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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (15)

 部屋の中は薄暗く、テーブルの上の蝋燭ろうそくあかりがオレンジ色の光を控えめに投げかけている。


 ぽたり、と水滴が床板に落ちて灰色の染みを作った。


 ラッチとエマの濡れた服は部屋の中に吊るされている。

 リネッサ・エンテネスはサザレが家の奥から出した柔らかい布を借り、くすぐったそうにするラッチとエマの体から丁寧に水気を拭き取っていた。


 大槻キュウタとサザレが住んでいる家は、幸運にも四阿あずまやからほど近い場所にあった。

 アルハーン・サウドの言葉通りに強さを増した風雨。子供たちを連れて早く寮へと戻りたいというリネッサだった。だが、「空模様が落ち着くまで」というキュウタの提案に一考し、結局雨宿りすることを決めた。


 アルハーンは椅子に腰を下ろし、テーブルに頬杖をついてリネッサと子供たちの様子を見ていた。

 湯を注いだ木のカップが目の前にそっと置かれる。それに気付き姿勢を正したアルハーンが、向かいに座ったキュウタに頭を下げた。


「大勢で押しかけてすまないな」


 閉めきった窓が風に揺すられ、がたがたと小刻みな音を立てている。子供たちを連れて歩くには少々危なっかしい状況かもしれない。

 自分のカップに口をつけて、キュウタが笑う。


「いえ、構いませんよ。ゆっくりしていって下さい」


 その時、リネッサの手からするりと抜けだしたラッチとエマが嬌声を上げて家の中を走り回りはじめた。裸の子供たちがぐるぐるとテーブルの周りを騒がしく駆け、リネッサがその後ろから「こらっ、おとなしくしなさいっ」と布を振り回しながら追いかける。


 賑やかな雰囲気のなか、落ち着いたたたずまいを崩さないアルハーンが、壁にかけられた『黒いローブ』に視線を向けた。


「キュウタ……といったな。君は『魔法教導学院』の生徒なのか?」


 アルハーンの視線を追いかけたキュウタが、自嘲するような笑みで肩をすくめる。


「一応、籍だけは置いています。ただ、講義をまともに受ける暇がなくて。腰を据えて学ぶには良い環境だと思うんですが」


 先日交わした会話の内容がアルハーンの頭のすみをちらりとよぎる。


「ああ、仕事をしているんだったか。まずは稼いで食っていけなきゃ、落ち着いて学ぶどころじゃないか」

「ははは。ま、そんなところです」


 二人が座るテーブルを中心にして、相変わらず部屋中を駆けまわる子供たちとリネッサ。それを微笑ましく眺めていたキュウタがふと気づいたように言った。


「そういえば、アルハーン……さんはどうしてあの場所に?」


 問われたアルハーンが、褐色のシャツの肩口に刺繍された紋章を指してみせる。


「俺が所属している『組合』が、学院から仕事をけたのさ」

「仕事?」

「ひらたく言えば用心棒兼、雑用係ってとこだな」


 キュウタが視線を天井に向けて考えこむ。


「学院のある辺りって、治安は悪くなかったと思いますけど……」

「力仕事に気安く使える人間が入用いりようなんじゃないかな。もしくは腕白盛わんぱくざかりの子供を捕まえる人手とか、な」


 言うが早いか、アルハーンがひょいと片手を背後に伸ばした。リネッサの手からすばしっこい身のこなしで逃れ続けていた裸のラッチの足を捕まえて、逆さに持ち上げる。

 宙吊りになったラッチはきょとん、と一拍おいてから大喜びで声を上げた。ラッチに向けられるアルハーンの灰色の瞳は優しげで、それをキュウタは少しばかり意外に思う。


 そして少年を無言で差し出す笑顔のアルハーンから、リネッサが奪い返すようにラッチを抱き取る。

 キュウタは、リネッサの物腰、特に彼女のアルハーンに対する態度の中に何か張り詰めたものを感じていた。だが、不必要に詮索するのも無作法に思え、キュウタは言葉を飲み込んだ。


