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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (14)



 階段を降りた先には薄暗く広大な空間が広がっていた。


 この場に満ちる、じっとりと湿った静寂さを際だたせるように、規則正しく並んだ無数の巨大な石柱。それらの表面には、緑色のこけが薄く張り付いている。


 そしてここが建造された最大の『目的』が圧倒的な存在感をもって鎮座していた。


『水』である。


 カノンブルヌ市外の水源から引きこまれた大量の水が、この地下貯水池にたたえられているのだ。加速度的な人口増加にさらされ続けるカノンブルヌにとって、淡水の確保は時代を問わず重要な課題だった。


 その課題への解答の一つとして、ここが造られたのだ。

 千年近い歴史を持つしんとした暗闇のなか、ランプの小さな炎が灯っている。その横で黒いローブを身につけた二つの人影がうごめいていた。

 紙の上にペンを走らせているのは大槻キュウタである。


「じゃあ、ここは比較的軽微な被害ってこと?」


 筆を止めたキュウタが、ペン軸を唇に当てて考えをまとめるように言葉を出す。


 彼の傍らで石柱にそっと手を当てて瞳を閉じていたサザレがゆっくりと目を開けた。地面に置かれたランプの光が照らし上げる彼女の相貌は、大理石の彫刻のように滑らかな輪郭を描いている。


「はい。内壁の一部に亀裂が入る程度のようです。ほぼ無傷と言って構わないでしょう」

「へえ。頑丈に作ってあるんだな」


 確かに大人が両手を伸ばしても、半分も抱えられないほど太くがっしりとした石柱の数々である。強度にはかなり余裕がありそうだ。この施設の念入りな造りを見るに、時の権力者が帝都における水という資源をどれだけ重要視してきたかが想像できる。

 柱の表面に刻まれた彫刻を眺めながら、キュウタは過去の建築家たちの仕事に敬意を表するのだった。

 

 そして筆記用具を袋にしまうと、キュウタは立ち上がって大きく伸びをした。狭く暗い場所での細かい作業が続いて、肩や腰が強張こわばり始めている。

 黒いローブについた汚れを払いながら道具袋を背負う。キュウタとサザレは数日掛けてカノンブルヌの重要そうな施設を見て回っており、おおよその『目算』はつきつつあった。


「よし、水道橋の補強を優先しようか」

「私もそれがいいと思います」


 二人で地下貯水池から地上へと出る階段を上りながら、キュウタが残念そうにつぶやいた。


「術式で再現した『硬化』魔法は、大規模な構造物に対して作用させにくい。そして僕の原初魔法でも、効果時間の限界はある。カノンブルヌ全体を網羅するのはやっぱり無理だな」

「何もしないよりはずっとマシです」


 静かに言い切る背後のサザレに、キュウタは思わず足を止めた。サザレも歩みを止め、突然立ち止まったキュウタを不思議そうに見上げる。

 キュウタは、ここしばらくサザレが見せている熱心さの理由がようやく分かった気がしたのだ。


「サザレ。この街が好き?」

「はい」


 少女の青く大きな瞳にはまっすぐな光が在った。


「キュウタはどうですか?」


 問われたキュウタが頬を指でかきながらサザレを見つめる。やがて彼は静かに息を吐き出して笑顔になった。


「そうだな。僕もいい街だと思う」


 そういえば、しばらく前にも似たような話を誰かとしたなと、キュウタはほんの少しくすぐったい気持ちを覚えた。


 階段を上がりきった先にある木の扉を開けて、二人はようやく地上へと戻った。


 ここは帝都の中央市街のような雑多な賑わいとは、少し距離を置いた静かな場所だ。それでも人通りが途切れることはないのはカノンブルヌという街の活力を裏付けるものなのだろう。

 ところどころ水たまりのできた石畳。表面は緩やかな曲面に削られ、それが経験してきた年月の長さを匂わせている。

 周囲の建物もやや古びたおもむきのものが多い。ここは数世紀前までは王や貴族の住まいが立ち並ぶ区域であったらしい。だが今ではそれらの多くは宗教及び商業施設へと転用されているということだ。


