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第六章 青衣の戦士、優しき修道女 (2)


 土地を切りひらき、得られるかてを増やす。

 

 それはえ広がることを本能に刻み込まれた生命として、ごく自然な成り行きなのだろう。大陸の西域において、居住に適すると思われる土地はほぼ完全に入植の手が入り、何がしかの形で人の社会が営まれている。


 人が増えれば、それを維持するためにさまざまな『システム』が自然発生的に成立していく。

 法、経済、宗教、そしてカテゴライズすらできない小さな仕組みの数々。


 畑からの収穫をわずかに増やすための経験則、荷車をほんの少し滑らかに進ませる知恵、罪を犯した者と害を受けた者のバランスを取るための罰の微調整、人々の不安をまぎらすべく祈りの言葉へ付け加えられる救済の文句、などなど。


 それらのありようは、科学をはじめとした多岐にわたる技術や文化の発達にともない柔軟に変化していく。


 だが、不可知のものに対するおそれは時代をても失われることはない。

 すべての者に平等に訪れる死や、説明のつかない自然現象に対する人々の不安に、『イリユヌス教』は不完全ながらこたえてきた。科学的視点からそれら教義の正確性を検証することにさほどの意味は無い。


 信仰によって人の心に平穏を与え、生き方を律することで社会の安定の一助とする。それこそが最大の目的なのだから。


 二つの大陸に挟まれた内海へと突き出した半島。

 その中央部に位置するイリユヌス教の聖地『フィロマ市』の周囲には、さまざまな形の国家や勢力が存在していた。精神的なり所としてとうとばれていたイリユヌス教は、目に見えない形で周辺の土地や人々に影響力を与えていた。だがある時、その支配力に明瞭な『形』が生じることになる。


 半島北部を支配する、とある信心深い一人の王がいた。


 彼が教会に領土の一部を寄進したことがすべての始まりだった。フィロマ教会最高指導者『会皇かいおう』は王に祝福と称号を与え、寄進された土地の実質的な支配権を王に改めて認めたのだ。それは庶民から王に対する評価の上昇につながり、王の権威をさらに高め、土地の支配そのものの安定をもたらした。


 これを手軽な人心掌握手段の一つと見た他の王や、それに類する諸侯も、後を追うように教会への土地や財産の寄進を始めた。そしてフィロマ教会は、各地の支配者へ信仰に基づく威光を与える見返りに、より多くの教会領を得て半島の外へまで徐々に支配力を拡大していく。

 

 純粋な信仰、あるいは打算からはじまった行為の数々はフィロマ教会に力を与え、そして教会に『政治』をすることを強制し始める。二百年あまりの比較的平穏な、土地や財産の離合集散の流れの果て、名実ともに一大国家と化した『フィロマ帝国』。それは西方諸国の中でも最大の力を有する勢力となった。


 そして、好むと好まざるとに関わらず帝国に接することになった他の国家や民族は『選択』を迫られた。


 帝国に呑み込まれるか、あらがうか。

 

 反応は様々である。


 大国との対決を避け、みずから編入を選ぶ者。

 各方面とのしがらみから、気休め程度のいくさをやってみせ、既定路線の延長上として帝国の一員となる者。

 そして徹底的に戦う者。

 

 戦いを選んだ者の理由も様々だった。

 先祖から受け継がれてきた土地と歴史に対する誇り、信仰する神の違いからくる受け入れがたい価値観への反発、なかには単なる天邪鬼あまのじゃく的な思考から剣を取る者もいた。


 そうして散発的に発生する戦争は、なぜか互いの国家の総力を上げて、ということには決してならなかった。後の歴史研究者のなかには、この抑制された闘争状態について何者かの『見えざる意思』を指摘する者も出てくる。だが状況証拠のみの仮説は、良く出来たお伽話以上の評価を受けることは無かった。


 にもかくにも、この時代のフィロマ帝国の境界周辺では常に何がしかの衝突が生まれ、さまざまな戦場が歴史に書き加えられていったのである。


 砂漠の民、ティチェク族。青衣の戦士アルハーン・サウドが『白仮面の魔術士』に出会った戦場もその一つだった。





 戦場に降り注ぐ雨は相変わらず小降りのままだった。だが、今のところむ気配は感じられない。


 盾を構えた数十人の兵士が組んだ円陣はじっと守りを固めたままで、攻勢に出る気配は無い。


 そして円陣の内側に寄り集まった、戦場に似つかわしくない黒いローブ姿の男たちが十人ほど。彼らの中央に立つのは、白い外套マントと白い仮面を身につけた一人の男。


 アルハーン・サウドは敵兵が組む円陣の周囲を速歩はやあしで回る馬上から、その白仮面の男をじっくりと眺めた。


 顔の上半分を覆い隠すようなのっぺりとした素材の白い仮面。両目にあたる部分だけが、二つの細くゆるやかな三日月を横倒しにしたような穴を開けられている。穴の奥は暗く、どんな瞳をしているのかまでは分からない。まるで相手に微笑んでいるような表情の仮面に、アルハーンの背中が妙にざわつく。


