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第五章 東の国のじゃじゃ馬娘 (9)



「あなたがキュウタ殿ですね」


 大槻キュウタを見下ろすナタコウジ・エイコの問いかけに、彼は小さな声で返した。


「……はい。お休みのところ失礼しました。気配は悟られないよう心がけていたつもりだったのですが……」


 ばつの悪い気分を抱えたキュウタはあぐらから正座になる。その間も発熱魔法への魔力供給はおこたっていない。

 エイコがふっと息をついてその場に座る。ぴんと伸ばされた背筋は病で弱った者の気配とは思えない。くすりと笑うエイコの目がキュウタを柔らかく見つめた。


「部屋の中が春のようにぬくもれば嫌でも気付きますよ」


 苦笑いするキュウタ。そしてエイコが床に手をついて、キュウタが止める間もなく彼女は頭を下げた。


「ナタコウジ・サダナガの妻、エイコでございます。先日は当家のために色々と御尽力いただいたそうで。感謝の言葉もありません」


 若干の後ろめたさが、キュウタの視線を彼女から逸らさせる。


「あ、いえ……僕が僕自身の利益のためにやったことです。誉められる話ではありませんよ」


 頭を上げたエイコがきょとんとした後、またくすりと上品な笑いをもらす。


「夫が言った通りの不思議な方ですね。まだお若く見えますのに、そのお顔の裏に深いしわが刻まれているようにも……あら、失礼いたしました。お許し下さい」


 ぽろりと出た自分の言葉に驚いたのか、慌てて口元を隠したエイコ。

 キュウタの表情に困惑と微笑みが相半あいなかばする。今までも、他人からこんな風に見透かされることはさほど珍しくなく、少年はいつも自分の底の浅さを思い知らされる。


「いえ、きっと『そう』なのだと思います。この立場は僕にとって過分な身の上なのでしょう」


 詳細をぼかしたキュウタの言葉。そこに触れられたくないという少年の心をエイコは感じ取ったらしく、さらに深く尋ねたりはしなかった。

 代わりにエイコは床に転がるヤコの寝顔を見た。


「ヤコも最近はお世話になっているようですね。今までしばらく、私のことで思いつめていた様子でしたが、近頃はずいぶんと張りのある物腰になりました」

「そう……だったんですか? いつも無駄に元気なところしか存じませんでした」


 くすくすと押し殺した上品な笑い。いたずらっ子のような流し目がキュウタを見やる。


女子おなごを見る目はまだまだですのね」


 痛いところを突かれたキュウタ。返す言葉もなく愛想笑いで応じる。ヤコの気質は間違いなくこの人から受け継がれたものだ。彼はそう確信した。

 床に置かれた魔法陣のふだにエイコの目が向く。


「ところで、私の部屋を暖めていたのはヤコですか」


 何かを責めるような気配がエイコの声に混じる。その矛先はきっと彼女自身に向けられているのだろうとキュウタは思った。


「ええ。今は魔力が尽きて眠っているだけです。術の続きは僕が引き継ぎます」


 エイコが布団にくるまってすやすやと寝息をたてるヤコを見つめる。

 

魔術士タマビトの力は、術を使う者の体に害を与えたりしないのですか?」

「無理な使いかたをしなければ問題ありません。それも含めて僕はヤコ殿にお教えしていくつもりです」


 エイコはキュウタの言葉に小さくうなずく。彼女の白い指先がそっとヤコの頭に触れ、黒い髪をやさしくなでる。


「ありがとうございます。私では……この子に何もしてあげられませんから。私は娘のかせでしかないのです」

「エイコ殿。それは」


 キュウタの言葉を静かに、それでいてきっぱりと押しとどめるエイコ。


「よいのです。自分の体は誰より自分がよく分かっております」


 はらりとエイコの長い黒髪がひとすじ頬にかかる。はかなげな彼女の表情にまた一つ陰を付け加えようとするように。


「ヤコがキュウタ殿のような方に出会えたのは、まこと良きえにしに思います」


 知らず知らずにキュウタの視線は下に向いていく。膝の上に置いた手にほんの少し力が入る。

 

