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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (5)



 紙の上をペン先が走る乾いた音。

 小気味良く室内に響くそれは雑念を心の中から追い払い、その初老の男を退屈な書類仕事に専心させている。


 彼は午後の数時間を机の前で過ごしていた。深い臙脂えんじ色の上等なローブは、この『カノンブルヌ魔法教導学院』最高責任者の証である。やがて木製の重厚な扉からの控えめなノックが耳に届く。それを合図にして男はようやく手を止めた。


「どうぞ」


 男が返事し終える前に扉は開き始めていた。そのどこか奔放さを感じさせる様子から、入室してくる人物の見当は容易につけることができる。


 ため息をついた『学院長』は書類から顔を上げて頬杖をついた。


「お久しぶりですね、ペイトン先生」


 ゲグリオス・ペイトンは禿げ上がった頭をつるりと撫でながら、院長室の中へひょこひょこした足取りで入ってきた。


「おう、長いこと留守にして済まんかったな」

「謝ることもないでしょう。教会のお仕事なんですから」


 まあな、と笑うペイトンに、学院長が椅子を勧める。うなずいたペイトンは、黒いローブの裾をひらりと舞わせて机の横にどっかりと腰掛けた。


 学院長が水の入ったさかずきを無言で差し出す。にっと笑ったペイトンが同じく無言でそれを受け取る。気心の知れた相手との会話は、数ヶ月の時間をおいたあとでもごくごく自然に始めることができた。


「学院のほうは大丈夫だったかの?」


 そう言って、ペイトンは杯の中身をぐいっと一息で飲み干した。学院長は机の上の書類をぱらぱらと眺めながら特に感慨もない調子で答える。


「特に問題は。人が足りない時は、私も講師に駆り出されましたがね。そちらは? 魔術士がいくさに出るなんて、無茶な話だと皆で噂していましたよ」


 腕組みをして窓の外に目をやり、ふむと一息つくペイトン。

 最後にこの部屋を訪れた時に見た、木々を彩る葉の色や庭の景色。記憶にあるそれらから、今の風景ががらりと変わっていることに気づく。


 帝都を離れていた数ヶ月の『時間』という目に見えないものが、季節の移り変わりという現実の形をとってペイトンの前に姿を現していた。


「そうだな……なかなか興味深い経験だった。いい小遣い稼ぎにもなったしな。機会があれば次も参加したいくらいだ」


 眉をしかめた学院長が机の上に身を乗り出す。


「少しは歳を考えてはいかがですかね、ペイトン先生」


 かつての教え子、そして今は年下の辣腕上司から向けられる小言。ペイトンはそれを見事に右から左へと聞き流した。


「忘れとった。ほれ、土産みやげだ」


 机の上にことり、と置かれる陶製のびん。かすかに漂う匂いが、学院長の眉間にシワを入れた。


「酒ですか」

「帝都に戻る途中の港で見つけた逸品だ。湯かミルクに混ぜて飲むといいらしい」


 声をひそめて秘密を分かち合うような笑みで見つめるペイトン。

 だが学院長の態度をやわらげることはできなかった。


「ペイトン先生、こういった物をまなの中に持ち込んで頂きたくないのですが」


 ペイトンは手のひらを上に向けて目をぐるりと回す。


「相変わらずの石頭だな。ようやくカノンブルヌに戻ってきた実感が湧いてくるわい」

「あなたの憎まれ口くらいですよ、私の石頭を痛めさせられるのは」


 呆れた素振りを隠しもせず、学院長は瓶を机の引き出しにしまう。ちらりとした視線が、どこかもどかしそうにペイトンへと向いた。


「それはともかく、ご無事で何よりでした」


 偽りのない想いが込められた言葉。それに応じるようにペイトンは、ほんの少し声のトーンを落とした。


「別に危険なことなんぞ、ありゃせんかったよ。まあ、多少ヒヤッとした所もあるが、『護衛』の腕が確かだったしな。『あいつ』は魔法で剣士や弓兵の集団を叩き伏せてたぞ。信じられるか? まさかそんなことが可能だとは夢にも思わんかった」


