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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (6)



 日が沈んで間もない、帝都カノンブルヌ。


『魔法教導学院』を後にしたサザレは、黒いローブ姿のまま家路へと向かっていた。大小の酒場や商店が密集する区域は、いまだに人の往来が激しく、昼間とさほど変わらぬ騒々しさにあふれている。


 茶色混じりの黒い長髪を夜風になびかせながら、サザレは滑らかな足取りで進んでいた。

 その時、彼女の青く大きな瞳に、静かに光が宿る。


 サザレは学院を出た直後から、自分の後ろを一定の距離を保って付いてくる気配を感じ取っていた。

 自分の超人的な脚力にまかせて相手を引き離すことは容易だろうが、それではあまりにも芸がないだろう。


 少しばかり寂れた狭い路地へと入る。

 わずかに足をゆるめ、相手の気配の変化に意識の数割を振り向けた。


 人気ひとけは無い。左右は高い建物に挟まれ、次の曲がり角もしばらく先だ。

 尾行者の足取りが一気に早くなる。ここで『勝負』をかけようというつもりなのだろう。


 サザレのすぐ後ろに迫った相手が重心を落とした。

 そして間髪入れず飛びかかるようにサザレの『尻』へと両手で掴みかかろうとする。


 サザレは後ろを見ることもなく、真横に素早くステップする。突然目標を失った相手は「おおっ!?」と声をあげてつんのめった。


 なんとか転倒することだけは避け、よろめきながらサザレの方へと体を回す。


 その瞬間、尾行者の視界は暗く塞がれた。


 サザレが相手の禿げ上がった頭からこめかみのあたりを鷲掴みにして、万力のような力強さでぎりぎりと締めあげていたのだ。


「私の背後を取るわざは褒めてさしあげます、ペイトン先生」

「あだだだだだだ! ちょちょ、ちょい待ちっ! つ、爪、爪がっ!」


 ゲグリオス・ペイトンが無様にひざまずいた格好で、自分の顔に穴を穿うがたんばかりの勢いでねじ込まれる少女の指を外そうとする。

 だが、彼ごときの力ではサザレの指を外すことなどできはしない。


 涼しい顔をしたサザレの指先は、がっちりと老魔術士の頭に食い込んでいる。怜悧な表情のなか、その青く透き通る瞳はゴミを見るかのような視線をペイトンに向けていた。


 苦悶の声を上げるペイトンに、小さく憐憫れんびんの情を持ったサザレはわずかに指の力をゆるめる。だが相手の顔をしっかりと固定したまま外すつもりはない。この老人に一瞬でも隙を見せた結果、幾度となくはずかしめられてきた苦い記憶がサザレにはあるのだ。


 数多あまたの戦場で経験を積み重ねてきたサザレ。彼女の隙をつくことが出来る者などそうそういない。だが、この老人がサザレの肢体に向けるふざけた執念は、彼女の武の力量を超える瞬間があった。


 これも煩悩ぼんのうという人のごうが持つ力なのだろうか、とサザレは仏頂面で思案する。

 彼女はちらりと辺りを見回し、凍りつくような冷たい声で問いかける。


「……キュウタはどこですか? 一緒に帝都に戻って来たのでは?」


 ほんの少しゆるんだ痛みにほっと息をついたペイトンが、ニンマリと下卑た笑みを唇に浮かべる。


「ああ、酒場の姉ちゃんと遊びに行くって言っあだだだだだっ! ウソウソ、ウソじゃ!」


 先ほどより数割増しの力で締め付けられたペイトンの頭は今にも卵のように割れても不思議ではない。

 さすがに命の危機を感じ始めたペイトンはいたって正直に事実を伝えることを選んだ。


「きょ、教会に寄るって言っとった。な、なんぞ手紙がどうとか。た、頼む、嬢ちゃん、そろそろ離してくれんか、の……」


 力無くのたうち回るペイトンを指先だけで抑えるサザレは微動だにすることはない。ちらりと夜空を見上げた彼女は小さくため息をつく。


 仕事熱心なのはいいのだが、少しはこっちの気持ちも考えて欲しい、と彼女は思う。

 数カ月ぶりに帝都に戻ってきたというのに、いの一番に自分に会いに来なかったことをどう問いただしてやろうかと、形の整った眉を可愛らしくハの字にするサザレだった。





 礼拝堂から一つ扉を抜けた小部屋は、教会のこまごまとした普段の事務処理を行っている場所だった。


 大槻キュウタは、イリユヌス教カノンブルヌ教区長に一通の書簡を預けていた。

 厳重になされた封を珍しそうに眺めながら教区長が確認する。

 

