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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (4)

 窓から差し込む午後の陽光が、室内をかすかに舞うほこりをちらちらとまたたかせている。


 深い赤茶色の木材で造られた壁や床。そこには使い込まれた物独特のこすり傷のような光沢が浮かび上がり、この建物のそれなりの歴史を示していた。


 この二階建ての木造建築物は、周囲にそびえる荘厳な造りの教会施設群の隙間に埋もれるように存在している。華美な装飾はなく、目立たぬことが目的だと言わんばかりの実用一辺倒の設計であった。


 その一室に、数十名の人間が寄り集まっている。

 

 ひっそりとした『教室』のなかに、物腰の柔らかな、低く落ち着いた男の声が響く。


 一面の壁の大半を占めるように巨大な黒板が据え付けられている。その手前には一人の中年男性が立っていた。灰色のローブと豊かな銀髪が印象的な人物である。その『教師』は他の者たちを前に、控えめな身振り手振りで説明を続けている。


「……つまり、この呪文の第六韻の音素に含まれる呪印構造は、複数の意味に解釈できる。術式発動時にどの発現型を取るかは、魔法陣の構造に依存しているわけだ。だが、前後の音脈からある程度類推することも不可能ではない。また……」


 黒板にチョークで記号や文字を書き込む音を伴奏代わりにして、淡々とした調子で紡がれる言葉。


『生徒』たちはめいめいにあてがわれた机に着席して『講義』に聞き入っている。三十人ほどの若い男女は皆、一応は統一された黒いローブを身につけていたが、その着こなしについては十人十色である。


 袖を肘までまくりあげたり、襟元を大きく広げている者はさほど珍しくない。中には裾を加工してズボンのようにしてしまっている者までいる始末だ。だが、ここはそういったことに目くじらを立てて注意するような気風の場所では無かった。


 そして教室の最も後方の席には一人の少女がいた。黒いローブの隙のない着こなしは、彼女の本質の一端を示しているように見える。


 茶色がかった黒い長髪がさらりと揺れる。そして彼女の青く透き通る瞳は教師ではなく、他の生徒たちの背中を見つめていた。

 サザレは一人の生徒の後ろ姿をじっくりと眺めてから、その隣の生徒へと視線を移す。

 

 順繰りに他者へと向けられる瞳は、相手のすべてを容赦なく剥き出して検分し、評価するような光を浮かべている。


 講義にまるで集中していないサザレの様子に、教師が注意を向けることは無い。

 この『魔法教導学院』を管理するフィロマ教会が、教師や関係者にある通達をしているのだ。


 とある少年と少女を『特別』な生徒として扱い、彼らの行動を阻害してはならない。そしてその事実は他の生徒たちには伏せておくようにと。


 この指示は、帝国各地の学院すべてに等しく適用されている。それは学院関係者の一部に多少の不審感と、少年たちの身元に対する好奇心を植え付けた。

 だが、それを表立って口にする者はほとんどいない。


 教会のお墨付きがついている人物に対して物申すような無謀な行為をする者など、この学院にはいないのだ。『魔術士』とは合理的な判断力にけている生き物、という証拠なのかもしれない。


 そしてサザレがこの学院に居着いている理由は、学問とは少し別のところにあった。

 彼女が毎日のように繰り返している、他の生徒を『る』作業。それは今日も特に何かの成果に繋がることは無さそうだった。


「ふう」と、可愛らしいため息とともに頬杖をついたサザレが窓の外に目を向ける。少年が戦場に向かってから数ヶ月になる。いくさはすでに片がついているはずだ。そろそろ戻ってきてもいい頃合いだろう。


 物思いにひたるサザレ。

 彼女が見上げる、帝都『カノンブルヌ』の空は真っ青に晴れ渡っていた。





 誰もが認める一大国家となった『フィロマ帝国』。


 その『みやこ』と問われて、人々が思い浮かべる都市は二つある。一つは言うまでもなくイリユヌス教の聖地『フィロマ』。


 そしてもう一つが帝都『カノンブルヌ』である。


 その成立と隆盛の歴史はひとえに立地条件から派生するものだ。


 フィロマ市の属する半島が面する海域。そこから更に東に進むと、内陸に食い込んだ巨大な『内海ないかい』が出現する。


 ここは種々の化学的、および生物学的理由から、他の海域に比べて黒みがかった見かけの海水で満たされていた。様々な国の言語においても、それにちなんだ呼称をあてがわれる事例が多い。