 彼の表情からその心内こころうちを読み取ったのか、アルハーンが肩をすくめて笑みを浮かべる。


「彼女はどうも俺のことがお気に召さないらしい」


 男同士の内緒話とでもいう按配あんばいで声を潜めるアルハーン。それに釣られたキュウタも思わず声を低くする。


「何か心当たりが?」


 アルハーンはテーブルに立てかけた刀をぽんと叩いて唇をへの字にした。


「さあな。ま、あまさんが戦士やいくさを嫌うのは分からなくもない。イリユヌスってのは平和と隣人愛をく教えじゃなかったか?」

「確かにそんな感じですね。僕も信徒じゃないので詳しくはないんですが」

「あ、そうなのか? 魔法教導学院ってのはフィロマ教会がかねを出していると聞いたから、てっきりきみ信徒そうなのかと」


 手をひらひらさせながら、キュウタが言い訳するような顔になる。


「たとえ生徒でも、入信は義務じゃないんですよ。特にカノンブルヌみたいな街だと、色々な信仰を持っている人がいますし。優秀な人材を集めるには、細かいところに目をつぶる必要があるんでしょう」


 アルハーンの灰色の瞳がきらりと輝く。


「どの神を信じるかを、『細かいところ』と言うか。なかなか思い切った言葉だな。君という人間が少し見えてきた気がするよ」


 にやりとするアルハーン。

 一瞬、目を丸くしたキュウタが呆れるような笑顔になる。


「ただの言葉のあやですよ。他意はありません」


 アルハーンが木のカップに口をつける。中の湯はすっかり冷たくなっていた。


「気を悪くしたなら謝る。君や、君が信じる神を侮辱するつもりは無かった」

「アルハーンさんって、ときどき大げさな言い回しになりますよね」


 くっくっ、と喉の奥から笑い声を漏らしてアルハーンは目を細めた。


「根が古風なのかもしれんな。俺が育った部族の中でも、同じ年頃の連中はもっとこう……くだけた感じの奴が多かった」

「お生まれは海を越えた南の砂漠、でしたっけ」

「ああ。隊商キャラバンで日銭を稼ぐ部族だ。ラクダに塩ときんを載せて、行ったり来たりの気楽な暮らしさ」


 キュウタが興味深げに身を乗り出す。長い年月を生きている彼でも、普段知ることのない土地や文化の話には自然と好奇心が吸い寄せられるのだ。


「それがどうして西方諸国こちらほうに?」

「『命を買われた』のさ。さっき言っただろう、『戦士やいくさ』とな」


 アルハーンがそう言って茶目っ気のある顔でウインクしてみせる。キュウタはほんの少しだけ首をかしげた。


「傭兵、ですか?」

「確かに契約に基づいた仕事ではあったが……どちらかと言うと『奴隷兵士』だな。ま、奴隷と言っても待遇はかなり恵まれていたほうだ。倒した敵の首の数に応じて報酬も追加されたし、部族伝統の『青衣』を着ることも許されていた」


 カップを持つキュウタの手がぴくりと震えた。

 それを目ざとく察したアルハーンが謝るように手を小さく振る。


「ああ、すまん。血なまぐさい話は嫌いか?」


 だがキュウタのぽかんとした顔には、嫌悪感のようなものは無かった。なぞるような視線で自分の顔を見つめてくるキュウタに、アルハーンは不思議な思いで目をしばたかせる。

 少年がそっと言った。


「失礼ですが、いくさの相手は……?」


 アルハーンは淡々とした表情で、人差し指を床に向けてみせた。


「フィロマ帝国だ。だが、『旦那』が戦死して契約は失われた。心配しなくても、別に君たちに恨みは無いよ」


 ひょっとしたら少年に要らぬ警戒心を与えてしまったかと、アルハーンは申し訳ない気分になってしまう。だが彼が見たキュウタの瞳に表れていたのは、街で懐かしい知人に偶然出くわしたような色だった。

 アルハーンが覗きこむようにキュウタのほうへ顔を寄せる。


「キュウタ? どうかしたのか?」

「あ……いえ、なんでも」


 気まずそうな笑顔でやや視線を逸らしたキュウタ。その様子がアルハーンの心に一片の違和感を刻んだ。そしてアルハーンが再度口を開こうとしたとき、彼の腕を横から突っつく者があった。

 

「なーなー、それ、さわっていい?」


 裸に布を巻きつけただけのラッチが、テーブルに立てかけられたアルハーンの刀を見つめている。

 またか、とため息をついたアルハーンが部屋の中を見回す。これ以上リネッサの御機嫌を損ねると面倒なことになりそうだ。だがいつの間にか部屋からは女たちの姿が消えていた。


