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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (16)


 帝都『カノンブルヌ』の東端。

 青い空と海、そして緑の木々がゆるやかに交じり合う風景のなかに、その建物は静かな存在感をたたえている。


 海峡を臨む丘の中腹を切り開いた場所に、『宮殿』が建っていた。

 それは『宮殿』という名称から一般的にイメージされるような巨大な建築物ではない。大小さまざまな施設が寄り添いあい、その周囲を石造りの高い外壁で囲まれている場所の総称であるのだ。


 そして宮殿の一角、バルコニーから海までまっすぐに見通すことができる部屋。

 長いすそとゆったりとした袖が印象的な赤の礼装を身につけた壮年男性。海を眺めていた彼が、視線を室内へと振り向かせる。彼の鷲のように鋭い相貌は、わずかなほころびすら見逃すことのない洞察力に満ちていた。


「その情報は確かなのか?」


『皇帝』は、耳にした言葉を疑うように、白い外套マントをまとった相手を見やる。


 大槻キュウタは、フィロマ帝国の行政機構における最高権力者に対して気後れする気配もなく、こくりとうなずいてみせる。


「はい、陛下。信じていただけないかもしれませんが、これは間違いなく……」


 皇帝はキュウタの言葉を片手を上げて押しとどめた。


「いや、信じるよ。即位して十年ほどだが、君がどれだけ帝国に貢献しているかは知っているつもりだ。その神がかったたぐいまれな能力の噂もな」


 わずかに神妙さが加わったキュウタの眼差し。

 両手を後ろで組み、ゆったりとした足取りで皇帝はバルコニーから室内へと戻る。


 この部屋には、二人の他には誰もいない。

 窓際に立っていたキュウタがほんの少し下がり、相手の言葉の続きを待つ。

 皇帝はわずかな微笑を唇に乗せてキュウタを見た。


「君については、会皇かいおう台下だいかからも言い含められている。可能な限り、君に便宜べんぎはかるように、とな。そこらの領主や貴族よりも遥かに重要な人物である、とも釘を刺されたのだ」


 キュウタは眉をハの字にして、困惑するような愛想笑いで返した。


「それは少し大げさですね。僕はただの凡人ですよ」

「そうかね。まあ、それはともかく、この『災厄』に対して何か策があるのかね?」


 皇帝の問いに、キュウタの顔に険しさが宿る。少年は唇を軽く噛んでから意を決したように口を開いた。


「事前に備えられることはほとんどありません。たとえ陛下の名で市民に警告を出しても、残念ながら効果は薄いでしょう」


 まるで未来を見てきたかのような物言いのキュウタに、皇帝が腕組みをして怪訝そうな目を向ける。


「では、君が私に面会を求めた理由は何だ?」

「『その日』、僕は市内の重要施設の維持につとめるつもりです」


 白い物が混じる眉を片方だけ上げて、皇帝がアゴを撫でる。


「どうやって、とは聞かない方がいいのだろうな」

「申し訳ありません。どちらにしろ、方法は重要ではないので」


 キュウタが肩をすくめて苦笑する。

 ふむ、と息をついた皇帝が改めて口を開く。


「では、私は何をすればいい?」

「当日の市内にあらかじめ『軍』を配置していただきたいのです。事が起こった直後の市民の安全と治安の確保。それは僕一人では不可能なんです」

「……なるほど。いいだろう、その線で進めておく」

「ありがとうございます」


 そしてキュウタは皇帝に書簡を手渡した。サザレの『未来視』で得られた、カノンブルヌ市内における『被害』の予想が記されている。一部詳細さに欠けるところはあるが、軍の方針決定には十分役立つだろう。


 書簡をざっと流し読みしつつ、皇帝がキュウタにちらりと視線を向ける。呆れるような、それでいて何かを仔細に検分するような隙のない瞳に、キュウタの気がわずかに引き締まる。

