっと振り向き、目を丸くしたキュウタが呆れ顔になる。


「ペイトン先生。学院から出ないようにと指示されているはずですが」


 額に汗をにじませたゲグリオス・ペイトンは、黒いローブの襟をゆるめながらキュウタに歩み寄った。人混みをかき分けるように近づくペイトンの衣服の乱れは、彼の心の一端を反映しているかのようだ。


 何が起こるか分からない今の市街に現れたペイトン。その無鉄砲さに眉をひそめるキュウタに、老魔術士が言った。


「それどころじゃない。幼年部の子が二人、学院の外に出ていたらしい」


 サザレの顔が険しくなった。彼女の脳裏に二つの顔が思い浮かぶ。まさかと思いながらサザレが尋ねた。


「二人って、誰ですか?」

「名前は……何だったかな。とにかくさっき、子供らの面倒見てる娘と、組合から雇い入れた男が街へ探しに出たと聞いた。この『騒ぎ』の少し前だ」


 口元に手を当てたキュウタが一瞬考えこんでから言った。


「行き先の見当はついてるんですか?」

「多分じゃが、『大聖堂』だと思う。言われてみれば、しばらく前にワシが場所を教えてやった記憶がある」


 気まずそうに後悔の念を言葉の裏に浮かべるペイトン。

 キュウタは即断した。


「様子を見てきます。先生は学院に戻って下さい」


 言いながら彼はそばの壁に向かって右手をかざす。魔力の発現する気配をペイトンが察した時には、サザレはキュウタが空気を『硬化』させて形成した『足場』を伝って屋根へと駆け上がっていた。

 

 ペイトンがごくりとつばを飲む。

 原初魔法として『硬化』を持つ魔術士は、それほど珍しいものではない。だが平均より強い魔力を有する者でも、人の体重を支えられるほどの空気の層を作り出すことは大仕事に分類されるのだ。


 この一瞬で、屋根まで続く空気の階段を顔色一つ変えず作り出すキュウタ。その桁外れの能力に、ペイトンは改めて戦慄を覚える。

 そして今はそんなキュウタの力を、ペイトンは何よりも心強く思った。

 

「頼んだぞ、キュウタ」


 小さく頷いたキュウタは、サザレの後を追うように透明な足場を駆け登っていった。



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