 雨雲は相変わらず空を覆っているが、今までいた地下の暗さに比べれば思わず目を細めたくなる明るさだ。見上げた空から落ちてくる雨はやや小降りになったように思える。

 キュウタは腰に手を当てて一つ息をつく。


「さて、とりあえず今できることは終わりかな」

「そうですね」


 サザレが隣でうなずく。

 あとは『当日』に備えて細かな行動計画を練るだけだ。

 その時が来たら、きっとカノンブルヌはひどい混乱に陥るだろう。命を落とす者も少なくないはずだ。


 すべてを救う方法は無い。

 だが少しでもその不幸を軽くすることが出来るなら。その力が自分にあるのなら。


 キュウタは握りしめた自分の拳を見つめる。

 拳に力がぎゅっと入り、少年の視線が徐々に険しくなっていった。


 そこで彼は糸が切れたようにふっと力を抜いて息をつく。

 これはきっと綺麗事だ。ただの気まぐれであり、自己満足なのだ。

 他人の人生の幸不幸を左右できるなど、思い上がりも甚だしい。


 自分は、神でもなければ英雄でもない。ましてや正義の味方などでは決してない。目的のためにはあらゆるものを見境なく利用して使い潰す。二十万年近い時間をそうやって積み重ねてきたのだ。そんな道しか見つけることができなかったのだ。

 これが大槻キュウタという人間の限界なのだと、彼は痛切に気付かされていた。


 その時、キュウタの手を優しい温もりが覆う。軽くうつむいたサザレが彼の隣に寄り添っていた。少女の両手は祈りを込めるように少年の手を包み込んでいる。


「キュウタ。あなたが進みたいと思う道が、きっと正しい道です。私はそう思います」


 サザレの指先にきゅっと力が込められる。

 キュウタは目を閉じて、ゆっくりと心のしこりが取り除かれていく感覚に身をゆだねた。

 サザレがいなければ自分はとうの昔にくじけていたに違いない。感謝、などという言葉ではまるで足りない。


 彼女が与えてくれたものに見合う何か。いつかそれを見つけ、返すことができればいいのだがとキュウタは思う。

 だが今すぐでなくても大丈夫だろう。時間はまだまだあるのだから。

 キュウタはサザレの手をしっかりと握り返して微笑んだ。


「ありがとう。今日はもう帰って休もう」


 サザレが黒いフードの陰でにっこりと頷きかえす。


 そしてキュウタは歩き出そうとした。だが、そのとき彼の体が、がくんと止まった。


 サザレがキュウタの手を掴んだままその場で立ち尽くしていたのだ。

 目をぱちくりさせてサザレの様子をうかがうキュウタ。少女の視線が、彼らの背後にある上り坂の向こうへと投じられている。


「サザレ? あっちがどうかしたの?」


 釣られるようにそちらを見たキュウタの視界には、特に興味を惹かれるようなものは映っていなかった。

 そこはちょうど人工物と自然が切り替わる境界と言える。

 建物の立地としても旨味に欠ける場所なのだろうか、石畳も途切れ、整備されていない草地やまばらな樹々の方へと道が続いているだけだ。もちろん目立つ建物もなく、今は人影も無い。


 だがサザレの鋭敏な聴覚が、か細く震える『声』を確かに捉えていたのだ。





 四本の木柱と簡素な屋根で造られた四阿あずまや。それはカノンブルヌ市民の休憩所として、市街のあちこちに点在している。


 屋根から滴る雨粒がまた一つ、地面の草に落ちて細かな飛沫となった。


 板を横に渡したシンプルな構造の腰掛けにちょこんと二つの小さな人影が座っている。


 少年と少女が、四阿あずまやの屋根の下からぼんやりと雨を眺めている。年の頃はどちらも五歳か六歳だろう。

 短めの金髪を頭の両側でくくった少女が、ぐずるように隣の少年を突っつく。


「ラッチぃ。あたし、かえりたい」


 ラッチと呼ばれた少年が不思議そうな視線で返す。


「えー。だって、エマが『いきたい』って、いったんだよ?」

「うん……でも、つかれた」


 しょんぼりとうなだれる、エマと呼ばれた少女。


「うーん」


 ラッチはベンチに腰掛けたまま足をぶらぶらさせて考えこむ。だが解決策を思いつくことは無かった。


 前々から街を探検してみたいと思っていたところに、少女の『お願い』を渡りに船として、特に考えもなしに寮を抜けだしたのだ。


 正直、空腹感も強くなってきて考えもまとまらなくなってきている。心はぐるぐると同じところを走り回るだけで、少年は動き出すきっかけを見出だせずにいた。だが、ラッチ自身はそれに不安や心細さを微塵も感じていない。それは経験不足から来る怖いもの知らずではなく、彼生来の器の大きさの証だった。


