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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (17)



 能天気さすら感じられる午前の陽光が帝都カノンブルヌに降り注いでいる。


 だがカノンブルヌ魔法教導学院、幼年部の寮には居心地の悪い静けさが漂っていた。


 子供たちとの朝食を終えたリネッサ・エンテネスは厨房での後片付けを済ませてから、窓から綺麗に晴れた空を見つめた。胸にこびりつく疑念を振り払うように息を細く吐き出す。

 それでも、彼女の心からつかえが取れることはない。


 身なりを整えたリネッサはいつもの修道服姿で、子供たちが待っているはずの大部屋に向かう。


 扉を開けたとたん、子供たちが明るくはしゃぐ声が耳に飛び込む。いつもと変わらぬそんな様子に、リネッサは少しだけ心をほっとさせた。

 子供たちには老司祭が付き添っている。

 小さくうなずく老司祭に、リネッサが疑問を口にした。


「どういうことなんでしょうか」

「私にも分からん。だが教区長からも強く念を押されている。我々を含め、学院関係者は今日の日没まで外出は控えるように、とな」


 その噂はリネッサも漏れ聞いている。

 カノンブルヌに在住する一般生徒たちや教会認定魔術士も片っ端から召集され、学院施設の中で待機を命じられているらしい。


 得体のしれない不安がリネッサの胸にじわりと忍びよる。


 ちらりと視線を横にふったリネッサ。

 大部屋のすみで壁に寄りかかり、窓の外をじっと見つめているアルハーン・サウドに気付く。まわりで無邪気にくつろいでいる子供たちのなか、彼がまとう空気はどこか張り詰めていた。


 いつもの褐色のシャツとズボン、かたわらの壁には長い刀が立てかけられている。

 そしてアルハーンの灰色の瞳、その視線に宿る剃刀かみそりのような鋭い光は戦士の証のようにリネッサは感じた。

 いつもは戦士やいくさを嫌っている自分が、こんな時に限ってアルハーンのような男の存在を心強く思っている。


 リネッサは自分の身勝手さに軽い嫌悪を抱いていた。





 カノンブルヌ魔法教導学院の中央学舎の裏手。


 ひっそりと静まり返ったその場所に、白い外套マントをまとった二つの人影が立っていた。

 

 一人は周囲を油断なく警戒している。


 そしてもう一人は地に膝をついたまま学舎の壁に手を当て、何事かに意識を集中させている。

 やがてその人物が小さく息をついて立ち上がる。


「こんな感じかな。頑丈にすればいいってものじゃない気はするけど……」


 大槻キュウタはズボンについた土や草を払いながら呟く。敷地内にある建造物には、カノンブルヌで魔法に深く関わる人々が集められている。キュウタはそれらの建物の基礎構造に『硬化』魔法による補強を行っていた。


「この学院施設自体の崩壊はまぬがれるはずです」


 サザレは自分が見た『未来』を再度口にする。言葉の裏には、カノンブルヌ市内の他の大多数の建造物に与えられる被害の甚大さが隠れている。だが、キュウタもサザレもそれを口にすることはなかった。自分たちは全能の神ではないのだ。全てを等しく救うことなどできはしない。


 だから、キュウタは魔術士や魔法の才能を持つ子供たちの安全を図ることを選んだ。だがそれは善意や慈愛から来た選択ではないだろうと、キュウタはみずからの心理を分析する。きっと、ただ単に復讐という自分の目的にかなうからだ。


 二十万年近い年月の中、彼らはいつでも『選んで』きた。未来に待ち受ける魔族との戦争に勝つため、『魔法』という刃を研ぎ澄ませるためだけに。キュウタの選択は、時として多くの人びとの命を歴史の上から消し去りもした。だが後悔も罪悪感もない。

 倫理や道徳を上回るものがキュウタを突き動かしている。


 魔神王に友を殺され、自身も死の寸前にまで追いやられた日。

 あの日からずっと、『怒り』がキュウタを押し続けている。理性を塗り潰すような業火とは違う。際限なくくすぶり続ける炭火のような怒り。普段は表にあらわれず、だがふとした時にその確かな熱さに気付く。そしてそのたびに思い出すのだ。

