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第五章 東の国のじゃじゃ馬娘 (10)



 リズミカルな金属音が作業場の中に響いている。

 

 熱せられたはがねは明るいオレンジ色となり、打ち付けられる小槌こづちによって刀としての形を整えられていく。

 サザレは作業場のすみに積み上げられたまきに腰掛け、両手で頬杖をついている。商人から紹介された刀鍛冶を訪ねた彼女は、その作業風景を朝から半日近くぼんやりと眺めていた。

 参考までに出来上がった刀もいくつか見せてもらったが、商人の言葉通り腕は確かな職人のようだ。


 だが今のサザレの心は刀の出来栄できばえに向いていない。ここ最近、何かと理由をつけてみやこの中を歩きまわっているのも、キュウタと少し距離をおいて考え事をしてみたくなったからだ。


 キュウタと初めて出会ったはるかな過去の日々。洞窟にいた頃は楽しかった。気持ちを形にする言葉すら知らず、何もかもが単純でのんびりした世界。自分の心と体がまっすぐに繋がっていたような記憶がある。

 そんな彼女にとって、大槻キュウタの存在はいつでも心の真中まんなかにあった。彼が<姉>と狩りなどで行動をともにしている時に感じた、胸の奥をちくちくと刺す感情は二十万年近く経った今でも鮮明に覚えている。


 あの頃の想いはどれだけ時を重ねてもまったく色褪いろあせることが無い。老いることのない体が、自分の心をあの頃のままに繋ぎ止めているのだろうという漠然とした自覚がある。それを思うたびに彼女は不老という運命を与えられたことに感謝の気持ちをいだくのだ。


 やまいによって死に瀕したときに幸運にも『不老』を得て、キュウタの『旅』の目的を知り、彼と共に進むことを自ら納得して選んだ。人類や世界のためではない。キュウタを果てしない時間の流れの先に置き去りにはできない。ただ、そう思ったのだ。


 後悔などない。キュウタのために自分の全てを捧げられる確信がある。誰よりもいとおしく思える人のために永遠を生きる。

 それこそがサザレにとって全てにまさる『幸せ』なのだ。


 サザレがそれを面と向かってキュウタに告げるつもりは無かった。

 もし彼女の思いを聞いたら、キュウタはきっと哀しい顔をするだろう。そうサザレは思う。あの少年の生きる姿は、取り返しの付かないあやまちを正そうともがく、贖罪しょくざいのようでもあった。これ以上キュウタの悩みの種を増やすことに意味はないはずだ。


 キュウタの背負っているものを少しでも軽く出来るのなら、どんなことでもしてあげたい。だからこそサザレはキュウタとともに悠久の歴史を歩むことを決めたのだ。それが出来るのは自分だけなのだから。


 ほんの少しだけ気持ちに整理がついたように思い、サザレは視線を上げて刀鍛冶の手元に注意を戻す。片目を閉じてはがねの『姿』を慎重に検分していた鍛冶職人が、再び小槌こづちを振り上げる。