 そして雨による肌寒さを和らげるように、ラッチとエマは自然と寄り添って肩をくっつけている。これからの方針を相談することもなく、二人は相変わらずぼんやりと風景を見ていた。


 ふと、二人の背後に足音が現れた。


 何の気なしに振り返ったラッチの口から、言葉にならない中途半端な音がもれる。


「あー」

「だ、だれ?」


 人見知りしがちなエマがラッチの腕にぎゅっとしがみついて体をこわばらせる。

 ラッチが口を半開きにしてのんびりと言った。


「こないだのおねえちゃんだー」


 子供たちの前に立っている、黒いローブ姿の二人組。

 彼らはどこか意外なものに出くわした顔でラッチとエマを見つめていた。

 ローブのフードをちらりと上げた片方の人物が、呆れるような声を出す。


「あなたたち、ここで何やってるの?」


 サザレの問いかけに、ラッチが即答する。


「ダイセイドーにいきたい」


 少年の答えに、キュウタがサザレの隣で首をひねる。


「だい……何?」

 

 舌っ足らずな一本調子の発音で、何のことか一瞬戸惑うキュウタ。だがすぐに『大聖堂』のことだと思い至った。


「ああ……ええっ? 大聖堂って。街の反対側だろ?」


 思わず声が大きくなったキュウタに、エマがびくっとして瞳を潤ませる。


「ご、ごめんなさい……」


 怯える少女の様子に、キュウタが慌てて首を横に振った。


「あ、いや。怒ってるわけじゃないよ。ちょっとびっくりしただけ」


 腫れ物に触るような猫なで声になるキュウタ。こんなところで子供を泣かせでもしたらちょっとばかり困ってしまう。

 さてどうしたものかと思案するキュウタが、先ほどのラッチとサザレのやりとりを思い出す。


「っていうか、サザレ。この子たちのこと、知ってるの?」

「学院の幼年部の子です。お風呂から逃げだしたところを一度捕まえました」

「あ……そうなんだ」


 いまいち状況が想像できなかったが、身元がはっきりしているなら問題ないだろう。

 キュウタはラッチの横に座り、見上げてくる少年に笑いかける。


「ええと。僕はキュウタ。君は?」

「ラッチ。こっちがエマ」

「大人のひとは一緒じゃないの?」

「じゃないよ」


 物怖じせず答えるラッチ。

 わざとらしく腕組みをしたキュウタが目を閉じて考える素振りを見せる。やがて彼は片目だけを開けて、ラッチを優しい笑みで見つめた。


「ここから大聖堂はちょっと遠いかもね」

「そうなのかー」


 そしてラッチは足元に目を落として黙りこむ。

 キュウタはちらりとサザレに目配せしてから、再びラッチに言った。


「ラッチ。お腹すいてない?」

「すいた」


 彼が答えた時には、サザレがエマの隣に腰掛け、袋から食べ物を取り出し膝の上に広げていた。右手に握られたナイフは果実の皮を器用に剥き始めている。


 そしていつの間にか子供の口に合わせて切り分けてあったパンを、サザレが一つずつラッチとエマに渡す。

 きょとんとした目をする子供たちにキュウタとサザレが一緒にうなずく。


「それ食べたら僕たちと一緒に帰ろうか。幼年部は確か全員寮住まいだったよね?」


 半分はサザレへの問いかけであり、彼女は小さくうなずいた。

 そしてラッチがパンにかじりつく。


「うん。わかった。かえる」


 もぐもぐと口を動かしながら答えるラッチと、おそるおそるうなずくエマ。

 キュウタはローブの下で腕を組んで空を見上げる。雨が静かな背景音楽として彼らを包んでいた。のんびりとした時間がゆるやかに流れていく。もし、自分とサザレが本当の意味で『家族』になる日が来るとしたら、こんな風に子供を挟んでくつろいだりするのだろうか。

