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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (10)


 太陽はかなり高くなり、うららかな陽気は徐々に蒸し暑さへと変わりつつあった。


 多くの人々が行き交う、帝都『カノンブルヌ』の一角にある広場。


 大槻キュウタは青年の隣に立ち、人通りの盛んな大通りを指差していた。道順を丁寧に説明するキュウタの言葉を、青年は噛みしめるように聞き入っていた。


 浅黒い肌と彫りの深い顔立ちは、西方諸国とは別の文化圏の出身であることを物語っている。

 一通り聞き終わったところで、青年は軽く頭を下げた。


「ありがとう。とても助かった。呼び止めて済まなかったな」

「いえ……どういたしまして」


 相手の律儀な返礼に、キュウタが肩をすくめてはにかむ。


「では、失礼する」


 再度頭を下げてから歩き出そうとした青年。

 すると彼の行く手に延々と地を叩くような車輪の音がいくつも響き始める。見れば、馬や牛が引くさまざまな大きさの荷車、その長々とした行列が広場の真ん中を横切りはじめていたのだ。

 周囲の市民も物珍しそうにそれを遠巻きに見物している。


 それなりに勢いのある速さで進む荷車の行列は間隔も狭く、あいだをすり抜けるのは少しばかり難しそうだ。道をさえぎられた格好の青年があごに手を当てて考えこむ。


「ふむ。どうしたものか」


 ああそういえば、とキュウタは頭のなかでこよみを思い描く。

 カノンブルヌに居を構える大手の商会。そこが数ヶ月に一度、市外から大量の商品をまとめて搬入する作業は、祭りにも似た風物詩のようになっているのだ。

 なんとも間の悪い状況に苦笑いするキュウタ。


「しばらくは通せんぼですね。お急ぎでしたら少し遠回りになりますが、別の道を……」


 太陽をちらりと見上げた青年が、キュウタの言葉が終わる前に肩をすくめる。


「いや、それには及ばない。日暮れまでに着ければ問題ないはずだ。少し一服させてもらうさ。隣、いいかな?」


 そう言って最前までキュウタが腰掛けていた石段を指す。

 キュウタも微笑んで片手を振って歓迎の意を示した。


「ええ、もちろん」


 石段に並んで座った二人は、しばらく黙ったまま荷車の行列をぼんやりと眺めていた。互いに言葉を交わそうとする気配は無い。だが、不思議とそれは居心地の悪さには繋がらなかった。

 

 色々な種類の荷が目の前を通り過ぎて行く。ぱんぱんに膨らんだ穀物袋や日用雑貨などが次々と現れては消えていく様子は、見ていて飽きることがない。次は何が出てくるのかと楽しみになる気持ちすら湧いてくる。


 キュウタはちらりと隣に目を向けた。

 青年が何げなくまくった袖からのぞく腕。それは逞しくはあるが、過度に太すぎることもなく、しなやかな筋肉に包まれている。ところどころに刻まれた傷跡がこの青年の人生の一端を示しているのだろう。


 ふと青年の褐色のシャツに刺繍された紋章にキュウタの目が止まる。そういえばさっきも少し気になったのだ。


「あの……お仕事の途中ですか?」


 初対面の相手に不躾ぶしつけかとも思ったが、キュウタの口からは言葉が自然に流れだしていた。

 青年は特に不快な顔をすることもなく、気安い調子で応じる。


「まあな。と言っても、実はこれからが初仕事だ。カノンブルヌにも、つい先日着いたばかりでな。まだまだ土地勘が無くて不自由している」


 いたわるような笑みでキュウタが相槌を打つ。


「ややこしい街ですからね。勝手の分からないことも多いでしょう」

「ああ。だが活気に満ち溢れている、いい街だと思う」


 青年が視線を上方へと向ける。

 樹々の向こうに巨大な石造りの構造物が横たわっていた。市街の各所に水を送るための水道橋だ。


 規則的な間隔で設けられたそれぞれのアーチをくぐるように道が整備されている。そこを絶え間なく流れている人や荷車はまるでおもちゃのようなスケール感で、水道橋の建築規模の大きさを示していた。


「まったく、大した街だ。帝都の名は伊達では無いのだな」


 その言葉はまるで青年が自分自身に言い聞かせているようだ。灰色の瞳には何かを懐かしむような色が浮かんでいた。

 そしてキュウタにちらりと向けられた青年の穏やかな視線。そこに宿る不思議な魅力が、キュウタから言葉を引き出す。


「失礼ですが、カノンブルヌに来る前はどちらに?」

「生まれは海を越えた南の砂漠だ。西方諸国こちらに渡ってきてからは、あちこち流れ歩く生活だった。一応、『雇われ』の身でもあったのでな。『旦那』に東と言われれば東、西と言われれば……という具合さ」


 淡々とした語り口だったが、そこに込められた揺るぎない確信のようなものをキュウタは感じた。きっと、迷ったり躊躇ためらったりすることとは無縁の人物なのだろう。そんな生き方が出来る人をキュウタは少しだけうらやましく思うのだ。