 またこの内海は大陸のほぼ中央部に位置している。したがってここは異なる文化や民族、国家が頻繁に接触、交錯する場所であり、極めて込み入った歴史が現在進行形で紡がれているのだ。


 内海の奥に通じるただ一つのごく細い『海峡』も、歴史をさらに複雑にした要因だろう。非常に有益な航行路であるこの海峡は、政治、経済、軍事、あらゆる要素において時代を問わず重要な価値を持っている。


 海峡の両岸がもっとも接近する地域に、数千年以上の歴史が連綿と続く都市『カノンブルヌ』がある。もとはフィロマ市の前身となる古代文明の住民が、植民都市の一つとして建てたものだと言い伝えられている。だが、その真偽すら曖昧なほど、この都市の歴史は長い。


 歴史上の正確な経緯はともかく、この都市の立地は陸海の交易路が集中交差する、大陸の要衝であるのは間違いない。


 そしてフィロマ教会領が『フィロマ帝国』として支配力を拡大する時代。このカノンブルヌも帝国の『心臓部』として、より一層の繁栄を加速度的に押し進めていく。優良な港や利便性の高い街道の整備が進み、モノや人の流れが増大し、富が富を呼ぶ正のフィードバックが成立していったのだ。


 その栄華は、この地を治めるものが世界のすべてを手中にする、と謳われるほどであった。そしてそれは事実と言って構わないだろう。フィロマ教会が各地の支配者に与える称号の中でも最高位の『皇帝』。それを冠してきた者のほぼ全てが、ここカノンブルヌの統治者なのだ。


 教会と皇帝は基本的には協調路線を歩んできた。それは支配力の一極集中がはらむ危険性を敏感に察知していたからかもしれない。また『協調』と言ってもそれは必ずしも『親愛』を意味したわけではない。お互いに相手の力を利用することが最適解だとみなした結果からもたらされる均衡状態。そう表現するのが妥当だろう。


 付かず離れずの距離を維持しつつ、互いの利益と思惑の裏の裏までを読み合い、譲歩点を探る。そんな打算の連続が築きあげた関係なのだ。


 裏事情はさておき、聖地フィロマが帝国市民の『精神的な支柱』であるとすれば、カノンブルヌは『物質的な支柱』といえる。この二つの都市は帝国の両輪として、かつてない活力とにぎわいに満ち溢れていた。


 そして名実ともに東西世界の全てが集まる都市となった、帝都『カノンブルヌ』。つまり、ここは『知識』の集約地としても、うってつけの場所だった。





 重々しく開かれた学院の扉から、ぞろぞろと屋外へと出て行く黒ローブの男女は太陽の明るさに目を細める。


「やっと終わったあー」

「飯食いに行こうぜえ」

「ねえねえ、あの子ったら、こないださー」

「俺、ちょっと書庫に寄ってから帰るわ……次の試験ちょっとヤバい気がする……」


 講義から解放された生徒たちは皆、思い思いの休息へと歩を進める。ある者は仲間と町へ繰り出し、ある者はより一層の知識の研鑽を求めて自学に励む。


 多様な人材が集められている学院への『入学』資格はそれほど厳しくは無い。


 困難なのは『在学』資格を維持し続けることだった。


 フィロマ教会が帝国各地に設置している『学院』は『魔法』の研究と教育を担っている。

 その入学資格はシンプルだ。

 原初魔法を発動できる者。ただそれだけである。


 もっとも原初魔法と言ってもその種類は数多く、未確認のものも多数あるだろう。なかにはサザレの『未来視』のように目に見える効果を発動しないタイプの原初魔法もある。


 したがって、実際の入学試験は各学院の学院長が志願者の『魔力の発現』を確認する、という手順が通例となっている。


 門戸の広さに対して、そこで学び続けることは困難な試練である。学院では定期的に実施される試験によって、生徒は評価を決定される。


 そして基準に達していないとみなされた者は、学習の次の段階に進むことを許されないのだ。だがそれは直接の退学を意味するものではなく、教会が学院生徒に対して行っている様々な『支援制度』の削減、あるいは停止による間接的なものである。


 フィロマ教会が魔術士をより多く集めるために選んだ手段。それは『金銭』だった。


 つまり、学院に在籍する生徒には破格の経済的な支援を行うことを、教会が大々的に宣伝したのだ。さらに卒業後に『教会認定魔術士』として資格を得ることができれば、教会に身分と生活を保証され、一生食いっぱぐれのない生活が実現できるという豪華なおまけ付きである。


