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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (3)


 青い衣装をまとった影。

 それは風のように滑らかな身のこなしで林の中に入る。そのまま速度をゆるめることなく木々の間を縫うように疾走し、しばらくしてから一本の大樹の陰でようやく足を止めた。


 アルハーン・サウドは軽く乱れた呼吸を整えつつ、周囲の気配を慎重に探る。追っ手は無い。林を透かして垣間見える丘などの位置関係を確かめた。そして自分が属する遊撃部隊、すなわちティチェク族の仲間と合流するための最適な経路を頭のなかで組み立てる。


 白仮面の男との邂逅かいこうたかぶる心をなだめ、奴隷兵士としての本分を改めて自分に言い聞かせる。とにかく、雇用主が自分の命につけた値段分の働きはしなければならないと。

 自分は戦うことに何よりの誇りを持っている。そして戦うことで代価を得ている以上、いい加減な仕事をするつもりなどないのだ。

 自身の体の状態を確認してから、しっかりした足取りで歩き出す。

 

 アルハーンがティチェク族の仲間と落ち合ったのは夕暮れ前である。苦笑いでアルハーンを出迎えた男が開口一番こう言った。


「『旦那』が討ち取られたらしい。本隊も総崩れの様子だ。ここでのいくさも、俺らの『奴隷契約』も終わりだな。これからどうする、アルハーン?」


 雇用主を失ったアルハーンは、突然目の前につきつけられた『自由』にいささか戸惑っていた。





 青衣の戦士が脱兎のごとく逃げ出し、かすみがかった戦場の向こうへと消えたころ。泥の上に尻もちをついていた黒ローブの老人はようやく我に返った。


 いつの間にか戦場の喧騒は遠くに去り、今は彼らを守る円陣の周囲は実に静かなものである。


 禿げ上がった頭から額にかけて浮いた脂汗と雨粒がまじったものを袖でぬぐい、大きく息をつく老人。

 そのかたわらに、白い外套マントの人物が立ち、手を差し伸べる。


「お怪我は無い……ですね、ペイトン先生」


『ペイトン』と呼ばれた老人は深々とため息をつき、相手の手をとって立ち上がる。少々痛めた腰をさすりながら、白仮面の男に非難がましい目を向けた。


「まったく……残り少ない寿命が縮んだぞ、キュウタ」


 大槻キュウタは仮面の下の唇に微笑を浮かべて肩をすくめた。仮面に開けられた目の穴が半笑いのような形になっているせいで、さらに不真面目な表情に見えてしまう。


「ちょっと油断しました。力で押してくるだけの相手に見えたので」

「何というか、でかいくせに猫みたいに身軽な奴だったな」


 ペイトンは首が繋がっているのを確認するかのように、こわごわと喉をさする。下手をすれば自分の頭が地面に転がっていたところだ。


 自分をはじめとした『魔術士』たちの護衛の切り札として付き添っているキュウタの能力。そこにはペイトンも信頼をおいている様子だ。だが、さすがに目の前に刃をつきつけられるのは生きた心地がしなかったのだろう。

 そして青衣の男の立ち回りにキュウタが冷やりとしたのも事実である。

 

 キュウタはこれまで多くの戦士と相対してきた。その経験をかえりみても、今回の相手はかなりの手練てだれと言っていい。

 純粋な身体能力や剣の扱いもそうだったが、何よりもキュウタが注目したのは、相手が原初魔法『硬化』の発動を鋭敏に感じ取った動きを見せた点だ。


 おそらくあの男も魔法の素質を持っているのだろう。だから魔力の発現する気配を察知し、キュウタが彼の周囲の空気を『硬化』させて拘束しようとするよりも早く行動を起こせたのだ。


 だが魔力を感じ取れることを差し引いたとしても、あの反応の速さは超人的といえる領域だった。まったく世の中にはとんでもない奴がいるものだと、キュウタはしみじみとするのだった。


 そして、ふっと微笑みがこぼれる。

 キュウタは物心ついたときから、魔族との戦争で『消費』される『兵士』として教育と訓練を受けていた。だから戦いとは日常生活の延長にすぎず、そこに楽しさを見い出すということはなかった。


