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第一章 母なる魔術士 (1)


 大槻キュウタは地面の上に大の字になり、青空を眺めていた。

 

 今まで嗅いだことのない空気の匂いだった。

 ゆっくりと体を起こす。ここは崖の上だった。キュウタは地平線の彼方まで広がる深い森を、呆然として見下ろす。森の間を縫うように流れている川が、太陽を反射して白くきらめいている。

 時折鳥の群れが思い出したように森の中から飛び出し、ひとしきり旋回した後に再び木々の奥へと消えていく。


 ここは不思議な風景だった。目に映る空や木や川はごくありふれた部品である。だが、それらが何の細工もなくただ自然のままに増え広がっている。それはキュウタが知っている世界ではあり得ない光景なのだ。


 手頃な木は切り倒されその跡に家が建ち並び、川沿いには田や畑が開かれる。

 人間の手の入っていない風景こそが、彼の常識では不自然な風景なのだ。

 

 キュウタは辺りを見回して咳払いをした。聞かれる者など誰もいないに決まっているのだが、どうにも収まりが悪い。


「あ……いる?」

『いつでも、おそばにいますよ。そろそろ落ち着きましたか?』


 神が『転移』と呼んだ現象から、体感で三時間ほど経っている。

 キュウタが呼べば、神は常に答えてくれた。姿は見えないが、彼女の言葉は必ず心の中に語りかけてくれる。万が一『誰か』がそばにいたとしても、キュウタの独り言にしか思われないだろう。

 もっともその『誰か』に出会うことはまだ当分ないだろうと、不安と安心相半ばに思いつつ、彼は三番目に重要な疑問を投げた。

 

「何で僕、裸なの?」

「無生物の転移は、エネルギー消費が激しいので」

 

 なるほど、それは道理だとキュウタは納得する。まあそれはいいだろう。辺りに人の気配はない。別に見られてとがめられるような状況に陥るとも思えない。

 そして彼は二番目に重要な疑問を向ける。


「ここはどこ?」

『貴方が生まれた島の、隣にある大陸。その西端近くです』


 これもそれなりに得心のいく答えだった。キュウタが十七年間の人生を過ごしたミズホ皇国とここの雰囲気が何となく異なるのは分かる。

 自分に言い聞かせるように何度もうなずくキュウタ。大丈夫、大丈夫。自分はまだ正気を保てている。ゆっくりと立ち上がり崖のふちから下界を眺める。

 そしてキュウタは最も重要な疑問を発した。


「今はいつ?」

『貴方が生まれた時代から『約二十万年』ほど過去に飛んだところです』

「戻して」

『無理です』


 キュウタのこめかみに汗が一滴流れる。


「おい」

『何でしょう?』

「いや、どうすんのこれ!?」


 全裸のキュウタの体から力が抜けた。崖の上で四つん這いになり絶望に体を震わせる。何ということだろう、これからどうやって生きていけばいいのか。

 仲間も軍も家も、何も頼るものが無い。文明の恩恵を何一つ受けられず、文字通り生身一つでこの原始時代をサバイバルするなど自殺行為ではないか。

 一度死んだような命ではあるが、こうして生き残ってみるとやはり惜しむ気持ちもある。そして何より自分の中にある憤りが収まらない。

 

 魔族、そして魔神王。自分の世界を、友人を虫けらがごとく潰したあの忌まわしい存在。あれらに対する復讐を成し遂げるまでは死んでも死にきれない。なのに今は『二十万年前』だと。もう元の時代には戻れないのではないか。

 しばらく打ち震えていたキュウタに、神が至って事務的な声をかける。

 

『ええと、色々と説明したいことがあるんですが』


 感情をぶちまける気力もないキュウタが弱々しく返す。


「……どうぞ、ご自由に」

『では遠慮無く。少々誤解されているようですが、今の貴方は『ほぼ不死』です』


 がばっと顔が上がる。少年の顔にほのかな希望が灯る。


「……マジで?」

『マジです。正確には、『強い不老』とでも言うべきでしょうか』


 神の言葉を要約すると、キュウタは神の加護が与えられているのだという。彼はもう老いる事なく、今の十七歳という肉体年齢のまま永遠に生き続けることも可能だというのだ。


 更に不老の付随効果として怪我の治りやすさをはじめ、多くの病気や細菌に対する耐性も期待できるようだ。今後も医者の心配をする必要はないのだろう。

 ただし、と神は付け加える。

 