 当然、志願者は爆発的に集まった。だが魔法を扱うということは極めて高度な知的作業である。たとえ魔法の才能があったとしても、文字を読んだり数をかぞえたりすることすらままならないような者は、最初の三ヶ月目に行われる試験で容赦なく振り落とされ、授業料免除資格を剥奪される。


 そういった者は大抵の場合、経済的に余裕が無く、自然と学院から去らざるを得ないのだ。少しばかり情に欠ける仕組みかもしれないが、何ごとにもリソースは限られている。優秀な素質を持つ者に可能なかぎり集中的に教育と訓練を施す。それが現状での精一杯のやり方なのだ。


 講義を終えてがやがやと家路につく生徒たちの一番後ろ。サザレは学院の扉の内側から彼らの背中を見つめている。


 サザレがキュウタと別行動を取り、この学院にとどまっている理由。

 それは生徒たちの『未来』をることで、彼らの魔術士としての可能性を詳しく探るためだ。


 こうして同じクラスで同じ空気を吸い、彼らの存在を肌で感じ取ること。それが『未来視』の映像をより詳細かつ明瞭にする、限られた手段の一つなのだ。


 一例として、生徒本人が魔術士として大成する目がなくとも、彼らの子や孫に逸材が生まれる可能性はある。そんな時は、サザレたちがさり気なくその歴史へ誘導したりもするのだ。


 優れた生徒が、優れた魔術士となり、やがて優れた魔法研究者として業績を残すというサイクル。サザレはキュウタとともに色々な『未来』を検討してみた。だが、この学院の教育システムを推し進めることが、今の自分たちに取りうる最善の魔法発展手段であると結論するしかなかった。


 歯痒い、とサザレは少しだけ思う。

 だが、どうすることもできない。『魔法』という巨大で難解な学問の森。それをかき分けて進む能力を持つ者は滅多に出現しない。ましてその先にある未知の研究領域を切り開くことなど、自分ごときの才能では到底不可能な話なのだ。


 ふと、サザレの鋭い聴覚に一人の女性のか細い悲鳴に似た声が届く。

 声の源を何の気なしに見やるサザレの視界に、小さな人影が飛び込んでくる。


 五歳か六歳くらいの少年が『裸』で学院前の草地を一直線に走り抜けている。ちょこちょことした足取りはなかなかに素早く、ある意味将来に期待が持てそうだ。


 その後ろから最前の悲鳴の主と思しき若い女性が追いかけてくる。彼女の両脇には、やはり裸の五歳前後の少年と少女が抱えられている。見た目よりもずいぶんと腕力がある人だとサザレはのんきに思う。


 女性は黒と白を基調としたモノクロームの衣服を身につけ、今にも泣き出しそうな悲壮な表情で裸の少年に追いつこうと駆けている。髪をすっぽりと覆うベールの端がひらひらと揺れていた。

 そしてサザレは、女性の格好がフィロマ教会の『修道女』の衣装であることにようやく気づく。


 かなり遠い距離からだが、サザレと視線があった女性が最後の手段とばかりに懇願の声を放つ。


「ああっ、あのあのっ! そ、その子、つかまえてえっ!」


 きゃっきゃっとはしゃぎながらサザレの目の前を通り過ぎた裸の少年。次の瞬間、彼の視界はぐるりと半回転する。


 サザレが素早く伸ばした右手に足を掴まれ、少年は逆さに持ち上げられていた。


 彼の目が、自分を捕らえた相手の視線とぶつかる。一瞬ぱちくりとまばたいた少年が、大喜びであどけない笑い声を上げる。子供というのはどこに面白さを見い出すのかよく分からない。

 片手で軽々と少年を支えるサザレの意識が、ふと少年の面立ちに向く。どこかで見た記憶がある。


 よくよく見れば少年の体はずぶ濡れであり、ようやく追いついてきた修道女が両脇に抱えている子供らも同様の濡れネズミである。


「あ、あの、ありがとうございます。子供たちをお風呂に入れてたら急に逃げだしちゃって……」


 心底ほっとした様子の修道女が深々と頭を下げる。片手でぶら下げたままの少年の顔を再びまじまじと見たサザレがつぶやく。


「この子、もしかして学院の幼年部?」


 口をついて出たサザレの言葉に、修道女は面食らいつつ首肯する。


「え? ええ、そうです。そう言えばそのローブ……あなたも学院の生徒さんですか?」


 こくりとうなずくサザレ。


 修道女はベールの隙間からほつれるようにこぼれだした栗色の髪を整えながら微笑んだ。ぱっちりとした黒い瞳が印象的な、はっきりとした目鼻立ちだ。だが、どこか儚げな陰を忍ばせているようにサザレは思った。