 だが、今日出会った男との攻防は、どこかキュウタの心をおどらせるものだったのだ。ひょっとしたらこれは男という生き物のさがなのかとも思う。サザレが聞いたら呆れかえって説教でもされそうだと、キュウタは内心で苦笑した。


 青衣の戦士が走り去った霞の向こうを見つめる。物思いにふけるキュウタの表情は、どこか晴れやかな物を漂わせている。


 あの男とまたいつかどこかで会ってみたい。どこか淡く、穏やかな期待がキュウタの胸にそっと根を下ろしていた。


 戦場に不釣り合いなニヤけ顔をしているキュウタに、ペイトンが探りをいれるような視線を向けた。皺だらけの指がキュウタの顔をす。


「ところで前々から気になってたんだが。その阿呆みたいな『仮面』は何なんだ?」


 仮面の下で目をぱちくりさせて、ああ、と一声上げるキュウタ。ひょいと仮面をはずし、苦笑とともに振ってみせた。


「敵の矛先ほこさきをできるだけ僕に引きつけたいんです」


 そういって、キュウタは他の黒ローブ姿の男たちを見やる。彼らはみなペイトンと同様に戦場の空気に神経と体力を削られ、憔悴しょうすいしきっているようだ。皆の年齢はさまざまで、かなり年若の者もいる。だが中には疲労のあまり、その場で腰を下ろしてしまった者もいる始末だ。


 まさに見た目通り、彼らは戦場に出てくる部類の人間ではないのだ。剣や矢に対処できるような強さは持っていない。もし彼らが直接敵兵と対峙する羽目になったとしたら、その時点でかなりの緊急事態と言わざるをえないだろう。

 じっとりとした視線でキュウタを見ていたペイトンが尋ねる。


「……もしかして、お前さんが時々敵陣のなかに一人で突っ込んで派手に暴れてるのもそのためか?」


 どこか居心地悪そうに頬を指でかくキュウタ。


「『白仮面の魔術士』として名が売れれば、相手は僕を優先的に狙ってくる、と思ってるんですが」

あきれたやつだな」


 ペイトンは再び腰をさすりながらキュウタを非難がましい目で見た。孫のような年頃の少年が、ペイトンのような老人を守る盾として呑気な顔で体を張っているのだ。複雑な思いが渦巻くペイトンの胸中は他人の目からも見て取れるはずだ。

 相変わらず疲れきった様子の魔術士たちを見ながらキュウタは言った。


「魔術士は貴重な人材ですからね。戦場こんなところで失うわけにはいきませんよ」


 彼の瞳はどこか遙かな遠くを見据えているように、ペイトンには思えた。


 そしてキュウタの言葉が聞こえたのだろう、腰を下ろして休んでいる魔術士の何人かが片手を上げて微笑んでみせる。彼らも戦場を何度か体験する中で、キュウタの凄まじい力と信頼に足る誠実な振る舞いをの当たりにしている。その少年からの気遣いには応えたいという思いが、共通の認識として芽生えていた。


 魔術士たちの意思表示にキュウタは後ろめたさの混じる微笑で返す。なぜキュウタが魔術士たちを危険な戦場に引っ張りだしているのか。その本当の理由を知ったら、多分彼らは自分を許してくれないだろうとキュウタは思っていた。


 何しろ、これは単なる『実験』にすぎないのだから。


 この部隊の指揮権を持つキュウタが、円陣を組む兵たちにいくつか指示を出す。魔術士たちの消耗が激しいためこの場で小休止することをキュウタは選んだ。


 魔術士たちの疲労の原因。その最たるものは魔法の行使によるものである。兵器として有用な規模の魔法を発動させるためには、少なくない魔力の発現が求められ、当然術者にも相応の負担がかかる。後先考えずに、ところ構わずぶっぱなす、というわけにはいかないのだ。


 やれやれと手近な倒木に腰掛けたペイトンが、周囲の警戒を続けるキュウタに顔を向ける。


「なあ、キュウタよ。お前さん、本気で魔法を戦争に使うつもりなのか?」


 視線は辺りを油断なく見回しながら、キュウタが言う。

 