「ん、リネッサはどこに行った?」


「あっちー」と、ラッチが指さした扉の向こうから、かすかに食欲をそそる匂いが漂ってくる。耳を澄ませば食器の準備らしき物音もしていた。

 眉をひそめて視線を向けたアルハーンに、キュウタがまだ少しぎこちない笑顔で言った。


「まだ雨はみそうもないですし、ついでに食事でもいかがですか?」





 食卓は賑やかな空気が満ちていた。


 無邪気にはしゃぎながらスープやパンを口に放り込むラッチとエマに、リネッサは手を焼きつつもあたたかな視線を向けていた。

 それを「母親っぷりが板についている」とアルハーンがからかい半分に表現すると、リネッサは途端に不機嫌になり黙りこむのだった。そしてサザレはもともと言葉数の少ない人物である。結果として女性陣はもくもくと食事を続けていた。


 というわけで食卓で交わされた会話は、もっぱらキュウタとアルハーンの間のやり取りである。そしてそれは無難な物に終始した。

 カノンブルヌ市内の最近の景気に始まり、あそこの商店の品揃えがいい、日用品の修理ならあの工房が良心的だ、などなど。


 そして食事も終わり、腹のふくれた子供たちが睡魔に誘われ、こっくりこっくりしはじめた頃。

 キュウタは窓を少し押し開いて外の様子を見た。


「雨は上がったようですね。雲も切れはじめています」


 その言葉をあらかじめ知っていたかのようなタイミングで、サザレが奥の部屋から現れた。彼女の手には丁寧に畳まれた衣服が載っている。

 サザレはポケットに何かふだのような物をしまいながら、子供たちの服をリネッサに手渡した。すっかり乾いた服が持つほんのりとした『熱』に少しの奇妙さを感じながら、リネッサは半分寝ぼけている子供たちに手際よく服を着せていった。


 ラッチとエマの意識はそうする間にもどんどん薄れていく様子で、服を着せ終わった時には二人はほとんど眠っている状態であった。

 肩を優しく揺するリネッサにもまるで反応せず、今にも床の上にごろりと寝転がりそうな様子だ。困り顔で更に強く体を揺さぶろうとするリネッサを、アルハーンが横から静かに抑えた。


「歩きまわって疲れたんだろう。そのまま寝かせておけ」


 そう言うが早いか、アルハーンがラッチとエマを二人まとめて軽々と両手で抱え上げる。彼が子供たちに向ける眼差しは穏やかで、何事かを言いつのろうとしたリネッサも口をつぐむだけだった。


 扉を開けるとひんやりとした外気が彼らを包んだ。

 見上げる空は薄暗く染まりつつあり、ところどころ星がまたたきはじめている。


 戸口で見送るキュウタとサザレに、リネッサが深々と頭を下げる。


「ありがとうございました。食事までいただいてしまって」

「いえ、僕たちも楽しかったですよ」


 キュウタの隣でサザレも小さくうなずいてみせる。彼女の唇にほんの少し柔らかい笑みが浮かんでいるように見えるのは気のせいではないだろう。

 子供たちを抱えたまま、アルハーンがキュウタに振り向いた。


「君もたまには学院に来るんだろう? その時はまた食事でもしよう」

「ええ。その時は」


 そう言ってアルハーンは歩き出した。その足取りはあくまで柔らかく、抱えている子供たちを起こすまいとする意図がうかがえる。

 アルハーンの腕のなかで安らかな寝息を立てているラッチとエマをちらちらと気にしながら、リネッサは手持ち無沙汰な様子で彼の隣を歩いて行く。


 やがてアルハーンの大きな背中が道のかどを曲がって消える。

 キュウタはそれをじっと見送っていた。しばらく前からどこか妙な雰囲気が続くキュウタをちらりと見上げたサザレが、怪訝そうな表情を浮かべた。


「キュウタ? 何がそんなに可笑おかしいんですか?」

「いや、世間は狭いと思ってさ」


 含み笑いを飲み込みながら、キュウタは夜空を見上げた。

 雲ひとつない星空と、街を包む雨上がりの澄んだ空気。


 明日はいい天気になりそうだった。



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