 今の自分を形作っているどす黒い感情を。


 足元をじっと見つめているキュウタの横で、サザレはふっと息を吐き出した。いつも通りの涼やかな眼差しがキュウタを見ている。


「行きましょう、キュウタ」


 思いに沈んでいたキュウタが顔を上げる。


「そうだな。やることは山ほどある」


 気持ちを切り替えるように白い外套の襟を整え、キュウタはちらりと空を見上げた。

 今日はカノンブルヌの街を文字通り東奔西走する予定なのだ。

 立ち止まる暇もない忙しさになるはずだ。





 窓のそばに椅子が二つ並んでいる。

 その上で膝立ちになって外を眺める小さな人影がやはり二つ。

 二人は肩を並べて綺麗に晴れ渡る青空をぼんやりと見つめていた。


「つまんないね、ラッチ」


 金髪をおさげにした六歳くらいの少女、エマがつぶやく。いつもならこんな天気の日は外で思いっきり遊んでいるはずなのだ。しかし、今日はなぜか寮の外に出てはならないと、子供たちはリネッサから言い聞かされている。

 やはり六歳くらいののんびりした少年の声が、少女に答える。


「そとにでたら、ダメなんだよ」


 そう言ってラッチは窓枠にアゴを載せて小さくあくびをした。

 エマがじれるように体を小さく揺する。


「つーまーんーなーいー」


 ふくれるエマ。ため息のような沈黙が少女から少年へと向けられる。

 だがラッチはぼんやりと空を見上げたままだ。青空の中を一掴みの雲がゆっくりと流れていく。やがて、ラッチがぽつりと言った。


「じゃあ、ダイセイドーにいく?」


 エマの瞳がぱっと見開かれる。。

 彼女は五歳になったばかりの頃に原初魔法に覚醒した。経済的に困窮していたエマの家庭はフィロマ教会関係者の勧めもあり、彼女をカノンブルヌの魔法教導学院に預けることを了承したのだ。


 かくしてエマは両親と離れ不安な生活を過ごすことになった。だがリネッサや他の子供たちとの暖かい触れ合いが、その寂しさをすぐに癒してくれた。

 学院の寮暮らしの中で特にエマが気に入った物。それはリネッサが子守唄代わりに話してくれる、イリユヌス教の聖人たちの逸話だった。

 

 聖人たちが人々に施した献身的行為の数々は、エマの子供心にも訴えかけるものが少なくなかった。中でも自身の命を捧げて人々を救った『聖女イリユナ』に、エマは強い敬愛を感じていたのだ。


 そしてカノンブルヌのイリユヌス教大聖堂にあるという、聖女イリユナの生涯を描いた『天井画』。それを一度でいいから見てみたいとエマは強く望んでいた。


 というわけでラッチの提案にエマは当然のごとく目を輝かせた。だが、すぐにしばらく前の雨の日の出来事を思いだして、口をへの字に結んでしまう。


「……また、まいごになっちゃうよ?」

「だいじょうぶ。こないだ、ガクインのハゲのセンセーにおしえてもらった。ダイセイドーの、ばしょ」


 ラッチがそう言った時、少し離れた学舎の一室でゲグリオス・ペイトンが派手なクシャミをしたのだが、今はそこに大きな意味は無い。


 エマは窓枠にしがみついて目を伏せ、じっと考え込んでいる。やがて、ぷくっと頬をふくらませてから、彼女は小さくうなずいた。


「うん。いきたい」





 院長室の窓際で椅子に座り頬杖をついていたペイトンの瞳には静かな思索の色が漂っている。


 フィロマ教会が管轄している、ほぼ全てのカノンブルヌ在住の魔術士に対して発せられた緊急の召集命令。いくら考えても、この奇妙な指示の理由に納得のいく推測を捕まえることができずにいたのだ。

 ペイトンが指で鼻の下をこすりながら探るような視線でかたわらの人物を見る。

 