 甲高い音を上げ、小槌こづちが鋼に打ち付けられる。

 同時に、サザレの意識に一つの『ビジョン』が唐突に浮かび上がる。普段の落ち着いた物腰の彼女には珍しく、びくっと目に見えて肩が震えた。


 サザレは常に原初魔法、『未来視』を発動させている。

 それは微弱ではあるが、ある程度以上の影響力を持つ歴史の分岐点の変動をすくい上げる『フィルタ』として使うこともできた。


 そして今、彼女の『未来視』はとらえていた。

 キュウタが進む、今後数十年の『人生』。その一つの選択肢を示すものを。キュウタの『目的』にとって効率的な道すじが今、はっきりとあらわれたのだ。


 サザレは自分が見たものを拒絶するように指をわななかせながら、顔を手のひらでゆっくりと押さえる。


 ひたむきに一人の少年を思い焦がれるサザレにとって、その未来は残酷な決断を迫るものだった。





 キュウタは、門前に立って自分を見送るナタコウジ・サダナガに振り向いた。幸いにもヤコは屋敷の奥に戻っている。

 奥歯に物がはさまったような口振りと、戸惑い気味の視線がキュウタの内心を的確に表現していた。


「あの……」


 少年のそんな思いを読み取ったのか、サダナガが申し訳無さそうな微笑を浮かべる。だが彼は自分の考えを簡単に引っ込めるつもりも無さそうだった。


「今すぐ決めていただかずとも良いのです。あのもまだ嫁には少しばかり若いですからな」

「サダナガ様。ヤコ殿はこの事を……」


 探るように言葉を向けるキュウタに、サダナガの芯の通った声が答える。


「いいえ。まだ私の胸に秘めております」


 ならば、と口を開こうとしたキュウタの機先が制される。


身贔屓みびいきではありますが、ヤコのような娘をぎょせる男は滅多にいないと思っているのです」


 それはキュウタにも理解できる。だがモノには釣り合いというものもある。キュウタは言わずもがななことを言葉にするが、それで相手が諦めてくれるとも思えなかった。


「僕はナタコウジ家に相応ふさわしい家柄どころか、親兄弟さえいない根無し草です」

「そこは問題ではないのです、キュウタ殿」


 サダナガが軽く頭を下げた仕草は、自身の誠意を伝えようという意思の現れだろうか。彼はさらに言葉を続けた。


「正直に言えば、カガマチ殿の覚えがめでたいキュウタ殿とえんを結びたい。そういう下心もあります」


 何と返せば良いのか言葉に窮するキュウタに、サダナガは再度頭を下げた。


「それ以上に、私は貴方という御人おひとを当家に迎えたいのです」


 サダナガの声は嘘偽りのない心からのものに思えた。





 澄み切った冬の星空。吹き抜ける夜風が窓から家の中へと冷気を注ぎ込んでいる。


 囲炉裏いろりの中で燃える炭がほんのりと赤く色づいていた。

 炭の光に顔を下からぼんやりと照らされたキュウタは、炭火を見つめたままじっと考え込んでいる。食事中も彼は一言も発することなく、何かに心を奪われていたようだった。


 夕飯の片付けを終えたサザレが音もなくキュウタの向かいに正座し、二人分の湯呑みに鉄瓶から湯を注いでいく。

 ことり、とキュウタの前に湯呑みが置かれる。彼はそれに手をつけずにしばらく沈黙した後、恐る恐るといった調子で口を開いた。


「あのさ……」


 サザレは落ち着いた所作で湯呑みを持ち上げて上品に口をつけ、キュウタの言葉を先回りした。


「ヤコ殿のことですね」


 言い当てられたことをキュウタが驚く様子は無かった。サザレの『未来視』で自分たちの未来に関わる情報を捕捉することは半ば日常的になっていたのだ。もちろんあらゆる分岐の可能性を把握することはできないのだが、行動指針を決定する上では十分便利な道具であった。


「うん……それで、『未来視』では何か見えてる?」


 キュウタはサザレと視線を合わせることを気まずそうに避けていた。まるで自分がどう思っているのかを知られたくない、とでもいうように。


 サザレはキュウタが自分を見ようとしないことに安堵していた。今どんな表情をしているのか、なぜこんなにも心が動かされるのか、自分でも分からなかったからである。


 彼女が見た『未来視』は明快な歴史を指し示していた。

 キュウタがナタコウジ家に婿入りすることは、ミズホ国における魔法発展を強く推し進めることを可能にするのだ。


 無論、キュウタ自身が何がしかの発見や研究をなしとげたりは出来ないだろう。だが、皇家分裂に端を発した動乱を鎮めた第一の功労者である彼がナタコウジ家にくみすることは、権力構造の内側において魔法研究の基盤を強化することに繋がる。

