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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (13)

 石畳を叩く雨粒の音が、街全体を平坦な雑音で包んでいた。


 見上げれば鉛色の分厚い雲が帝都カノンブルヌの空を覆い尽くしている。

 

 朝から続く肌寒さは昼近くになってもやわらぐ気配がない。窓の外を見つめるリネッサ・エンテネスの両手は、無意識に自分の体を抱え込んでいた。

 

 やがて彼女は気を引き締めるように、頬を平手で軽く叩く。そして静かに開けた扉の先は、カノンブルヌ魔法教導学院幼年部の寮施設の一室、子供たちの学習にも使われている大部屋だ。朝食の後片付けから続く、こまごまとした雑事を済ませたリネッサはいつも通り子供たちの世話をしようとしている。


 十数人の子供たちが部屋のあちこちで思い思いに過ごしている風景。はしゃぎながら何人かで組んずほぐれつしている者もいれば、孤独に積み木で遊んでいる者もいる。


 色々な個性が寄り集まったこの空気がリネッサは好きだった。日々成長し、目まぐるしい変化を続ける子供たちとの生活は、それこそ毎日が新鮮な発見の連続なのだ。


「リネッサおねえちゃんっ」


 部屋に現れたリネッサに気付いた、五歳ほどの一人の少女。彼女はリネッサの腰にぎゅっとしがみついてまんまるな瞳で見上げてくる。

 優しい笑みでその頭を撫でながら、リネッサは言った。


「ん、どうしたの?」


 少女は乳歯が数本欠けた笑顔で無邪気に答える。


「ラッチとエマがねー。いっしょにー、そとにでてったー」


 リネッサは頬をひくつかせ、その微笑みを凍りつかせた。




 大槻キュウタは、やや目深になったフードの端を持ち上げ、塔の屋上から彼方かなたへと視線を投じた。


 彼の後ろに付き従うサザレも青い瞳でじっくりと周囲を観察している。


 二人は魔法教導学院の生徒であることを示す黒のローブをまとっている。布地や縫製がしっかりしているこの服は、今日のような天気がすぐれない日の外出用にもなかなか便利だった。


 原初魔法の『硬化』で風雨を容易にしのぐことのできるキュウタだが、時にはありのままの自然を体感することも必要だと思っている。


 雨に煙る視界の先には草原と街道が横たわり、馬車や旅人の姿もぽつぽつと見られる。


 帝都『カノンブルヌ』は三方が海に面した、攻めに難く守りに易い土地だ。

 市街地へと陸路で入ることができるのは西方面のみである。そこには外敵への備えとして長大な城壁が築かれている。ほりと二重の壁で構成されたそれは、実に千年近い歴史を持っていた。


 そしてカノンブルヌがその歴史のなか幾度となく経験したいくさにおいて、この城壁はただの一度も敵に突破されたことは無いのだ。

 城壁には一定の間隔で物見塔が設けられている。そこには昼夜を分かたず兵士が監視役として詰めており、突然の敵襲に備えている。


 いまキュウタとサザレが立っているのもその物見塔の一つだ。ここの衛兵にはあらかじめ話が通っており、キュウタたちが塔に立ち入る際にも面倒事が起きたりはしなかった。フィロマ教会とのコネはこんなちょっとした時にも役立つのだ。


 しばらく街の外側を見つめていたキュウタは、振り返ってカノンブルヌの市街地へと目を向けた。少年の瞳に浮かぶ思索の光は、目に映る現在の風景ではなく、近日中にカノンブルヌを襲う『災い』に向けられている。


