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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (11)



 アルハーン・サウドはカノンブルヌの大通りを進んでいた。

 彼の頭上の太陽は真南をわずかにすぎている。


『組合』から支給されたシャツとズボンは相変わらず違和感があった。だからといって拒否権は無さそうだった。組合の構成員は所属を明確にするために、この服の着用を義務付けられているのだ。


 市街地を剣を持って集団でうろついたりする仕事も組合にはある。とにかく市民に無用な警戒心を抱かせないための知恵だ、と黒眼帯の男は言っていた。組合自体の『宣伝』も兼ねているがな、と笑う黒眼帯の顔。それは戦士というよりは商売人というべきだな、とアルハーンは感想を持ったものだ。


 褐色のシャツの襟をゆるめて胸元に空気を入れる。砂漠生まれのアルハーンではあるが、湿り気のある暑さというものは不快なものなのだろう。


 アルハーンがようやく黒眼帯の男と落ち合ったのは、市場から街道へと抜ける巨大な石門の下だった。

 

「よう、アルハーン。迷わずに来れたようだな?」

「迷ったよ。幸いにも親切な人に道を教えてもらえたがな」


 アルハーンは腰に下げた小袋から殴り書きのメモを取り出し、相手の目の前に広げた。黒眼帯の男が書いた地図は方角も距離感も実にいい加減なものであり、辛抱強いアルハーンが途中で解読を諦めるほどの出来であった。

 悪びれる様子もなく黒眼帯が肩をすくめる。


「そりゃ結構。じゃあ行くぞ」


 そう言って黒眼帯はさっさと歩き出した。

 アルハーンは先行きに若干の不安を抱えながら、聞こえないように小さくため息をついて黒眼帯の隣に並んだ。


 この日、アルハーンは教会関連施設の見廻り仕事を始めるにあたり、仕事場を確認しつつ関係者との面通しを済ませる予定なのだ。

 黒眼帯がぼんやりと呟く。


「なあ、『魔法教導学院』の仕事を選んだのは、なんか理由があるんだろ?」


 アルハーンはちらりと黒眼帯の横顔を見る。だが、相手の目はちょうど眼帯に隠され、その表情を読み取ることはできなかった。

 