 サザレの『未来視』が見るかぎり、それこそが魔法発展にとって最も『最適化』された未来なのだ。


 正確に伝えれば、キュウタはきっとヤコと夫婦になることを選ぶだろう。サザレにはそう確信する理由がある。


 いくどと無い歴史改変の過程で、彼が自分の『情』を差し挟むことは、ただの一度も無かったのだから。仮に、魔族に勝つために自分の命を差し出す必要があるならば、キュウタは迷わずそうするだろうとサザレは思う。彼はそれだけの覚悟を持って悠久の時間を生きている。

 そしてサザレはいつものように、キュウタに『未来視』の内容を告げようとした。


 だが、サザレの唇から言葉は出てこなかった。


 ばくん、とサザレの胸を強い鼓動が打つ。

 サザレは自分に何が起きているのか突然理解した。


 キュウタを誰にも渡したくない、という強いエゴがサザレの中に湧き上がっていた。


 それはまったく非合理的な感情だった。仮にキュウタとヤコが夫婦として過ごすとしても、長くてせいぜい五十年かそこらだろう。今までキュウタとサザレがともにしてきた時間からすればほんの一瞬のことだ。


 だがサザレの心は、他の誰かがキュウタの隣に少しの時間でさえ寄り添うことを拒んでいた。理屈ではない。女としての本能が、彼を自分以外の誰かと触れ合わせることを拒んでいたのだ。


 嘘をついてしまえ、とサザレの心が命じる。

 

 どうせ分かりはしないのだから。

 キュウタはサザレの『未来視』、というよりサザレ自身に全幅の信頼を寄せてくれている。「キュウタが婿入りすることに何の意味も無い」とサザレが言えば、彼は一片の疑いもなく受け入れるはずだ。

 そうすればサザレは今までどおり、キュウタと二人でずっと離れずに生きていける。


 囲炉裏の火を見つめたまま視線を上げないキュウタは、サザレの中に渦巻く情念に気づいていない。

 サザレの胸を黒い炎が満たしていく。簡単なことだ。ここでちょっとばかり嘘をついたところで誰にも気付かれたりはしない。サザレの『未来視』は、キュウタとヤコの人生を繋ぐことに何の意義も見出みいだせなかったことにしてしまえばいい。

 キュウタの隣に相応ふさわしいのは自分なのだ。


 膝の上で手をゆっくりと握り、また開き、呼吸を整える。

 サザレの瞳に決意の光が宿る。

 そして、彼女は静かに言葉を紡いだ。


「キュウタがナタコウジ家に婿入りすることは、この国における魔法の発展を強く『推進』します」


 違う。嫌だ。

 こんなことを言うつもりでは無かったのに。


 サザレはぎゅっと目を閉じた。

 自分は今キュウタからどんな風に見えているのだろうかと思う。キュウタが相変わらず視線を伏せたままなのは何よりの救いだ。今、キュウタと目を合わせたら自分が何を口走るかまるで見当もつかない。


「そうか。サザレはどう思う?」


 ぽつりと向けられたキュウタの問いかけは、サザレの心を残酷にえぐった。この人はどうしてそんなことを気楽に聞けるのだろう。自分はこんなにもキュウタのことを想って苦しんでいるというのに。

 鼻の奥がつんと焦げるような感覚をこらえ、サザレはいつも通りの口調に聞こえるように必死に感情を押し隠す。


「効率的な魔法発展を目指すなら、受けるべきです」

「そう……だよな。うん」


 キュウタがごろりと横になる。「うーん」と唸りながら目を閉じて、彼は再び沈思に浸り始めた。

 

 サザレは唇を噛んだままうつむく。自分がこんなにも身勝手で醜いことを気付かされ、今すぐどこかに消えてしまいたいという気持ちに押し潰されそうだった。

 

 キュウタは相変わらず瞑目したまま考えをまとめようとしているように見える。

 

 サザレは少しだけほっとする。彼が目を閉じている間は、自分の顔を見られずに済む。こんな醜い自分をキュウタに知られることが何よりも怖かった。


 キュウタがまだ目を閉じていることを確かめてから、サザレはまなじりに浮かんだ数粒の涙をそっと指でぬぐった。



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