「これをフィロマ市の教会本部へ届ければよろしいのですな?」

「ええ。よろしくお願いします」


 頭を下げたキュウタはそのまま外へと出る。


 ひんやりとした夜風が頬を心地よく撫でていく。

 白い外套マントの襟を整えながら、サザレが待っているはずの住居へと足を向ける。


 イリユヌス教の教会施設が並ぶ区域を抜けていく。『魔法教導学院』の学舎を横目に通り過ぎながら、キュウタは今までの歴史の流れを思い起こしていた。


『魔法学』の創成以来、三百年ほどが経過している。今のところ魔法学は順調に発展を続けていると言っていいはずだ。


 フィロマ教会がスポンサーとなり、魔法の素質を持つ者を集め、その中からさらに優れた魔法研究者を見い出す。


 だが教育や学問というものは様々なコストがかかる。特にそれが実利に直結しない分野であれば尚更である。教会にのしかかる少なからぬ負担を捻出するため、フィロマ教会の政治的、経済的な基盤の強化がどうしても必要だった。キュウタたちはそこにも色々と尽力してきたつもりだ。

 あちこちの領主や商人に働きかけ、教会との協力関係を巧妙に結ばせたりすることもあったのだ。

 

 結果的に『フィロマ帝国』という大きな存在が思いもかけず生まれてしまった。ちょっとやり過ぎたかと思わなくもなかったが、今さら後悔しても意味はないだろう。

 いずれにしろ、帝国が盤石であることに越したことはない。帝国の繁栄は教会のそれに等しく、引いては魔法研究の安定化につながるのだから。


 お膳立ては十分なはずだと、キュウタは思う。

 だがここからの歴史の舵取りをどうするべきか、その具体的な確信を持つことがまだできていなかった。


 サザレの『未来視』から導き出され、キュウタたちが進もうとしている歴史は、あくまでも『学問』としての魔法が発展する道すじである。


 それを強力な『兵器』として運用するための方法はまるで別の問題なのだ。

 戦場でペイトンからなされた指摘が心をかすめる。魔法を兵器として使うなど、本気で考えている魔術士は一体どれだけいるのだろう。たしかに魔法は力を持っているし、人を傷つけることもできる。だがそれは包丁やロウソクの火が使い方次第では凶器に変わる、という程度の話なのだ。

 千単位、万単位の軍隊がぶつかり合う戦争では、現時点の魔法など小指の先ほどの影響力もあるまい。


 そういった部分を解決する策を模索しなかったわけではない。

 キュウタとサザレが『未来視』で無数の歴史を調査するなかで、魔法学が戦闘に特化した分野へ向かう歴史もあるにはあった。

 だが、それらの歴史はある程度の技術発展の先で進歩の『袋小路』に入り込んでしまったのである。そして大して高度な魔法の創造に至ることも無く、学問としても完全に停滞してしまうのだ。


 そういうこともあって、魔法の研究分野をキュウタたちが意図的に誘導することはあまり好ましくないのだろうというのが、以前からの認識だった。

 あくまでも魔法の研究教育システムの充実と、社会における魔術士の地位の確保に注力するのが、自分がなしうる最善の貢献なのだ。


 知的好奇心や探究心の赴くまま、魔術士には自由に知識の開拓に励んでもらう。それが最終的には魔法がもっとも発展する道である。そんな確信がキュウタの中には強くあるのだ。


 魔族の進攻まで残り七百年ほど。

 大丈夫、まだ時間はある。キュウタは自分に言い聞かせるように、夜空の下で一人うなずいた。





 夕焼けが完全に夜の黒に塗り潰され、星々が空を埋め始めていた。

 

 さすがのカノンブルヌも昼間の賑わいは影を潜めつつある。


 家々の窓から漏れる光と、ぼそぼそとした人の気配が夜の町に静かなざわめきを作り出していた。


 なんとか目的の建物に辿り着いたアルハーン・サウドは、青いターバンと顔を覆っている青い布を外した。まだ宵の口なのだろうが、押し込み強盗にでも間違われては面倒だろう。

 軒先にぶら下がっている金属製の看板を見上げる。つたが絡みついた剣の意匠。それが『組合』のシンボルマークと聞いた記憶がある。

 