 キュウタはそんな事を考えている自分に少しばかりの意外さを感じる。


「にいちゃん、マホウつかえるの?」


 ふと自分に向けられた言葉にキュウタがラッチを見る。少年の視線は、キュウタの黒いローブに向けられている。これは魔法教導学院の生徒が着用する物であり、ラッチたちにも見慣れたものなのだとキュウタは気付いた。


「まあね。ラッチはどんな魔法が使えるんだい?」

「こんなの」


 そう言って、ラッチは片手を軒先から雨空の下へと差し出した。


 魔力の発現する気配とともに、キュウタは肌に微かな冷気を感じ取った。


 ラッチの手のひらの上で、雨粒が白い『雪』の結晶へと変化し、ちらちらとまたたいている。


「『氷結』か。僕の原初魔法と少し似てるかな」


 キュウタはそう言って、足元の薄い水たまりに指を当てた。そして彼がゆっくりと指を持ち上げると、『硬化』した水たまりが円盤のような形になって一緒についてきた。


 キュウタは茶目っ気のある笑顔になり、ラッチの前で硬化した水の円盤をくるくると回してみせる。「おー」と声を上げたラッチが瞳を輝かせた。エマも目を丸くしてキュウタの魔法を見つめている。


 自分の力がこんな風に人を惹きつけることがあるなど、気が遠くなるほどの時間を生きてきたキュウタにとっても意外な発見だった。





 雨にも関わらず、通りをゆく人々や荷車はそれなりに多く、それが逆にリネッサ・エンテネスの不安をかきたてる。


 外套の下へと染みこむ雨粒や、靴からじわじわと伝わる濡れた地面の冷たさも、リネッサの気分を滅入らせていた。


 だが彼女が感じる不愉快さの最大の原因はそこではなかった。


「少し離れて歩いてもらえませんか?」


 リネッサの隣にぴたりと付き歩くアルハーン・サウドが、唇の片側を器用に持ち上げて、からかうような微笑を作る。


「もし俺が迷子になったら探してくれるのか?」

「お断りします」

「そう言うと思ったよ」


 くっくっと含み笑いをするアルハーンにリネッサが目を剥く。


「もう少し真面目に探して下さい。雨のなか、子供たちだけで出歩いているんですよ?」


 口元に笑みを浮かべ、それでいて油断なく左右を見回しつつアルハーンが応じる。


「ラッチなら大丈夫だと思うがな」


 せわしげな早歩きで進みながら、リネッサがとげとげしく言った。


「どうしてそんな無責任なことを言えるんです?」

「どこか俺に似てる気がするのさ、あの子は」


 げんなりとため息を吐き出すリネッサ。


「それが『大丈夫』の理由になる意味が分かりません」

「そりゃ失礼。だが、無茶や我儘わがままを通すような子にも思えなかった。女の子も一緒なんだろ? そうそう危険なものに近づいたりはしないんじゃないかな」


 何を知ったふうなことを、とリネッサは思う。だが彼女がラッチの性格に抱いている感想がそれに近いのも事実だ。リネッサは口を閉じ、むっつりと黙りこんで歩き続ける。


 ふと、最前まで自分の隣にいたアルハーンの気配が遠ざかっていることにリネッサは気付いた。

 足を止めて背後を振り返る。彼は長身の背をわずかに反らしてどこか遠くのほうを見つめていた。その真剣な眼差しに、リネッサの鼓動が軽く跳ねる。

 彼女の動揺に気付く様子もなく、アルハーンはぽつりと言った。


「向こうだ」


 それだけを口にして、彼は人気ひとけのない坂道へと歩き出した。その足取りに迷いはない。左手が無意識に腰帯に差した刀の位置を整える。


 きびきびとした彼の歩みは驚くほど速く、小走りのリネッサは坂の中ほどでようやく追いついた。

 アルハーンは前方に最大限の警戒心を注ぎつつ、片手を上げてリネッサに『後ろにいろ』と無言の意思表示をする。

 