「私、幼年部の寮で子供たちの世話をしているんです」

「そう」


 ぶっきらぼうに返すサザレ。だが修道女も特に気を悪くした様子は無い。

 修道女の脇にかかえられた少女がのんびりとした調子で見上げる。

 

「リネッサねえちゃん、おなかすいた」


 リネッサと呼ばれた修道女は「はいはい」と適当な生返事をしてみせる。彼女の普段の苦労がうっすらと想像できるやり取りだ。


 サザレはちらりと視線を巡らせ、少し離れた地味な建物を見る。確かあそこが子供たちが寝起きしている場所だったはずだ。


 フィロマ教会は、魔法研究と教育の一環として、原初魔法に覚醒したばかりの子供たちを学院に引き取る形で面倒を見るケースがある。

 諸事情によって親元を離れざるを得ない、あるいは『離れるべき』だと教会が判断した場合だ。


 サザレは逆さ吊りにしていた少年を草地に下ろす。地面にぺたりと座り込み、少々物足りなさそうな顔でサザレを見る少年は、今のを遊びか何かと思っているようだ。

 生まれたままの姿の少年の体には、道中でつけたのだろうか、土や草葉があちこちこびりついている。リネッサの顔が疲労にさいなまれていく。


「ああ、もう……せっかくきれいに洗ったのに……またやり直しじゃない……」


 リネッサの嘆きに少年はごろりと地面に寝転がり、ふてくされるように顔を草に押し付けて表情を隠す。


「ごしごしされるのイヤ。いたいもん」


 サザレの口元がわずかにゆるむ。何がこの騒ぎの発端になったのか、なんとなく察しがついてきた。

 リネッサは両脇に抱えていた子供を降ろし、横たわる少年の傍に膝をつく。少年の頭に優しく乗せられたリネッサの手が、彼の髪の毛をそっとく。


「今度は優しくするから。ね?」

「ホントに?」

「ほんとほんと。ほら、帰りましょ。ご飯もできてるからね」


 そう言ってリネッサは立ち上がり、にっこりと微笑んだ。


「うんっ」


 ぱっと体を起こして、リネッサの腰にしがみつく少年。素直に言うことを聞くところを見ると、根っからの悪ガキというわけでは無いようだ。

 ご飯というキーワードに敏感に反応した他の子供たちが、奪い合うようにリネッサの手にぶら下がり、寮の方へと彼女を引っ張っていく。


 苦笑いしつつ、されるがままに足を動かすリネッサ。そして歩きながら、思い出したようにサザレへと振り返る。


「あの、先ほどは、ありがとうございました」


 なんのてらいもなく真っ直ぐに向けられた感謝の言葉。

 少々面食らったサザレは視線をふいっとあらぬ方へ向け、返事代わりに小さく首をもたげる。


「別に、お礼を言われるようなことじゃない」


 リネッサの黒い瞳が温かな色でサザレを見つめた。


「どんなに小さな事でも、誰かのために手を差し伸べられる人は貴い魂の持ち主なのですよ。ええと……」


 口ごもるリネッサに、サザレはぽつりと助け舟を出す。


「サザレ」


 なぜ名乗ったのかサザレは自分でもよく分からなかった。

 他人に名を告げる機会も必要性も滅多に無い立場だ。しかし、この修道女を相手にしていると、サザレは何か調子が狂っていく自分を意識していた。

 サザレの困惑をよそに、リネッサはぱっと顔を明るくした。


「サザレさん、ですね。私はリネッサ。『リネッサ・エンテネス』と申します。よろしければ、いつでも寮の方にいらして下さい。歓迎しますよ」


 何と答えればいいのか分からなかったので、サザレは肩を小さくすくめてみせた。

 優しい笑みでうなずいたリネッサは何も言葉を付け加えることは無く、ただ小さく手を振った。そして彼女は子供たちとともに、夕日に赤く染まりはじめた空の下、家路へと進んでいく。


 サザレはその後ろ姿をしばらく見つめていた。

 そして、知らず知らずのうちに小さく振り返していた自分の手を、珍しい生き物を発見したような顔でまじまじと眺める。


 やがて彼女は深々と息を吐きだす。


 自分は、あの修道女と『友人』になりたいと思っていることに気付いたのだ。



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