 アルハーンは歩きながら視線を足元に落とす。

 カノンブルヌに来た目的は特に秘密にしているわけではない。自分の考えをまとめる意味でも、アルハーンは少し正直に話してみようかと思った。


「実は、人を探している」

「はあ?」


 拍子抜けした声で黒眼帯がアルハーンを見る。

 相手の反応を特に気にする様子もなく、アルハーンは言った。


「魔術士、という者を見たことがあるか?」


 アルハーンの淡々とした問いかけに、黒眼帯は戸惑いつつもうなずく。


「ああ。仕事でも何度か目にしたことはある」

「どんな人間だ?」

「どんなって……普通の人間だぜ。まあ、ちっとばかし理屈っぽいっつうか、学者先生? ってやつなんだろうな」


 アルハーンが小さくうなずき返し、同意の意を示す。


「俺があちこちで聞き集めた話も、おおよそそんなところだ」

「……何の話をしてるんだ、お前?」


 どうにも意図をくみ取れない黒眼帯がじろじろとアルハーンを覗きこむ。

 息を静かに吐き出したアルハーンが記憶を掘り起こす。無意識に刀のつかに指が当てられる。


「以前、戦場で一人の男と出会った。おそらくそいつは魔術士だ」

「ふむ?」

「そして、そいつは俺より強かった」


 黒眼帯が額を押さえ、アルハーンを制するようにもう片方の手のひらを向けてくる。


「ああ? 待て待て待て。魔術士って『そういうもん』じゃねえだろ」

「そういうもの、とは?」

「だから……『魔法』って戦争そういうことに使えるもんじゃ……ない、よな? なんつうか、もっとチマチマしてるっつうかよ」

「呪文やら魔法陣やら、だったか。かなり難解な代物のようだな」


 もどかしい思いを形にするかのように、黒眼帯の両手が体の前でくるくる回される。


「ランプに火着けるためだけに、やたら長ったらしくてややこしい手間暇かけたりすんだろ?」

「らしいな」

「まあ中には武器になりそうな魔法もあるらしいけどよ。本当に『使える武器』なら、必ずどっかの国や軍隊が目をつける。だがそんな話は聞いたこともねえ」


 黒眼帯の言葉は、この時代の人々の魔法に対する一般的な認識を代弁しているといっていいだろう。


「だが、事実だ。あの男は俺より強かった。遥かにな」

「信じられねえな」


 かつて戦場でアルハーンの実力を目にしている黒眼帯は胡散臭そうな態度を隠そうともしていない。むっつりと唇を結んでアルハーンの顔を見つめる黒眼帯。


「……アルハーン。念のため聞くが、お前はそいつを探してどうするつもりだ?」

「戦う」


 アルハーンは何を今さら、といった感でさらりと答えた。

 黒眼帯が頭をかきむしりながら顔をゆがめる。

 

「だと思った。だがダメだ。今のお前は『組合』の人間なんだぞ」


 彼はアルハーンの前に立ち止まり、相手の胸にひとさし指を突き立てる。


「カノンブルヌにいる間は、勝手に戦ったり死んだりするんじゃねえ。お前を組合に紹介した俺の立場ってのも考えろ」

「別に今日明日でその男が見つかるとは思っていないさ。仕事は当然きっちりやる」

「当たり前だ。ったく……ティチェク族ってのは皆こうなのか?」


 疲れきった表情で黒眼帯がうんざりした声を出す。

 からかうような色がアルハーンの灰色の瞳に浮かんだ。


「いや。自分で言うのも何だが、変わってるほうだと思う」





 ぽん、と気の抜けるような音。

 そして床から数センチほどの高さの空中に『炎』が出現する。

 

 拳ほどの大きさの炎は、数十秒ほどゆらゆらとした後にふっとかき消えた。

 

 床には一枚の大きめの紙が置かれている。紙には複雑な記号や文字が環状に書き込まれていた。

 膝をついて紙に手を当てていた黒ローブの若い男が大きく息を吐き出す。


 それを見守る中年の男性は灰色のローブの下で腕組みをしている。その衣服は彼が『教師』であることを示している。彼はゆっくりとうなずいた。


「まあまあだな」

「ありがとうございます」


 魔力の発現によって消費した体力の現れなのか、『生徒』は頬を少しばかり火照らせつつ答える。

 部屋の壁際には十数人の黒ローブを着た若者たちが立っていた。


 教師はその中の一人を指し、問いかけた。


「この術式の特徴を挙げてみたまえ」


 生徒はわずかに背筋を伸ばし、視線を斜めに向けて記憶を引っ張りだす。


「ええと。物を燃やすのではなく、火を『出現』させる点です」


 教師はにこりともせず部屋の中央に進み、仁王立ちする。一見近寄りがたい雰囲気を持つ男だが、彼が講義に取り組む真摯な姿勢が反映されたものであることを皆が知っている。


「正解だ。我々が知る発火魔法は大きく分けて二つある。一つは物を暖めて火を着ける型。もう一つは何も無い場所に『火のみ』を単独で発生させる型だ。後者は十数年ほど前まで原初魔法のみでしか確認されていなかった」


 床から魔法陣の書かれた紙を拾い上げた教師。彼は皆に見えるようにそれを差し出す。


「魔法学の創成以来、魔術士たちが三百年かけて培ってきた知識と技術。この術式はその先に導き出されたものといっていいだろう」


 生徒の一人が手を挙げる。


「新しい術式を導き出す方法というのが、まだよく分からないのですが……」


 教師は紙をくるくると丸めてふところにしまってから言った。


「決まった手順は無い。地道な作業の積み重ねで生み出されることもあるし、ある日突然天啓のように閃くこともある。魔法に限らず『学問』には、おしなべてそういう側面がある」