 仮面に隠されていない部分、鼻先や口元から見るに若い男と思える。ひょっとしたら少年というべき年頃なのかもしれない。

 そしてアルハーンは、円陣の中心に立つ白仮面の男の視線が自分に向けられていることを強く感じる。


 不意に、白仮面が白い外套マントの下から、ばっと腕を伸ばす。その指先はアルハーンの乗馬に向いていた。


 直後、黒ローブの男たちの身じろぎと視線が自分に集中する感覚がアルハーンの肌を撫でる。次いで、彼の耳に奇妙な歌うような複数人の『声』が届く。異国の言葉のように思えたが、なにかそれだけではない、『力』のような物が感じられた。


 勘、という言葉でしか表現できなかった。

 

 アルハーンはおのれの勘のみに従い、馬を一気に全力で走らせる。


 直後、一瞬前まで彼の馬がいた場所の地面が、「ボン」と音を立てて『削り取られ』た。大人がやっと一抱えできるほどの量の泥や草が飛沫しぶきや破片となって宙に舞い上がる。


 自分の愚かな先入観をアルハーンは恥じた。


 そして強者を前にした場面に特有の、血肉の膨張するような高揚感が彼の全身を貫く。反応がわずかでも遅ければ馬は、あるいはアルハーン自身も無傷では済まなかったはずだ。


 伏兵の弓射か投石だろうか、という推測は初めから頭に無かった。今の謎の『攻撃』は間違いなく目の前の円陣の中、非武装の黒ローブ姿の連中から放たれたものだ。そんな確信がアルハーンの心を満たす。


 そしてもう一度、自分に言い聞かせる。俺は間違っていた。こいつらは紛れも無い『戦士』だ、と。アルハーンは黒ローブの男たちに晴れやかな笑顔を見せた。顔の下半分を覆い隠す布の下の唇から喜びに満ちた言葉があふれる。


「見事だ! お前たちをあなどった無礼を謝罪する!」


 全身を包む青い衣装をばさりとひるがえし、アルハーン・サウドは強さに対して尊敬を向ける。彼にとって『強い敵』とは憎むべき対象ではなく、死力を尽くして戦いあえる幸運を共に喜び合う『同志』なのだから。

 

 そして彼はいま、その喜びを全身で表そうとしている。

 つまり、戦士としての最大限の敬意をもって、相手を全力で『殺す』のだ。


 彼は手綱を巧みに操り、馬が不規則な蛇行をはじめる。その速度にも捉えきれない波があり、円陣を組み警戒する兵たちに眩惑感げんわくかんすら与えていた。

 

 アルハーンは短いあいだに次の一手を検討する。黒ローブの連中が飛ばしてきた、目に見えない攻撃のカラクリは分からない。だが、おそらく『弓』に近いものだと考えていいだろう。記憶の中で彼らの攻撃の瞬間の光景を思い出す。構え、狙い、放つ。その過程が必要なのは間違いない。


 ならば、簡単な事だ。狙いを絞らせなければいい。


 アルハーンは馬を激しく左右に蛇行させながら円陣へと一気に距離を詰めた。どうも円陣の中にたむろしている黒ローブの連中は、専門的な戦いの訓練を受けていないように思える。突発的な状況変化への反応が明らかに鈍い。ここが好機と見て、おおっ、と吠えたアルハーンは盾を構えた一人の兵へと馬上から刀を振りかぶる。


 刀の軌道を予想したであろう兵が盾を上方へと差し上げた瞬間をアルハーンは見逃さなかった。彼は刀を振り下ろす代わりに、馬の背から後方へと体をおどらせ、すとんと地上へと降り立った。

 

 予想外の行動が、盾を構えた兵たちを一瞬凍りつかせる。

 この一瞬の混乱こそがアルハーンの狙いだった。堅守に特化したこの円陣を崩すためには正攻法ではきっと手間取る。ならば彼らの意識を馬と自分に『分散』させ、守りの壁にゆらぎを与えることで一つの突破口にしようと考えたのだ。


 固く閉ざされた防壁に穿うがたれた一瞬のほころび。それを得るためなら、馬を乗り捨てる価値はある。アルハーンはそう考えたのだった。


 その策は予想以上に功を奏した。


 乗り手を失ったまま突進する馬の運動エネルギーに抗しきれず、数人の兵士が盾ごと押し込まれ円陣の一部が歪む。その隙間にネコ科の猛獣のごとくしなやかな足運びで踏み込んだアルハーンは、地上すれすれをなぎ払うように長大な刀を振るった。


 ぎゃあっ、と悲鳴をあげた兵士の足が膝の下から斬り落とされ、血しぶきとともにくるりと宙を舞う。まるで長靴がひょいと放り投げられたような、どこか滑稽こっけいな光景を目の端にとらえつつ、アルハーンは兵の体を突き飛ばして道を開いた。