「いけませんか?」

「いけなくは無い。フィロマ教会のお偉いさんが決めたことに、ワシら『教会認定魔術士』は従う義務がある」


 どことなく冷笑的なものを感じさせる口調に、キュウタのとがめるような視線がちらりと向く。ペイトンは相手のまなざしを何食わぬ顔で受け止めながら、ひょうひょうと言葉を続ける。


「教会にメシを食わせてもらっとる立場でもあるし、そこんところはわきまえてるつもりだ。お前さんの指揮下で敵と戦えと言われりゃ、そうするのはやぶさかじゃない」


 キュウタは肩をすくめると、微笑を浮かべて言った。


「建前上は拒否権もありますし、参加者にはそれなりの報酬も支払われているはずですが」


 真一文字に唇を結んだペイトンが小さくため息をつく。


「キュウタ。問題はそこじゃない。帝国領を守ることはワシらにとっても大事だ。役に立てるならいくらでも手伝うさ」


 だがな、とペイトンが言葉をぐ。


「そもそも魔法にこだわる必要があるのか?」


 キュウタは辺りの景色に注意を戻して黙ったまま、ペイトンが続ける言葉に耳を傾けた。


「『力の矢』に限らず、魔法術式ってのは武器として使うにゃ、色々と勝手の悪いシロモノじゃなかろうか? ワシもこうして何度かいくさに参加してみたが、やっぱり剣や弓のほうがずっと便利で強いように思うぞ」


 手の中で仮面をくるくるともてあそびながら、キュウタはどこか上の空で答える。


「ま、何ごとも最初はそんなもんですよ」


 そしてペイトンの口調が徐々に教師じみたものに変わっていく。これもきっと職業病というやつなのだろうとキュウタはぼんやりと思った。


「大体だな、さっきの男みたいなのに斬りかかられた日にゃ、呪文唱えて魔法をぶつける余裕もありゃしない。それに行軍しつつ戦闘の繰り返しじゃ、魔力も体力もあっという間に限界だ。魔術士なんて、みんな普段から本ばっかり読んでるなまちろい連中なんだからな」


 キュウタの眉が軽くしかめられる。まったく反論の余地がなかったのだ。


「それはまあ……そうかもしれませんけど」


 若者相手に少々きつい物言いになったかと思ったのだろうか、ペイトンが小さく頭を振りながら気まずそうに手をひらひらとさせた。


「ああ、すまん。何が言いたいかというとだな、段階を踏む必要があるんじゃないかって話だ」

「……段階、ですか?」

「魔法にはまだ誰も知らん術式が山ほどあるはずだ。ワシらの知識なんぞ、うわつらの皮一枚分くらいなもんだろう」

「そう願いたいものですね」


 うなずくキュウタ。ペイトンが戦場のあちこちに転がる死体やその周囲に散らばった様々な装備をアゴで指す。老魔術士の言葉には確信に近いものが込められていた。


「剣や弓よりも強力な術式。いつかそれが発見される可能性は十分にある。魔法を武器として使い始めるのは、その時からでも遅くないんじゃないか?」


 それに何より、とペイトンの小じわが目立つ眼差しがすっと細められ、そこに宿る光が鋭さを増す。


いくさで名を上げるのが目的なら、お前さんが本気で原初魔法でも使えばいい。そうすりゃ敵兵の百や二百なんぞ、まばたきする間に片付けられるんだろう?」


 全力で魔力を振り絞ることの意味を魔術士以上に理解している者はいない。それは人間の体力や精神力を容赦なく削る行為なのだ。


 そして今回の数ヶ月に及ぶ戦場での戦いのなか、キュウタが魔法を行使して疲労の色を見せたことは一度も無い。にも関わらず、彼が振るう魔法は一般的な魔術士と比較して、控えめに言っても桁外れな力を発揮している。


 つまり少年はこれでも『手加減』しているのだと、ペイトンは見抜いていた。そしてキュウタはその指摘に明確に答えることを避けた。


「僕個人の強さの問題じゃないんです。『人間』は戦場で魔法を『運用』する技術を発達させる必要があります。たしかに今すぐ結果は出ないでしょう。でも、いつかは始めなければならないんです」