 木製の分厚い扉をゆっくりと開くと、薄暗いロウソクの明かりで照らされた空間が現れた。


 正面のテーブルにかけて杯に唇をつけていたたくましい男がアルハーンに気づく。彼が右目にしている黒眼帯は、アルハーンにとっても懐かしいものである。

 黒眼帯の男が芝居がかった仕草で両手を小さく広げ、不敵な笑顔で歓迎の意を示す。


「やっと来たな、アルハーン・サウド」


 その言葉にアルハーンはほっと息をつく。華の帝都で無宿人のようになる事態は避けられそうだ。


「一年ぶりかな、黒眼帯。俺が書いた手紙は届いてるな?」

「ああ。待ちわびたぜ」


 黒眼帯が首を回して部屋の奥に呼びかける。


「おやっさん、こいつが例のティチェク族の戦士だ。人物と腕は俺が保証する。仕事回してもいいな?」


 カウンターの隅に座って何かの書類に見入っているしかめっ面の大柄な老人がアルハーンを一瞥し、小さくうなずく。反射的にうなずき返したアルハーンが、再び書類に目を戻した老人の姿を観察する。顔や腕のあちこちについた傷が、老人の経歴を雄弁に物語っているように思えた。

 黒眼帯がどこか誇らしげな様子でアルハーンに言った。


「あれが組合長おやっさんだ。ここ二十年ほど、カノンブルヌで荒くれどもを仕切ってる強面こわもてだぜ。ごつい顔だが、人を見る『目』は確かだ。まあ、孫にゃ甘い顔しかしないがな」


 ケラケラと笑う黒眼帯。

 そしてカウンターから警告のように響く派手な咳払いに、黒眼帯がびくっと身をすくめて声を低める。


「そういや『耳』も確かだったな……まあ座れよ、アルハーン。荷物はそれだけか?」


 相手の軽口に苦笑しつつ、アルハーンが椅子に腰を下ろす。

 刀をテーブルの横に立てかけ、目の前に置かれた茶をゆっくりとすする。そしてアルハーンは単刀直入に言った。


「どんな仕事があるんだ?」


 黒眼帯の笑顔のなか、その視線がわずかに鋭さを増す。これが仕事をするときのこの男本来の顔なのだと、アルハーンは好ましく思う。

 黒眼帯がテーブルの上に積み重ねられた書類の山をぽんぽんと叩いて言う。


りみどりさ。人が集まるところに揉め事は生まれる。俺たちみたいな手合いも必要になるって寸法よ」


 何気なしに室内に視線を巡らすアルハーン。あちこちに置かれたテーブルには数人の男たちが座り、ゆったりとくつろいでいた。だが、彼らの何気なくそれでいて全く隙の無い視線が自分をじっくりと吟味している。それをアルハーンは感じ取っていた。


 ただの街のチンピラの寄り合い所帯ではない。大なり小なり自分と同じくいくさを経験し、生き残ってきた『戦士』たちなのだろうと思う。

 アルハーンが頬をなでながら記憶を手繰たぐった。


「たしか……守衛しゅえいじみた仕事とも聞いたが」

「ま、ほぼその線だな。役人と連携して町のいざこざをおさめたり、貴族や商人邸の警備、隊商や交易船の護衛として付き添うこともある」


 黒眼帯が紙束を差し出す。帝都のあちこちから舞い込んだ仕事の依頼書だった。この数からするとかなり繁盛している商売のようだ。受け取ってぱらぱらと中身を眺めていたアルハーンの指がぴたりと止まる。

 滑らかな指さばきで書類を一枚抜き取って、黒眼帯の前に置く。


「この仕事にはいりたい。構わないか?」


 まじまじと文面を見つめた黒眼帯が首をかしげる。


「教会関連施設の見廻り……か? ずいぶんと地味な仕事じゃねえか。お前さんならもっとこう、なんつうか」


 黒眼帯の言葉を途中で制したアルハーンが静かではあるが確固とした声音こわねで言った。


「いいんだ。ちょっと興味がある」

「なんだ? 改宗でもすんのか?」

「そういうわけじゃないが……ま、色々とな」


 言葉を濁したアルハーンの様子に、ちらりと組合長のほうを見る黒眼帯。彼らの会話を聞いていたらしい組合長が小さく首を縦に振るのを確認して、黒眼帯はアルハーンに向き直る。


「まあ、いいさ。肩慣らしにはちょうどいいかもな」


 黒眼帯が、今後寝泊まりする場所やいくつかの契約について流暢に説明していくのを聞きながら、アルハーンは依頼書の内容を視界の端でもう一度確認してみる。


 教会が所有する施設の警備及び雑務の補助。仕事の依頼書には対象となる施設が記されている。


 そこに書かれた『魔法教導学院』という文字がアルハーンの意識を引き寄せていた。



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