 サザレから発せられていた、魔力の発現の気配がふっとかき消える。キュウタは彼女が見るべきものを見終えたことを察してちらりと振り返る。


「どう?」


 簡潔な問いだが、サザレにはそれで十分通じた。


「城壁については、三ヶ所ほど大きく損壊します」

「三ヶ所か……互いにどれくらい離れてる?」

「徒歩で約三十分圏内ですね」


 キュウタが唇に指をあてて考えを巡らす。


「一応、何とかなる距離だな」


 彼の独白に、こくりとうなずくサザレ。


「今のところ、未来視で捉えた光景は一部曖昧です。『その日』が近くなれば、正確な時刻までえるはずなのですが」


 いつになく真剣なサザレにキュウタは気楽に肩をすくめてみせる。


「行動予定の指針が組めるだけでも十分じゅうぶんだよ。次は街を一通りまわってみよう。実際にその場所に行ったほうが未来視は明瞭になるんだろ?」

「はい」


 キュウタはもう一度塔の上から見渡せるカノンブルヌの町並みを心に収める。多くの人の人生が確かに、ここにあるのだ。


『人助け』など、がらでは無いのは分かっている。それでも、二人は自分の心に忠実に行動しようとしていた。

 黒いローブのフードをかぶり直しながら、キュウタはサザレに言う。


「この『事件』が魔法発達の歴史に影響を与えないとしても、僕らにできることはやっておこう」





「おお、これは都合がいい。ちょっといいかな、リネッサ」


 外套を片手に寮の廊下を小走りに進むリネッサを、後ろから呼び止める声がした。

 つんのめりながらも、リネッサは何とか体勢を立て直し、引きつった笑顔と体裁を取り繕う。


「は、はい、司祭様。何でしょう?」


 濃紺の修道服を着た老司祭が、半開きになった扉から顔をのぞかせている。白い髭と眉が長く伸び、人の好さそうな雰囲気を醸し出していた。事実、彼の穏やかな性格は信徒や子供たちからも人気があり、カノンブルヌにおけるイリユヌス教の浸透に一役買っていると言っていいだろう。カノンブルヌ魔法教導学院幼年部の責任者としても、うってつけの人物だった。


 どこか焦燥を浮かべているリネッサに首をかしげた老司祭。だが別段そこをとやかく言うことも無く、彼は扉を完全に開いて廊下に歩み出る。


 一刻も早く外へと急ぎたいリネッサだったが、老司祭の後について部屋から出てきた人物を目にして、彼女は目を大きく剥いた。


「し、司祭様。そ、その人は……」


 長身の体に褐色のシャツとズボン、腰にはこの場にはまったく不似合いな『刀』を下げている。

 つい先日、ラッチの隣にいた男だ。

 リネッサの態度に気づかぬまま老司祭が男を指して紹介する。


「学院が『組合』から雇い入れたかただ。最近は色々と人手不足なことがあるからな」


 老司祭の促すような視線に、男が小さくうなずいてリネッサの前に立ち軽く頭を下げた。


「アルハーン・サウドです。何かあれば遠慮無くどうぞ」


 しばらくその場で固まっていたリネッサが、少しずつ険しい顔に変わっていく。


「……子供たちの世話でしたら私だけで足りているつもりです」


 リネッサの言葉の裏に潜む不愉快さを何と思ったのか、老司祭は柔らかな眼差しで応じる。


「主な仕事は学院施設全体の見廻り作業だよ。ま、それ以外にも、こまごまとした用事も手伝ってもらえるとか? なんだか申し訳ない気もするが」


 アルハーンは背筋をぴんと伸ばしたまま誠実そうな口調で応じる。


「お気になさらず、司祭殿どの。そういう契約ですから」

「ふむ。ではお言葉に甘えるとしようか。色々と面倒な頼みごともするかもしれんがね」

「私でお役に立てるなら」


 はきはきとした青年の言葉に、老司祭は目元をさらに細める。どうやらアルハーンという人物を少なからず気に入った様子だ。むっとしたリネッサが思わずアルハーンをとげとげしい視線で睨みつける。