 微妙な沈黙が部屋に落ちる。

 学院の関係者が教会から受けている、どこか得体の知れない指示が学院長の胸をよぎっていた。

 学院は、教会から大した理由の説明もなく、身元の定かでない『キュウタ』と『彼女サザレ』を特別な生徒として強制的に受け入れさせられている。


 強大な権力を持つ教会がそこまでの扱いをするキュウタたちの『正体』。それを知ろうとする行為は危険以外の何ものでもないという直感があった。

 学院長は扉の向こうの気配や、窓の外に人影がないことを無意識に確かめながらそっと言った。


「キュウタ殿が魔法を使うのを見たんですか?」

「ああ。ありゃ本物だ。ワシらとはけたが違うな」


 さらりと言ったペイトンに、学院長は腕組みをして思索の光を瞳に宿す。


「優秀な魔術士かもしれない、とは思っていましたが……」


 ペイトンが椅子の背もたれに寄りかかり、天井へと視線を向ける。


「優秀な魔術士……とは、ちと違う気がする」

「と言いますと?」

「確かにキュウタは……おそらくサザレ嬢ちゃんもだが、とてつもない強さの『魔力』を持っている。魔法の『使い手』としても達人という言葉じゃ足りんくらいだろう」


 学院長はペイトンの言葉の意図を掴めずに首をひねる。


「なのに優秀とは違う、のですか?」

「では聞くが、『魔術士』とは何だ?」


 その問いに訝しげな表情をした学院長だったが、彼はよどみなく答える。


「原初魔法を使う素質を持ち、魔法のことわりを追究する『学者』です。私たちのような」

「よく覚えているな。さすがにワシの自慢の生徒だ」

「茶化さないでください。魔術士の定義なんて今さら確認することでもないでしょう」


 むっつりとした学院長に、ペイトンが人差し指をふって言い含める。


「お前は昔から答をくクセがあっていかんな。過程の細部にこそ真理へ通じる道がある。そう教えたはずだが」

「人の上に立つ立場というのは、色々と端折はしょったり折り合いをつける必要があるんですよ」


 どことなく自分への皮肉が込められた言葉に思えたペイトンが、苦笑いで肩をすくめて言葉を続ける。


「それはともかく……キュウタ自身は魔法に対して、学問的な興味をあまり『持っていない』ように思える。どちらかというと、魔法の持つ力を『利用』して『何か』を成し遂げるつもりではないのかな」