 皇帝は書簡を机の上にそっと置いて言った。


「君の力は実に驚くべきものだな」

「は……恐れいります」


 書簡を指でそっと撫でながら、皇帝の声に冷たいものが混じる。


「自らが『王』になろうとは思わないのかね? 未来を知り、人並み外れた力を操る君なら、決して不可能ではないはずだが」


 二人の間に生まれた沈黙、そして交錯する視線。

 キュウタは試されていることを強く意識していた。国を背負う立場の人間の目から見て、自分たちのような『力』を持った存在がどう映るのか分からないわけではない。

 皇帝は『見極めよう』としているのだと、キュウタは感じていた。ここで駆け引きをしてもきっと意味は無い。だから彼は自分の心を素直に伝えることを選んだ。


「そうすることに意味があるのなら、僕は迷わず実行するでしょう。でも、僕の目的はもっと、何というか……個人的な事なんです。それに、国や民の上に立つ器量でもありません」


 はにかんで言葉を切るキュウタ。

 皇帝は黙ったまま少年を見つめている。やがて彼は深々と息を吐き出し、キュウタに言った。


「教会がどういう考えなのか正確には知らない。だが私は、君が帝国の味方であり続ける保証は無いと考えている」

「そうですね」


 素直にうなずくキュウタ。

 ふっと表情をゆるめた皇帝が苦笑いを浮かべる。


「掴みどころのない人間だな、君は」

「自分では普通だと思うんですが」

「まあいい。どの道、君に何かを強制するつもりはない。味方であって欲しい、と望みはするがね」


 そう言って、皇帝は丁寧な仕草で廊下へと通じる扉へとキュウタをうながす。深く一礼したキュウタが一言付け加えた。


「僕に『敵』はいませんよ。少なくとも『今の世界』には」


 どことなく謎めいた言葉に皇帝が眉をひそめる。

 皇帝が真意をただそうかと思った時には、キュウタはすでに扉を開けて廊下の向こうへと歩き去った後だった。





 カノンブルヌ魔法教導学院、その幼年部の寮の厨房に通じる勝手口。

 長身を窮屈そうに縮めて狭い扉をくぐり抜けたアルハーン・サウドが、両脇に抱えた重い麻袋をどさどさとテーブルの上に積み重ねる。


「頼まれた物はこれで全部だ。で、釣り銭がこっちな」

「……はい、どうも」


 むすっとした顔のリネッサ・エンテネスが、コインをじゃらじゃらと手のひらで受け取りつつ、まったく心のこもっていない感謝の言葉で返す。


 アルハーン・サウドが帝都『カノンブルヌ』で暮らすようになって三ヶ月が過ぎていた。


 毎日、特に代わり映えのしない学院施設の見廻り仕事と、ちょくちょく駆り出される雑用の繰り返し。こんなにのんびりとした日々はアルハーンの人生のなかでも初めての経験であった。


 今日のアルハーンは市場まで、少々かさばる日用品や食材の買い付けに赴いていた。やれやれと肩をほぐしながら、ふと視線を厨房の隅に向ける。彼はそこで、野菜の皮を器用に剥きながら次々と木のボウルに放り込む少女に気付いた。