『死なないわけではないのです。極端な負荷は避けて下さい。頭や手足が欠損しても再生するわけではないですし、食事を摂らなければやがて飢え死にするのです。まあ、水さえ飲んでいれば数年生きられる程度に便利な体ではありますがね』


 その言葉の意味をじっくりと考えてみる。とりあえず今日明日の心配をする必要はなさそうだった。

 

「これから、僕は何をすればいいんだ?」

『その前に、ちょっと目を閉じてみて下さい』

「こう?」

『ええ。そして自分の体の中を意識で探ってみて下さい』


 途端、キュウタはびくっとして目を開ける。それは経験したことのない感覚だった。まるで血管や神経の中を何かがうごめいているような。


『何かの通り道のような物を感じられませんでしたか?』

「ああ。感じた。虫が這いずりまわってるみたいな」

『良かった。成功してたんですね』

「……成功?」


 神が自慢気にうなずく様子が目に見えるようだった。


『貴方、『魔法』が使えるようになっているんですよ』





 キュウタがまず手をつけたのは、住居の確保だった。神はずいぶんと遠目が利くらしく、数キロ先の山肌にある洞窟を見つけ出してくれた。川も森もほど近い中々の物件である。

 しばらくはここをねぐらにしつつ、より安全で快適な住居を手に入れようと彼は計画した。


 寝床用に適当な草や枝を洞窟に運び入れると、丁度日没となる。途中で見つけた木の実や果実をかじりながらこの日の飢えは十分満たすことが出来た。

 色々と必要な物はあるが、それは追々入手するなり作るなりしていけばいいだろう。まずは衣服かな、と彼はひとりごちる。さすがにいつまでも素っ裸なのも居心地が悪いのだ。

 

 いくつか枯れ枝を見繕って、洞窟の入り口で焚き火を起こす。軍の訓練課程でうんざりするほどやらされていた事もあり、特に難儀することはなかった。暖かいオレンジ色の炎に枝をくべながら、キュウタは神との会話を再開した。

 

「で……魔法のことだけど。僕が使えるようになってるって?」

『ええ。貴方の体内の魔力経路を開かせてもらいました』

「ふうん」


 と言ったものの、キュウタには何が何のことやらさっぱりだった。魔法など魔族にしか使えない物だとばかり思っていたのだ。軍でも色々と研究している者がいたようだったが、芳しい成果は挙がっていなかったなと記憶を手繰る。

 

『それはそうです。魔法の才能を持つ者が、人類の中に存在しないのですから』

「僕にやったように、ええと……魔力経路? それを開いてやればいいんじゃない?」

『難しいですね。人類全員に対してそれをするには、私のエネルギーが足りません』

「またエネルギーか。神さまって燃費悪いんだな」


 くすくすと笑う神。

 

『確かに。それに魔力経路を『開いた』からといって、強力な魔法がすぐ使えるわけではないのです』


 魔法とは知識の蓄積なのだと、神は言った。無数の呪文や術式の組み合わせを体系的な『学問』とし、地道に理論や実験を積み重ねていくことが重要であると。

 そうやって強力な魔法を何世代にもわたって研究していかなければ、魔神王はおろか下級魔族すら倒すことはできないのだという。

 

「じゃあ、呪文も何も知らない僕は、まだ魔法が使えないってこと?」

『一つだけ使えるはずです。それは魔力経路を開いた人間なら誰もが持つ、『原初魔法』と私は呼んでいます』


 魔力経路を開いた人間は、それぞれ変更不可能な特有の魔法を持つのだという。それは呪文や術式を必要とせず、意識するだけで効果を発現させる事ができる。

 『原初魔法』は個々人によって種類や強さが大きく変化し、言わば『体質』のような物だと考えればいいらしい。そして使ってみるまで、その人間にどんな原初魔法が宿るのかは分からないという。


「要は、やってみりゃ分かるってことか」

『ええ。私も興味があります。貴方がどんな魔法を授かったのか』


 キュウタは神に教わった通りに意識をコントロールする。体を巡るざわざわした『魔力』の感覚。それを外部に放出するイメージ。他に必要な工程は無い。ただ自分の中にある力をありのままに発現させるのだ。

 

 彼は右手を前にかざしたまま、意識を集中する。全身の魔力が右手に集中し一気に吐き出された。

 辺りは静かなまま、焚き火が燃える音だけが穏やかに続いている。

 神が訝しげな声を出す。

 