「僕は……立派でもないし、強くもありません。つまらない我欲に動かされているだけの凡俗です」


 エイコの声が暗がりの中に突き入れられた。


「では、貴方はなぜ、この場にいるのですか」


 キュウタの指がぴくりと震える。


「……ヤコ殿が無茶をすることは見当がついていただけです。ただそれだけで……深い理由は、ありません」

「貴方がおのれのためだけに動くというなら、他人の無茶など勝手にさせておけばいいだけなのに?」


 畳み掛けられるエイコの声に、キュウタが口をつぐむ。

 ヤコが何をしようと今後の歴史の大勢に影響は無いだろう。彼女は優れた魔術士ではあるが、世界を変えるほどの存在では無いはずなのだ。


「キュウタ殿」


 エイコの手がキュウタの手を包む。

 彼女の瞳は娘と同じく黒く澄み、少年の瞳を覗きこんでいる。細いというよりは、やつれかけたエイコの指だったが、それは柔らかく暖かさに満ちていた。


「自分をごまかし、さげすむことは大事な物を見落とすことにもなります。きっと……今の私もそうなのかもしれません」


 エイコの声が徐々に落ちていく。

 黙りこくった二人の間に、ヤコの寝息だけが流れている。キュウタはエイコの手をそっと握り、ゆっくりと押し返した。


「僕は自分が大儀と信じるもののためには、何ものでも捨てる覚悟です」


 憂うような視線がキュウタを見つめる。


「貴方が心の底から納得できるならば、きっとそれが正しい道なのでしょう。でも、ほんのわずかでも迷いがあるのなら……」


 迷いなど無い。キュウタはそう自分に強く言い聞かせる。


「後戻りはできません。それは数多あまたの人々のせいを無駄にすることなんです」


 精一杯の冷たさで言い放つキュウタに、エイコはそっと返す。


「それでも、進む先を選ぶことは出来るでしょう」


 彼女の言葉はキュウタの心をざわつかせた。こんなにも気持ちを揺さぶられることは久しぶりだ。

 キュウタは自分の感情をどう扱えばいいのか混乱していた。そして結局、彼が口にしたのは会話を終わらせる無難な言葉であり、事実上の敗北宣言といえる。


「エイコ殿。お身体からださわります。そろそろとこにお戻り下さい。すぐに部屋を暖め直します」


 キュウタが手元のふだの魔法陣に手をかざす。

 だがエイコは毅然としたたたずまいで首を左右に振る。


「その必要はありません。貴方が私のために夜をてっする理由はないのです」


 つくづくこの人はヤコに血を分けた母親なのだと、キュウタは嘆息する。これほどの女性の夫であるサダナガは、もしかしたらとてつもないうつわを持った人物なのではとすら思う。

 

「エイコ殿のためではありません。貴方の体に万一のことがあれば、ヤコ殿が気にんで更に無茶をしかねません。一応これでも彼女の『師』という立場なので」


 娘のことを持ち出すのは反則かなと思ったが、今夜の気温は冬一番の厳しさといっていいだろう。これ以上、病身のエイコを付き合わせるわけにもいかない。

 しばし不満げな面持ちでキュウタを見つめていたエイコが、やがて小さく息をついた。


「では、つつしんでその好意に甘えましょう」


 ようやくエイコが部屋の奥に引っ込み、障子が静かに閉められる。えも言われぬ疲労感がキュウタの全身にこびりつき、彼はやれやれと肩を落とす。

 そんなことは知るよしもなく、ヤコは幸せそうな寝顔でむにゃむにゃと言葉にならない寝言をつぶやいていた。





 冬の空を鴨の群れが慌ただしく横切って行く。


 ぶすっとしたヤコの顔が虚空を見つめていた。

 彼女は庭に敷いたゴザの上でまっすぐに背筋を伸ばして正座している。だが、日々の日課である魔力の鍛錬には身が入らない様子だ。

 あくびを噛み殺しつつ、キュウタは不機嫌なヤコを呆れ半分の苦笑とともに見ていた。


 昨晩、母親の部屋を夜通し暖めるべく意気揚々としてのぞんだヤコ。それにも関わらず、いつの間にか自室の布団に寝かされていたことがよほど腹立たしいようだ。

 キュウタがヤコの術を引き継いだことは知られていないはずだ。どちらにせよキュウタが非難されるいわれは無いのだが、いくばくかの居心地の悪さが彼の背中にまとわりついている。