 今しがたの軽い調子から、打って変わってただならぬ様子に変貌したアルハーン。リネッサが思わず声をひそめて尋ねる。


「ちょ、ちょっと。どこ行くんですか?」

「『力の気配』だ」

「ちか……え、何です?」


 わずかに歩を緩めたアルハーンが神経を周囲に張り巡らす。先日の夜の、獣のような女との『戦い』が記憶をかすめる。


「こっちの話だ。とにかく、俺の前に出るなよ」


 そして一歩一歩、確かめるような足運び。

 建物がまばらになり、自然のままの風景が増えていく。そして坂を上り切るあたりに小さな四阿あずまやの姿が現れ始めた。


 アルハーンが感じた『力の気配』の出どころはあそこで間違いない。いくつかの人影も見えた。呼吸を整え、いかなる状況にも対応できるように全身から力を適度に抜く。


 その時、アルハーンの横をリネッサが止める間もなく駆け出していった。

 思わず手を伸ばしかけたアルハーンを、リネッサの叫びが思いとどまらせる。


「ラッチ! エマ!」


 リネッサの声に、四阿あずまやの下で腰掛けに座っていた小さな人影が喜色を浮かべて立ち上がる。


「リネッサねえちゃんっ」


 エマは雨も気にせずリネッサに走りよった。

 顔を輝かせてリネッサの胸に飛び込んだ少女。その小さな体をしっかりと抱きかかえたリネッサの表情に、ようやく安堵のがともる。


 ぽかんとしていたアルハーンの思考がようやく回転を取り戻す。なんだか道化になった気分だった。それでも、いくぶんかの警戒心は残したまま、彼も四阿あずまやへと近づく。

 

 やがてその場にいる人物の姿が完全に視界に収まる。ラッチは相変わらずぼんやりとした顔で座っていた。特に怪我なりしているわけではなさそうで、アルハーンも内心でほっと息をつく。

 

 そして子供たちの横に座っている二人の人物に目が行く。彼らの黒いローブには見覚えがあった。魔法教導学院で見かけた生徒たちと同じ格好だ。十五かそこらの年頃の少年少女だろうか。


 彼らのそばまで近づいたアルハーンに、ようやくリネッサとエマの会話が聞こえてくる。


「あのね、おねえちゃんにパンもらったの。あとリンゴも」

「あら、良かったわね。お礼言った?」

「うん、いったよ」


 リネッサがサザレに向き直り頭を下げる。


「サザレさん、でしたよね。ありがとうございました。またうちの子たちがご迷惑をおかけしたみたいで」


 サザレが戸惑い気味に首を横に振る。


「あ、いいえ……そんなことは無いけど」


 そんなやり取りを微笑みながら見守っていた少年の顔を見て、アルハーンが声を上げた。


「おや、君は」

「えっ?」


 そしてキュウタの目が丸くなる。


「ああ。あなたは、この間の。偶然ですね」

「そう……だな」


 偶然。果たして本当にそうなのだろうか。キュウタの屈託ない表情をアルハーンは注視していた。

 この黒いローブを身につけているということは、少年もまた魔法に関わりのある人物であるはずだ。


 まっすぐに見つめるアルハーンの視線に、キュウタは戸惑うような笑いを浮かべている。


 そして『少し似ている』と、アルハーンは感じた。

 あの時、戦場でまみえた『白仮面の男』と、いま目の前にいる少年の姿。だが断定するだけの確証も無い。

 アルハーンは細心の注意を払いつつ、探るような目で言った。


「ひとつ、聞いていいか」

「はい?」


 キュウタが目をしばたかせた。

 アルハーンの左手は、刀の鞘にそっと当てられている。


「君は『魔法』で」

「うん、マホウだよー」


 アルハーンとキュウタの間に横から割り込んできたのはラッチの声である。思わずそちらに視線を向けたアルハーンは、ラッチの手のひらの上できらめく『雪』を目にした。そしてラッチの体から『力の気配』がにじみだしていることにも気付く。

 それを苦笑まじりに見つめるキュウタの優しげな眼差しに、アルハーンの最後の警戒心はいつの間にか取り払われていた。

 ふっとアルハーンに視線を戻したキュウタが言う。


「あ、すいません。魔法が、何です?」

「……いや、なんでもない。忘れてくれ」


 かすかに眉をひそめたキュウタに、アルハーンが力無く首を振ってみせた。『白仮面の男』にこだわりすぎて目が曇っているのだろう。剣に限らず、無駄に入った力は往々にして足を引っ張るものだ。


 アルハーンは心を鎮めるように大きく息を吐き出して、空を覆う雨雲をちらりと見上げる。先ほどから少しずつ空気の流れと匂いに変化を感じていた。

 

「それよりも。風が少し強くなりそうだ。どこかちゃんと屋根のある場所に移った方がいいな」




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