『あれ? 何も起きませんね? もう少し練習が要るんでしょうか?』

「いや。成功だよ」


 ゆっくりと立ち上がったキュウタは右手をゆっくりと握る。すうっと息を吸い込むと、彼はかたわらにある彼の背丈よりも高い大岩にその拳を力任せに叩きつけた。

 中心から亀裂が入った岩が大小の破片となってガラガラとくずれおちた。キュウタは傷一つついていない拳を満足そうな表情で眺める。

 神が静かに感嘆する。

 

『貴方の原初魔法は『硬化』ですね』

「うん、なかなか便利かも。ってあれ、なん、だ、これ……」


 一気にキュウタの意識が薄れる。洞窟の奥に入る暇もなく睡魔が彼の体と心を覆い尽くす。

 

『ああ、魔力は鍛えないとすぐに疲れちゃうんですよ。体力と同じです』


 これからは魔力の鍛錬も日課にしましょうね、という神の言葉を聞き終わると同時に、キュウタは深い眠りについた。





 それから数ヶ月は生活の基盤を整えることに注力した。


 木や石で道具を作り、獣や魚を獲り、その骨や皮で衣服や道具を作る。ところどころで原初魔法の力は大いに役に立った。まともな道具が揃わない状況で、自分の手や指を鋼鉄並みに硬化させられるのは実に便利だった。

 徐々に日々の暮らしが安定していく中で、キュウタはふと疑問を思い出した。この日の夕食である焼き魚をむさぼりながら、彼は神に話し掛けた。

 

「ところで、僕がこの先何をすればいいのか聞いてなかったよね?」

『そうですね。まあそんなに急ぐ話でもないのですが』

「とりあえず聞かせてよ」


 そうですか、と神が始めた話は今までの総決算だった。

 

 魔族を倒すには魔法が必要なこと。戦力になるような魔法を得るには、これから数十万年の積み重ねの中で、人類が持つであろう魔法技術を進化させていかなければならないこと。

 そして最も重要な事が、と神が言葉を切る。

 

『……『母なる魔術士』の血統を守ることです』

「魔法の才能は『遺伝』するってこと?」

『はい。この時代においてある一人の女性が、人類史上最初で最後の突然変異を持って生まれるのです。すなわち、魔法の才能を得る最初の一人になるのです』


 キュウタの心の中で、様々な情報がようやく形をもったイメージを描き出す。彼の理解が十分に追いついていると察した神が言葉を継ぐ。


『彼女の血統が途絶えるという事は、魔法を行使できる人間が世界からいなくなるという事なのです』

「つまり、僕が体験した世界の歴史では、その『母なる魔術士』は……」

『子を産む前に死んでいます。これは過去視で確認しました』


 考えこむキュウタ。

 これは来るべき二十万年後の魔族侵攻に備えて、魔術士の血統を守ると同時に、魔法技術を強力に進化させるという壮大な『プロジェクト』なのだ。

 魔術士の数は多ければ多いほどいい。魔法も強力であるほど戦いが楽になる。簡単な話だ。やることさえ分かればもう迷う事は無い。

 くっきりと目の前に道が開けたように思える。先は果てしなく長い。だが確実にその道の先に、自分の『復讐』が存在するのだ。

 

 にやりと口角が上がる。必ずだ。必ず全ての魔族を倒し、魔神王の首をこの手で切り落としてやるのだ。その光景を夢想するだけでどんな苦痛にも耐えられる気がした。

 彼は焼き魚をさらに一口頬張り、ふと首をかしげる。

 

「ところで、その『母なる魔術士』が生まれるのは、いつ頃になるんだ?」

『今から『二千年』ほど後ですね。ちなみに未来への時間転移は不可能です』


 沈黙が立ちこめる。

 誤魔化すように口笛を吹き始めた神。心に直接響いてくるので耳が塞げなくて閉口する。キュウタの声が思わずとげとげしくなった。


「……ああ、そう」

『いや、違うんですよ! 貴方も色々と下準備とかいるじゃないですか! 魔法の練習とかもしといたほうが後々便利だし!』

「うんうん」

『いや……あのね……こんな遠い過去に時間転移するのって誤差修正が大変なんですよ……ほんとに』


 神がしょぼくれた声になる。ちょっと可哀想かなと思ったがしばらく反省するというのもいい経験になるはずだと、放っておくことにした。


 たまには神が懺悔ざんげしたっていいじゃないかと、キュウタは焼き魚の最後の一口を飲み込んだ。

 



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