 アルハーンは真面目くさった表情のなか、唇にからかうような笑みをほんの少しだけ浮かべている。それがリネッサの心をさらに苛立たせた。


 老司祭はリネッサの物々しい反応にようやく気づいたのか、髭を撫でながらしばし考え込んだ。

 ふとリネッサが持つ外套に目を落とした老司祭が口を開く。


「ん? リネッサ、今から外出かね?」


 はっと顔を青ざめさせたリネッサが口ごもる。そうだった、大事なことを忘れていた。


「え、ええと、実は……」


 おずおずと切り出したリネッサの話を聞き終わると、老司祭は目元の皺を一層深くして微笑んだ。


「ふむ、ラッチか。あの子も元気なのはいいんだが、時々行き過ぎるきらいがあるな」


 言葉とは裏腹にどこか楽しそうな反応だ。重ねた年齢のなせるわざか、彼のふところの深さにはリネッサも呆れる時がある。

 リネッサが疲れきったため息とともに両肩を落とす。


「申し訳ありません。私がちゃんと見ていなければならないのに……」


 眉間にしわを寄せて自身を責めるリネッサに、老司祭は後ろで手を組んで窓の外を眺めやる。


「いやいや。きみは良くやっているよ。それにラッチに限らず、子供たちの奔放さは私たちにとっても大切なものだ。そう思わないか?」


 心に訴えかけるような老司祭の静かな声。返す言葉を見つけられず、リネッサは外套を握りしめて俯いた。

 老司祭が優しくさとす。


「悪い方へと考えこむだけでは、何も進まんよ。それで、今から探しに行くのかね?」


 どこか力無くリネッサが頷く。


「もちろんです。子供たちだけで出歩くなんて心配ですから。それにこの天気では体もすぐに冷えてしまいます」


 そう言って彼女は窓の外に視線を投じた。屋根や草地を叩く雨音は強くはないがむ気配はまだ感じられない。


 老司祭はリネッサとアルハーンを交互に見比べた。そしてにっと笑ってから、直立不動しているアルハーンを見上げる。


「ではアルハーン殿。早速で申し訳ないのですが」


 老司祭の意を察したアルハーンは一も二もなく頷いた。


「ええ、喜んでお手伝いします。ですが、私はまだカノンブルヌの街には不案内な身なので」

「ではリネッサ。彼と一緒に探しに行きなさい。子供の足だ、そう遠くには行ってないだろう」


 思わぬ成り行きにリネッサが泡を食って視線を右往左往させる。若い男性と一緒に街を歩くなど、彼女の立場でははしたない行為そのものなのだ。


「え……いや、あの、その」

「寮の子供たちは私が見ておくから心配しなくていい」


 白々しく逃げ道を塞ぐ老司祭。そして彼はリネッサの肩に優しく手を置いた。まるで孫に語りかけるような口調だった。


「いつも張り詰めていては気がたん。たまには気分転換もいいだろう」

「私は……」


 何かを言いかけたリネッサだったが、その唇からこぼれたのは結局は吐息だけだった。

 彼女は少しのあいだ黙ったまま足元を見つめていた。そして顔を上げたリネッサは事務的な口調で言った。


「ラッチたちを見つけたらすぐに戻ります」


 そしてむすっと唇を結んだリネッサに、アルハーンが手を差し出した。


「アルハーン・サウドだ。よろしく頼む」

「……リネッサ・エンテネスです」


 リネッサは差し出された手に背を向け、外套を羽織りながらのっしのっしと歩き出した。


 その様子を微笑ましく見つめていた老司祭が、アルハーンに目配せをする。小さな会釈で応じたアルハーンは、リネッサの少し後ろからゆったりとした足取りで追いかける。

 

 長身のアルハーンの歩幅は大きく、すぐにリネッサの背中に追いついた。その気配に彼女は不愉快そうに眉をしかめる。


 老司祭は二人の背中を見ながら小さく笑い声をもらした。肩をいからせるリネッサ、そしてその歩幅に合わせて歩くアルハーンの後ろ姿はどこかお似合いに思えたのだ。




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