 少年のまっすぐな物言いにペイトンは黙りこみ、相手を見つめたままじっと考えこむ。二人の間に立ち込める沈黙にわずかな重苦しさが加わっていく。

 やがてぽつりと紡がれるペイトンの言葉。


「お前さん、色々と隠し事をしてるよな」

「すいません」


 やけに素直に謝るキュウタに、一瞬あっけにとられたペイトンが「ふう」と息をついて笑みを浮かべる。


「責めているわけじゃない。お前さんの人となりは少しは分かってるつもりだ。何か大事な理由があるんだろう」


 孫を気遣うようなペイトンの声色に、キュウタの拳がきゅっと握られる。沈黙を守ったままの少年に、老人が静かに語りかけた。


「だがな、何もかも一人で背負しょい込む必要はない」


 重い口を開いたキュウタはどこか力なく見える。


「自分ではそんなつもりはない、と思っているんですが」

「腹のなかにモノをめ込んで歯を食いしばるのは、子供の仕事じゃあないぞ」


 雨はいつのまにか降りみ、雲のすきまから数条の陽光が細く漏れ出している。

 キュウタは空を見上げながらしばらくの間、ただ静かにたたずんでいた。ペイトンもそれ以上言葉を重ねることはなく、倒木に腰掛けたまま足元を静かに見つめていた。


 一陣の柔らかな風がキュウタの外套マントすそをはためかせる。それを合図にしたかのように少年は言った。


「ここでのいくさは間もなく終わります。『帝都』に戻りましょう」


 ペイトンは、少年と世界をへだてる一枚の『壁』を感じた。何者も最後の一線を踏み越えては近寄らせず、それでいていつも変わらぬ穏やかな表情で振る舞う少年。

 白仮面の魔術士は心の奥にもまた一つの仮面をつけているのだ、とペイトンは思った。ほんの少しの無常感が老人の心にさざ波を立てる。


 よっこいせ、と掛け声とともにペイトンは倒木から腰を上げた。仕方がない。それもまた少年の選んだ生き方なのだろう、と老魔術士は胸の内でつぶやく。

 ペイトンは心を切り替えるようにニンマリとした笑みをキュウタに向けた。これで少しでも少年の心を解きほぐせれば、と。


「おう、やっとお待ちかねのお役御免か。ワシも久しぶりにサザレ嬢ちゃんの尻を撫でたくなってきた頃合いだ」


 ふっと表情をやわらげたキュウタが息を漏らして笑う。


「また鼻の形が変わるまで殴られても知りませんよ」


 ペイトンは両手の指をあやしくうごめかせながら、目をらんらんと光らせる。


「ふん。あの手触てざわりのためなら、鼻の一つや二つ喜んでくれてやるわい」


 もはや掛ける言葉もないと苦笑いで肩をすくめたキュウタが、部隊全体に出立と『帝都』への帰還の指示を出す。やれやれ、とばかりに弛緩しかんした空気が皆のあいだを満たしていく。キュウタという鉄壁の護衛がいても、戦場の緊張感は魔術士たちにとって過酷なものだった。


 そして戦況はおおむねサザレの『未来視』通りに進んでいる。この地域でしばらく大規模な交戦は発生しないはずだ。フィロマ帝国の安定が脅かされて、教会が主導している魔法の研究に支障をきたす危険性もだいぶ低くなっただろう。


 疲れた足を引きずりつつ、本隊との合流地点に進み始めた部隊。その殿しんがりつとめるキュウタが、何気なしに後ろを振り返る。


 さきほどまで喧騒が鳴り響いていた戦場は戦いの残り香だけが漂い、今はひっそりと静まり返っている。空高くには気の早い鳥たちが、ついばみやすい死体を見繕っているかのように旋回している。


 キュウタは先ほど自分の心を躍らせた一人の男の姿を思い返していた。

 あの青衣の戦士とは、またどこかで巡り会うような気がする。


 期待ではない。

 確かな『予感』が心のすみをかすめていたのだ。



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