 ついに鉄壁の円陣のなかへと斬り込んだアルハーンは、内側の黒ローブの男たちへと肉薄する。


 間近で見ると、彼らはいよいよまっとうな兵士とは思えない。ある者は色白で華奢な体格、また別の者はだぶついた肉を腹にかかえていたりと、あきらかに体を動かすことにけている者の姿ではなかった。例の『見えない攻撃』にさえ注意していれば、刹那に何人なんにんか斬り伏せることは難しくないだろう。


 自分たちの周囲を固く守っていた円陣の一角が崩されたことに、黒ローブたちは明らかに動揺していた。


 とりあえず手近に立っている男の喉元へと狙いをさだめ、アルハーンは刀を横薙ぎにした。稲妻が一閃するような凄まじい速度の刃が、かかしのように棒立ちで固まっている相手を襲う。


 次の瞬間、アルハーンの目が驚愕に見開かれた。


 確かに相手の首を斬り落とせる間合いだったはずだ。だが、刀身が目に見えない硬い『何か』にはじかれ、斬撃の軌道が跳ね上げられるように狂わされたのだ。


「ちっ」


 何が起こったのか理解できぬまま、舌打ちをしつつ刀を振り切るアルハーン。

 そして頭の上をかすめた物騒な刃に、黒ローブの男が思わず尻もちをついて悲鳴をあげる。


「ひえぇっ」


 よくよく見れば、頭の禿げ上がった老人と言うべき外見の男だ。こんな者まで兵として引っ張りだす理由に首をひねる。同時に、今度こそ確実に息の音を止めるべく、アルハーンが全身をバネのようにしならせて刀を振り下ろそうとした、その時。


 ぞくり、と背筋が冷えた。

 何かが来る。勘ではない、確かな感覚があった。


 アルハーンははじかれるように黒ローブの老人から飛び退すさった。直後、自分と老人の間の空間に何かの『気配』が生まれた。それが何なのかは理解できない。まるで風が重さを増して、その場で石のごとく固まったかのような気配。


 あれに捕まるのは危険だ、と彼の戦士としての本能が告げる。そして再び自分の周囲にじわりと生まれる危険な力の気配。


 アルハーンは地面の上を素早く転がりながら、次々と生じる『気配』から逃れる。青い衣装や、口元を覆う布が泥にまみれていく。目に見えぬものに追い立てられるようにじたばたと逃げまわる姿。はたから見れば無様ぶざまな光景であろうが、アルハーンの行動は完全に正しかった。


 そしてアルハーンは円陣から脱出することを選択する。それは臆病風に吹かれたわけではない。自分がここで死ぬことは『契約』を反故ほごにすることだからである。


 おそらく相手は自分よりも強い。

 このまま戦っても殺されるだけだろう。そしてアルハーンがこの戦場に立っている理由は、自分が金で買われた『奴隷兵士』だからである。もし仮に相手を道連れにして死ねと命じられれば、迷わず彼はそれに従うだろう。


 だがそんな命令は受けていないし、今の自分は雇用主の『財産』の一部である。自分自身の命の扱いについて最終決定をくだす権利はないのだ。


 ゆえに彼は逃げ出すことを選んだ。


 おおっ、と重く響き渡る咆哮で周囲の気勢を削ぎ、盾で自分を押しつつもうとする兵士たちを刀を振り回して牽制しながら全力で駆ける。


 アルハーンの心は『喜び』にあふれていた。数多くの戦場を渡り歩いたが、自分をここまで追い込んだ者は初めてだ。正面からぶつかりあえば、自分は赤子の手をひねるよりも簡単に殺されるかもしれない。


 アルハーンは円陣の内側から外へと走りぬけつつ、視線をちらりと背後へ向けた。


 自分を捕らえようとした危険な力の気配がどこから生まれていたのか、彼は完全に把握していた。

 黒ローブの男たちの中央に立つ、白い仮面の男。

 圧倒的な強者がまとう貫禄がそこにあった。


 軽く腕を差し上げた白仮面の人差し指と視線は、逃走する自分の背中へと確かに向けられている。

 そしてアルハーンがその場から離れつつあることで、もう害は無いと判断したのだろうか、やがて白仮面は指をゆっくりと降ろした。


 見逃してくれたのだろう。

 そうアルハーンは思う。もし白仮面が本気なら、アルハーンはどこまで逃げようが、自分が死をまぬがれる可能性は無い。そんな確信があった。


 そして胸のなかを熱い想いが満たしていく。

 いつか、もう一度あの男と戦ってみたい。国や貴族の欲や、くだらない土地争いなど関係のない場所で。


 ただ一人の戦士として、あの男と全力で剣をまじえたい。結果、自分が死んでも何ひとつ悔やむことなどは無い。


 彼はティチェク族の戦士として戦いに生き、そして死ぬことに自分の『誇り』を捧げたのだから。




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