「ああ、サザレも来ていたのか。最近よく見るな」


 ちらりとアルハーンと目を合わせて小さくうなずくサザレ。

 リネッサが修道服の上に前掛けをつけながら、わずかに声を尖らせる。


「しょっちゅう手伝ってくれて、とっても助かっています。それより、用が済んだなら御自分の仕事にお戻りくださいな」


 ぴしゃりと言い捨てるリネッサに、アルハーンがからかうような苦笑をする。


「俺にねぎらいの言葉は無いのかな?」


 そう言って、彼は手のひらに出来た小さなマメを見せた。


「それは普段から剣を振り回してるせいで出来たものでしょう」


 にべもなく断じたリネッサが、ぷいっと背を向けて子供たちの食事の準備に取り掛かる。

 にやりとしたアルハーンがテーブルに寄りかかってリネッサの背中を見つめる。


「まあな。腕をなまらせるわけにはいかない。一応、この学院の安全を預かる立場だしな」


 棚から食器を取り出してテーブルにどんと載せ、リネッサがじろりと睨む。


「帝都は十分に平和です。剣なんか必要ないでしょう」


 アルハーンが皮肉な笑みを浮かべ、腰に差した刀を撫でる。


いくさはいつでも起きている。帝都の平和は外側で流されている『血』によって保たれていると、俺は思うがね」


 リネッサの声音こわねに更なる苛立ちがまじっていく。


「あなたがどう思おうと勝手です。とにかく、子供たちの前でいくさの話なんて絶対にしないで下さい」

「分かってるさ。じゃあ、もう行くよ」


 アルハーンはさして気分を悪くした様子もなく、サザレに向けて片手を小さく振ってから、厨房から出て行った。


 後に残ったのは食事の準備にいそしむ女たちの淡々とした物音だけだった。やがて最後の野菜の皮を剥き終わったサザレが布で刃を拭きつつ、ぽつりと呟く。


「リネッサ。あなた、アルハーン・サウドのことが嫌いなの?」


 びくっと体をこわばらせたリネッサの瞳が見開かれ、かすかな狼狽の浮かぶ視線が左右に揺れる。


「か、彼がどうこうじゃないけど」

「じゃあ、戦士やいくさが嫌いなの?」

「……好きな人なんていないでしょ。剣や力は何も生みはしないわ」


 汚れを綺麗にぬぐったナイフの表面に映る、自分の青い瞳を見つめながらサザレが言う。


「イリユヌスの教義がそうなのは知ってるけど」


 リネッサが弱々しく首を左右に振って、相手の言葉を遮る。


「信仰のことだけじゃないのよ、サザレ。私は『知っている』の。力というもののおぞましさを。力がもたらす不幸と災厄を」


 彼女の声に含まれた、諦観に似た何か。

 サザレは、リネッサの言葉が、ただの思想や信条とは少し違うところから紡ぎだされたような印象を受けていた。その身で『絶望』を現実の痛みとして味わった者だけが発することのできる、魂の嗚咽に思えたのだ。





 魔法教導学院の門の前でアルハーンは、黒いローブを身につけた少年に出くわした。

 キュウタはいつもの柔らかな笑顔でうなずく。


「どうも」

「よう、キュウタ。サザレは裏の厨房にいるぞ」


 アルハーンがその方向を親指でくいっと指してみせる。


「あ、そうなんですか。リネッサさんも一緒ですかね?」

「ああ。ここ最近で、ずいぶん仲良くなったみたいだな。今ごろ女同士、愚痴に花を咲かせているんじゃないか」

「ちょっと怖いですね、それ」


 困ったように指で頬をかくキュウタに、人懐っこい笑顔でアルハーンが続ける。


「じゃあ、俺はまだ仕事が残ってるんでな」


 そう言ってすれ違おうとしたアルハーンを、キュウタが背中から呼び止める。


「そうだ、アルハーンさん。ちょっといいですか」

「ん、何だ?」


 少しばかり真剣さが込められたキュウタの声に、アルハーンは足を止める。


「明日のことなんですが」

「ああ。明日がなんだ?」

「朝から昼すぎまで、子供たちと一緒に幼年部の寮の建物の中に詰めていて下さい」


 普段の控えめなキュウタとは少し違う、断固とした意思をアルハーンは感じ取っていた。

 視線を鋭くしたアルハーンが腕組みをして、今の言葉を咀嚼するように首をかしげる。


「……どういう意味だ?」


 キュウタのまっすぐな眼差しがアルハーンに向けられている。


「そのままの意味です。学院側からも後ほど同様の指示がいくと思います。とにかく、寮の中から出ちゃ駄目ですよ」


 はっきりとした物言いで念を押したキュウタが、学院の建物の中へと入っていく。

 アルハーンはその背中をぽかんとした顔で見送っていた。



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