 なんとなく次の言葉を選びあぐねるキュウタに、青年が逆に問いを発した。


きみはカノンブルヌに住んで長いのか?」


 虚を突かれたキュウタが軽くしどろもどろになりつつも応じる。


「ええ……まあ、それなりに。ただ、家はあっても帝都の外に出かける仕事が多いので、本当の意味で住民と言えるかどうか……」


 口ごもるキュウタに、青年がさとすように言う。


「家というのは心の置き場所だ。そこで過ごす時間の長さは重要ではない」


 その声には不思議な力があった。思いに沈みかけるキュウタに、青年はどこか申しわけなさそうな微笑で言葉を続ける。


「ああ、すまん。そんな深い意味じゃない。自分には帰るところがある。そう思えれば気分も少しは安らぐ、という程度の話さ」


 青年の灰色の瞳が柔らかな色でキュウタを見ている。

 相手の言葉をじっくりと胸に収めるキュウタ。その心に昨夜、家の戸口でサザレの姿を久しぶりに見た時の自分の感情がふっと浮かび上がった。


「そう……ですね。ええ。僕もそう思います」


 キュウタはそう言って頭をかきながら、つかえの取れたような笑みになった。

 そんな仕草をにこやかに見つめていた青年が、ふっとキュウタの手を指差す。


「いい指環ゆびわだな」


 思いがけない話題の転換に、一瞬キュウタが目を丸くする。そして青年が指す先に視線を向けて、ようやく意味が把握できた。


「え? ああ、これですか?」


 頭をかいていた右手をしげしげと眺めるキュウタ。人差し指にはめられた銀色の指環の表面には、こまかなこすれが幾筋も入っている。それはこの指環が辿ってきた時間の流れが刻み込みこまれているようでもあった。


 この指環の『本質』はその内部に魔法的な処理によって刻まれた術式にある。だが見た目に限って言えば、キュウタにとってこれは百年ほど前に作られたという点以外、美術的あるいは工芸的価値は特に無いように思えるのだ。


「そんなに高価な品でも無いんですが……」


 いぶかしげな顔をするキュウタに、青年が言葉を付け加える。


「俺の部族では、銀は聖の象徴でな。ついでに言うときんは魂を腐敗させると言われている」

「へえ……ああ、刀のつかの飾りも銀ですね?」


 青年の腰のものに目を向けたキュウタが納得する。

 指先でそっと柄を撫でながら、青年がかすかに目を細める。


「そういうことだ。まあ益体やくたいのない迷信、と言ってしまえばそれまでだがな」


 自嘲するような青年に、キュウタの静かな眼差しが向けられる。


「どんな迷信にも、何かの意味はあるんじゃないでしょうか。自分の力ではままならない場面で、願ったり、すがったりするのは、人の自然な感情だと思いますよ」


 どことなく悟りきったふうを思わせるキュウタの言葉に、青年が意外そうな顔で微笑んだ。


「君は若いのに、どこかの長老のような口振りになるときがあるな」

「え……そ、そうですかね。ははは」


 ぎくりとしたキュウタが誤魔化すように視線を人混みへとそらす。やれやれとばかりにふっと息をもらした青年が言った。


「ところで……少し話し込んでしまったが、君のほうも何か用事があったんじゃないのか?」


 青年の気遣いにキュウタが手を振ってみせる。


「あ、いえ、ちょっとれを待っているだけですから。そういえば遅いな……彼女、露店で昼食を調達してるはずなんですが。食べ物がからむとすぐこうなるから……」


 少し愚痴っぽくなったキュウタにそっと体を寄せた青年が、真剣味のある表情になる。


「そうしざまに言うものではない。女を待つのは、男のつとめだ」


 おごそかな口調の青年に、キュウタが首をかしげる。


「それもあなたの部族の考えかたですか?」

「いや、俺の持論だ」


 しれっと答えた青年が、いたずら半分な視線でキュウタを見る。思わず吹き出したキュウタに、青年もニヤリと歯を見せる。


 そして、輪唱のように続いていた荷車たちの進む音にようやく切れ目が現れる。

 目を上げれば荷を運ぶ車列もそろそろ終わりかけているらしい。行列もいつの間にかまばらになっており、今ならその隙間を抜けることも難しくないだろう。


「頃合いだな。そろそろ行くか」


 流れるように立ち上がった青年が石段を数段降りてから、座ったままのキュウタに振り返る。互いの目線は同じ高さにあった。

 青年がすっと右手を差し出す。灰色の瞳はまっすぐにキュウタを見つめている。


「色々と面白い話ができた。ありがとう。また会えるといいな」


 キュウタはにっこりと笑い、相手の手を握り返した。青年の手は見た目通りの大きさと力強さで、しっかりとキュウタの手を包み込んでいた。


「ええ。お気をつけて」


 軽く手を振った青年が颯爽とした足取りで広場を横切って行く。その後ろ姿をずっと見つめていたキュウタは、心にまとわりつく奇妙な『既視感』を抱いていた。


 もう少しでその正体を掴めそうだというとき、キュウタの後ろからのんきな声が飛んでくる。

 

「今の誰ですか、キュウタ?」


 振り返れば、サザレが両手いっぱいにパンやら果物を抱えて立っている。端正な容姿の少女がもぐもぐと動かしている口元からは干し肉のれっぱしがのぞいている。


 ため息をついたキュウタは思考を中断して立ち上がる。


「道をかれただけだよ。っていうかもう食べてるの?」

「だ、だって」


 慌てて視線をそらしながらも、リスのように膨らんだ頬のなかで咀嚼そしゃくは続いている。形の良い唇のまわりは果実の汁らしきものでしっとりと湿り、彼女が今味わっている干し肉の前菜の存在をはかることができた。


「まったく……行儀悪いな」


 幻滅するような顔のキュウタに、しょげ返ったサザレは青い瞳を潤ませる。そして彼女は意を決して、片手に抱え持ったパンをキュウタにゆっくりと突き出した。ぎょしきれない本能に意思で逆らっているのか、手元がこまかく震えている。まるで命を差し出す悲壮な姿にさえ思えてしまう。

 キュウタの眉間にしわが寄る。


「……何のつもり?」

「お、お詫びのしるしです……」

「そのパンのおかね出したの僕だよね?」

「ううう……」


 結局、キュウタが自分の心に湧きあがった既視感の正体に気づくことは無かった。


 大槻キュウタとアルハーン・サウドの二度目の出会い。それは結局こうして平穏に終わったのだった。




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