「お前さんは何か聞いとらんのか?」


 学院長は臙脂えんじ色のローブの下で腕組みをして椅子に体を預けている。彼の落ち着いた表情の陰にも、いくばくかの戸惑いは確かに見て取れた。


「詳しい事情は何も」

「やれやれ。『学院長』が聞いて呆れるな」


 眉をひょいと上げて肩をすくめる学院長。


所詮しょせんは教会に雇われている立場ですから。ああ、キュウタ殿からも生徒たちをくれぐれもよろしく、とありましたね」


 椅子から体をわずかに起こしてペイトンが興味深げな顔になる。


「キュウタ? キュウタが来たのか?」

「ええ、昨日。教会から正式な指示が来る、少し前に」


 ふむ、と口元に手を当てて視線をさまよわせるペイトン。

 彼の背後の窓から見える景色の端で、小さな二つの人影が学院の敷地から外へと向かっていた。





 昼食の準備を終え、厨房から大部屋へと戻ったリネッサ。

 子供たちは部屋のあちらこちらに散らばり、めいめい退屈そうに過ごしている。


 老司祭は学院長と今日これからの予定について打ち合わせをしているはずだ。そしてアルハーンは少し前から寮の中を見まわるために部屋から出ていた。あちこちから感じられる「力の気配」がどうとか言っていたが、リネッサの興味をくことは無かった。彼の好きにすればいい。自分が口をはさむことではないだろう。


 リネッサは改めて子供たちがくつろぐ室内を見回す。

 その時、いつもの風景の中に混じるほんの少しの『違和感』がリネッサの胸に引っかかった。


 ちょこちょこと歩み寄ってきた一人の少女がリネッサの腰にしがみつく。


 無意識に少女の頭を撫でながら、リネッサはいぶかしむように左右を見渡す。


「あのねー。ラッチとエマがねー」


 その瞬間、違和感の正体に気付くとともに、あとに続く言葉を容易に想像できたリネッサの顔が蒼白になった。





 石畳の上を多くの人や馬車が行き交っている。

 その道幅はかなり広く、荷車が四、五台並んでも余裕があるだろう。


 賑わう町並みの片隅にちょこまかと動く小さな人影が二つ。

 互いの手はしっかりとつながれ、はたから見ても微笑ましい光景だ。


 ラッチとエマは大人たちの人混みの間を縫うように歩いている。やがてとある角を曲がった先に開けた敷地が前触れ無く現れ、そこにそびえたつ巨大な『構造物』が彼らの視界を圧倒する。

 エマの口からため息とともに感嘆がこぼれた。


「わあ……」


 四方に配置された円屋根まるやねの建物と、天をまっすぐに指す尖塔の群れ。

 そしてそれらの中央、青空を背にして鎮座する、白を基調とした美しい石造りの堂々たる威容。その大きさは建物というよりは、丘や小さな山と比するのがふさわしいだろう。


 天頂部は正確な曲線を持つ金色こんじきのドームで覆われている。その基部の円周上、等間隔に設けられた窓はここからは小さく見える。だが、実際にはそれらは一つ一つが大人の背丈を遥かに超える大きさの造りなのだ。

 あまりのスケールに遠近感が狂わされ、見上げているだけで軽く目がくらくらしそうになる。


 フィロマ帝国の富と文化の集大成とでも言うべき、『大聖堂』の壮麗な姿が二人の前に出現していた。

 エマがぽかんと口を半開きにし、思ったことがそのまま言葉に出る。


「おっきいねえ」

「うん」


 どこかぼんやりと冷めた態度のラッチだったが、エマの感想には素直にうなずいた。


 エマは落ち着かない様子で、もはや居ても立ってもいられないようだ。ラッチの手を無理やり引っ張って大聖堂の入り口へと走りだす。

 

 子供の足では寮からここまでの道のりは大冒険と言えるだろう。だがその疲れを微塵も感じさせない二人は、大聖堂の周囲に整然と植えられた緑の木々の下を一息にくぐり抜けた。


 彼らが木陰から日なたへと飛び出した直後、その背後でけたたましい鳴き声が上がる。鳥の一群が枝から舞い上がり、いずこかへと飛び去っていった。

 

 前だけを見て走る子供たちは、そんなことは気にも留めない。だがほんの少し後ろを振り返る余裕があれば、その『異常さ』を感じ取れたかもしれなかった。


 鳥たちの様子が、まるで何かから逃げ出すような不穏な慌ただしさだったことに。


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