 ようやくペイトンの言わんとするところを理解した学院長がゆっくりとうなずいた。


「つまり、キュウタ殿は魔術士の本分である『学者』では無い、とおっしゃりたいのですね」

「まあ、そういうことだ」


 水差しから杯に中身を注ぎいれつつペイトンがうなずいた。

 得心とくしんがいかない様子の学院長が机の上で頬杖をついて考えこむ。


「だとしたら、キュウタ殿は魔法で何をするつもりなのでしょう?」


 ペイトンは満たされていく杯の中を見つめながらぽつりと言う。


いくさと関わりがある、とは思うのだが」

「魔術士を『兵士』として本格的に利用すると?」


 窓の外に視線を向けたペイトンが静かにため息をつく。


ことはそう単純な話じゃないな。二重三重の裏があるように感じる」

「フィロマ教会の思惑……でしょうか」

「かもしれん。キュウタと教会は『魔法』と絡んだ共通の利害関係にあるのだろう。戦場でキュウタに与えられていた指揮権もかなりの高位だった」


 学院長が嘆息する。


「教会と対等な関係にある個人ですか? 言葉も無いですね」

「初めて会った頃は、教会のコネで学院に潜り込んだただのボンボンかとも思っていたがな」


 そう言って、杯を唇につけ喉を潤すペイトンが思い出したように顔を上げる。


「そういや、サザレ嬢ちゃんはどうしてる? 相変わらず講義に出てるのか?」

「ええ。と言っても、教室で他の生徒たちをぼんやり眺めてるだけのようですが。今日も来ていましたね」

「よし、あとでちょっと『挨拶』に行ってこよう。帝都も久しぶりじゃからな。腕が鳴るわい」


 にんまりと邪悪な笑みを浮かべたペイトンに、学院長が頭痛を抑えるように自分の額に手を当てる。


「先生は少し彼らと近づきすぎです。教会は我々と彼らの過度の接触を好まないのでは?」


 学院長の心配をペイトンが鼻を鳴らして一蹴する。


「あいつらの行動を妨げるな、という指示しかワシは聞いとらんよ。別に仲良うなるな、というわけではない」

「それはそうでしょうけど……」


 よっこらしょ、と掛け声をかけて椅子から立ち上がったペイトンが扉に向かう。ちらりと肩越しに振り返った視線が、まだ不安そうな学院長に投げられる。


「あの二人はただの子供だ。どれだけ強い力を持っていようとな」


 さらりと言ったペイトンの声。そこには自らの生き方に微塵のゆらぎもない自信が込められている。

 ふっと息を吐き出した学院長が表情をやわらげる。


「先生は昔からそうでしたね。問題児であるほど手をかけて面倒を見ようとなされる」


 ペイトンが、にっと唇を上げて笑ってみせる。


「ワシは教師だからな。子供の世話を焼くのは第二の本能みたいなもんだ」


 学院長の脳裏に過去、自分が生徒だったころの記憶がよぎった。小さく頭をふって微笑んだ彼に、ペイトンが首をかしげる。


「なんだ? 何か可笑おかしいことでも言ったか?」


 どこかからかうような視線で学院長が答えた。


「いいえ。お土産、ありがとうございました。また近いうちに私の家にいらして下さい。妻も会いたがっていますので」


 はにかむような表情でひらひらと手をふってこたえたペイトンは、院長室から足取り軽く去っていった。





 夕焼けに染まりはじめた空が、アルハーン・サウドの全身を包む青い衣装にコントラストの強い陰を作っている。


 街道から帝都『カノンブルヌ』へと続く巨大な『門』は、ひっきりなしに出入りする人間や馬車、牛車でごった返している。


 門の奥には市街地の風景が横たわり、さまざまな形の建築物のシルエットが見て取れた。

 カノンブルヌの街並みは混沌としており、石造りや木造の、またドーム型や切妻型の屋根がおもちゃ箱をひっくり返したような乱雑さでひしめき合っているのだ。


 門の片隅でアルハーンは、一人のティチェク族の男と向かい合っていた。

 男がアルハーンに問いかける。


「本当にカノンブルヌこことどまる気か?」


 不審そうに尋ねた旅姿のティチェク族の男。アルハーンは肩をすくめる。


「『旦那』が討ち死にした以上、奴隷兵士の『契約』は正式に失効した。これからは、どこで何をしても俺の自由さ」


 男は念を押すように、アルハーンへと言葉を投げる。


「ここは、こないだまで俺らの戦争相手だった『フィロマ帝国』だぜ。気にならないのか?」

いくさは終わった。今は敵じゃない。もとより俺は帝国に何の恨みもない。契約のもとで戦っていただけだ」


 理屈ではあると男は思う。だが、アルハーン・サウドという人物が、ティチェク族の中でもどこかズレているという認識を拭えないのも事実だった。

 男が頭をかきながらため息をつく。


「まあいいさ。で、カノンブルヌで暮らしていく『あて』はあるんだろうな?」

「以前、戦場で知り合った男が入っている『組合』とやらを訪ねてみるつもりだ。腕次第でそれなりに稼げるらしい」


 ぽん、と腰に差した刀のつかを叩いてみせるアルハーン。

 しばらく黙っていた男が、やがて諦めたような口振りでうなずいた。


「ふーん。まあ、お前ならどこに行っても大丈夫だとは思うけどよ」


 ふと視線を空に向けるアルハーン。その灰色の瞳は遥か彼方の地を見つめているようでもある。

 アルハーンは男に目を戻して言った。


「故郷に戻ったら、俺の家族によろしく伝えておいてくれると助かる」

「あいよ。じゃあ、もう行くぜ。元気でな、アルハーン」


 青い衣装をひるがえして背を向ける男。

 アルハーンは自分の胸に手を当てて、相手の背中に言葉を向けた。


「お前の旅が水と風に恵まれることを」


 ティチェク族の伝統の言い回しに、肩越しに振り返った男はニヤリとして片手を上げて応じてみせた。


「ああ、お前にもな」


 そして男を見送った後、アルハーンは門をくぐり帝都カノンブルヌの大通りへと進んだ。さまざまな人々の喧騒が一段階上昇し、街の熱気のようなものが彼の周囲を満たす。


 もう日没だというのに、あちこちの商店や露天商はまだまだ店じまいする様子はない。そしてそれが当たり前であるかのように、多くの市民が道を行き交っている。


 活気のある街だとアルハーンは思う。曲がりなりにも西方諸国最大勢力である、フィロマ帝国の帝都であるのだから当たり前だとも言える。だが、アルハーンはカノンブルヌの人の多さだけではなく、街並みのあちこちに漂う気配から、連綿と積み重ねられた生々しい『歴史』を確かにその肌で感じ取っていた。


 道行く大多数の市民よりも頭一つ高い背丈のアルハーン。彼は人波の間をすり抜けるように、人づてに聞いた記憶を頼りに入り組んだ道をたどっていく。


 歩きながら周囲の人々や建物を何気なく観察してみる。

 時代も文化もバラバラな建築様式の大小の家、さまざまな民族や国を背景にした者らが押し合いへしあいしながら暮らしている街。世界のすべてが凝縮されている場所だということを強く意識させられる。

 それはまるで色も形も無秩序な小片を縫い合わせて作った、一枚の布地のようだとアルハーンは感じるのだ。


 ふと立ち止まった彼は空を振り仰ぎ、闇が忍び寄り始めた東を見つめる。


 先ほど別れた男には言わなかったが、アルハーンにはフィロマ帝国に留まる重要な理由があった。

 あらゆるものが集まる場所、帝都カノンブルヌならきっとその手掛かりが掴める。彼はそういう予感を持っていた。


 アルハーン・サウドは、以前戦場で出会った『白仮面の男』の所在を突き止めたいと思っているのだ。



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