 また、朝方まで発熱魔法を維持していたこともあって、この時のキュウタは縁側でうつらうつらとしている。そのせいで、背後に現れたナタコウジ・サダナガの気配にまるで気付けなかった。

 キュウタが相手の存在に気付いたのは、隣に座ったサダナガがぽつりと口を開いた時だった。


「キュウタ殿。奥の部屋で少し休まれてはいかがかな」


 突然の呼びかけに、キュウタがびくっと体を震わせて閉じかけていた目を丸く見開いた。


「へっ? あ、ああ。サダナガ様。失礼しました……何でしょうか?」


 苦笑いのサダナガが肩をすくめる。


「いえ、あまり無理をなさらぬようにと」


 困ったような色が浮かぶサダナガの視線に、キュウタは相手の言外の意図を読み取った。昨晩のいきさつをサダナガも把握しているのだろう。

 キュウタはつとめてさり気ない声色で応じる。恩着せがましく思われるのはあまり本意ではなかった。


「……僕が好き勝手にちょっかい出しているだけですから」


 ふむ、と息を吐くサダナガ。ころもの袖をくるりと回して腕組みをした。


「キュウタ殿は、なぜ当家にそこまで肩入れして下さるのですか?」


 キュウタは明言を避けた言葉で返す。今までも多くの人間に似たような質問をされたが、大抵の場合この答で全てを済ませてきた。


「やらなければいけない事があるんです」

「詳しく聞かせていただくわけには……いかんのでしょうな」

「申し訳ありません。色々と入り組んだ事情があるんです」


 釈然としない思いを隠し切れぬサダナガが頭の横をぽりぽりとかく。


「何か、お力になれることがあれば良いのだが」

御役目おやくめまっとうして下さい。それが何よりの助けになるんです」


 これから数百年に渡り、ナタコウジ家とそれに連なる家系がミズホ国の魔法研究において重要な位置を占めるからだ。などと説明したところで世辞か冗談としか思われないだろう。

 キュウタの言葉をどう受け取ったのか、サダナガがおどけ半分の笑みを浮かべてみせる。


「ええ、お約束します。どのみち、家の者を食わせていかねばなりませんしな」

「それを聞いて安心しました」


 男同士、通じ合った物を感じ、どちらからともなく笑いが漏れる。

 そしてサダナガがぽんと膝を叩いた。何かを思い出したようだ。


「ところで」


 すっと顔を寄せてきたサダナガが、キュウタの耳元でひそひそと問いかける。ヤコにも話の内容を聞かれたくないようだった。


「キュウタ殿は所帯を持っておられるのか?」


 キュウタは一瞬、言葉の意味を理解しかねた。心を上滑りしていくなじみのない概念を捕まえるのに少々手間取ったのだ。


「しょたい? ああ! いえ、ええと、そういうのはまるで無縁で」


 眉根を寄せたサダナガが、更に声を低くする。何か慎重を期する必要があるとでもいうように。


「つまりキュウタ殿は、サザレ殿と夫婦めおとというわけでは……」

「ち、違います」


 少しばかり泡を食いながら首を左右に振る。この場にサザレがいたらきっと面倒なことになっていたに違いない。

 キュウタの顔をまじまじと見つめて何か考え込んでいたサダナガが、ゆっくりと口を開く。


「ならば……ふむ。キュウタ殿さえ良ければ、なのだが」

「なんですか?」


 首をかしげたキュウタ。話の着地点がまるで見えてこない。

 サダナガは至って真剣な眼差まなざしをキュウタに向けた。


「ヤコの『婿むこ』になってくれぬだろうか?」


 あごが外れたかと思うほど、キュウタの口がガクンと開く。

 キュウタは自分がとてつもなく間抜けな顔をしていることにも気付かぬまま呆然と固まっている。


 そしてそのやり取りを聞き取れないまでも、ただならぬ空気を察したヤコがいぶかしげな視線をサダナガとキュウタに向けていた。


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