 どちらにせよ基礎は重要だがな、と付け加えて教師は生徒たちをぐるりと見回す。締め切りの近い課題の数々を生徒たちに思い出させるような視線だった。

 生徒たちの表情が少々げんなりしたことも意に介さず、教師は講義を締めくくった。


「この世界には、まだまだ未知のことわりが無数に眠っている。それを解き明かすのが我々『魔術士』の仕事だ」





 何もない壁の先に意識を向けていたアルハーンは、はっと思い直したように視線を前方へと戻した。


「なるほど、日中の作業はその流れですね」

「ええ。学院の立場としてもそのほうがありがたい」

「夜間の人員については、また別で新規に契約をする必要がありますが……?」

「今のところその必要はありませんな。夜は教師が持ち回りで泊まりこんでおりますので」


 アルハーンの前では、黒眼帯の男と臙脂えんじ色のローブをまとった初老の男のやり取りが続いている。


 魔法教導学院の院長室に通されたアルハーンと黒眼帯の男。二人は今後の仕事の段取りについて『依頼主』である学院長と話し合いをしていた。


 学院長は生真面目さを絵に描いたような人物だった。その物腰は丁寧であり、地位や立場を笠に着る行為とはかけ離れている。

 学院から組合に依頼された仕事。それ自体はシンプルな物だった。


 決まった時間にいくつかの場所を見廻り、不審者や異常がないかを確認すること。また、空いた時間で構わないので、学院やその関連施設における諸々もろもろの雑用の補佐をしてほしいという話も出た。先ほどから聞いていると、どうも実は後者の方が本命だという意図が透けて見える。


 院長室へ案内される途中でちらりと見た学院の風景は、年配の教師や、成年と呼ぶにはまだ少し早い生徒たちばかりだった。力仕事の出来る男手が求められているのかもしれない、とアルハーンは想像していた。

 

 それよりも彼の心を先ほどから惹きつけているのは、壁の向こうから感じられる『力の気配』である。

 間違いない、という確信がアルハーンの心に宿る。

 

 やはりあの白仮面の男が使っていた技は『魔法』なのだ。院長室に隣接する施設では先ほどから『実技』を含めた講義が行われているという話だった。なぜ自分が魔法の気配を察知できるのかは疑問だったが、それはささいなことだ。


 まるで見当違いな方向に進んでいるわけではない、という事実がアルハーンの心を安堵させていた。





 建物の日陰になる場所は午後の陽気とも無縁な、ひんやりとした空気が流れている。


 さくり、と草を踏みわけて、アルハーンは学舎の角から向こう側を覗きこんだ。学舎から書庫へと通じる真っ直ぐな渡り廊下は木製の柱と屋根で構成されている。

 

 さらにその向こう、学院の建物と市街地を隔てるのは大人の背丈ほどのレンガ造りの壁である。カノンブルヌに限らず、西方諸国の他の建物にはあまり見られない特徴だ。

 

 学院長との打ち合わせを終えたアルハーン。彼は黒眼帯の男と別れたあと、学院長に一言断りを入れてから学院内部をあちこち見学させてもらっていた。

 快諾してくれた学院長に少々申し訳ない気もしたが、アルハーンはこれが最初の好機であるとも思っている。


 心のなかで戦場で見た白仮面の男の姿を思い描く。これといって特徴のある体格ではなかった。顔も半分近く仮面で隠されていた。この場で目の前に現れても、それが目当ての人物であるか確信をもって断言することはできないだろう。

 

 だがそれでも探さずにはいられなかった。

 彼の本性が戦いを求めているのだ。強い相手と命を賭けて戦うことこそが彼が望む人生の在り方なのだ。

 

 ゆっくりと歩みを進める。慎重に周囲の気配を探りながら、レンガの壁伝いに魔法教導学院の学舎の周囲を歩く。講義の最中なのだろうか、人気ひとけはなかった。


 その時、アルハーンの五感が背後に生じた気配を捉えた。

 ぴたりと足を停めた彼の右手が無意識に刀に添えられる。視線を鋭くした彼の唇が一文字に結ばれた。


 無造作な足音が背中から近づいてくる。

 まさかと思いつつ、アルハーンはぱっと振り向く。

 

 そして彼の視線はゆっくりと下方へと向いていく。

 五、六歳の少年がアルハーンを見上げていた。


「にいちゃん、誰?」


 仏頂面になったアルハーンは刀に当てた右手のやり場を完全に見失っていた。


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